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2017年6月25日日曜日

事例研究 民主主義はシビリアン・コントロールを保証しない

軍隊に対する政府の統制は一般にシビリアン・コントロール(civilian control)という用語で呼ばれており、民主的な政治システムの一部として見なされることもあります。
しかし政治史を検討していくと、民主主義のメカニズムが常にシビリアン・コントロールを強化するとは限りません。民衆の世論や圧力がシビリアン・コントロールを損なう場合があります。

今回は、第一次世界大戦のイギリスの事例を取り上げ、民主的な政治システムそれ自体はシビリアン・コントロールを保証するものではないことを考察したいと思います。

軍事に無関心な政治家の姿勢
ハーバート・アスキスの肖像画(1919年)
1919 portrait by André Cluysenaar
第一次世界大戦とは、1914年から1918年にかけてイギリス、フランス、ロシアを中心とする陣営と、ドイツ、オーストリアを中心とする陣営とが争った戦争です。

この大戦が勃発した当時、イギリス首相を務めていたアスキス(Herbert Henry Asquith, 1852 - 1928)は、ドイツ軍の脅威に対処させるため、ヘイグ(Douglas Haig, 1861 - 1928)を司令官とする地上部隊をフランスへ援軍として差し向けました。
当然、シビリアン・コントロールの観点から見ればアスキスは国家的見地からヘイグを指導し、その決定の妥当性を判断すべき立場にあったといえます。

アスキスは議会人としては有能でしたが、軍事問題について十分な知識は持ち合わせていませんでした。その結果として、軍隊に対する政府の統制は不適切なほどに弱められてしまったと歴史学者のテイラーは指摘しています。
「アスキスは戦争の遂行に伴う重要な課題を理解していなかった。アスキスは勝利することを強く決意していたものの、政治家として可能な貢献は、私企業が武器を生産し、将軍がその武器を使って勝利を収めることを妨げないことだけだと考えていた」(Taylor 1964: 21)
政府が軍隊に対する指導力を低下させた結果、現地で軍を指揮するヘイグがイギリスの戦略方針に大きな発言力を持つようになり、全体としてシビリアン・コントロールの仕組みは骨抜きとなっていく事態となりました。

こうした状況は第一次世界大戦が消耗戦の様相を呈し、膨大な人的、物的資源が戦場で消費されていく中で、大きな問題となっていきました。

戦争に熱狂していた有権者の影響
第一次世界大戦が勃発した1914年にロンドンで陸軍に入隊しようとする志願者
August 1914: London army volunteers await their pay at St. Martin-in-the-Fields
アスキスがシビリアン・コントロールにおいて主体性を著しく欠いていたことは、別の研究でも指摘されていることですが、彼の軍事的無関心だけがその原因ではなかったとする議論も出されています。

歴史学者のクレイグはアスキスがヘイグに対する圧力を強めることができなかった要因について、当時のイギリス国内の世論状況が関係していたとして次のように論じています。
「アスキスは抜け目ない政治家であったから、おそらくこの役割放棄を促したのも、個人的無気力というよりも、むしろ世論の動向に関する彼なりの理解であったのだろう。(中略)戦争が始まると、群衆の熱狂はますますかき立てられ、おそらくアスキスは、戦略問題で彼が自己主張をすれば民衆の批難にあい、政府の危機に繋がるのではないかと感じたのだろう」(邦訳、クレイグ「戦略家としての政治指導者」426頁)
つまり、反独感情で沸き立つ当時のイギリス国内において、ヨーロッパ大陸で部隊を指揮しているヘイグを批判すると、利敵行為のように解釈されてしまう危険性があったということです。

例えば1916年のソンムの戦いにおいてヘイグの作戦はイギリス軍に42万名という大損害をもたらしました。それでもドイツとの戦争が終わる兆候をアスキス政権は認めることができませんでした。

そこで総理大臣としての当然の責務として、アスキスはこの作戦の戦果が損害に見合っているのかどうかをヘイグに質問します。するとヘイグはこの作戦によってドイツ軍に大きな損害をもたらしており、6週間も経過すれば補充兵は枯渇するだろうとの見積を示した上で、政府からの批判をかわしています(同上、426-7頁)。

こうした軍事的根拠に依拠したヘイグの反論に対して、アスキスが再反論を行おうとすると、それがいかなる政治的、財政的根拠に基づいていようと、国内の有権者の眼には政府が陸軍を不当な理由で妨害しているように映る危険がありました。
世論の動向を読んで政権を維持しようとするアスキスの姿勢も、間接的な形でシビリアン・コントロールを阻害する方向に作用していたと考えることができるのです。

今回の事例はアスキスの政治家としての資質の問題だという見方をとることもできるかもしれませんが、1916年に新首相に就任したロイド・ジョージ(David Lloyd George, 1863 - 1945)もヘイグの戦略に不満をいだきながらも、国民の反発を恐れて彼を解任できておらず、アスキス政権に特有の問題ではなかったことを示唆しています(同上、427頁)

むすびにかえて
今回の事例研究で注目したいのはアスキス政権の政策ではなく、民主的な手続きで選ばれた政治家が権力を握っているだけでは、シビリアン・コントロールを思うように確保できない可能性があるということです。

結局、どれほど民主的な政治システムが構築されていても、シビリアン・コントロールを担う見識を持った政治家と、そのような政治家の能力を評価する有権者集団がいなければ、制度としてのシビリアン・コントロールはただの制度に終わり、実際には運用されない危険があると認識しておかなければなりません。

シビリアン・コントロールは政府の政策と軍隊の戦略を適切な形で調整する上で極めて重要な意味を持っています。
民主主義を制度として採用する以上、こうしたリスクを真剣に受け止め、平時から安全保障の知的基盤を維持、強化しておくことが重要なのではないでしょうか。

KT

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参考文献
Taylor, A. J. P. 1965. Politics in Wartime: and Other Essays. New York: H. Hamilton.
ゴードン・A・クレイグ「戦略家としての政治家」戸部良一訳、ピーター・パレット編『現代戦略思想の系譜 マキャヴェリから核時代まで』防衛大学校・「戦争・戦略の変遷」研究会訳、ダイヤモンド社、1989年、421-445頁
*冒頭の写真は1916年のThiepval峠の戦いの様子。Stretcher bearers recovering wounded during the Battle of Thiepval Ridge, September 1916. Photo by Ernest Brooks.

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