2020年5月13日にハーバード大学の教授スティーヴン・ウォルト(Stephen M. Walt)は「世界不況が次の世界大戦を引き起こすのか?(Will a Global Depression Trigger Another World War?)」と題する記事を「フォーリン・ポリシー(Foreign Policy)」のウェブサイトで発表しています。
新型コロナウイルスの感染拡大が安全保障環境に与える影響について研究者の間では議論が始まっていますが、ウォルトは直ちに戦争のリスクに繋がることはないのではないかという見解を示しています。
記事情報
Stephen M. Walt, Will a Global Depression Trigger Another World War? Foreign Policy,
https://foreignpolicy.com/2020/05/13/coronavirus-pandemic-depression-economy-world-war/(2020年5月25日アクセス確認)
感染症の世界的な大流行は平和を促進する
この記事を発表する1カ月前の4月下旬にマサチューセッツ工科大学の教授バリー・ポーゼン(Barry R. Posen)が「フォーリン・アフェアーズ」で「パンデミックは平和を促進するのか?(Do Pandemics Promote Peace?)」と題する記事を発表しました。
それによれば、ウイルスの世界的な大流行は戦争の原因になるというよりも、平和を強化する可能性の方が高いと予測されていました。
その主な理由は、ウイルスの流行が全世界に及んでいるため、すべての国が軍事作戦を準備することが難しくなっているためです。
ウォルトはこの説を受け入れており、より長期的な観点から見ても、新型コロナウイルスで戦争が引き起こされるリスクは低いのではないかと見積もっています。
歴史的に見れば、確かに疫病が発生したからといって、戦争が不可能になるというわけではなかったことはウォルトも認めています。
1918年から1919年にかけて感染が広がったスペイン風邪は第一次世界大戦の終結に寄与したという見方もありますが、スペイン風邪が大流行していた時期においても、ロシア内戦(1917~1922)、ロシア・ポーランド戦争(1919~1921)が立て続けに起きていたことを見過ごすべきではありません。
それでも、現在の国際情勢が同様のパターンに移行する確率はかなり低いとウォルトは考えており、平和が維持される可能性の方がずっと大きいと予測しています。
戦争のリスクを指摘する議論の根拠は乏しい
ウォルトは、このような状況下であっても武力攻撃を目論む国が出現するかもしれないという反論の内容を一つずつ検討しています。例えば、「スケープゴート」と呼ばれる議論があります。
これは国内で政権が支持を取り戻すために、あえて対外的な緊張を引き起こし、国内における失敗から有権者の注意を逸らそうとする可能性を指摘するものです。
このような説明を現在のドナルド・トランプ政権にあてはめることで、アメリカがイランやベネズエラに対して武力攻撃を仕掛けるのではないかという仮説も立てることができますが、ウォルトはこれは現実的なシナリオではないと退けています。
国内で多くの犠牲者が出ている中で、アメリカ軍の戦力を遠隔地に投入するような軍事的冒険に踏み出せば、最も熱心なトランプの支持者であっても、政策の優先順位に疑問を抱くでしょう。
これとは別の議論として、持続的な不況を背景に過激な政治運動が組織され、ますます自国中心主義的な政策をとる国が増加し、それが戦争のリスクを高めるという見方もあります。経済的影響を受けて世論が変化し、積極的な武力攻撃に踏み切るという可能性もウォルトの立場から見てそれほど大きなものではありません。
アメリカは建国以来、40回以上の不況に見舞われてきた歴史がありますが、ウォルトの調査ではそれが武力攻撃を誘発したことを裏付ける証拠はありませんでした。
ウォルトの見解によれば、国が戦争を始める際に、最も重視しているのは、多くの場合において経済的な利益というよりも、安全保障への欲求です。つまり、長期的な勢力関係が変化し始めた際に、自国が不利な立場に追い込まれることを避けようとして戦争に踏み切る場合の方が多いのです。
むすびにかえて
ウォルトの結論としては、新型コロナウイルスの直接的な影響で戦争が引き起こされるリスクは小さいというものです。
これは戦争が政治の手段であり、政治的観点からみて合理的な理由がなければ、武力攻撃に踏み切ることはないという前提に基づく議論です。
そのため、政治指導者が非合理的な決断を下すことがあれば、まったく違ったシナリオになる可能性もゼロではありません。そのことはウォルト自身も認めています。
また、ここで展開されている議論は新型コロナウイルスが世界各国の社会と経済に等しく打撃を与える場合が想定されている点にも注意が必要です。もし、いち早く経済を立て直した国と、封じ込めに時間がかかる国との間で経済力の格差が広がってくれば、ウォルトの議論をそのまま受け入れることはできないでしょう。これが今後の注目点になるのではないかと思います。
写真:U.S. Department of Defense, Army Spc. Hubert Delany
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文献案内
今回の記事で取り上げたウォルトは政治学者として『同盟の起源(The Origins of Alliances)』(1987)や、『アメリカの勢力を飼いならす(Taming American Power)』(2005)などの業績で知られています。
- Walt, S. M. The Origins of Alliances, Cornell University Press, 1987.:同盟理論の代表的な研究であり、リアリズムに依拠した脅威均衡論が展開されている。
- Walt, S. M. Taming American Power: the Global Response to U.S. Primacy, W. W. Norton, 2005.(日本語訳 奥山真司訳『米国世界戦略の核心――世界は「アメリカン・パワー」を制御できるか?』五月書房、2008年):覇権的な地位にあるアメリカの勢力に対して中小国がどのような戦略で対抗しているかを分析した研究。