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米海軍の即応態勢を劣化させた原因の究明が進められている

9月1日、防衛研究所が2020年8月号のブリーフィング・メモとして「米海軍の即応態勢は何で決まるか」と題する資料を発表しています。 米国政府の報告書を検討し、 最近の米海軍の水上部隊の即応態勢を悪化させている要因を明らかにしようとする内容です 。水上部隊の戦闘力の維持を考える上で興味深い内容だったので、その要点をまとめて紹介します。 押手順一「米海軍の即応態勢は何で決まるか:艦艇、乗員、工廠、展開計画」ブリーフィング・メモ、防衛研究所、2020年8月号 このブリーフィング・メモが興味深いのは、これまで国防予算を議論する際に前提とされてきた考え方を見直す必要があることが示されている部分です。 これまでの海軍整備計画の議論では、艦艇数や乗員数は部隊の量を、装備の近代化は部隊の質を、そして艦艇の整備や乗員の訓練は部隊の即応態勢を決める要素と見なされてきました。この考え方に従うならば、それぞれの要因が独立して戦闘力に影響を及ぼすので、部隊の規模を抑制したとしても、装備の近代化や即応態勢の強化を十分に実施しておけば、部隊の戦闘力を結果として維持できると考えることができます。 しかし、(1) 兵員や艦艇の数だけで戦力の規模を見ることができないこと 、そして(2) 戦力の規模をある程度確保しなければ、即応態勢を維持することも難しくなること が、この資料で解説されており、やはり戦力の数的規模を十分に確保しなければ、即応態勢を維持することが難しいとの見方が示されています。 まず、部隊の規模についてですが、海上戦力の規模を決める艦艇の数に関して、米海軍は長期にわたって削減を進めてきました。米ソ冷戦が終わる1990年代までの米海軍は500隻から900隻ほどの艦艇を保有していましたが、2015年に271隻にまで削減されており、2020年でも298隻しか保有していません(p. 2)。海外に展開する艦艇の規模は約100隻と変化していないのですが、米海軍の戦力全体の中で海外展開に従事する艦艇の割合は大幅に増加していることが指摘できます(Ibid.)。それだけ艦艇を長期にわたって展開する必要が出てくるため、艦艇の損耗も激しくなり、整備の負担も増加しやすくなります。これは即応態勢を維持する上で障害となる問題だと指摘されています(Ibid.)。 戦力規模を決める乗員の数についてですが、こちらも米海軍で...

文献紹介 尖閣諸島で戦争が勃発する恐れがある時、米軍はどう動くべきか

ブルッキングス研究所の マイケル・オハンロン(Michael E. O'Hanlon) は、2019年の著作『 尖閣パラドックス(The Senkaku Paradox) 』において、局地的な小規模・限定的な武力攻撃であっても、それが短期間で急激なエスカレーションを引き起こし、大規模な全面戦争を引き起こす危険が高まっていると警告しています。 Michael E. O'Hanlon,  The Senkaku Paradox: Risking Great Power War Over Small Stakes , Brookings Institution Press, 2019. エスカレーションの問題 国際的な対立が深まっている状況においては、一方の大国が他方の大国に意図的な武力攻撃を加えると、それが極めて小さな規模であったとしても、大規模な武力衝突にエスカレートするリスクがあります。現在の世界ではバルト三国に対するロシアの攻撃や、東シナ海の尖閣諸島に対する中国の攻撃がエスカレーションの引き金を引く可能性があると著者は懸念しています。 米国の立場で状況を分析すると、前述したロシアと中国のどちらの武力攻撃も米国ではなく、米国の同盟国に向けられることが想定されます。 このような武力攻撃は米国にとって同盟国を見捨てるのか、それとも同盟国を防衛するために自国が戦争に巻き込まれるリスクをとるのか選択を迫るという共通点があります。 現在の米軍の戦略としては、バルト三国のような北大西洋条約機構の加盟国に対する武力攻撃は、米国に対する武力攻撃と同じように断固とした態度で軍事的手段により対処することになっていますが、これは事態をエスカレートさせる可能性があり、それは最悪の場合には核兵器の使用も含めた全面戦争に突入することを覚悟することを意味しています。 軍事的打撃と経済的打撃の併用 この著作のタイトルである「尖閣パラドックス」とは、東シナ海の小さな無人島である尖閣諸島に対する武力攻撃が中国によって行われた場合、米国は同盟国を防衛するという義務を果たすためにあまりにも大きなコストとリスクを引き受けなければなりませんが、見捨てるわけにもいかないという状況を表した言葉です。 この問題を解決するためには、小規模かつ局地的な武力攻撃に対して、エスカレーションを制御しながら断固...

イスラエルの対イラン政策の変遷と、それが地域に与える影響が分析されている

ランド研究所の研究員ダリア・ダッサ・ケイ(Dalia Dassa Kaye)とイスラエル政策会議のシラ・エフロン(Shira Efron)が2020年8/9月号の『サバイバル』で「 イスラエルの進化する対イラン政策(Israel’s Evolving Iran Policy) 」と題する共著の論文を発表しました。 イランに対するイスラエルの政策が形成された経緯とその影響を調査し、今後の中東情勢の動向を検討しています。 論文情報 Dalia Dassa Kaye & Shira Efron (2020) Israel’s Evolving Iran Policy, Survival , 62:4, 7-30, DOI: 10.1080/00396338.2020.1792095 イランの脅威に対処する必要があることではイスラエルの国内で意見が一致しています。しかし、イランの脅威にどのように対応すべきかという点に関しては、国内で政治的な対立がありました。 対イラン政策をめぐる対立を浮き彫りにした出来事として注目されるのが2015年に成立した包括的共同行動計画(Joint Comprehensive Plan of Action, JCPOA)であり、米国、英国、フランス、ロシア、中国、ドイツ、イランが受け入れた合意です。 その計画によれば、イランは核開発体制を大幅に縮小し、国際機関の査察を受け入れる見返りとして、西側からの経済制裁を段階的に解除してもらえる予定でした。 イスラエルのネタニヤフ(Benjamin Netanyahu)首相は、この合意に猛反発しており、2015年に訪米した際にも連邦議会での演説でもこの合意を批判しています。 しかし、当時のイスラエルにはこの合意を支持する人もいました。イスラエル国防軍の参謀総長だったエイゼンコット(Gadi Eisenkot)、アシュケナジ(Gabi Ashkenazi)、ガンツ(Benny Gantz)のような将官だけでなく、諜報特務庁長官を務めたダガン(Meir Dagan)、パルド(Tamir Pardo)、公安庁長官の経歴を持つディスキン(Yuval Diskin)などもネタニヤフの立場と距離を置いていました。彼らはイランと合意をまとめ、核開発を一時的にでも中断させたことに一定の意義があったと認めています。 し...

海外の研究者が解説する日本のイージス・アショアの配備中止

2020年6月17日、河野太郎防衛大臣は陸上に配備するタイプの弾道ミサイル防衛システムである「イージス・アショア」を国内に配備する計画を中止すると発表し、日本だけでなく、米国の専門家をも驚かせました。 この問題は2020年7月6日に米国有数のシンクタンクであるランド研究所でも取り上げられており、アジア太平洋の安全保障を専門とする政治学者ホーナング(Jeffrey Hornung)が解説しています。 Jeffrey W. Hornung, Japan Is Canceling a U.S. Missile Defense System, Commentary(Foreign Policy), RAND, July 6, 2020.  https://www.rand.org/blog/2020/07/japan-is-canceling-a-us-missile-defense-system.html (7月13日) ホーナングの解説によれば、この決定は理解できるものであり、日米同盟に与える影響は否定できないものの、克服することができる性質のものだとされています。 今回の配備計画の中止の理由については、防衛省として二つの理由が示されてました。 一つ目の理由は、迎撃のために発射するミサイルのロケット・ブースターが周辺地域に落下し、住民の生命と財産を脅かす可能性を完全に取り除くことが難しいというものでした。 第二の理由として、この危険を除去するために、ソフトウェアを改修することが検討されたものの、ミサイルのハードウェアを再設計しなければならない可能性が高く、18億ドルの追加経費と10年の開発期間を要する見積が出されました。 これら二つの要因を総合すると、イージス・アショアの配備に伴う危険は許容できず、またその解決は合理的な費用の範囲では不可能だったと理解することができます。 ホーナングはこの防衛省の説明に関連して、日本がイージス・システムを調達することを決めた当初に作成した見積を上回る費用が既に発生していることを指摘しています。 「イージス・システムの購入、運用、維持にかかる費用は当初、30年間の運用期間で21.5億ドルと見積もられていたが、18億ドルの追加費用を差し引いても41億ドルに膨れ上がっていた」 ホーナングは政治的な反発があったことにも言及していますが、この要因...

オーストラリアが抑止力の大胆な増強に乗り出した

2020年7月1日、オーストラリア政府は『2020年国防戦略最新化(2020 Defence Strategic Update)』と『2020年戦力構造計画(2020 Force Structure Plan)』を発表し、オーストラリア軍の抑止力を大幅に増強する方針であることを明らかにしました。 いずれの文章もオーストラリア国防省のウェブサイトで入手することができます。 2020 Defence Strategic Update and 2020 Force Structure Plan, Australian Government, Department of Defence,  https://www.defence.gov.au/strategicupdate-2020/ (7月4日アクセス確認) オーストラリア軍が出す『戦略最新化』は、オーストラリアが直面する戦略的な課題を提示し、国防計画への影響を述べ、必要な軍事的能力を明らかにするために発表されているものです。 オーストラリアは以前からその戦略環境が劇的に変化しつつあることを認識し、2016年版の『国防白書』ではっきりと述べていました。 しかし、 当時の情勢判断を上回る速さで事態が進行しており、そのことが今回の『戦略最新化』の発表に繋がった と説明されています。その変化の中には新型コロナウイルスのパンデミックによる世界経済への打撃も考慮されています。 『戦略最新化』では戦略的目標が掲げられており、(1)オーストラリアの戦略環境を形成すること、(2)オーストラリアの利益に反する行動を抑止すること、(3)必要な場合においては、信頼できる軍事力によって対応できるようにすること、以上の3点が重視されています。 これに応じて『戦力構造計画』ではオーストラリア軍の能力を拡張する見通しが示されています。 この一連の決定でオーストラリア軍が「戦略的警戒期」と位置付けた10年間の計画が抜本的に見直されたことは、アジア太平洋地域の安全保障環境にとって重要な意味があり、専門家の間でも注目されています。 オーストラリアは今後の成り行きを見極める期間は終わったと判断し、戦時体制への移行を見据えて基盤的戦力を拡張する意図を内外に公表したことになります。 オーストラリアは中国を刺激することがないように慎重にふるまっています。オ...

学説紹介 アンドレ・ボーフルの戦略理論:平時の脅威を想定した戦略の必要性

フランス陸軍軍人 アンドレ・ボーフル は、冷戦期のフランスで大きな影響力を持っていた軍事思想家です。 彼は将来の戦争で非軍事的手段が軍事的手段よりも重要性を増してくると指摘するなど、現代の戦略思想の発展にとって興味深い考察を書き残しました。 今回は、ボーフルの戦略論を紹介したマイケル・カーヴァーの研究に沿って、ボーフルの戦略思想の意義を考えてみたいと思います。 冷戦初期の戦略学を支配した核兵器の前提 第二次世界大戦終結から間もない頃、安全保障の研究者の関心は主に核兵器に向かっていました。 核兵器の効果をどう評価すべきか、どのように運用すべきかという問題をめぐってはさまざまな論争が展開され、例えば、ヨーロッパ正面におけるソ連軍に対する防勢作戦を立案するため、核兵器の威力を最大限に活用しようと構想もアメリカでは真剣に議論されていました(カーヴァー、672頁)。 その構想によれば、北大西洋条約機構の部隊は縦深がある防御陣地に分散配備され、それぞれの部隊が戦術核兵器を保有します。 もしソ連軍が縦深突破を図ろうと防御陣地に浸透してきたとしても、その核兵器によって敵に打撃を与え、生き残った敵は空挺部隊で打撃することが可能です(同上、672頁)。 ただ、このような作戦では戦闘に巻き込まれた非戦闘員を保護できないため、彼らは開戦の前に後方へ疎開させておく必要がありました(同上、672-3頁)。 しかも、敵の出方によっては直ちに核戦争を引き起こさなければならず、それは全面核戦争に拡大する恐れが強いとも指摘されていました。 アメリカの政治学者 ヘンリー・キッシンジャー は限定核戦争という思想を唱え、限定的かつ戦術的な範囲で核兵器を使用することにより、全面核戦争を避けようとしましたが、ボーフルから見れば、そもそも核兵器という装備体系を前提に置いた戦略それ自体に問題があり、より広い視野から戦略を研究する必要がありました。 ボーフルが考える全体戦略 このような研究動向の中でボーフルは、核戦略のように特定の装備体系に依存した戦略体系ではなく、より柔軟かつ包括的な戦略理論を構築しようとしました。 ボーフルの説によれば、戦争とは「二つの対立した意志」を持った勢力が、「武力を使ってその対立を解決」しようとする「弁証法」だと解釈されているのですが、これは戦...

論文紹介 冷戦期の「海洋戦略(Maritime Strategy)」に対する批判

新冷戦の時代、ソ連の軍事的脅威に対抗するため、米国のロナルド・レーガン大統領は大規模な海上戦力の増強に乗り出します。 この米海軍増強の根拠として打ち出された戦略が「海洋戦略(Maritime Strategy)」だったのですが、1980年代を通してこの戦略をどう評価すべきかについて議論が分かれていました。 その論争の背後には米軍内部の予算獲得競争もあったのですが、純粋に戦略の観点から見ても、研究者から実行可能性に疑問が投げかけられていたのです。 今回は、「海洋戦略」に戦略を批判した米国の政治学者ジョン・ミアシャイマー(John J. Mearsheimer)の論文を紹介したいと思います。 文献情報 Mearsheimer, John J. 1986. "A Strategic Misstep: the Maritime Strategy and Deterrence in Europe," International Security , Vol. 11, No. 2, pp. 3-57. 問題はレーガン政権の「海洋戦略」である 著者はレーガン政権が打ち出し、米海軍が中心となって推進していた「海洋戦略」はヨーロッパでソ連軍の侵攻を抑止する上でほとんど役に立っていないどころか、むしろ妨げているのではないかと疑問を持っていました。 この論文の冒頭で著者は次のように述べています。 「レーガン政権による軍備増強の中心的要素は、米海軍の規模を600隻に増勢する計画に基づいている。この600隻の戦力は、ソ連に対して世界規模の通常戦争を遂行する海軍の構想である「海洋戦略」を実行する上で必要であると言われている。これは中央ヨーロッパの航空・陸上戦力を犠牲にしながら整備されており、これらはレーガン政権の任期にわたって大幅に強化されていない」(Mearsheimer 1986: 3) 冷戦においてヨーロッパは米国の世界戦略で特に重視されてきた地域でした。この地域は東西ドイツの国境線を中心にNATOとWPの地上部隊が対峙する部隊態勢にあるため、もし開戦となれば直ちに地上戦になる可能性が大きいと見積もられていました。 つまり、ソ連に対する抑止力を確保するためには、こうした地上戦を想定した武器や装備を揃えておく必要があり、...

論文紹介 米ソ冷戦で日本の防衛力が重要だった理由

東西冷戦が核戦争に至らないまま終結した理由の一つに、日本の防衛力が関係していたという議論は、突拍子がないように思われるかもしれません。 日本は核保有国ではなく、また通常戦力でもソ連に比べれば極めてその規模は限定されていました。しかし、問題は日本の防衛力の質や量ではありません。 日本の防衛力は、それが占める地理上の位置によって大きな役割を果たしていたという説が論じられています。 今回は、冷戦末期の時期に、東西両陣営の勢力関係を通常抑止の観点から考察した研究論文を取り上げ、特に日本の防衛力が米国をはじめとする西側陣営の対ソ戦略で重要な役割を担っていたのかを考察した部分を中心に紹介したいと思います。 文献情報 鈴木祐二「東西間の通常抑止」佐藤誠三郎編『東西関係の戦略論的分析』第2章、日本国際問題研究所、1990年、138-175頁 西側から見た東アジアの戦略的重要性 1980年代までにソ連陣営(赤色)に近かった中国(黄色)が外交を見直し、米国陣営(青色)に接近したことで、大きな構造的転換を遂げることになった。これにより極東ソ連は大規模な地上部隊を持つ中国に対抗する必要が出てきた。 日本の防衛力はあくまでも日本の防衛のためであり、西側の防衛に対して寄与するものではなく、また関係もなかったという見方を著者は否定しています。 著者の見解によれば、日本の防衛力は米国を中心とする西側の対ソ世界戦略の一部を構成しており、特に「アジアの翼側」をカバーする意味合いがありました。 「米国の『軍事態勢報告』1984年度版は東アジア地域について、「グローバルな軍事戦略の面では、NATOに対するソ連の攻撃を抑止する重要な役割を果たしている。それは、NATOへの攻撃に先立ち、ソ連の作戦計画担当者はまずアジアでの翼側を安全にしておく必要があるからだ」と述べている。したがって、米国を中心とする西側がこの地域で軍事力バランスを有利な状態に保ち、効果的な軍事作戦を遂行できるような態勢をとっておくことは、すなわちソ連にとっての「アジアの翼側」の安全を確実にさせないことであり、グローバルな対ソ抑止戦略のなかできわめて重要な位置を持つのである」(鈴木、168頁) このような議論は以前の記事で紹介した論文( 論文紹介 ソ連から見た東アジアの新冷戦 )で...

文献紹介 抑止が難しい戦略もある

ジョン・ミアシャイマー(John J. Mearsheimer, 1947-)は、リアリズムの立場で国際政治を研究している米国の政治学者です。その研究業績の多くが安全保障に関するものであり、冷戦期に行ったヨーロッパにおける東西両陣営の勢力関係や軍事戦略に関する分析がよく知られています。 今回は、ミアシャイマーの研究でも抑止論に関するもの、しかも核抑止ではなく通常抑止についての議論を紹介し、抑止は単に戦力の規模や効率だけによって実現されるものではなく、相手方の運用が重要であるということを説明したいと思います。 文献情報 Mearsheimer, John J. 1983. Conventional Deterrence , Ithaca: Cornell University Press. 抑止とは、通常抑止とは 抑止(deterrence)は基本的に潜在的な攻撃者に攻撃を思いとどまらせるものであり、そのためには防御者がその攻撃者が目標の達成を防ぎとめるだけの軍事的手段が必要であると理解されてきました。著者は一般的な意味での抑止を次のように説明しています。 「最も一般的な意味における抑止とは、予期される利益が見積もられる費用やリスクを正当化しないために、特定の活動を開始しないよう敵対者を説得することを意味している。戦う決定は軍事的事項だけでなく、国家の能力が戦場においてその目標を達成できるかによってよっそくされるため、非軍事的要因も抑止に影響する。もし有効な軍事行動によって得られるような広く定義された政治的利益が存在すると我々が想定するならば、意思決定者に対して作用する要因を認識しなければならない。より具体的に述べれば、指導者は非軍事的な性質のリスクと費用を考察しなければならないのである」(Mearsheimer 1983: 14) 国家Aの指導者が国家Bを武力で攻撃しようとする場合、国家Aの指導者が期待できる戦果は国家Bが有する軍備に対する国家Aの軍備の相対的水準によって左右されます。より分かりやすく言えば、国家Aの指導者が国家Bに対して高い勝率が望めると判断すれば、それだけ国家Aの指導者が攻撃を決断する可能性は大きくなるということです。 著者は抑止を実現するための手段を必ずしも軍事的手段だけに限定しておらず、経済的手段、外交的手段...

学説紹介 海上で強制外交を成功させるには

国家は自らの政策を遂行する手段として軍隊を保有していますが、それを積極的に使用する事態は可能な限り避けなければなりません。 しかし、相手国が軍事力を背景とした現状変更の動きを示すとなれば、我が国としても軍事力をもって現状維持のために抵抗する用意があることを相手国に知らしめなければなりません。 国際関係、外交の研究では、我が国の武力をもって相手国の脅迫を制止するためには、どのような外交方策が必要であるかが研究されてきました。 今回は、特に海上において強制外交を成功させるために、どのような条件があるのかを考えてみたいと思います。 強制外交とは何か 強制外交(coercive diplomacy)とは、本格的な武力紛争を回避しつつ、相手国の望ましくない行動を撤回させるために、我が国に武力行使の準備があることを誇示して行う外交の一形態です。 強制という用語が持つ語感から、現状打破を試みる外交と勘違いされることもありますが、あくまでも強制外交は現状維持のための外交であり、いわゆる武力を背景にした脅迫に対抗する外交として位置付けられます。 例えば、政治学者のジョージは、強制外交の趣旨について、「相手が納得するのに十分な信頼性があると思わせるような、不服従のための報復の脅威を伴って、相手に要求を撤回させること」を追求するものだと説明しています(George 1991: 4)。 これは現状維持という目的から強制外交を定義したものと理解できます。 つまり、強制外交は本質的に攻撃的な特徴を持つ脅迫(blackmail)とは区別すべきものであり、防御的な方策として理解しておかなければなりません。 政治学の文献では、強制外交の重要性を示す事例として、しばしばキューバ危機を取り上げています。 1962年、ソ連はキューバに対して核ミサイルの提供を含む軍事支援を実施しました。 それに対して米国は本土を射程に収めるミサイルを深刻な脅威と判断し、ソ連の動きを止めるために、海上封鎖を行いながらソ連と交渉を重ねます。 最終的に、米国はトルコに配備していたミサイルを撤去することを条件として、キューバからのミサイルの撤去にソ連を同意させ、核戦争勃発を回避することができました。 この事例からも分かるように、強制外交は硬軟織り交ぜた外交...

事例研究 三十年戦争の様相を変えたリシュリューの現状打破

ヨーロッパにとって17世紀は激動の時代でした。16世紀に増加し続けたプロテスタントはカトリックと社会的、政治的な対立を深め、1618年に勃発した三十年戦争はヨーロッパのほぼ全域を巻き込む戦争に拡大しました。 この戦争によってハプスブルク朝は大幅に勢力を低下させることになりましたが、それに対抗する形で台頭したのがフランスでした。 ハプスブルク家の覇権を打破し、フランスが大国へと成長する足掛かりを築けたことは、リシュリュー枢機卿(以下、リシュリュー)の大きな功績です。彼は宗教的な価値観や信条に囚われず、政治的合理性にのみ従ってフランスの政策を指導し、ハプスブルク家の勢力を低下させることに成功しました。 しかし、政治学者の発想からすると、リシュリュー個人の外交的能力がどれほど優れていたとしても、フランスの国力がある程度確保できていないと、大国相手に現状打破を行うことはできないと思われます。 今回は、こうした観点から三十年戦争におけるリシュリューの対外政策を取り上げ、それを可能にした当時のヨーロッパ各国の勢力関係について考察したいと思います。 17世紀のヨーロッパ情勢の概観 1648年の時点におけるヨーロッパ地域の情勢図。 フランス王国(紫色)はスペイン領オランダを始め複数個所での領土に隣接していることが読み取れる。 神聖ローマ帝国の領土はオーストリア(青色)を中心に赤線で囲われているドイツ全域であり、当時の皇帝フェルディナント二世はスペイン王国と同盟関係を構築していたため、フランスは二正面で脅威を受ける態勢にあった。 長らくヨーロッパ地域はカトリックという共通の価値観と普遍性の原則に基づき、神聖ローマ皇帝を中心とする緩やかな政治的連合体を形成していましたが、宗教改革の影響を受けて、各国は次第に神聖ローマ皇帝に対する忠誠を失い始め、分裂と対立の動きを加速させていきました。 神聖ローマ帝国の皇帝フェルディナント二世(1578-1637)はこうした政治情勢でカトリックの復興と自らの勢力を回復を強引に図ろうとしたため、プロテスタントの反発を受け、1618年に事態は武力紛争にまで拡大してしまいました。これが後に三十年戦争と呼ばれる戦争の始まりです。 当初、三十年戦争はドイツ地域を中心にカトリックとプロテスタントの宗教戦争として推移してい...

論文紹介 戦略だけで抑止論を語ってはならない

戦略は国家の政策目標を達成するために、その国家の保有する軍事力を活用する方法、計画、方針であり、長期的、大局的な視点から物事を考える時には「戦略的に考える」という表現を慣用的に用いることもあります。 しかし、上層部の地図上で部隊が適切に配置、移動できたとしても、それを実行に移す過程で、部隊の運用に問題が生じると、そこから計画は破綻していき、結局は机上の空論に終わってしまう恐れがあります。そして、このような事態は戦争の歴史で繰り返し起きたことでもあります。 今回は、抑止という問題を取り上げて、これを戦略の観点だけでなく、作戦という下位の観点から考察することの重要性を示した論文を紹介します。 論文情報 Crawford, Dorn. 1987. "The Operational Level of Deterrence," Military Review , January, pp. 14-22. 抑止の分析レベルを考える 抑止とは、その行動を起こすことによって期待される利益を費用が上回ると相手に認識させる努力を我が方として講じることにより、潜在的な攻撃を未然に防止することをいいます。 研究者はこれまでにも抑止を研究するために、抑止-防衛、抑止-戦争、核抑止-通常抑止、報復的抑止-拒否的抑止などの分類を考案してきましたが、著者は抑止という概念が曖昧に解釈されているという点を問題として提起しています(Crawford 1987: 15)。 そこで著者は軍事学の分析レベルをより体系的に抑止の研究に導入する必要があると論じています。 全ての学問には分析レベルの区分があります。 経済学にはミクロ経済学とマクロ経済学の分析レベルがあり、政治学でも国家の対外行動を分析する国際政治のレベル、国内の勢力関係を分析する国内政治のレベル、そして政治過程における個々人の行動に注目する個人レベルに分かれます(Ibid.: 16)。 動揺に、軍事学でも戦略、作戦、戦術という三種類の分析レベルが存在しており、それぞれのレベルに抑止の問題があると考えています。 (1)戦略レベルの抑止 戦略レベルにおける抑止の目標とは、米国の領土と死活的権益を脅かそうとする敵国を何をしてでも思いとどまらせることです(Ibid.: 16)。 戦略的抑止はすでに...

論文紹介 アメリカ軍による島嶼防衛の限界

日本の防衛戦略は有事におけるアメリカ軍の来援を前提としています。しかも、アメリカ軍が戦略的反攻を遂行し得る能力を有していることを重要な専守防衛の前提としているのです。しかし、アメリカの研究者の一部から国防予算の見直しに応じた戦略の修正を提案すべきとの意見が出されていることは、この想定と実際に異なる事態が生じる危険があることを示唆するものです。 今回は、米国の観点から島嶼防衛の戦略的重要性を主張するクレピネビッチ(Andrew Krepinevich)の論文の要点を紹介し、その戦略が東アジアの安全保障にもたらす影響を説明したいと思います。 論文紹介 Krepinevich, Andrew. 2015. "How to Deter China: Archipelagic Defense," Foreign Affairs , (March/April.), http://www.foreignaffairs.com/articles/143031/andrew-fkrepinevich-jr/how-to-deter-china 中国周辺の同盟国の能力を活用せよ 著者は今後の中国の行動について、時間をかけて徐々に軍事バランスを中国の優勢なものへと変化させ、周辺諸国が中国の地域覇権に従わざるを得ない国際情勢を形成しようとするだろうと見積っています。 それゆえ、著者は中国が対米開戦のリスクを回避するため、本格的な武力衝突が生起する公算はそれほど大きくないと考えています。 このような情勢判断に基づいて中国の攻撃をアメリカが抑止するには、中国の現状打破に対抗する上で日本、フィリピン、ベトナムなどの軍備増強を支援し、また統合された防衛力として再編成していく努力が必要であると論じています。 「もしアメリカが中国の決定を変えたいならば、(中略)第一列島線付近の空域と海域を管制する能力を中国が取得することを拒否しなければならない。アメリカは同盟国の戦闘ネットワークを統合し、その能力を向上させることもしなければならない。いずれもその地域での軍事的均衡を不安定化させる中国軍の活動を相殺することに役立つであろう」 これはアメリカ軍が主体的に中国軍に対抗する度合いを軽減し、中国の周辺地域を領有する国家の能力構築を助け、中国が海上優勢、航空優勢...

文献紹介 平和のための核兵器

核弾頭の空輸手順を模擬弾で訓練する米空軍の兵士たち 。 日本が史上初の核攻撃を受けてから今年で70年の節目を迎えますが、日本ではまだまだ核の戦略的側面にまで議論が及んでいない状況が続いています。 現代の戦略研究の重要な柱でもある核戦略が十分に研究されていない背景の一つに、核戦略に対する誤解があるのかもしれません。 つまり、核戦略は核戦争を戦うための戦略理論であり、それを受け入れることは核の使用を許容することである、という見方があるのかもしれません。これは大きな間違いだと言えます。 今回は、1980年代に核戦略に対する誤解を払しょくすることに寄与したコリン・グレイの研究を紹介したいと思います。 そこでは核戦争を防ぐためにこそ核戦略が不可欠であることが説明されています。 文献情報 Gray, Collin. 1982. "'Dangerous to your Health': The Debate over Nuclear Strategy and War," Orbis , 6(Summer), pp. 327-49. 著者がこの論文を執筆していた当時、米国国内では核戦略の基本的な存在意義に関する疑問が盛んに提起されていました。 何のために核戦力を強化するのか、核戦争を回避するためには武力以外の手段によるべきではないか、などと核戦略それ自体を批判する見解もありました。 だからこそ、グレイは核戦略の重要性について改めて議論する必要があると判断し、このような論文を発表しました。 まず、この論文で指摘されていることですが、西側陣営、特に米国の核戦略は基本的に抑止を達成しようとする戦略理論の体系であり、核戦力を行使することは前提とされているわけではない、ということです。 そもそも、戦略とは軍事力を政治的目的のために使用することを意味しますが、核戦力の破壊力はあまりにも大き過ぎるため、これを使用しても政治的目的を効率的に達成することは技術的に極めて困難です。 そうなると、核戦力の役割は通常戦力とは全く異なるものでなければなりません。だからこそ、米国の核戦略では核が抑止のための手段とされており、具体的には当時敵対していたソ連の進攻を未然に防ぐための手段として考えられているのです。 「この抑止は完...

論文紹介 通常戦力による抑止

一般に抑止とは、相手の利益を上回る費用を強いる防衛体制を準備することで、相手が攻撃する事態を防止することを言います。 また、抑止はその根拠となる軍事的手段の種類によって、通常戦力による抑止と核戦力による抑止に大別されます。 今回は、現代の米軍の戦略を考える上で通常戦力の在り方を理論的に検討した論文を紹介したいと思います。 通常戦力に依拠している自衛隊の防衛戦略を考える上でも、参考になる内容が含まれています。 文献情報 Gerson, Michael S. 2009. "Conventional Deterrence in the Second Nuclear Age," Parameters , (Autumn): 32-48. 通常戦力によって相手国の攻撃を抑止するには、著者は三種類の戦略的論理を理解しておくことが必要であると考えています。 第一に、攻撃者は一般に費用を増大させる持久戦を好みません。核戦力を伴う全面戦争に至らない限定戦争でも、攻撃者は一般に速戦即決、つまり消耗の大きい持久戦よりも短期間で決着を付ける決戦を追求しようとします(Gerson 2009: 37)。 第二に、抑止の成功は基本的に防御者の軍事力に依拠しています。武力紛争を通じて攻撃者が目標を達成することを防止することが可能な軍事的能力を、防御者が保有していなければ攻撃を拒否することはできません(Ibid.)。 また著者は、相手の攻撃を受動的に拒否する能力を持つだけでなく、攻撃に対して能動的に報復を加える懲罰的能力もまた重要であることについて指摘しています(Ibid.)。 第三に、軍事力の局地的均衡が通常戦力による抑止では決定的に重要な場合があります。なぜなら、先に指摘したように、攻撃者は短期決戦の可能性を最大限追求するので、迅速に勝利を収めることが可能な地点が一カ所でもあれば、そこで攻撃者を効果的に拒否することができなくなり、全体として抑止が失敗する危険も大きくなるためです(Ibid.)。 このような通常戦力による抑止をめぐる戦略上の一般的な判断を適用して、著者は中国の戦略に対抗する際に重要な抑止の着眼点を次のように述べています。 「『近代化された高度な技術環境における局地戦争』という中国の構想は、サイバー戦、宇宙戦、情報戦を...

論文紹介 安定的抑止(stable deterrence)とは何か、なぜ重要なのか

1970年代、米国ではソ連軍による核戦力の増強にどう対処すべきなのか議論が起きていました。 個別誘導多弾頭、潜水艦発射弾道ミサイルなど、それまで米国が技術的に独占していた分野でソ連が次第に追い付き始め、戦略環境が大きく変わりつつあったためです。 今回は当時の論争にも大きな影響を与えたケーハン(Jerome H. Kahan)の論文を取り上げ、米国が追求すべきは安定的抑止であるという考察について紹介します。 文献情報 Kahan, Jerome, H. 1971. "Stable Deterrence: A Strategic Policy for the 1970s," Orbis , 15. Summer, pp. 528-543. 安定的抑止とは何か 著者の核戦略の考え方は、ソ連が一定程度の抑止力を持つことを認めながら、米国の核戦略を調整すべきだというものでした。 これが安定的抑止の基本的な戦略思想であり、そのため第一撃に対する脆弱性を低下させることが最優先事項とされていました。 「1970年代の米国にとって確実な戦略的政策は次の二つである。(1)確実かつ多様な抑止力を維持し、報復能力に高い信頼度を与えること。(2)ソ連の抑止力を脅かすようなシステムあるいは戦略をとらないこと。このような政策を『安定的抑止(stable deterrence)』と呼ぶ」 つまり、著者はソ連の核戦略を一方的に破綻させるような戦略をとるのではなく、相互に共存できる範囲で互いの核戦略を規定することを目指すべきだと考えていたのです。 「抑止は二面性を持つため、米国はその計画がソ連の戦力・政策・認識に対して与えうる効果についてよく知らなければならない。もし米国の計画がソ連の抑止を危険にするとソ連が認識すれば、ソ連は米国からの第一撃を恐れることは間違いない。危機に対して先制攻撃を始める傾向がより強まってしまう。このような条件では核戦争の危険が増大することになる。その報復能力を保全するためにはソ連は戦略戦力を拡充、改革するに違いない」 いわば、相手の攻撃を完全に阻止する特徴を持つ武器や戦略は、相手の攻撃を抑止することができると同時に、相手が自国の攻撃を抑止することを困難にしてしまう二面性があるということです。 相手はもはや自国を抑止す...