最近人気の記事

2018年6月16日土曜日

道路と行進―行進速度を計算する方法―

私たちはどこかに行こうとすると、どのような経路が使用できるのか、どれだけ時間がかかるのかを調べます。
軍隊の作戦計画を立案する作業でも、同じような経路研究が行われていますが、異なっているのは移動しようとする車両が1両ではないということです。

小隊や中隊程度の部隊規模であれば、特に複雑な計算は必要ないかもしれませんが、師団や軍団になってくると、行進の問題は極めて複雑になってきます。

今回は、軍団が車両行進を実施する場合を想定し、行進を計画する際に考えるべき問題を紹介し、分進合撃の有効性についても触れたいと思います。

細い道路に阻まれる巨大な部隊

3個師団で編成された軍団の指揮をとっていると想定しましょう。
この軍団を1本の道路上で前進させなければならないのですが、ざっと見積っても25,000両の車両を一斉に動かす必要があるとします。
このような条件下で25km前進するためには、どの程度の所要時間を見積もるべきでしょうか。

ここでは問題点を分かりやすくするために、行進縦隊ごとの間隔は無視することにしましょう。
車両間に100mの安全間隔を設定すると、1km当たり10両が路上の空間を占有しながら走行することになります。
したがって、軍団が道路を前進しようとすれば25,000/10=2,500となり、つまり路上空間を2,500kmにわたって占有することが予測されます。

変な話に聞こえますが、路上にずらりと並んだ軍団の全長は、これから前進しようとする距離の100倍の長さになるのです。
これだけ行進する部隊が大規模になると、時速25kmで安全走行を心がけ、道路状況に一切の異常がなく、25,000両が全て交通事故を起こさないとしても、25kmの前進には4日以上かかると考えられます。

ただし、どこか一カ所でも交通事故が起きれば、後続の車両がすべて遅れることになるため、実際に目的地に到着する時間はさらに遅れる可能性があるものと考えなければなりません。
行進のスケールをこのような数字で捉えると、軍隊の移動が一般的に考えられているより難しい問題であることが分かるのではないでしょうか。

分進合撃の威力を数字で考える

さらに議論を先に進めてみましょう。1本の道路で軍団の行進速度を向上させるには限界があることが分かりました。このままでは作戦上の要求に到底対応できません。

そこで、複数の経路を同時に使用する必要があると分かります。
つまり、軍団の戦力を数カ所にばらばらの地点から前進させ、所望の時期、場所で合流させる計画を立案しなければならないのです。このような方法を分進合撃といいます。

もし先ほどの軍団が使用できる道路が5本割り当てられたなら、25kmの車両行進の所要時間はどれだけ短縮できるのでしょうか。
まず25,000/5=5,000ですので、1本の道路に5,000両ずつ車両が配分されることになります。
どの部隊をどの道路に割り当てるべきかという点についてはひとまず脇に置いておきます。

5,000両が先ほどと同じ車両間隔で走行するとすれば、それぞれ500kmの路上空間を占有する計算になります。
その状態で各部隊が時速25kmで走り、特に事故も起こらなければ、20時間、つまり1日も経たずして部隊が行進を完了させることができると見積もれます。

大ざっぱに比較すると4分の1の速度で現地に到着できることになりますので、もし彼我の戦力が同じだとしても味方の軍団は予定戦場に先に全体の部隊展開を済ませることができます。
つまり、3日間を準備に費やした上で防御戦闘に臨むことができますし、展開未了の敵を捕捉して撃破する攻撃戦闘も可能なのです。

むすびにかえて

地形や気象、交通状況の変化などの要因を十分に考慮していない簡単な計算ではありますが、戦略機動する作戦部隊の規模が大きくなるほど、分進合撃の威力が増すことははっきりと認識できたのではないかと思います。
分進合撃は複雑な計画を必要としますが、戦場で集中させたい戦力規模が大きくなるほど、重要性が増す技術です。

19世紀にはナポレオンがこの方式を巧みに用いたことで知られており、彼の戦略思想の特徴として注目されることもあります。
その後、このような行進の方法は軍事学者の間でよく知られるようになり、クラウゼヴィッツも道路容量の制約と行進縦隊の全長との関係について考察を残しています。

KT

関連記事
文献紹介 なぜナポレオンは強かったのか
ナポレオンが軍団を設置した理由

2018年6月8日金曜日

学説紹介 なぜ戦間期の米国は対日攻撃を行わなかったのか―スパイクマンの地政学的分析―

戦間期の日米関係を考察した研究は数多くあり、政治的、経済的、社会的、軍事的要因など幅広い要因が示されてきました。

しかし、地理的要因が果たした影響について考察した研究はそれほど多くなく、本格的な地政学的分析が展開された研究はさらに少数です。

今回は、スパイクマンの学説を参照し、地政学の立場から当時の日米関係に対する一つの解釈を紹介したいと思います。

戦争を避けようとしていた米国の対日政策

1933年に米大統領に就任したローズヴェルトは、従来の対日政策を見直して強硬な措置をとったが、それまでのフーヴァー、クールリッジ、ハーディングは対日政策で強硬な措置をとることには慎重な姿勢を維持してきた。スパイクマンの研究では、この背景にフィリピンの防衛問題があったことが指摘されている。
まず、スパイクマンは米国が日本に対して全般的には軍事的に優勢だったにもかかわらず、なかなか自ら進んで対日開戦に踏み切ろうとはしなかったことを問題としています。

第一次世界大戦が終結してから間もなく、米国が東アジアで日本が軍事的に台頭していることに警戒感を強め、さまざまな手段で日本が地域覇権を握ることを阻止しようと動いてきました。

それにもかかわらず、米国は単独で日本と戦争状態に突入することは慎重に回避し続け、1941年に日本が対米攻撃に踏み切るまで戦争を先送りにしたのです。

満州事変の後で日本が中国で戦線を拡大している間も、米国は自国の武力を見せつけるように実動演習や部隊配置を実施しましたが、これらは抑止力としてほとんど機能しませんでした(108頁)。

その代わりに使われていた経済的、外交的圧力も十分ではなく、1940年に国防上必要な物資の輸出を禁止、制限する決定権を大統領に一任するシェパード・メイ法案が可決された例を見ても、実質的な勢力均衡に影響を及ぼすことはあまりありませんでした(同上、109頁)。

初めて米国が実効力のある経済制裁として、国内の日本資産を凍結したのは1941年7月25日に日本軍が南部仏印進駐を受けてからのことであり、これは12月の日米開戦のおよそ4カ月ほど前のことでした(同上)。

こうした一連の経緯を見れば、米国のように国力で優れた国が、なぜ日本に対して、これほど慎重な対応をとっていたのか不可解に思われます。
もっと早い段階で米国が対日攻撃に踏み切っていれば、日本はそもそも大陸においてあれほど勢力を拡大することはできなかったように考えられるためです。

しかし、スパイクマンは空間的要素を考慮すれば、説明がつくと指摘しています。当時の米国は日本に地政学的な弱点を握られており、迂闊に軍事行動をとると、かえって不利になる危険があったのです。

米国の地政学的な弱点だったフィリピン

太平洋におけるフィリピンは米国の統治下にあったものの、それは日本の勢力圏によって孤立した位置にあり、防衛のための兵力も十分ではなかった。そのため、台湾で発起した攻勢に持ち堪える見込みはなく、米軍の戦略において弱点となっていた。
スパイクマンは西太平洋という地域に限定すれば、米国は必ずしも日本に対して軍事的に優勢とはいえず、そのため米国は対日攻撃に踏み切れなかったのだと説明しています。

具体的な弱点として挙げられているのはフィリピンでした。
スパイクマンは「米国が自国の経済力に物をいわせ、日本を関税に締めつけることをためらった理由の一つは、西太平洋における米国の軍事力が脆弱で、日本が報復としてフィリピンを攻撃してくることを恐れたためであった」と述べています(110頁)。

(ちなみに、当時のフィリピンは独立準備のため、マッカーサーを顧問に迎え入れ、軍備拡張を進めようとしましたが、軍事的に不十分な状態でした。その詳細については事例研究 第二次世界大戦におけるフィリピンの敗北―ケソンとマッカーサーの挫折―を参照してください)

つまり、当時のフィリピンはすでに米国の勢力圏から外れ、日本の攻撃をいつ受けてもおかしくない危険な状態だったにもかかわらず、現地の防衛力も不完全だったということです。

当時の米国が太平洋に保持していたハワイの海軍基地を起点にしてみます。
すると、フィリピン諸島まではおよそ9000kmの距離があり、横浜までの6500kmよりもさらに遠くに位置していることになります(同上、148頁)。

フィリピンの防衛は米軍にとって重荷であり、イギリスのような国の支援がなければ、実施不能だとも考えられていたことも説明されています。
「自分たちは日本よりはるかに優れているという確信が、海軍の全船から兵士一人一人に至るまで徹底していたにもかかわらず、フィリピン諸島を防衛することは困難で、米国単独で日本を徹底的に打ちのめすのは不可能に思われた。米政府は地理的現実を正確に認識しており、イギリスの協力が確実に得られない限りは、アジアにおける勢力均衡を保つためにあえて戦争の突入することは得策ではないと考えていた」(同上、110頁)
日本の戦争遂行能力が米国よりもはるかに小さいにもかかわらず、局地的なレベルで米国は日本に劣勢だったことをスパイクマンは別の箇所でもはっきり述べています(同上、111頁)。

むすびにかえて

第一次世界大戦でヨーロッパの列強が相対的に弱体化したことによって、米国はますます国力を高め、政治的な地位を向上させました。

しかし、だからといって米国が全世界で軍事的に優勢だったと誤解すべきではないというのがスパイクマンの指摘であり、米国はいわばフィリピンを日本に人質に取られ、自在に軍事行動がとれる状況ではなかったということになります。

1941年の太平洋では日本と米国が戦いましたが、今では中国が日本に変わって米国に対抗する勢力となっています。

こうした現状を正しく判断する意味でも、当時の軍事情勢を理解することがますます必要になるのではないでしょうか。

KT

関連記事
事例研究 第二次世界大戦におけるフィリピンの敗北―ケソンとマッカーサーの挫折―
論文紹介 中国に宥和し始めたフィリピン―ドゥテルテ政権の対外政策―
学説紹介 米国の覇権はいつまで続くのか

参考文献
Spykman, Nicholas J. 2007(1942). America's Strategy in World Politics: The United States and the Balance of Power. Transaction Publishers.(抄訳、『スパイクマン地政学:世界政治と米国の戦略』渡邉公太訳、芙蓉書房出版、2017年)

2018年6月2日土曜日

おしらせ 軍事学を学ぶ2018年6月号:次の戦争に備えるための陸軍改革

大変恐縮なことではありますが、電子雑誌『軍事学を学ぶ』の2016年6月号が配信されることになりました。

今号では陸軍改革を特集のテーマとして2本の論文を紹介しています。
また、書下ろしの記事として、軍事学とはそもそもどのような学問なのか、戦いの原則はどのように役に立つのかを解説した記事をそれぞれ2本掲載しています。

論文紹介・陸軍改革をめぐる動向

今号では次の戦争を見据えた陸軍改革を提唱する論文の紹介記事を2本掲載しました。
一つ目が「海洋国家の陸軍戦略と遠征作戦の意義」であり、ここで紹介している論文は今号の原稿を仕上げた後で賞を受けています。

海洋国家の国防にとって死活的な意義を持つのは、海軍で海上交通路を防衛することです。しかし、だからといって陸軍の意義を軽視してはならない、というところから著者は議論を展開し、海洋国家は海を渡って遠隔地に支配権を確立できる遠征可能な陸軍を持つことが重要だと指摘しています。

このような立場から著者はアメリカ陸軍の遠征能力の低下を厳しく批判しています。
第二次世界大戦が終わってから、アメリカ陸軍はその遠征能力を整理縮小してきた歴史があり、そのことで遠隔地に陸軍を送り込む能力が低下しています。

著者は湾岸戦争の際にこの問題が露呈したにもかかわらず、現在に至るまで積極的な対策を講じておらず、将来の戦争に対応することが難しくなる恐れがあると主張しています。

二つ目が「なぜ歩兵分隊を拡張すべきなのか」です。こちらの論文は戦術、特に歩兵戦術に関する議論が展開されており、第二次世界大戦後に定員が減らされた歩兵分隊を拡大すべきだということが主張されています。

そもそも歩兵分隊が戦後になって縮小された背景には、1946年に実施された歩兵会議による決定がありました。
この会議は第二次世界大戦の経験を踏まえて歩兵部隊の改革を進めるために開かれたものでしたが、著者は現代の観点から見て当時の歩兵会議の議論のほとんどが通用しなくなっていることを説明しています。

技術革新が進む中で陸軍の歩兵分隊の戦闘効率が低下しないようにするためにも、改革が急がれることが論じられています。

軍事学とは何か、戦いの原則

基礎講座「軍事学はどのような学問なのか」は、改めて軍事学という学問がどのような学問であるのかを一から説明した記事です。

日本において馴染みが薄い軍事学ではありますが、それが果たして本当に学問なのか疑問に思う人もいないわけではありません。
そこで、学問全体の中で軍事学がどのような位置付けを占めているのかを示した上で、軍事学の研究領域にどのようなものがあるのかを大まかに説明しました。

これまでにも、防衛大学校の『軍事学入門』で軍事学を解説する資料はありましたが、こちらではさらに踏み込み、国内外の図書分類法における軍事学の扱い方を紹介するといった方法で軍事学の世界をより広く、深く知るための資料としました。

基礎講座のコーナーでは、引き続き軍事学のことを学ぶためになる記事を不定期で掲載していきたいと思っています。

最後の解説記事「戦いの原則:1939年のポーランド戦役を読み解く」は、軍事学の基本概念の一つである戦いの原則について解説したものです。
これまでの戦いの原則に関する資料は、個別の戦闘を分析する戦術の研究に属するものが多かったのですが、こちらの記事では戦略の観点に立って戦いの原則から見たドイツ軍の勝利を説明しています。

戦いの原則が分析でどのような示唆を与えてくれるものか、それが戦争を理解することにどう役立つのかを学ぶための資料になると思います。

むすびにかえて

Amazonから『軍事学を学ぶ』を出すのはこれで2回目ですが、思いのほか多くの方々に読んでいただけたようで、大変ありがたく思います。
さまざまなご指摘、ご意見をいただきましたので、それらを踏まえてさらに内容を改善させたいと考えているところです。詳細については今号から始めました編集後記をご確認ください。

今後も『軍事学を学ぶ』では、他にはない記事を掲載していきたいと考えています。
なお、次号の特集ではロシアの戦略をテーマにして、それに関する最近の論文を紹介したいと考えています。

KT

2018年6月1日金曜日

学説紹介 どうすれば平和を実現できるのか―政治学者オルガンスキーの考察―

戦争の悲惨さと平和の尊さを知る善良な人々は、戦争が間断なく続く世界史を不可解な物語だと思うかもしれませんが、政治学を研究する人々はそれが論理的な説明がつく事象だと考えようとします。

つまり、戦争が起こらない状況とは一定の勢力関係が維持されている状態であり、過去の歴史で平和の維持が難しいのは、この勢力関係が変化したことによるものだと説明するのです。

今回は、こうした国際政治学の考え方を理解する一助として、20世紀の政治学者オルガンスキー(A. F. K. Organski)が提唱した勢力移行論(power transition theory)を紹介したいと思います。

国際社会は階層構造を形成する

1939年3月14/15日にベルリンでチェコスロバキアのハーハ大統領と協議するドイツのヒトラー総統。この時にヒトラーはチェコスロバキアを解体し、一部の領土をドイツに併合し、残りも保護下に置くことに合意するよう強要した。
オルガンスキーの勢力移行論は国際社会に圧倒的な国力を持つ大国と、それ以外の中小国がいるという認識を基礎に置いています。

つまり、ほんの一握りの有力な国家を頂点として、多数の弱小な国家がその下位に位置付けられる階層的なピラミッド構造が形成されており、その中で各国は自らの国益を実現しようとしていると考えられています(Organski 1968: 364)。

このピラミッドの頂点には最も強大な国家である支配国家(dominant nation)が位置しており、これは世界的に見ても最大規模の勢力を誇り、また現状の国際情勢で特権的利益を得ているものと考えられます(Ibid.)。

支配国家の下位には大国(great powers)と呼ばれる諸国が位置付けられており、これらは支配国家に対しては劣勢であるものの、世界的に見れば十分に強力な国家です。

大国の中には現在の国際秩序で特権的な利益を得ている国家もあれば、そうではない国家もあり、不満を持つ国家は現状打破を狙う動機を持っています(Ibid.: 365)

大国のさらに下位にあるのが中小国(middle powers and small powers)であり、国際社会で十分な国力を持たない弱小勢力です。

オルガンスキーの見解によれば、近代ヨーロッパにおけるベルギー、ノルウェー、スイスなどがここに含まれます(Ibid.: 367-8)。

こうした国々の大部分は自国が置かれている現状には満足しておらず、絶えず不利な立場に置かれていますが、それを覆すだけの能力もありません。

現状打破を封じ込める能力が平和の条件

第二次世界大戦でドイツに対抗すべく連合国のイギリス(右チャーチル)、アメリカ(中ローズヴェルト)、ソ連(左スターリン)が手を結んだことは、国際政治の観点から見れば現状維持という共通の利益に基づく対外行動だったと解釈できる。勢力移行論では、現状打破を図る陣営が指導権を奪うか、現状維持を図る陣営が優勢を取り戻した時に平和が回復されると説明される。
オルガンスキーの勢力移行論では、こうして階層化された国際社会においては、さらに二つの陣営が形成されると考えられています。

一つ目のグループは支配国家をはじめとする現状維持を望む陣営であり、これには支配国家が含まれます。もう一つが支配国家を中心とする現状を打破することを望む陣営です。

一般的に、不満を持っていたとしても、支配国家を含めた現状維持の陣営に敵わない場合がほとんどですので、現状打破を目論む陣営が存在することによって平和が乱されるとは限りません。

現状維持に加わる諸国が一致団結して現状打破に出てくる恐れがある脅威を封じ込めている限り、戦争が起きたとしても直ちに現状は回復されるため、軍事行動は抑止されると予測できます。
「つまり、強力かつ満足した国家が他の同盟者と共に、挑戦者とその同盟者に対して勢力で圧倒的な優位を維持し、また現状維持を支持する国々の勢力がいかなる軍事的挑戦も成功の見込みを持たせないほど大規模であるとき、最も平和は維持されやすい。そして戦争は不満を持つ挑戦者とその同盟者の勢力が、現状維持側の諸国の勢力に近づき始めるときに最も起こりやすいのである」(Ibid.: 370)
言い方を変えるなら、平和を維持することは、現在の国際秩序に不満を持つ諸国を力でもって封じ込めることで実現可能だとオルガンスキーは論じています。

もちろん、このようにして維持される平和は公正な平和ではないことはオルガンスキーも認識していますが、世界中の国家を完全に満足させることは不可能であるため、こうした手法には一定の合理性があるとされています(Ibid.)。

むすびにかえて

勢力移行論の貢献は、国際社会を支配国家から大国を経て中小国に至る階層的構造で捉え、現状維持と現状打破の二つの陣営のせめぎ合いとして定式化しただけではなく、そこから戦争と平和を勢力移行という観点から分析するための視座を与えてくれたことです。
この視座から見た場合、平和を実現するために何に気を付けるべきなのでしょうか。

オルガンスキーは平和の実現を妨げる典型的な要因として、第一に現状に挑戦するための潜在的能力が現状打破の陣営で増大すること、第二にその増大の速度が増すこと、第三に新興国からの要求事項に対して支配国家が柔軟な対応を拒むことです(Ibid.: 371-5)。

したがって、こうした要因を排除することが長く平和を維持するためには必要だと言えるでしょう。
ただし、こうした措置が容易なことではなく、現状維持と現状打破の勢力関係が逆転した後では、しばしば不可能な場合もあるということは冷静に認識しておく必要があると思います。

KT

参考文献
Organski, A. F. K. 1968(1958). World Politics. second edition. New York: Alfred A. Knopf.

2018年5月19日土曜日

学説紹介 攻勢を好まなかったフリードリヒ二世の戦略思想

フリードリヒ二世はプロイセン王国の国王であり、またナポレオンが軍人として最も高く評価した戦略家の一人でもあります。

18世紀のヨーロッパを揺るがす七年戦争でプロイセンがフランス、オーストリア、ロシアを同時に敵に回しながら、有利な講和を結ぶことができたのは、彼の采配によるところが大きいと言えます。

今回は、そんなフリードリヒが攻勢に慎重だったことに注目し、彼がどのような戦略思想の持主だったのかを考察したパーマーの研究を紹介したいと思います。

軍事学の著作を数多く残しているフリードリヒ二世

パーマーは長年にわたって近世ヨーロッパの戦争を研究してきた歴史学者ですが、フリードリは近代的戦争を研究することを迫られた最初の世代だったと位置付けています(邦訳、パーマー、85頁)。

つまり、18世紀までの戦争形態を踏まえつつも、新時代の戦争形態に適応する必要に直面したのがフリードリヒであり、その時の対応によって彼は軍事史に名を残すことになったのです。

フリードリヒは国王として政務をとるかたわら、学問に対して深い関心を持ち続け、広い知識をもって研究に取り組んでいました。

彼の軍事学の研究水準は驚くべきものがあり、日々の政務をこなしながら自らの研究成果を著作として残すことに力を尽くしています。

1746年に書かれた『戦争の一般原則』では、オーストリア継承戦争(1740-8)でフリードリヒがプロイセン軍を率いてオーストリア軍と戦った際の経験に基づき、戦争術の原則がまとめられています(同上、86頁)。

パーマーによれば、この著作を回覧することを通じてフリードリヒは部下の指揮能力の向上を目指していたようです(同上)。

当初、この著作はプロイセンの軍事秘密とされていましたが、フランス軍の捕虜になった一将軍の所持品にこの著作が含まれていたことで知られるようになりました。

フリードリヒは1752年に後継者に向けて書いた著作『政治的遺言』でこの『戦争の一般原則』を収録していますが、七年戦争(1756-1763)が終わった後の1768年に『軍事的遺言』を後継者のために書き、また将軍に向けて1771年に『布陣と戦術の基礎原理』を出版しています(同上)。

パーマーはこうした著作の特徴を全体的に判断すると、軍隊の組織や戦術に関する思想は一貫しているが、政策、戦略に関する思想は「明確な積極性から相対的に消極的な思想に変化している」として指摘しています(同上)。

つまり、もともと積極的に戦闘を挑む攻撃的な思想を持っていたフリードリヒは、戦争の経験をつみ、独自の研究を進める中で、戦闘に慎重な姿勢をとる防勢的な戦略思想に傾倒していったということです。

しかし、なぜこのような思想の変化が起きたのでしょうか。

18世紀の軍事情勢における「電撃戦」の限界

パーマーはフリードリヒが戦略問題に対する考え方を大きく変え、戦闘に消極的になった理由として、攻勢をとる戦略の限界を早期に認識していたことが背景にあると考えています。
「『戦争の一般原則』の中では、彼は電撃戦という言葉こそ使っていないが、電撃戦の戦略を求めていたことがわかる。(中略)しかし、この果敢な作戦を彼に取らせた理由と、後年しだいに用心深くなった理由がほとんど同じことは注目に値する。彼は長期戦がプロイセン軍の「誇るべき軍紀」を破壊するであろう、と述べた。迅速な短期戦を好むことと、戦争をまったくしないか、または人と物の消耗の少ない長期戦を好むこととの間にはあまり大きな違いはない」(同上、91頁)
つまり、フリードリヒは戦争による国力の消耗を最小限に抑制することを最優先に考えており、そのために攻勢から防勢を重んじるようになっていたったということです。

フリードリヒが統治するプロイセンの国家体制はまだ長期的な財政赤字に耐え得るほど近代化されていませんでした。
戦争の経費の多くは平時から積み立てられた予備金で賄われているに過ぎず、戦時国債を発行して国内から資金を調達できるメカニズムも整っていなかったのです。

とはいえ、戦費の調達の難しさだけを理由にすれば、速戦即決を目指す攻勢と犠牲の少ない防勢のどちらも同じ価値を持つことになります。
フリードリヒが防勢を志向したことには軍事的要因も関係していました。当時、戦場における砲兵の役割がこの時期に著しく増大していたのです。
「16世紀から20世紀に至る時期の中で18世紀の中頃は、砲兵の使用が他の兵科に比して著しく急速に増えた次期である。オーストリア軍は屈辱的にもシレジアを失った後、フリードリヒの機動縦隊の脅威に対応するため、とくに砲兵に頼った。フランスはヨーロッパ最も進んだ砲兵を擁していた。フリードリヒはしばしばこのような状況を残念がった。大国のなかではプロイセンが砲兵の増加競争を行う財力に最も欠けていた」(同上、90頁)
戦闘で使用される火力が増したことで、戦場における攻者の優位が低下するという事象は、第一次世界大戦の序盤に起きたことを我々に思い起こさせます。

もし当時のプロイセン軍が無暗に攻勢戦略を取り続け、積極的に敵との戦闘を欲すれば、勝利を収めることができたとしても、損害は国家財政に重くのしかかり、戦争の継続そのものが不可能となる危険がありました。

積極的防御に磨きをかけたプロイセン軍の戦略

七年戦争に参戦した交戦国が色分けされている世界地図。青色がプロイセンに加わった味方の陣営(イギリス、プロイセンなど)であり、緑色が敵対する敵対陣営(フランス、オーストリア、ロシア、スペインなど)である。ヨーロッパでプロイセンは孤立し、厳しい戦略環境に置かれていることが分かる。
フリードリヒの戦略思想が攻撃よりも防御を重視したことが、当時のプロイセンの置かれた軍事情勢にとってどれほど妥当性を持っていたのかを考えてみましょう。

フリードリヒは当初からオーストリア継承戦争、七年戦争でオーストリアから奪い取ったシュレジエンという地方の確保を政策目標として設定しました。

オーストリア継承戦争ではフランスが味方についてくれましたが、やがてオーストリアはフランス敵視の態度を改め、フランス、ロシアと手を結んでプロイセンをヨーロッパ大陸で外交的に孤立させています。

かろうじてイギリスだけはプロイセンの味方でしたが、ヨーロッパ大陸の中で政治的、戦略的に孤立し、三方から圧力を受けたプロイセンが軍事的に極めて劣勢なことは明らかでした。

フリードリヒは七年戦争に参戦すると同時に敵を先制しますが、その後は先ほど説明した戦略思想に基づいて防勢の姿勢に転じなければなりませんでした。

とはいえ、陣地に閉じこもり、敵に対して受動に回っているばかりでは、かえって危険であることもフリードリヒは経験からよく知っていました。パーマーは次のような彼の言葉を引用しています。
「指揮官がまったく先制しようとせず、会戦の間中何の活動もしなかったのに、防御戦を良く戦ったと考えたとしたら、それは自己欺瞞である。そのような防勢作戦では、結局は守ろうとしている国土から全軍が駆逐されることになるであろう」(同上、93頁)
フリードリヒは政治的、軍事的理由から防勢戦略を採用しましたが、専守防御の危険性を認識していたため、要塞を基地とする分遣隊が限定的な攻撃を仕掛ける必要があることを主張していたのです。

フリードリヒは一貫して戦争における奇襲の意義を強調し続け、七年戦争が終わってからもザクセンやボヘミアに対して迅速に軍事行動をとることができるように準備を行っていたことも興味深い点として指摘できます(同上)。

戦略レベルで防勢の姿勢をとるとしても、作戦レベル、戦術レベルにおいては攻撃の機会を最大限に活用すべきであり、この一件相反する両者を組み合わせることによって、フリードリヒはプロイセンの防衛を成し遂げていたのです。

むすびにかえて

まずフリードリヒは砲兵火力がますます大きくなる中で、ますます戦闘による消耗が拡大する可能性があると判断し、プロイセンにはその損害を回復させるだけの資金力が欠けている事情も考慮した上で、防勢戦略を発展させる道を選びました。

これは七年戦争で外交的に孤立したプロイセンが戦争を可能な限り長く継続する際に重要な意味を持つ選択でした。
プロイセン軍は状況が許す範囲で積極的、攻撃的な行動をとることもありましたが、一貫して堅固な陣地に依拠しながら防勢作戦を遂行することで長期間にわたる戦争に耐え抜いたのです。

フリードリヒは研究熱心な君主であり、次第に激しさが増してくる18世紀の戦争の形態をよく理解し、それがプロイセンの政治情勢、軍事情勢にどのような影響を及ぼすのか、その中でどのような戦略方針を重視すべきかをよく研究していました。

もしフリードリヒがそうした事柄に無関心で、当初の攻勢的戦略思想から脱却していなければ、プロイセン軍がどれほど精強であったとしても、当時の大国であるオーストリアとフランスを同時に敵に回しながら自国を防衛することは厳しかっただろうと思います。

KT

関連記事
学説紹介 ナポレオン革命を準備した18世紀フランスの軍事学

参考文献
R. R. パーマー「王朝戦争から国民戦争へ:フリードリヒ二世、ギベール、ビューロー」ピーター・パレット『現代戦略思想の系譜 マキャヴェリから核時代まで』防衛大学校・「戦争・戦略の変遷」研究会訳、ダイヤモンド社、1989年、81-107頁

2018年5月18日金曜日

論文紹介 日本は日米同盟にどこまで頼るべきか―連合エアシー・バトル構想を考える―

中国の軍事的台頭に対して日本としては米国との同盟を強化することで対応しようとしていますが、米軍に依存するのではなく、必要な範囲で自衛隊の能力を高め、日米共同作戦を遂行する体制を整えることも重要だと論じられてきました。

しかし、中国軍の脅威に対して日米の防衛協力体制をどのように構築すべきかについては検討すべき課題が多く残されており、専門家の間でもさまざまな意見が分かれています。

今回は、こうした課題を考える一助として、日米防衛協力をさらに推し進めることを構想する連合エアシー・バトルの議論を取り上げ、その内容について若干の批判を付したいと思います。

文献情報
Takahashi, Sugio. 2012. "Counter A2/AD in Japan-US Defense Cooperation: Toward 'Allied AirSea Battle'," Project 2049 Institute, Washington, D.C., pp. 1-9.

中国軍の何が脅威なのか、何が必要なのか
中国が海洋進出を図る上で東シナ海は戦略的要域に当たる。この海域の東端には日本の領土である南西諸島が位置するが、中国の戦略として武力衝突も辞さず支配を奪うことは意図しているわけではない。その狙いは「漸進的拡大」にあり、時間をかけて好機を捕捉しながら段階的、漸進的に勢力を拡大することにあると著者は指摘する。
著者が構想する連合エアシー・バトルは、一貫して中国軍を脅威と想定しているものですが、この脅威には二つの異なる側面があるという判断によって基礎付けられています。

一つは接近阻止・領域拒否(A2/AD)と称される脅威であり、これは研究者によってよく議論されています。

もう一つは漸進的拡大(creeping expansion)と呼ばれる脅威であり、より厳密には「機会主義的漸進的拡大(opportunistic creeping expansion)」と呼ばれています(Takahashi 2012: 3)。

これは長い時間をかけて好機を捕捉しながら漸進的に勢力拡大を図る作戦であり、特に東シナ海で中国が小規模かつ局地的な活動を長期にわたって継続していることが念頭に置かれています。

著者はA2/ADの問題を考慮したとしても、この漸進的拡大の問題も軽視することができないものです。

日本は2010年に策定した「防衛計画の大綱」で動的防衛力という言葉を使い、東シナ海における洋上監視の体制を強化する姿勢を明らかにしたことは、こうした問題意識に基づく措置でした(Ibid.)。

しかし、中国軍のA2/ADと漸進的拡大に対して同時に備えることはできません。これらは性質が異なる脅威であり、軍事的な対応に異なる装備や能力が必要となるためです。

こうした問題に対して著者が提案しているのが日米防衛協力の枠組みを発展させた連合エアシー・バトルであり、これは自衛隊と米軍を有機的に連携させることを目指しています。

連合エアシー・バトルの構想

連合エアシー・バトルの概念図、米軍と自衛隊の能力を航空作戦、海上作戦でそれぞれ組み合わせることが構想されている。さまざまな分野において日米が協力できる機能があり、それらを組み合わせることで全体の防衛態勢を強化することが期待できる(Ibid.: 7)
連合エアシー・バトルの基本構想は自衛隊と米軍の任務を分担させることにあります。
著者自身はこの構想を次のように説明しています。
「つまり『動的抑止(dynamic deterrence)』とは、東シナ海における自衛隊の活動を増加させることによって、『抑止の窓』を閉じるために構想されるものである。この文脈において米国の日本における軍事的プレゼンスは、自衛隊と米軍の部隊の共同配置、共同・合同演習、協働ISR活動を通じて、その『窓』を閉じるように自衛隊の活動を強化し、また『動的日米防衛協力(U.S.-Japan defense coorporation)』を拡大する」(Ibid.: 6)
ここで著者が述べる日米防衛協力の狙いは、漸進的拡大が低烈度紛争を経て大規模紛争にエスカレートしていく際の軍事的対応を切れ目なく実施することであり、これが脆弱性の窓を閉じることに寄与すると著者は考えています。

つまり、自衛隊だけでA2/ADの脅威を及ぼす中国との大規模紛争に対応しないという前提の上で、日米防衛協力の強化が目指されており、具体的な内容としては米軍による対中作戦を自衛隊として支援することが構想されているのです。

著者の見解によれば、前方基地の強靭性(resiliency)を高めることが自衛隊として特に重要なことだと考えられており、中国軍のA2/ADの射程圏内に位置する基地施設について次のように述べています(Ibid.: 8)。
「戦域内の地上基地から発信する航空部隊の強靭性はさまざまな方法で改善することができる。戦闘機に基づく防空に加えて、ミサイル防衛のような積極的防空、施設の耐久力強化や戦域内の基地にまたがる分散配置のような消極的防空は、強靭性を高める上で取り得る措置である。日米防衛協力の文脈において、ミサイル防衛のより緊密な協力、空自の防空作戦と米空軍の航空打撃作戦の連携、両国の戦闘機部隊による空軍基地の共同使用は、より強靭な抑止態勢の構築に寄与するだろう」(Ibid.)
つまり、米軍が対中作戦を遂行する上で重要な基地機能を日本の防衛力で掩護するという著者の連合エアシー・バトル構想は、日本が従来から掲げてきた路線と本質的に変わっていないという印象があります。

日米同盟をさらに強化することにより、より多元的な中国軍の脅威に対応しやすくなることは理解できますが、自衛隊の任務を漸進的拡大への対応に特化させることの利点が示されているものの、欠点について十分に考慮されているとは言えません。

米軍を過度に期待せず、独力対処を基本とすべき

連合エアシー・バトルの内容を理解すれば、自衛隊が楯となり、米軍が矛となるという冷戦期依頼の日米同盟の基本構想が維持されています。

そして、東シナ海を中心に洋上監視活動をさらに強化し、米軍の対中作戦のために基地機能の防衛に注力すべきという方針が導かれます。

しかし、これが果たして日本の戦略として適切なものかどうかについては慎重に検討する必要があるところです。

この研究で気になるのは、複数の国家が参加して遂行される連合作戦が、実際にどれほど外交的、軍事的な障害に直面することになるのかほとんど言及されていないことです。

連合作戦にもいくつかの形態がありますが、共通の戦闘正面を持つ連合作戦を考える場合、作戦遂行で高度な指揮の統一が通常求められます。

指揮系統が未統一のまま烈度が高い戦闘状況に入ると円滑な作戦行動に支障を来すだけでなく、火力運用、兵站支援、情報作戦など幅広い分野で調整が必要になり、作戦の進展を妨げます。

日米で指揮系統の統一問題が政治の力で完全に解決されない限り、自衛隊は独力で作戦を遂行することを準備すべきであり、特に日本の防衛に不可欠な海上優勢と航空優勢の獲得においては、この方針を安易に動かすべきではありません。

ところが、著者は連合エアシー・バトルの構想によって、中国軍のA2/AD能力に対抗する際に「乗数効果」が得られるとして、次のように述べています。
「『連合エアシー・バトル』の構想は日米防衛協力を前進させる上で重要である。航空と海上作戦の両方の領域において、日米協力は大きな乗数効果(force multipler)をもたらし得る。A2/AD能力への対抗手段はこれら二つの側面から構築されるべきである」(Ibid.: 9)
確かに、軍事バランスにおいて部隊の規模や装備の性能だけでなく、作戦運用の巧拙が影響を及ぼすことは理論上あり得ることです。

しかし、日米防衛協力を前進させたからといって、自衛隊と米軍の戦闘効率が向上できると考えることは明らかに間違っており、少なくとも軍事理論で考えられる乗数効果の意味で理解することができません。

これは結局、自衛隊の弱点を米軍の能力で補完しているに過ぎないため、軍事バランスを維持する上で必要な戦力を日米のいずれかが増強しなければ、いずれ中国にとって優勢な軍事バランスに移行していくことが予測されます。

むすびにかえて

この研究が出てから5年が経過しているため、日本を取り巻く安全保障環境にも変化がありました。

しかし、その事情を差し引いたとしても、連合エアシー・バトル構想は米軍に頼るところが過大であり、また日本が本来であれば取り組むべき軍事バランスの安定化という問題をあまりにも米国に押し付けている側面が否めないのではないかという疑問が持たれます。

最近のA2/ADに関する研究で米軍が対中作戦として構想してきたエアシー・バトルには技術的理由から実行可能性の面で問題があるという研究も紹介されています(武内 2018: Ch. 1)。

この見解が正しいとすれば、米軍の対中作戦能力にも限界があり、日米防衛協力の強化で中国軍に対する必要な抑止力が得られるわけではないことになります。

結局、日本の防衛に対して責任を負う自衛隊に必要な能力を持たせることが必要な対策なのだと思います。

日米同盟の強化は進めながらも、軍事的に米軍の能力を頼りにする度合いは可能な限り小さくなるように必要な予算を確保すべきであり、その水準は自衛隊が遂行すべき任務と、直面する脅威の形態、規模を反映すべきでしょう。

KT

関連記事
学説紹介 連合作戦を遂行するための戦略の原則―クラウゼヴィッツの分析―
今さら聞けない中国軍の接近阻止/領域拒否(A2/AD)
学説紹介 嘉手納を弾道ミサイル攻撃から守り抜けるか

参考文献
武内和人『軍事学を学ぶ 2018年4月号: 中国軍のA2/ADをめぐる研究の最前線』(Kindle版)国家政策研究会、2018年4月

2018年5月11日金曜日

学説紹介 戦略情報が劣化しやすい理由

情報(インテリジェンス、intelligence)とは、国内外の政策、戦略、作戦、戦術の立案、実施、評価を改善することを目的として作成された知識のことです。

情報は軍事学の歴史において最も長い歴史を持つ研究領域でもあり、情報の優劣は戦争の勝敗を左右するほど重要だと考えられています。

今回は、情報を提供する側と、それを利用する側との関係を考察したケントの古典的学説を紹介し、戦略情報が陥りがちな問題について考えてみましょう。

消費者を無視した情報は無益である

シャーマン・ケント(Sherman Kent, 1903-86)もともとイェール大学で歴史学を教えていたが、第二次世界大戦が勃発してから米国の情報機関に入り、戦後も中央情報局で勤務した。
シャーマン・ケント(Sherman Kent, 1903-86)は第二次世界大戦で情報調整局(後の戦略事務局)に入り、戦後には中央情報局で勤務した情報分析の専門家です。
彼の著作は情報作戦の研究において評価が高く、現代においても基本文献として大きな価値があります。

ケントの議論で特に注目すべきは、情報の生産者(つまり情報分析官)と消費者(政策決定者など)との関係を処理する方法に関するものです。
そこで著者は生産者が消費者のニーズを的確に把握することに最大限の注意を払うように促しています。
「本書の主要命題の一つは次のように要約できるだろう。すなわち、ここで議論される類の知識が完全、正確かつ時宜を得たものでないとしたら、また、顕在化した問題や顕在化するであろう問題に適用し得るものでないとしたら、そのような知識は役に立たない、ということである。この命題において認識されるのが、インテリジェンスとは知識のための知識ではなく、行動を起こすための実務的な知識であるという事実である」(ケント、邦訳、235頁)
情報は本質的に知識のための知識ではなく、行動を起こすための知識であるというケントの議論に従うなら、当然のこととして情報の生産者と消費者との間に緊密な関係を築くべきでしょう。

ケントはこの望ましい関係を説明するために「指南」を受けることが重要だと論じています。

指南を通じて情報要求を把握することの意義

ケントが述べる「指南」とは、目標の選定や計画の立案といった活動を担う担当者からの要請を受け取り、それを吟味することです。

この「指南」によって情報機関ははじめて適切な情報を提供することが可能となるものとケントは考えています。
「指南の必要性は明白である。なぜなら、行動が計画実行される場からインテリジェンス要員が隔絶されるようなことがあれば、その職員が生産する知識は相手のニーズを満たすことがないからである」(同上)
もし、何が重要で、何が重要でないのかという優先順位が誤っていれば、情報機関は肝心の意思決定を改善できる情報を提示できなくなります。

ケントは指南が不適切な場合に起きる二つの弊害について次のように論じています。
「決まった形式と質を伴ったインテリジェンスを配布するには、世界中の知識のほぼすべてを体系化し、その更新を行えるほど多数の調査職員を要するだろう。それほど多数の調査職員を擁したとしても、インテリジェンスが次の業務について何らかの事前通告を受けられなければ、所定の成果を達成できるかどうかは疑わしいのである。
 第二に、迅速で時宜性ある指南が欠乏することは、インテリジェンスを苦しめ得る最悪の病へと導く主要因である。それは無責任という病である。インテリジェンスは達成すべき物事に参画する意欲を喪失し、強力に対する至極当然の貢献をなす意欲も失ってしまう」(同上、238頁)
前者の弊害は短期的なものですが、後者の弊害は長期的であり、しかも致命的なものです。

高い品質の情報を供給し続けるために顧客と絶えず接触し、そのニーズを知るための指南を受けることは、情報分析の重要な一部として考えることが重要です。

消費者から離れるほど、情報は劣化する傾向にある

1941年の真珠湾攻撃は戦略的奇襲の事例としてよく知られている。当時の米軍はいくつかの兆候を示す情報資料を把握していたものの、それを戦略情報として活用し、適切な対応をとることができなかった。
ケントは実務の経験を踏まえ、この適切な指南を受けることができなくなる場所で情報が劣化する傾向があることを理解していました。
「戦時には前線に近ければ近いほど、部隊などの行動単位が小規模であればあるほど、生産者と消費者の関係は良好となり、指南も鋭敏になる。他方、前線から遠ければ遠いほど、行動単位が大規模であればあるほど、指南は劣化してしまう。平時には前線に匹敵するような状況はほとんどない。あったとしても、こちら側の人間をすべて味方や仲間にしてしまうような共通の物理的危険要素がないのである」(同上、251頁)
つまり、戦術情報や作戦情報に比べると、戦略情報にはそもそも劣化しやすい傾向性があるということです。
しかも、それは人員や予算の拡充といった方法で解決できない性質の問題であり、指南を受けることが難しいという状況に原因があるのです。

ケントが懸念しているのは、指南が不十分な情報分析官にありがちな無気力な態度であり、それは命をかけるのが自分自身ではないにもかかわらず、どうして完璧な仕事をする必要があるのだろうかという他人まかせな言動に繋がります。

当然、このような仕事に対する姿勢は、情報の生産者と消費者の関係を悪化させることになり、指南のための接触はますます減少します。これが劣悪な戦略情報が生み出される要因だというのがケントの指摘です。

むすびにかえて

戦争において情報の重要性を知らない人はほとんどいません。しかし、適切な情報を得るためにどのような資源、組織、方法が必要なのか、何に気を付ければよいのかを知っている人はそれほど多くないのが実情です。

ケントの情報に関する考察はこうした空白を埋めるためのものであり、情報分析に関する人だけでなく、情報分析を求める人にも知られる価値があるものです。

ケントの議論は、情報機関が任務を遂行する最初の段階から適切な「指南」を受けることで情報要求をはっきりさせておかなければならないことを明らかにしています。

しかし、現場不在の人物が総合的、長期的な観点から戦略情報を作成しなければならない場合、適切な「指南」を受けることは困難になります。
前線で戦う人々からすると、そのような人物に信頼を置くことは難しく、実情を話すことはためらわれるものです。

戦略情報は作戦情報や戦術情報よりもはるかに大きな重要性を持っており、その内容を改善することは極めて大事なことです。だからこそ、その内容が諸事情によって劣化しやすいことを理解しておかなければならないでしょう。

KT