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資料紹介 2020年のナゴルノ・カラバフ紛争から得られる教訓が研究者により分析されている

2020年のナゴルノ・カラバフ紛争でアゼルバイジャンがアルメニアに軍事的勝利を収めたことは、多くの専門家の注目を集めました。西欧の研究者は、その勝因をトルコの援助とアゼルバイジャン軍のドローンの使用に求める傾向がありますが、東側、つまりロシアの研究者の見方は少し異なっているようです。 2021年3月10日に英国の国際戦略研究所のウェブサイトでアレクサンダー・ストロネルは「 ロシアの視点から見たナゴルノ・カラバフ紛争の教訓を学ぶ(Learning the lessons of Nagorno-Karabakh the Russian way) 」と題する論説を発表し、 ロシア側のメディアでこの紛争の教訓がどのように分析されているのかを紹介しています 。彼らの議論をまとめると、4つの教訓が導き出されます。 1 軍隊の質が依然として重要である 2020年12月に発表されたロシア軍の機関紙の記事では、両軍の死傷者の統計を参照しながら、戦場に展開した部隊の戦闘効率を考察しています。それによれば、 両軍の人的損耗は17歳から19歳までの兵士が過半数を占めました が、 アゼルバイジャン軍が被った損耗を調べると、25歳から27歳までの兵士の損耗が全体の30%あり 、これは3年から5年の経験を積んだ兵士として推定されています。このデータはアゼルバイジャン軍の部隊がより経験豊富な軍人によって構成されていたことを示しています。つまり、戦場でアルメニア軍の兵士は軍務の経験で敵よりも劣る傾向にあったと考えられます。 実際、アルメニア軍はソ連軍で教育訓練を受けた高齢の将校によって指揮されており、この世代は新時代の無人航空機の運用について専門的な知識を持ていません。実際、アルメニア軍はシリア内戦での作戦行動に参加しているにもかかわらず、現代戦に特有の戦略や戦術を学習していないようです。 これらのことを踏まえれば、アルメニア軍では新しい知識や経験を蓄え、ドクトリンの開発で中心的な役割を担う人材が不足していた可能性があります。 2 戦場全体の性格が変わった ロシア軍の機関紙では、ナゴルノ・カラバフ紛争において、無人航空機を使った偵察が普及し、冷戦時代の戦術が役に立たなくなっている部分があることも指摘されています。 この紛争でアルメニア軍は「バグラミャン線」と呼ばれる防衛線を構成し、そこでアゼルバイジ...

学説紹介 低烈度紛争こそ現代の戦争である:クレフェルトが語るその重大性

戦争とは一般に国家間の武力紛争を意味しますが、実際に現代の世界で起きている戦争の多くが国家間の武力紛争ではなく、国家と非国家主体との武力紛争です。 このことは1980年代から 低烈度紛争 (Low Intensity Conflict)の議論で指摘されていましたが、2010年代末になってますます明確に認識されるようになっています。 非国家主体との戦争の形態がますます安全保障上の問題として重要性を増しているといえます。 今回の記事では、現代の世界情勢を理解する上で低烈度紛争がいかに重要な問題であるかを指摘したクレフェルトの研究を取り上げ、その要点を紹介します。 現代戦争で低烈度紛争はもはや一般的になった イスラエルの研究者 マーティン・ファン・クレフェルト(Martin van Creveld, 1946-現在) は、現代の戦争を理解する上で最も重要なことは、その大部分が低烈度紛争(Low Intensity Conflict)の様相をとるということだと考えました。 実際、第二次世界大戦が終結した1945年以降の軍事史を調査すると、75%近くの例が低烈度紛争だったと述べています。 「1945年以降、世界各地でおよそ160の武力衝突が起きている。その数はフランスのコルシカ島分離主義者やスペインのバスク人に対する戦いのようなものも含めるとさらに多くなる。これらの4分の3はさまざまな、いわゆる「低強度」のものだろう(この言葉は1980年代に初めて出てきたが、それ以前の多くの戦争も適切に表現している)」(48頁、注:クレフェルトの翻訳では「低強度紛争」の訳語が採用されているが、いずれも間違いではない) 朝鮮戦争、中東戦争、印パ戦争、イラン・イラク戦争など、もちろん第二次世界大戦後も国家間の正規戦がなくなったわけではありませんが、全体の数として減っていることは著者が指摘している通りです。 多くの人々にとって、低烈度紛争における個別の行動は戦争というよりも犯罪のように見えます。それは低烈度紛争では正規軍同士が戦っていないためです。 低烈度紛争はあえて戦闘員と非戦闘員の区別を曖昧にする戦争の様態であり、正規軍とゲリラ、テロリスト、あるいは場合によっては女性、子供が戦うことも可能です(同上、49頁)。 低烈度紛争を挑む勢力は公然と武器を持って...

文献紹介 なぜ国家の軍事ドクトリンは重要なのか

ある国家の軍事 ドクトリン を知ることができれば、その内容からさまざまな事柄が読み取れるようになります。その国がどのような地理的環境にあるのか、何を脅威として認識しているのか、政府の政策をどのように軍事的に実現しようとしているのか。これらはいずれも軍事ドクトリンの内容に反映される事項です。 今回は、軍事ドクトリンを研究する意義をさらに掘り下げて説明するために、政治学者バリー・ポーゼンの古典的研究『軍事ドクトリンの源泉(The Sources of Military Doctrine)』(1984)の一部内容を紹介したいと思います。 軍事ドクトリンと軍拡競争のリスク ポーゼンの見解によれば、軍事ドクトリンが重要な意味を持つ理由の一つは、戦争のリスクがそこから読み取れるためです。 ポーゼンはあらゆる軍事ドクトリンには攻勢、防勢のいずれかの傾向があるとした上で、攻勢志向のドクトリンを採用する国が増加することは、軍拡競争のリスクを高めると指摘しています。 「攻勢的な軍事ドクトリンは二つの方法で軍拡競争を加速させる。第一に、攻勢ドクトリンの要諦は迅速に、安価に、そして有効に第一撃で戦争を終わらせることができることである。したがって、国家は大規模な資源をもって第一撃能力を支援するだろう。第二に、攻勢的なドクトリンは防勢に対する攻勢の優越を確信していることを示唆している。そのため、各国は互いに軍事力の増強によって大いに脅かされていると感じ、強烈な反応を示す」(Posen, 1984: 18) これはアメリカの政治学者ロバート・ジャーヴィスが論じた安全保障のジレンマ(security dilemma)で想定されているものと同じ状況です。 攻撃的ドクトリンを採用する国は、その戦略上の成功を第一撃に大きく依存することになるため、より有利な態勢で短期決戦に持ち込めるように、少しでも仮想敵国よりも大きな軍備を整備しようとするだけでなく、より早く作戦の準備を整えようとします。 つまり、軍事ドクトリンの内容によって国際関係を律する勢力均衡はますます不安定になり、それだけ軍拡競争が起こりやすくなると考えられます。 これは防勢、抑止を重視するドクトリンを採用する国では起こりにくい現象とされていますが、その最大の理由はこうしたドクトリンは必然的に長期にわたる動員を想定...

学説紹介 軍隊は社会の不平等を是正するか:社会学者アンジェイエフスキーの考察

19世紀のイギリスで活躍した社会学者スペンサー(Herbert Spencer)は、戦争に備える軍事型社会は軍隊の階層構造に強く影響されるため、社会的不平等を拡大させる傾向にあると論じたことがあります。これは後の軍国主義の議論にも影響を与えた重要な論点でした。 このスペンサーの議論に対して反論を加えたのが軍事社会学の研究で知られるアンジェイエフスキー(Stamslay Andrzejewski)であり、彼は軍隊の社会的影響をより広い視野で考える必要があると主張しました。 今回は、アンジェイエフスキーの研究成果の一部を取り上げ、彼がスペンサーにどのような形で反論を加えたのかを紹介したいと思います。 軍隊の社会への影響は戦争の形態によって変化する まず、アンジェイエフスキーは軍隊が階層構造を必要とすること、そして軍隊が社会に多大な影響を及ぼす可能性がある、という点ではスペンサーの議論に理解を示しました(アンジェイエフスキー、40頁)。 確かに、異なる意志を持った人々が一つの目的を達成するために共同するためには、まず軍隊の内部で人々を階層化し、さらに社会の側においても軍事上の特権を持つ人々を階層化する可能性があります。 しかし、軍事組織の中でどの程度の階層化が必要なのかについては、必要とされる装備の種類や戦術の内容によって大きく左右される問題ではないか、とアンジェイエフスキーは考えました。このことを彼は次のように述べています。 「さらに、戦争状態の熾烈化は大衆にさまざまな特権を与え、その支持を取りつけることが必要になるようにする。その場合にはかなりの程度の標準化が起こりうる。そのような路線の必然性は、戦術と装備との発達の度合いから言って、専門的戦士による軍隊よりも、大衆による軍隊の方が能率がいいかどうかにかかっている」(同上、41頁) このアンジェイエフスキーの議論に従うと、軍隊が社会に与える影響はスペンサーの議論のように単純化できないことになります。 なぜなら、軍隊がどの程度の階層化を必要とするかは、その時代、その地域の戦争の特性によって変化するためです。戦争の様相が変化し、軍事的エリートだけでなく、大衆を大量に戦争に参加させる必要が出てくると、軍隊の階層構造は流動化する傾向が出てきます。 このように軍事組織の形態が変化す...

学説紹介 軍隊における上官との付き合い方―米海軍におけるフォロワーシップ―

組織の中で仕事を進める際に多くの人が悩むのが上司との関係です。 これは軍隊においても当てはまる問題であり、仕事の進め方や対人関係をめぐって対立することは珍しいことではありません。 数万名、数十万名という組織を運営しなければならない軍隊にとって、これは決して小さな問題ではなく、上官と部下の関係を適切に処理するためのテクニックについてさまざまな議論が行われています。 今回は、米海軍の参考書を参照しながら、フォロワーシップに関する議論を紹介し、部下が上官とどのような姿勢で付き合うべきなのかを考えてみたいと思います。 フォロワーシップの基本原則 上官に対する部下の姿勢、態度についてはフォロワーシップ(followership)という言葉でよく議論されています。 これはリーダーを「補佐する」能力と誤解されることもありますが、言葉に沿って厳密に定義するならば、これは「服従する」能力といえます。 つまり、フォロワーシップは制度上の指揮系統の中で命令を受ける立場にある人間がどのようにふるまうべきなのかを明らかにするために使われる概念なのです。 フォロワーシップの原則についてはリーダーシップの文献で取り上げられることが多いのですが、例えば「リーダーシップだけでは十分ではない」という論文でまとめられているフォロワーの原則は次のように紹介されています。 「よいフォロアーとは、 (1)自己の仕事とそれがいかに部隊の使命達成に寄与しているかを知っている。 (2)リーダーの特性を知っている。 (3)インスピレーションを与える能力をもっている。 (4)上司および部下に対して忠誠をつくす。 (5)能力に見合うイニシアチブを発揮する。 (6)権限と責任の委譲を容易に受諾し、かつまた受諾する用意がある。 (7)リーダーの決定を受諾し、全幅的にこの決定を実施するために最善をつくす。 (8)リーダーの部下のために配慮する能力と限界を十分に知り、不当な期待をかけることによって、上司のリーダーシップの負担をふやさない」(196-7頁) これは望ましいフォロワーの特性をまとめたチェックリストであり、参考書の著者は「各士官は、リーダーの弱点を探す前に、フォロアーとして自分自身の責任を果たしているかを確かめるべきである」とも述べています(同上、197頁...

用語解説 戦力投射(force projection)とは何か

戦力投射(force projection)とは、味方の作戦部隊を動員してから、作戦地域へと移動を完了し、さらに戦闘展開するまでの一連の部隊活動をいいます。 戦略投射能力に優れた軍隊とは、大規模な部隊を所望の地域に迅速に展開させる能力を備えた軍隊だといえるでしょう。 今回は、米軍の教範での戦力投射の解説を紹介し、戦力投射の原則や具体的な意味の内容について考えてみましょう。 戦力投射は勢力投射の一要素である そもそも戦力投射は作戦レベルで軍事行動を分析する際に使われることが多い用語です。 それは戦時だけでなく、平時においても実施される場合があり、例えば危機管理のため緊張が高まっている地域に予防的に展開することも戦力投射の一種と位置付けることができます。 米軍の教範では次のように説明がなされています。 「戦力投射は勢力投射の軍事的要素である。それは国家軍事戦略の中心を占める。最も重要なのは速度であり、戦力投射は味方の部隊と敵の部隊との競争である。最も素早く戦闘力を構築できた側が主導権を獲得できる。したがって、各段階の速度や輸送手段が決定的な意義を持つわけではなく、敵の準備が整う前に、あるいは状況がさらに悪化する前に作戦地域に戦闘可能な部隊が展開することが決定的な意義を持つのである」(FM 3-0, C1: 1-25) 戦力投射と似た用語に勢力投射(power projection)という用語があるのですが、この解説で指摘されている通り、戦力投射は軍事行動に意味が限定された用語です。 したがって、非軍事的手段をも駆使して自国の影響力を遠隔地に及ぼそうとする勢力投射とは区別しなければならないということです。 戦力投射のプロセスを分析する また、戦力投射の具体的なプロセスについても概観されていますが、その詳細は以下のように区分されています(Ibid.)。 ・動員(mobilization):軍隊を戦闘可能な勤務状態に移行させ、部隊の人員、武器、装備を充足させる過程のこと。 ・展開(deployment):命令を受けて作戦地域に部隊を移動させること。 ・運用(employment):任務遂行に必要なあらゆる種類の作戦行動をとること。 ・後方支援(sustainment):部隊が任務を遂行するまで、武器や弾薬を補給し、人員の衛...

論文紹介 18世紀プロイセン陸軍にいた一兵卒の視線

兵士の日常を外部から知ることは容易なことではありません。18世紀の軍隊のことになれば、なおさらのことです。 しかし、近年では軍事史の研究で国家や政治指導者の視点だけに頼らない叙述が模索されるようになっています。 今回は、七年戦争でプロイセン陸軍の一兵卒として従軍した経験を持つブレーカーの日記を手掛かりとして、当時の兵士の生活実態を考察した研究を取り上げたいと思います。 論文情報 阪口修平「近世プロイセン常備軍における兵士の日常生活:U・ブレーカーの『自伝』を中心に」阪口修平編著『歴史と軍隊:軍事史の新しい地平』創元社、2010年、124-55頁 ブレーカーとは何者か、なぜ入隊したのか ウルレヒ・ブレーカー(1735-1798)スイス出身の日記作家として知られる。著作『トッゲンブルクの貧しき男の生涯と実際の遍歴』はプロイセン陸軍での生活実態を知る貴重な史料として価値があると指摘されている。 ブレーカー(Ulrich Bräker)は、スイスのトッゲンブルク地方に住んでいた貧しい農家の生まれであり、民衆の生活を記録した日記作家として知られています。 軍事史の観点で興味深いのは、彼にプロイセン陸軍の兵卒だった時期があるためです。 当時、ちょうど フリードリヒ二世 が指揮をとっていた時代のプロイセン陸軍を一兵卒の視点で見ていたことになります(阪口、2010年、127頁)。 まず、ブレーカーが入隊するまでの経緯を簡単に確認すると、プロイセン陸軍が募兵のためにどのような取り組みをしていたのかが分かります。 もともと父親が破産したため、ブレーカーの家庭は経済的に困窮していました。ブレーカーは長男だったこともあり、日雇い労働で家計を助けている状況でした。 そんな時に父の知り合いだった斡旋人と出会うことになり、ブレーカーは報酬金を目当てに入隊を決意します(同上、133-4頁)。 まず、斡旋人と共にスイス国境付近の都市シャフハウゼンに赴き、そこに派遣されていたプロイセン陸軍の募兵団で検査を受けることになりました(同上、134頁)。 候補者を連れてきた斡旋人には募兵団から斡旋手数料が支払われるという仕組みだったのです(同上)。 これで兵士になれるかと思いきや、ブレーカーは検査で兵役に不適格、つまり失格の判定を受けてしまいました...

学説紹介 フリードリヒ二世の参謀部員―シェルレンドルフが語る18世紀の参謀組織―

軍事史においてプロイセンは近代的な参謀組織を初めて整えた国家であり、特に19世紀末以降には世界各国でその軍事制度が研究されたことがあります。 しかし、それは19世紀になって突然に誕生したわけではありません。18世紀の頃からプロイセン国王 フリードリヒ二世 (Friedrich II 1712 – 1786)の指導の下で少しずつ改善が進んでいたのです。 今回の記事では、シェルレンドルフの研究に依拠し、オーストリア継承戦争と七年戦争で名を馳せたプロイセン国王フリードリヒ二世が発達させた参謀組織について紹介したいと思います。 シェルレンドルフ(Paul Bronsart von Schellendorff, 1832-1891)は、プロイセン(ドイツ)の陸軍軍人であり、1883年から1889年までの6年にわたり戦争大臣を務めています。 彼は軍制に対する学識が非常に深かったことでも知られており、『一般幕僚の要務(Der Dienst des Generalstabes)』(初版1875年、2版1884年)の著者でもあります。これは普仏戦争が終わってから世界各国で研究された文献であり、プロイセンの参謀組織の発達に関する研究も含まれています(Schellendorff 1875)。 軍隊における参謀の役割とは パウル・フォン・シェルレンドルフはプロイセン陸軍軍人であり、戦争大臣として在任している間に重要な改革を手掛けている他、軍事政策を中心に軍事学の著作も複数残している。 そもそも参謀組織とは何かというところから始めましょう。 軍隊においては、作戦の成否に関する責任を明確にするため、指揮官が全責任を負うことになっています。 例えば、師団の行動については師団長が、分隊の行動について分隊長が責任を引き受けることになり、合議による意思決定は一切行われていません。 しかし、部隊の規模が大きくなるにつれて、指揮官が処理すべき問題が複雑になると、単独で指揮をとることは現実的に難しくなります。 そのため、大隊以上になると指揮官に参謀がつくことになります。彼らは指揮をとることはせず、あくまでも指揮官の補佐に回るのが仕事となります。 戦時における参謀の具体的な役割について、シェルレンドルフは次のように解説しています。 1 軍隊の宿営、警備、...

学説紹介 戦略は臨機応変の体系である―モルトケの軍事思想を中心に―

ナポレオン戦争終結後に活躍した軍人であり、かつ学問的にも重要な業績を残した人物に、 ヘルムート・フォン・モルトケ がいます。 モルトケはプロイセン陸軍で カール・フォン・クラウゼヴィッツ の研究を引き継ぎ、独自の戦略思想を発展させたことで知られていますが、具体的に彼がどのような戦略思想を持っていたのかはあまり知られていません。 今回は、モルトケの戦略思想の特徴について紹介し、19世紀の軍事学における位置づけに触れたいと思います。 モルトケの戦略思想の特徴 ナポレオン戦争が終結してから、軍事学者の間で広く議論された研究テーマに戦いの原則(principles of war)があります。 これは成功する戦略には、敵の翼側を迂回するとか、後方連絡線を遮断するなどの基本原則が存在すると想定する思想であり、これを司令官が可能な限り再現すれば、同じかそれに近い戦果が得られると考えられていたのです。 この説を主張した学者の数は多く、例えばプロイセン人ではフォン・ヴィリゼン、オーストリア人ではカール大公、イギリス人ではエドワード・ブルース・ハムレー、フランス人(スイス出身)ではアントワーヌ・アンリ・ジョミニ、アメリカ人ではデニス・ハート・マハンがいます。 いずれも学識ある研究者でしたが、モルトケからすれば彼らは戦略を研究する過程で過度な理論化に走っているように見えました。 この見解は次のモルトケの記述からもはっきりと読み取ることができます。 「戦略は臨機応変の体系である。戦略は単なる客観的科学などではない。知識を実際の生活えと適用することが戦略である。絶えざる状況の変化に応じて、現代の主題は補修が重ねられていく。戦略は過酷な状況という重圧の下、行動する術である」(片岡、15頁) モルトケは戦略を学問で伝えられる知識というよりも、実戦で発揮される能力として考えていたことが分かります。 もちろん、モルトケは戦略の科学的研究が不可能だと主張したかったわけではありません。モルトケは戦争術が多くの学問の奉仕を受ける技術だと認めています(同上)。 モルトケにとって重要なことは「戦争にも普遍的に妥当する規準などはない」ということであり、これは少数の原則さえ守れば戦略の問題が整然と解決できるなどと思いあがってはならないという戒めでした。 戦略...

論文紹介 暴動鎮圧にも戦術がある

本来なら暴動は警察学の研究テーマであって、軍事学の研究テーマにはそぐわないと感じられる読者もいるかもしれません。 しかし、世界の発展途上国で実施されている不正規戦争の事例を調べてみると、暴動がゲリラ戦を補完する戦術として利用されることもあり、一概に暴動は警察力で鎮圧すればよいと片づけるわけにはいかない場合があります。 これは米軍のように外国で占領地の治安維持に当たる場合があれば、なおさらです。 今回は、暴動を鎮圧する方法を戦術の観点から考察した論文を取り上げ、その要点を紹介したいと思います。 論文情報 Stanton, Martin N. "Riot Control for the 1990s," Infantry , Vol. 86, No. 1(January-February 1996), pp. 22-9. 不正規戦争の一環としての暴動 この研究の目的は、米軍の暴動鎮圧ドクトリンを見直すことにあるのですが、著者は特に発展途上国に進駐した米軍部隊が暴徒の対処に当たるという状況を想定していました。 この研究が発表された当時は1990年代、つまりポスト冷戦の時代であり、発展途上国に米軍部隊が派遣され、現地の暴動を鎮圧する任務を数多くこなさなければなりませんでした(Stanton 1996: 22)。 著者は1990年代前半の米軍の戦闘経験に基づき、発展途上国の暴動は事実上のゲリラ戦として側面があったとして、次のように論じています(Ibid.: 23)。 「例えばソマリアにおいては、兵士は戦闘員(gunman)と対決するのと同時に、投石や手にしたもので打撃を加える群衆とも対決した。射撃を加える戦闘員を捕獲するため、部隊が暴動を起こすソマリ族を圧迫し、打撃する場面が何度も生じた。同じ暴動に致死的な暴力と非致死的な暴力を組み合わせて用いたことが、反応をより複雑なものにしてしまった」(Ibid.) つまり、治安維持部隊を襲撃する暴徒は意図的に女性や子供を捲き込むことによって、武装している戦闘員の安全を確保する場合があり、暴動鎮圧をより困難にする可能性があるということです。 治安維持部隊にとって、このような暴徒から戦闘員だけを見つけて捕獲することは極めて困難なことですが、もし暴徒の接近を無制限に許せば部隊に...

文献紹介 どのように歩兵小隊の戦術は変わってきたのか

戦術の発展を促してきた要因は一つではありません。その時代、その地域に主流だった隊形や編制、武器や装備など、多くの要因が相互に影響し合っています。 しかし、兵役制度が戦術思想の発展に与えた影響は比較的理解されているところが少ないかもしれません。 今回は、20世紀の兵役制度の変化が歩兵小隊の戦術をどのように変化させたのかを考察した社会学者アンソニー・キングの研究を紹介したいと思います。 文献情報 King, Anthony. 2013. The Combat Soldier: Infantry Tactics and Cohesion in the Twentieth and Twenty-First Centuries . Oxford: Oxford University Press. 歩兵小隊の戦術が重要な理由 この研究は20世紀に徴兵制から志願制へ兵役制度の移行が進む中で、陸軍の歩兵戦術、特に歩兵小隊の戦術にどのような変化が生じていたのかを研究したものです。 20世紀初頭の各国陸軍では徴兵制によって人員を集めることが一般的でしたが、戦闘効率で問題を抱えていたことを著者は指摘しています。 「20世紀の大衆軍(mass armies)は近代的な武器を使用させる上で集団行為の問題の解答を探し求めるために努力した。市民からなる歩兵部隊は、集団としての戦闘効率で問題を抱えていた」(King 2013: 60) つまるところ、徴兵制で集めた兵士で効率的な戦い方を行わせることには限界があったということです。 また著者は第二次世界大戦で兵士の行動を調査したマーシャルの有名な研究を取り上げ、第一線における兵士の発砲率の低さが指摘されていたことを紹介していますが、この研究も徴兵制で作り上げた陸軍の戦闘効率の低さを示唆しているものだと評価しています(Ibid.)。 しかし、マーシャルをはじめとする過去の研究は、この戦闘効率の改善が進んだ背景として、兵役制度の影響を十分に考察しておらず、この研究はその空白を埋めるためのものとして位置付けられています。 戦術単位としての歩兵小隊の成立 著者の調査によれば、19世紀末から20世紀初頭の歩兵戦術は短間隔、つまり密集した状態で部隊が行動することが前提とされていました。 この思想はプロイ...

事例研究 民主主義はシビリアン・コントロールを保証しない

軍隊に対する政府の統制は一般にシビリアン・コントロール(civilian control)という用語で呼ばれており、民主的な政治システムの一部として見なされることもあります。 しかし政治史を検討していくと、民主主義のメカニズムが常にシビリアン・コントロールを強化するとは限りません。民衆の世論や圧力がシビリアン・コントロールを損なう場合があります。 今回は、第一次世界大戦のイギリスの事例を取り上げ、民主的な政治システムそれ自体はシビリアン・コントロールを保証するものではないことを考察したいと思います。 軍事に無関心な政治家の姿勢 ハーバート・アスキスの肖像画(1919年) 1919 portrait by André Cluysenaar 第一次世界大戦とは、1914年から1918年にかけてイギリス、フランス、ロシアを中心とする陣営と、ドイツ、オーストリアを中心とする陣営とが争った戦争です。 この大戦が勃発した当時、イギリス首相を務めていたアスキス(Herbert Henry Asquith, 1852 - 1928)は、ドイツ軍の脅威に対処させるため、ヘイグ(Douglas Haig, 1861 - 1928)を司令官とする地上部隊をフランスへ援軍として差し向けました。 当然、シビリアン・コントロールの観点から見ればアスキスは国家的見地からヘイグを指導し、その決定の妥当性を判断すべき立場にあったといえます。 アスキスは議会人としては有能でしたが、軍事問題について十分な知識は持ち合わせていませんでした。その結果として、軍隊に対する政府の統制は不適切なほどに弱められてしまったと歴史学者のテイラーは指摘しています。 「アスキスは戦争の遂行に伴う重要な課題を理解していなかった。アスキスは勝利することを強く決意していたものの、政治家として可能な貢献は、私企業が武器を生産し、将軍がその武器を使って勝利を収めることを妨げないことだけだと考えていた」(Taylor 1964: 21) 政府が軍隊に対する指導力を低下させた結果、現地で軍を指揮するヘイグがイギリスの戦略方針に大きな発言力を持つようになり、全体としてシビリアン・コントロールの仕組みは骨抜きとなっていく事態となりました。 こうした状況は第一次世界大戦が消耗戦の様相を呈し、膨大な...

学説紹介 下士官の権威で兵卒は戦う

戦場で兵士を戦わせることは大変難しい仕事です。敵前で戦列を乱し、指揮官が射撃を命じても発砲を躊躇し、挙句の果てには旗色が悪いと逃げ出す者まで出てくるのが戦場の実態でした。 軍事学者は19世紀頃から心理学的アプローチによって、兵士の統制や士気に関する問題に取り組むようになるのですが、今回は兵卒を戦わせるために下士官が果たす役割を心理学者デーブ・グロスマン(Dave Grossman)がどのように考察しているかを紹介したいと思います。 攻撃行動につきまとう心理的負担 軍隊の戦闘効率を向上するためには、武器や戦術の問題の前に、すべての兵卒が戦場で集団的な攻撃行動に参加していなければなりません。 ところが兵士全員に照準具の向こう側にいる敵を攻撃させようとしても、見も知らない他人に対して自分から攻撃を加えることを避けたいという心理が働いてしまいます。 敵との物理的、心理的な距離が小さくなるほど、殺人に対する心理的負担は大きくなる傾向があるため、敵と最前線で対峙する兵卒ほど攻撃を回避する傾向が強まっていきます。こうなると戦闘部隊の効率性は致命的なレベルにまで低下してしまいます。 グロスマンはこうした攻撃行動に伴う心理的負担を軽減するため、現場に指揮官が直接命令を達することが重要であると指摘しており、次のように論じています。 「この問題を研究したことがない人は、兵士が敵を殺す際の指揮官の影響をさほど重視しないかもしれない。だが、戦場を経験したことのあるものはそんな愚は犯すまい。1973年の研究において、クランス、カプラン、およびクランスの3人は、兵士が発表する理由を調査している。戦闘経験のない人は、「撃たないと撃たれるから」というのが決定的な理由だと考えたが、戦闘経験者が最大の理由として挙げたのは「撃てと命令されるから」だった」(邦訳、グロスマン、244頁) 実はこのような心理はイェール大学の心理学者スタンリー・ミルグラムによって実証されたことがあり、ミルグラム実験として広く知られています。 ミルグラム実験で分かる攻撃と服従の心理 ミルグラム実験の概略図。実験の略図。被験者であるTは、Lに問題を出して解答を間違える度に電気ショックを次第に強くするよう、実験者Eから命令される。実験ではLはEと打ち合わせし、電気ショックで苦しく様子を演じ...

学説紹介 どうすれば士気を高めることができるか

Staff Sgt. Katherine Spessa. Feb. 17, 2017.  士気(morale)は部隊に所属する各個人の心理状態を合わせたものであり、戦闘効率を高める重要な要因として位置付けられています。 統率力(リーダーシップ)を発揮して士気を高めることは、指揮官が任務を遂行する上で欠かすことができないといえます。 今回は、アメリカ海軍協会から刊行された統率論の参考書に沿って、部下の士気を高めるために必要な措置に関する解説を紹介したいと思います。 士気は小さいことの積み重ねである Lance Cpl. Sarah Stegall. Jan. 4, 2017.  Basic Warrior Training is a 48 hour training evolution that covers land navigation. 古来から軍人は士気を高めることの重要性を認識し、統率者の使命はこれを高いレベルに保つことだと考えてきました。 というのも、士気が低下すれば部隊の能力は低下し、転属や退職を願い出る者、規律を乱して事故を起こす者、最悪の場合には命令に従わないなどの重大な事態にまで発展する危険があるためです。 軍隊の戦闘力への影響で見れば、物理的要因の3倍の効果を心理的要因が及ぼすとナポレオンが主張したことは決して誇張ではありませんでした(アメリカ海軍協会、226-7頁)。 しかし、部下の士気を高めることは決して簡単な仕事ではなく、日頃の地道な取り組みがなければ士気を改善することができないと文献でも述べられています。 「「士気とは小さいことの積み重ねである」といわれている。これほど、この重要な要因を正確に表したものはあるまい。なぜならば、人間に満足感を覚えせしめるすべてのものは士気を増強し、個人としての人間を煩わすすべてのものは士気を低下せしめるからである」(同上、227頁) こうした士気の複雑性は、手っ取り早い改善策が存在しないことの裏返しでもあります。 士気とは究極的には各個人の心理状態に起因するものですので、生活状況、食事、住宅、規律、給与、職務内容のすべてが影響してきます(同上)。 こうした諸条件において、その個人が集団の一員として重要な働きをしてい...