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運営方針・過去記事へのリンク

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過去記事の案内について 以下では読者の関心に応じて記事を参照しやすいようにテーマを区分した上でリンクをまとめています。随時加筆修正を加える点をご了承下さい。 政治理論、政策分析、国際関係政治全般
国家の政策を左右する政治の論理アリストテレスが語る、政治の逆説的論理講義録 中間層が減少するほど、政治家は急進化する支持基盤理論はいかに政治を説明するか学説紹介 革命の戦略家、マルクスとエンゲルス学説紹介 なぜ戦時中に国内の党派は争うのか―トゥキディデスの考察―学説紹介 民主政は長期戦でその真価を発揮する:トクヴィルによる軍制の考察学説紹介 経済的平等が軍隊を強くする―モンテスキューの考察―近代的国家の成立と軍隊の官僚化モーゲンソーが考える国力の九要素論文紹介 民主主義は持久戦より引き分けを選ぶ事例研究 民主主義はシビリアン・コントロールを保証しないウェーバーの古代国家論と軍事制度学説紹介 軍事学者クラウゼヴィッツが政治を語った理由財政、経済、金融
学説紹介 防衛経済学(defense economics)という学問がある文献紹介 戦争が資本主義を作った―ゾンバルトが語る近世ヨーロッパの戦争史―学説紹介 脅威認識が国家の動員応力を向上させる―16世紀オーストリアの事例論文紹介 ヒュームが語る安全保障と国債の関係政治地理学、地政学、軍事地理学
学説紹介 国家の任務は土地の防衛である―ラッツェルの政治地理学ー論文紹介 地政学シミュレーションの構築に向けた取り組みなぜチェレーンは地政学を生み出したのか学説紹介 日本の地政学はこれでいいのか論文紹介 世界史におけるランドパワーとシーパワー国家の「中核地域」をいかに考えるべきか国土防衛を考えるための軍事…

学説紹介 黒海でNATOはロシアに劣勢である:ルーマニアとブルガリアの海上戦力の限界

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現在、米国は北大西洋条約機構(NATO)の加盟国を率い、ロシアの勢力に対抗しようとしていますが、それを妨げている要因が二つあります。 一つは加盟国の戦略上の意図がそれぞれ異なっていることによるNATOの結束力の問題であり、もう一つはNATOの能力に地域や分野によって偏りがあることです。
今回は、NATOの加盟国でも特にルーマニアとブルガリアの海上戦力について調査した研究成果の一部を紹介します。 黒海方面でロシアの勢力がNATOを脅かしている 2014年に勃発したウクライナ紛争以降、黒海におけるロシアの勢力は大幅に拡大しました。
この紛争でロシアがクリミア半島を実効支配下に置いたことの影響は特に大きく、ロシア軍がここに地対艦ミサイルを配備したことによって、ロシア軍は黒海のおよそ3分の1の海域を勢力圏に組み入れたという報告もあります(Young 2019: 24)。 さらにロシアは黒海艦隊を増強しており、キロ級潜水艦6隻、アドミラル・グリゴロヴィチ級フリゲート6隻を配備しています(Ibid.)。
一方、NATOの加盟国であり、かつ黒海の沿岸部を領有するルーマニア、ブルガリアはこれらの勢力に対抗する能力が欠けています。 まず、ルーマニア軍とブルガリア軍はいずれも潜水艦を運用できておらず、また対潜哨戒機も不足しています(Ibid.)。
したがって、この地域でNATOが優位になるためには域外から海上戦力を来援させなければなりません。 ところが1936年に締結されたモントルー条約(Montreux Convention Regarding the Regime of the Straits)でボスポラス海峡からダーダネルス海峡にかけて軍艦の航行が制限されているため、米国が展開できる海上部隊は限定されます(Ibid.)。
結局、NATOが黒海における海上優勢を回復しようとするのであれば、ルーマニア海軍とブルガリア海軍を増強しなければなりません。
ルーマニア海軍とブルガリア海軍の能力と課題 冷戦が終結してから、ルーマニアは西側からの軍事的援助を受けて海軍の近代化に取り組んできました。 2004年にNATOに加盟したルーマニアがイギリスから2隻の22型フリゲートを調達したことは、黒海の軍事バランスを変える可能性を持っていましたが、このフリゲートには対艦ミサイルや対空ミサイルが搭載…

論文紹介 米国はアフリカにおける中国の勢力に対抗し始めた

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2008年に統合軍の一つとしてアフリカ軍(AFRICOM)を設置して以来、米軍は10年以上にわたってアフリカ諸国の開発や安全保障の問題に関心を寄せてきました。

今回は、アフリカでも特にサハラ以南のアフリカ諸国において米中関係が注目されていることを取り上げ、アフリカ軍の今後の任務を展望した研究を紹介したいと思います。
論文情報William Robert Hawkins and Brenda Jeannette Ponsford, U.S. Africa Command and Its Changing Strategic Environment, Joint Force Quarterly, Vol. 93, No. 2(79-86), pp. 79-86. アフリカにおける中国の勢力は着実に拡大しつつある 中国の政策や戦略は、アジア太平洋の情勢との関連で理解される傾向がありますが、それは世界全体で見れば一部分でしかありません。
中国は以前からアフリカ諸国への接近を図っており、その影響力は米国のそれを上回る勢いを見せていることに注意を払うべきだと著者らは論じています。

冷戦終結後から米国はアフリカ諸国と貿易関係を拡大してきた歴史があり、2008年にはアフリカ軍が設置された際には、特に西岸諸国から多くの石油資源を輸入し、地域単位で見た貿易赤字は657億米ドルにまで膨らむほどでした。計上していました。

こうした貿易関係は2008年の米国での金融危機で一時的に減退する局面もありましたが、2011年の時点で米国向けの石油輸出の実績としてナイジェリアが289億米ドル、アンゴラは31億米ドル、チャドが31億米ドル、コンゴ民主共和国が4億3900万米ドルでした。
ところが、近年の米国ではエネルギーの国内供給を強化しており、次第に需要は先細り始めています。この状況に目を付けて動いているのが中国政府です。

習近平政権がアフリカ諸国に対して示す関心の程度は非常に高く、2018年3月に国家主席に再任してから間もなくセネガル、ルワンダ、南アフリカ、モーリシャスを訪問しています。
さらに2018年の中国・アフリカ協力フォーラム(FOCAC)の北京会議で開発の資金として600億ドルを投資することを約束するなど、習近平政権はその潤沢な資金力を駆使してアフリカ各国と強固な経済的関係を確立しよう…

学説紹介 欧州連合(EU)と中国の関係は今後どうなるのか

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2008年の金融危機以降、欧州連合(EU)の加盟国の間で中国との関係を強化する動きが見られることは以前から指摘されていました。
注目すべき国々としてはギリシヤ、ポルトガル、スペインが挙げられます。いずれも経済の立て直しを図るために中国との経済協力を積極的に活用しようとしている国々です。

最近の事例ではイタリアが2019年3月に中国が推し進める一帯一路構想に協力する姿勢を打ち出しました。しかし、このような中国の動きに警戒を強める動きもEUの側で見られ、今後も悪化する可能性があります。

今回の学説紹介では、2010年代における中国と欧州連合の外交に注目し、特に欧州連合の中で対中外交がどのように議論、検討されているのかを考察した研究成果を紹介したいと思います。

中国が推進する欧州での経済外交 中国が経済力を通じて欧州にその勢力を拡大するきっかけとなったのは、2008年のヨーロッパ金融危機であり、特に2010年にユーロ危機が発生した際には、中国はギリシャ、スペイン、ポルトガルの国債を引き受けました(東野、35頁)。
2013年、EUは「EU・中国協力2020戦略計画」を策定しており、貿易や投資の活性化を含む広範囲の経済協力を進める姿勢が打ち出されており、外交関係は非常に順調に進展していたといえます(同上、36頁)。

このようにEUも好意的な反応を示す中で2012年4月、中国の温家宝首相はポーランドのワルシャワで欧州諸国に対中協力枠組みについて発言し、間もなくハンガリー、ブルガリア、ルーマニア、ポーランド、クロアチア、スロベニア、チェコ、リトアニア、ラトビア、エストニア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビア、アルバニア、マケドニア、モンテネグロの合計16カ国を組み入れた「16+1」と呼ばれる構想を立ち上げました(同上、37頁)。東欧から多くの参加国が出現していることが分かります。

著者が指摘している通り、この「16+1」はそれほど国際社会の注目を集めるものではなかったのですが(同上)、その後は中国が欧州市場に対して陸路で貨物を輸出し、またインフラ建設のための海外投資を行うための重要な枠組みとなり、首脳会談が毎年実施されるようになるなど、外交的な意義は次第に増しています(同上、38頁)。

中国に対し警戒感をにじませるEU 中国はEUのルールに縛らずに投資を行うため、受け入れる…

文献紹介 冷戦期における西ドイツの戦略構想とそれに対する批判

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米ソ冷戦において中央ヨーロッパ、特に東西ドイツ国境地帯は最も軍事的緊張が高まりやすい地域でした。
特に西ドイツが受けていた脅威の程度は極めて高く、ソ連軍を中心とする部隊が物量で国境線を圧倒してくる危険性は国防の観点から常に考慮しなければならない情勢でした。

今回は、その西ドイツがどのような防衛問題に直面していたのか、それに対してどのような戦略構想を検討していたのかを調べた研究を取り上げたいと思います。
さらにその著者が西ドイツの戦略に対して加えた批判も紹介します。
論文情報David Gates, Area Defence Concepts: The West German Debate, Survival, Vol. 29, Issue 4(July/August 1987), pp. 301-137.(https://doi.org/10.1080/00396338708442366) 西ドイツの防衛問題 西ドイツの戦略を理解する上で地理的要因は大きな影響がありました。脅威を受けている国境の全長はおよそ800キロメートルもありますが、そこに通じる道路の状態は決してよくありませんでした(Gates 1987: 302)。
これは広い防衛線を守るべき兵力を機動的に運用しにくい環境にあることを意味しています。

米軍を中心とする北大西洋条約機構(NATO)の兵力をもってしても、数的に優勢なソ連軍の進攻を国境付近で食い止めることが困難な状況があったため、西ドイツの戦略論争では戦時にどのような戦略で臨むべきか議論が重ねられてきました。

これは大変な軍事的難問であり、なかなか解答は得られませんでした。
1950年代に西ドイツのボニン(Bogislaw von Bonin)がいち早く唱えたのは、80キロメートルの縦深防御地帯を国境に沿って設定し、そこに対戦車火器を集中的に配備した防御陣地を構築するという構想であり、これはボニン・プランとして注目を集めた時期もありましたが、結局は私案として公式に受け入れられることはありませんでした(Ibid.: 304)。

その後も西ドイツでは独自の戦略思想を打ち立てる動きは見られず、NATOの戦略に従う形で防衛計画が検討されていましたが、1967年にNATOが米国の主導で柔軟反応(Flexible Response)と呼ばれる戦略を採用した…

論文紹介 武器としての相互依存:世界経済ネットワークが生み出す新たな支配の構造

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最近、安全保障学の研究者の間で、国際貿易で形成される相互依存関係をリベラリズムで理解することは間違っているのではないかという議論が出されるようになっています。
というのも、グローバル経済の発達に伴って国家間の経済が相互依存を深めたとしても、それが必ずしも国際紛争の抑制に繋がるとは限らず、かえって経済制裁などの形で圧力の一種として使われているためです。

今回は、相互依存が対外政策の武器として使用されている状況を指摘した上で、世界経済の一体化が特定の国家の政治的地位を強化しているという解釈を提示した研究を紹介したいと思います。
論文情報Henry Farrell and Abraham L. Newman, Weaponized Interdependence: How Global Economic Shape State Coercion, International Security, Vol. 44, Issue 1, Summer 2019, pp. 42-79. https://doi.org/10.1162/isec_a_00351  相互依存は果たして多極化を促すのか 人、物、金が国境を越えて移動することが当たり前になり、世界経済がますます一体化する時代が来れば、国際社会は貿易を拡大することを共通の利益と見なし、国際紛争は抑制されるようになる、という見方はリベラリズムの理論に依拠したものです。
実際、国際貿易を通じて相互依存関係が形成されたとしても、それを一方的に遮断するなどの方法で外交上の圧力に使用する例があると著者らは指摘しており、特に最近の米国の対イラン経済制裁の再開を取り上げています。

2018年5月8日に米国はイランの核開発を抑制してきた「共同包括行動計画」から離脱することを一方的に表明し、それまで中断されていたイランに対する経済制裁を再開することを決めました。 結果として、イランは一時的に築いていた世界経済とのネットワークを再び失い、経済的な打撃を受けることになったのです。
著者らは、ロバート・コヘイン(Robert Keohane)とジョセフ・ナイ(Joseph Nye)のようなリベラリズムの研究者は、世界経済ネットワークが広がり、「複合的相互依存」が形成されれば、一方の国が強制力を発揮しようとしても、他方の国がそれに対して経済的に報復…

学説紹介 いかに米国はソ連に東西ドイツ統一を受け入れさせたのか

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1989年11月9日、ベルリンの壁が崩壊してから1年も経たない1990年8月31日に東西ドイツ統一条約が調印されたことは国際政治の歴史にとって画期的な出来事でした。

当時の有識者、研究者の多くはソ連が安全保障の観点から見て重要な東ドイツをこれほどあっさりと手放すはずはないと思っていましたが、最後にソ連は東西ドイツ統一をただ黙認しました。

今回は、1989年から1990年のドイツ統一交渉でソ連が東西ドイツ統一を認めたわけを理解するため、アイケンベリーの分析を取り上げて紹介してみたいと思います。

東西ドイツ統一に向けた動きと米国の外交政策 1989年11月にベルリンの壁が崩壊すると、東ドイツは深刻な経済的・社会的な混乱、そして政情不安に見舞われて弱体化していきました。

西ドイツはこの機会を捉えて統一ドイツ実現に向けて動き始め、11月28日に「10項目のプログラム」を発表します(242頁)。
これは東西ドイツ間で旅行や経済的支援を拡大し、東ドイツで自由選挙を実施することにより、連邦化を段階的に進め、最終的に一つのドイツを発足させるという政治構想でした(同上)。

この時の西ドイツが巧みだったのは、国内に向けて統一の機運を高めるだけでなく、東西ドイツ統一に対する西側諸国の間の懸念を取り除くことでした。
特に北大西洋条約機構(NATO)の盟主である米国に対しては「西ドイツはNATOに対して『揺らぐことのない忠誠心』を持っている」と明言しておいたことは、統一を加速させる上で重要な措置でした(同上)。

この西ドイツの意向を受けた米国も統一ドイツ建設に向けて動き始め、12月に開催されたマルタ会談でブッシュ大統領はソ連のゴルバチョフ政権に向けて東西ドイツ統一を受け入れるように働きかけを始めています。

ブッシュはゴルバチョフとドイツ問題について対話した際に、「米国が東欧情勢を利用しようとしたことはない」と強調し、「私自身、あなた方の状況がむずかしくなるような行動はとってこなかった。『ベルリンの壁』の様子を見て、私が浮かれることがなかったのもそのためだ」と西側主導の東西ドイツ統一を安心して見守るように呼び掛けています(同上、243頁)。

しかし、ゴルバチョフはまだこの時点で米国の要求を受け入れるわけにはいかないと考えており、それを防ぐために動いていました。

東西ドイツ統一を阻止しようと…

学説紹介 朝鮮戦争で米国が核兵器使用を思い止まった理由

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1950年に朝鮮戦争が勃発した時、世界の勢力均衡は際どい均衡の上に成り立っていました。
西側の盟主である米国はソ連に対抗するためますます核兵器に頼るようになっていたので、米軍の通常戦力で脅威に対処できなくなれば、軍事的均衡を回復するためには、核戦力を使用することを強いられるかもしれませんでした。

今回は、歴史学者ギャディスの研究成果を取り上げ、朝鮮戦争において米国が実際に核兵器の使用を検討しながらも、それを思い止まった経緯について説明し、核戦力に依存する防衛態勢のリスクについて考えてみたいと思います。

なぜ米国は中国に対する核兵器の使用を検討したのか 1950年6月、北朝鮮軍が韓国軍の防衛線を突破し、ソウルを陥落させてプサンに迫ると、米国は即座に日本に駐留していた米軍部隊を動員して、韓国へ派遣しました。
9月の仁川上陸作戦の成功によって米軍は北朝鮮軍の後方を遮断し、当初の境界線まで退却させています。

しかし、優位に立った韓国軍と米軍は当初の境界線で部隊を止めず、北朝鮮の領土に足を踏み入れたのです。これを見た中国軍は11月に朝鮮戦争に介入し、韓国軍と米軍を奇襲することで北朝鮮の領土の大部分を奪回し、後退する韓国軍と米軍を追撃し始めました。

米軍で核兵器使用の問題が持ち上がったのは、この時期のことです。
1950年11月に中国軍が発起した攻勢で米軍には深刻な損害が発生していました。当時、米軍の指揮をとっていたダグラス・マッカーサー(Douglas MacArthur)は部隊が壊滅する危機を目の前にし、中国軍に対する核攻撃を企図すべきだと考えました(同上、74頁)。

1950年代の米軍に369発の使用可能な原爆が配備されているものの、それに対してソ連軍は信頼性が低い原爆を5発しか保有していません(同上)。
また当時の中国軍には核兵器がなかったため、マッカーサーとしては米国の核兵器を使用して得られる戦果は、その不利益を十分に相殺できると考えたのです。

第二次世界大戦の終結からわずか5年後に米軍は再び核兵器の使用を真剣に検討し始めました。

なぜ米国は中国に対する核兵器の使用を断念したのか しかし、アメリカ大統領のハリー・トルーマン(Harry S. Truman)はいくつかの理由から核兵器の使用を避けようとしました。
その理由についてギャディスはトルーマンに核兵器が特別な…