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2017年6月14日水曜日

学説紹介 下士官の権威で兵卒は戦う

戦場で兵士を戦わせることは大変難しい仕事です。敵前で戦列を乱し、指揮官が射撃を命じても発砲を躊躇し、挙句の果てには旗色が悪いと逃げ出す者まで出てくるのが戦場の実態でした。

軍事学者は19世紀頃から心理学的アプローチによって、兵士の統制や士気に関する問題に取り組むようになるのですが、今回は兵卒を戦わせるために下士官が果たす役割を心理学者デーブ・グロスマン(Dave Grossman)がどのように考察しているかを紹介したいと思います。

攻撃行動につきまとう心理的負担
軍隊の戦闘効率を向上するためには、武器や戦術の問題の前に、すべての兵卒が戦場で集団的な攻撃行動に参加していなければなりません。
ところが兵士全員に照準具の向こう側にいる敵を攻撃させようとしても、見も知らない他人に対して自分から攻撃を加えることを避けたいという心理が働いてしまいます。

敵との物理的、心理的な距離が小さくなるほど、殺人に対する心理的負担は大きくなる傾向があるため、敵と最前線で対峙する兵卒ほど攻撃を回避する傾向が強まっていきます。こうなると戦闘部隊の効率性は致命的なレベルにまで低下してしまいます。

グロスマンはこうした攻撃行動に伴う心理的負担を軽減するため、現場に指揮官が直接命令を達することが重要であると指摘しており、次のように論じています。
「この問題を研究したことがない人は、兵士が敵を殺す際の指揮官の影響をさほど重視しないかもしれない。だが、戦場を経験したことのあるものはそんな愚は犯すまい。1973年の研究において、クランス、カプラン、およびクランスの3人は、兵士が発表する理由を調査している。戦闘経験のない人は、「撃たないと撃たれるから」というのが決定的な理由だと考えたが、戦闘経験者が最大の理由として挙げたのは「撃てと命令されるから」だった」(邦訳、グロスマン、244頁)
実はこのような心理はイェール大学の心理学者スタンリー・ミルグラムによって実証されたことがあり、ミルグラム実験として広く知られています。

ミルグラム実験で分かる攻撃と服従の心理
ミルグラム実験の概略図。実験の略図。被験者であるTは、Lに問題を出して解答を間違える度に電気ショックを次第に強くするよう、実験者Eから命令される。実験ではLはEと打ち合わせし、電気ショックで苦しく様子を演じているが、Tはそのことを知らない。この場合、Tはどの段階で電気ショックを止めるかを観察する。
ミルグラム実験は人間の攻撃と服従に関する研究の一環で行われたものであり、その後数カ国で同様の実験が実施され、結果が再検証されてきました(詳細はミルグラム『服従の心理』を参照)。グロスマンはこの実験の概要について次のように紹介しています。
「エール大学のスタンリー・ミルグラム博士は、服従と攻撃について有名な実験を行っている。それによると、実験室環境において指示を与えられた場合、被験者の65%以上が致命的な(と被験者からは見える)電気ショックを見も知らぬ他人に与えたという。被験者は、自分が相手に大きな身体的苦痛を与えていると心から信じていた。ところが、相手が必死で止めてくれと嘆願しているのに、65%もの人が指示に従って電圧を上げてゆき、悲鳴が途切れたあとも、死亡がほぼ確実になるまでずっとショックを与え続けたのである」(グロスマン、241頁)
実験の前にミルグラムは他の心理学者に結果の予測を依頼しましたが、彼らは最大電圧のショックを与えることができる被験者は1%に満たないと見積もっていました(同上)。
自分と何の関係もない他人に身体的苦痛を与え続け、相手が死に至るまでその行動を継続することに被験者は強いストレスを感じはずだと考えたためです。

しかし、ミルグラム実験はそうしたストレスは克服可能であり、それは権威者に服従することだということを示したのです。
「自信に満ちた笑みを浮かべて、年輩の貫禄あるビジネスマンが実験室に入ってきた。20分後にはその貫禄は消え、身をよじり、口ごもる哀れな男が残っているだけだった。急速に神経衰弱に陥りつつあった。……ある時点で、こぶしをひたいに押し当て、「だめだ、もうやめよう」とつぶやいた。にもかかわらず、その後も実験者の一語一語に反応し、最後まで命令に従い続けた」(同上、243頁)
この心理は軍事的にも応用可能です。グロスマンは「たった数分前に知り合ったばかりの権威者が、実験室の白衣とクリップボードだけでこれほど人を服従させることができるなら、軍の権威と標識と数カ月の連帯があればどれほどのことができるだろうか」と指摘しています(同上)。

軍隊の階級制度によって下士官に与えられた権威は兵卒にとって絶対的な影響力があり、その心理的メカニズムを応用することで、一人ひとりに戦闘への参加を促すことが可能となるのです。

ローマ軍における百人隊長の役割
Neil Carey(2006)ローマ軍の隊形の一つ。密集した兵士の背後に隊長と副隊長が位置し、旗手が旗を保持していることが確認できる。この場合、権威者として兵卒に命令を与え、監視するのは隊長と副隊長ということになる。
ミルグラム実験の結果を踏まえると、兵卒を戦闘に参加させ、攻撃行動を持続させる上で、権威者の存在が重要だと理解できますが、それは士官では代替できないこともグロスマンは指摘しています。

つまり、現場で兵卒と行動を共にし、また分隊・小隊規模の第一線部隊を指揮する能力がある職業軍人としての権威がなければならないのです。
こうした下士官の重要性はローマが軍事的に成功した歴史からも読み取ることができるとしてグロスマンは次のように述べています。
「リーダーシップの開発と言う考え方と、現在見られるような下士官部隊を生み出したのはローマ人である。職業軍人から成るローマ軍がギリシアの市民軍をしのいだとき、その成功にはリーダーシップが重要な要因として働いていたと考えられる。(中略)ギリシアの方陣では、分隊・小隊レベルの指揮官は他の兵士とともに槍をもって戦っていた。その基本的な役割は殺人に参加することだ(装備の上からも、また方陣内の位置が固定されていることからもわかる)。いっぽうローマの陣内には、自由に動きまわれる指揮官がおおぜいいた。高度な訓練を受け、慎重に選抜された指揮官の役割は敵を殺すことではなく、部下の背後に立って殺せと命じることである」(同上、248頁)
先ほど紹介したミルグラム実験では権威者は白衣を着用し、クリップボードを持って、被験者のすぐ後ろに立ち、電気ショックを受ける犠牲者が質問に間違った答えを出すたびに電圧を上げるように被験者に指示しました。

興味深いことに、被験者の直接背後に立つのではなく、離れた場所から電話で指示を出すという場合、最大電圧のショックを与えようとする被験者の数が大幅に減少することが観察されています(同上、245頁)。
つまり、その場にいない人間の権威は被験者の立場からすると大幅に低下する傾向にある、ということを示しています。

グロスマンはローマ軍の組織構造において、下士官が兵卒と行動を共に行動させていた理由がここにあると考えています。
つまり、第一線で兵卒を効率的に戦わせるには、その兵卒のすぐ後ろに権威者が立っている必要があり、その職務内容は「殺人に参加すること」ではなく、「部下の背後に立って殺せと命じること」でなければならないのです。

職業軍人がいなかったギリシア軍のファランクスとは異なり、小規模な部隊ごとに展開も可能だったローマ軍のレギオンが戦闘効率の面で優れていたことは、戦術上の理由だけでなく、こうした心理的メカニズムの効率性という視点からも総合的に考慮すべきなのです。

むすびにかえて
グロスマンの著作では、「服従したいという欲求の強さを見くびってはならない」という精神分析学のジグムント・フロイトの言葉が紹介されています(同上、243頁)。
この心理を利用しなければ、数カ月前まで人を殺すことなど考えもしなかった普通の市民を、戦闘に積極的に参加させることは、極めて困難なことです。

軍隊が下士官に権威者としての正統性を与え、兵卒との物理的距離を小さく配置し、また直接命令させることで、軍隊は集団的な攻撃行動を可能にする心理的メカニズムを準備するものであり、すべて意味があることなのです。

もし下士官が育っていない軍隊があるとすれば、そうした心理的メカニズムを欠いた軍隊であり、どれほど優れた武器を持っていたとしても、現場で兵卒を戦わせることはできないでしょう。

KT

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論文紹介 下士官はいかに軍隊を支えてきたか

参考文献
スタンレー・ミルグラム『服従の心理』山形浩生訳、河出書房新社、2012年
デーヴ・グロスマン『戦争における「人殺し」の心理学』筑摩書房、2004年

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