最近人気の記事

2017年11月4日土曜日

論文紹介 イラクの情勢を一変させた第三軍団の攻勢―オディエルノの作戦術―

レイモンド・オディエルノ(1954-)、元米陸軍参謀総長、2015年に大将の階級で退役
2006年に第三軍団司令官としてイラクに入り、治安回復で大きな成果を上げた。
オディエルノ(Raymond Odierno, 1954-)は米陸軍参謀総長も務めた米国の軍人であり、2017年現在ではJPモルガンで顧問として働いているそうです。
彼には2006年から2年にわたり第三軍団の司令官としてイラクにおける作戦を指揮した経験があるのですが、最近この作戦に注目する論文が発表されました。

今回は作戦術という観点からオディエルノが指揮した第三軍団の作戦を考察した研究を取り上げ、その要点を紹介したいと思います。

文献情報
Wilson C. Blythe Jr., "III Corps during the Surge: A Study in Operational Art," Military Review, Vol. 97, No. 5(September-October 2017), pp. 78-85.

悪化する治安情勢、オディエルノの作戦転換

著者は、オディエルノの功績を理解する上で作戦術の視点が重要だと述べています。
もともと作戦術という概念は、ある統一された目標を達成するため、作戦地域の全域において複数の作戦部隊の行動を同時的かつ連続的に実施するためのものです(Ibid.: 78)。

オディエルノがイラクで武装勢力を相手に行った作戦はこの作戦術の考え方によく合致していると著者は指摘しています。

2006年11月、オディエルノの第三軍団がイラクで第五軍団から任務を引き継いだ時、治安情勢は悪化の一途を辿っていました。
その原因は同年2月22日に起きた爆弾攻撃で宗派間闘争が激化したことであり、11月だけでも3462名のイラク人が命を落としている状況でした(Ibid.: 79)。

当時、第五軍団に与えられた任務は、イラクにおける前方作戦基地の数を2006年末までに110カ所から50カ所に減らし、イラク治安部隊に権限を移譲する準備を進めることでした(Ibid.: 79)。
そのため、2月以降に治安情勢が急激に悪化する事態に対して有効に対応することは困難であり、結局2006年末になっても前方作戦基地を50カ所に減らす目標は未達という状況でした(Ibid.)。

オディエルノは現地の状況を把握すると、直ちにイラク多国籍軍と事後の作戦行動について検討を重ね、イラク人の安全を確保することを最優先事項と定めます(Ibid.: 80)。
その結果、前方作戦基地の削減目標は棚上げにされ、代わりに米軍の支配地域を拡大するための大規模な攻勢作戦が計画されることになりました(Ibid.)。

徹底した攻勢による敵兵站線の遮断

2007年1月上旬のバグダッド周辺における米軍部隊の配置図。
オディエルノが指導した攻勢作戦は米軍がアルカイダなどの武装勢力に甚大な被害をもたらすことになります。

まず2007年1月、オディエルノの第三軍団はまずバグダッド市内に根拠を持つ武装勢力に対して大規模な攻勢を開始し、首都圏の武装勢力を一掃しただけでなく、彼らの後方連絡線を外部から遮断することに成功しました(Ibid.: 80-1)。
首都圏から地方に退却した武装勢力を追撃するためにオディエルノは8月に別の作戦を開始させ、特にバグダッドから北にあるDiyala川沿いの渓谷では念入りな追跡が実施されています(Ibid.: 81)。
2007年6月の米軍部隊配置図。1月と比べてより広範かつ緻密に兵力を展開していることが分かる。追跡が実施された現場のDiyala川はバグダッドからちょうど北北西の方向から流れている河川。
この攻勢の後もバグダッドに潜伏し続けた武装勢力もいましたが、彼らは外部との兵站線が絶たれたために、破壊工作を行う能力は大幅に低下しました。このことを著者は次のように述べています。
「バグダッド内の過激派集団の戦闘力は、後方連絡線・後方地帯の両方を確保することに依拠しており、それらはバグダッドの周辺地域を通過していた。イラク多国籍軍が得た情報によれば、バグダッドの過激派は市内で1日に50回の攻撃を維持するためには、車載式の即席爆発装置やその他の装置の供給を常に必要としていることが判明した。この物資の流入を阻止する戦いはイラク多国籍軍の地形に対する深い認識に依拠していた」(Ibid.: 82)
ここでの著者の議論については違和感を持つ方もいるかもしれません。というのも、爆発物を使った破壊工作であれば、小人数で実施できるため、後方連絡線を維持して、そこから物資の供給を得ることは必ずしも必要ないように思えるためです。
しかし、実際にはバグダッドに潜伏していた武装勢力もやはり兵站線を確保しようとしていたことを第三軍団は掴んでいました。

IEDによる攻撃も兵站線に依拠していた

第三軍団がこのことに気づくきっかけとなったのは、Taji-Tarmiyah地域で2006年12月19日に第一騎兵旅団が襲撃でした。
これは第三軍団が第五軍団から任務を引き継いでから、本格的な攻勢作戦が始まるまでの間のことです。

著者によれば、この襲撃で現地の部隊は500ギガバイトを超える文書と、詳細な地図を入手することに成功しました(Ibid.)。
これらの情報資料によって、イラクで活動するアルカイダがどのような戦略を抱いていたのかを詳細に把握することができたのです。

情報分析の結果によれば、アルカイダはバグダッド市街地を取り囲む周辺地域に即席爆発装置(IED)と防空ミサイルを集中的に配置する構想を検討していたことが分かりました。
その目的は市内に潜伏する部隊が外部との交通手段を確保しておくことだったのです(Ibid.)。これはオディエルノが攻勢作戦を立案する上で重要な情報となりました。

オディエルノの第三軍団が2006年11月に展開してから、2008年2月に撤退するまでの間に、イラクの治安情勢を大幅に改善させることができたのは、こうした敵の弱点を的確に突くことができたためだと言えます。
著者の議論だと、第三軍団の成功は敵の後方連絡線を十分に遮断できるだけの縦深にわたって、連続的に攻勢を指導したオディエルノの作戦術によるものであると評価しています(Ibid.: 83)。

むすびにかえて

これまでのイラクにおける治安作戦の研究では、ペトレイアス(David Howell Petraeus)の功績が注目される傾向にありました。
これはペトレイアスが2007年からイラク多国籍軍司令官を、2008年から中央軍司令官として指揮に当たり、その成果が評価されているためです(文献案内を参照)。

しかし、著者はこの論文でイラクの治安情勢を回復させる上でオディエルノの功績も考慮する必要があると主張しています。
著者自身の言葉を借りれば、オディエルノは「2007年と2008年に成功を収めた作戦の基礎をもたらした」のです(Ibid.: 78)。
この解釈によると、オディエルノが実施した攻勢作戦はペトレイアスが遂行した対反乱作戦を準備するものだったと位置付けることもできるでしょう。

小規模な武装勢力を相手とする作戦であっても、作戦術という概念が有用性を持つという著者の議論は非常に興味深いものです。
正規戦争・非正規戦争という分類を超えて、作戦術が適用可能であるという命題についっては、今後さらに多くの事例も踏まえて検証されることが必要だと思います。

KT

文献案内

Michael Gordon and Bernard Trainor, The Endgame: The Inside Story of the Struggle for Iraq, from George W. Bush to Barack Obama, Vintage, 2012.
2003年から2012年までにかけてイラクで実施された米軍の作戦について包括的に記述しています。第三軍団の功績への言及に欠けていると著者は批判しますが、イラク戦争とその後の一連の治安作戦に関する有益な通史を記した基本文献として価値があるでしょう。


Thomas Ricks, The Gamble: General David Petraeus and the American Military Adventure in Iraq, 2006-2008, Penguin Press, 2009.
2006年から2008年にかけてイラクにおける米軍の作戦をペトレイアスの貢献を中心に記述しています。著者はこの文献で第三軍団の功績に言及されていることを評価していますが、第三軍団が行った作戦の内容に踏み込んでいないことを批判しています。

関連記事

論文紹介 アフガニスタンとイラクで考える21世紀の戦争
論文紹介 対テロ戦争でアメリカが採るべき戦略とは
論文紹介 ISとの戦いでアメリカの地上部隊が必要な理由
論文紹介 米陸軍がソ連軍の作戦術を取り入れた理由
論文紹介 参謀総長モルトケの戦争術と作戦術の原点