戦略的包囲が陸軍の運用でモデルとして確立されたのは19世紀の初頭であり、20世紀の初頭まで軍事学の世界ではかなりの影響力を持っていました。
日本陸軍においても戦略的包囲は知られていましたが、具体的にどのように指導されていたのかに関しては十分に調査されたことがないように思われます。
そこで今回は『統帥綱領』において戦略的包囲がどのように説明されているのかを検討し、戦略的包囲が日本陸軍の思想にどのような影響を及ぼしていたのかを考えてみたいと思います。
ジョミニは戦いの原則として、敵軍の背後連絡線を遮断するように戦略機動することの重要性を主張したのです(詳細は学説紹介 シンプルで奥深いジョミニの戦略思想を参照)。
この説はフランス陸軍で広く支持されるようになりました。日本陸軍はドイツ陸軍の研究成果を積極的に受容していたので、ジョミニの影響が日本陸軍にどのような形で及んだのかについては判断が難しいところですが、ジョミニの著作がフランスだけでなく、世界的に広く読まれたことから考えて、文献調査から研究が部分的に受容されたものと推測されます。
その影響を考える手がかりとして注目したいのが『統帥綱領』の内容であり、これは日本陸軍において方面軍・軍司令官のために書かれた教範です。
1928年に刊行されましたが、軍事機密として指定された文献です。当時の日本陸軍の運用思想を知る上で貴重な研究資料と位置付けることができます。
そこではまず方面軍・軍の作戦において決戦を挑む正面、つまり主力を指向すべき正面の選び方が以下のように述べられています。
これは軍の作戦に関する一般的な議論と解釈できますが、その後で敵軍の一翼に主力を指向するならば、可能な限りこれを大規模に包囲することが望ましい、と戦略的包囲の有効性について記述が見られます。
特に機動力が劣悪な敵軍であれば、戦略的包囲の実施は必ずしも難しくないため、積極的に活用することがよいことを示唆してもいます。
しかし、さらに読み進めていくと、戦略的包囲に伴う運用上の危険に関して一定の注意が払われており、ジョミニの議論になかった注意事項がいくつか付け加えられていることに気がつきます。その注意事項については以下の通りとなっています。
敵軍が反対包囲に動いた際に、これに対処するための予備が必要になるとの指摘がありますが、これは戦略的包囲に対抗するための措置もいろいろと提案されるようになっていたことを当時の執筆者がよく認識していたことを示しています。
戦略的包囲の難しさは20世紀初頭までに理解されるようになっていました。作戦軍の一翼を鉤形に後退させ、新たな正面を形成する方法や、第二線の部隊で反対包囲を仕掛ける、包囲機動を仕掛ける部隊の側面や背後を突破するなど、その方法も多種多様です。
少なくとも学説の上では戦略的包囲は依然として重要な作戦のモデルでしたが、その実行に関しては相当の注意が求められるようになっていました。
それによれば、敵の航空戦力が優勢な場合、我が軍の上空で航空偵察が行われる可能性が高まるため、戦略的包囲を予定した兵力配置が暴露してしまうことが指摘されています。
少なくとも、航空機の出現によって従来の戦略原則の適用範囲に著しい制限が生まれたと考えいてたことは確かでしょう。
これは陸上戦力と航空戦力の統合運用にも繋がり得る重要な知見ですが、その続きを見ると、戦略的包囲の構想が後退し、まったく別の構想が示されています。
少し乱暴な整理の仕方をすれば、方面軍や軍として大規模な戦略的包囲を実施するのではなく、航空戦力の出現といった新たな制約条件を踏まえ、より小規模な戦術的包囲を目指した方が、航空偵察に対しても部隊配置や行動の秘匿が容易であり、成功の見込みが高まるという発想の転換が行われています。
日本陸軍の『統帥綱領』での戦略的包囲の扱い方を見ていると、その意義を認めつつも、かなりの限界を抱えていることも認識されており、特に航空機の出現で方面軍・軍レベルで戦略的包囲のような機動を成功させることの難しさが真剣に検討されていたことがうかがわれます。
戦略的包囲は第二次世界大戦におけるドイツ軍の対フランス攻勢、湾岸戦争における多国籍軍の対イラク攻勢で見られたように、現代の戦争でも依然として使われることがあります。ただ、今回の検討を踏まえれば、それは航空優勢を獲得できていたから可能だったと理解することもできるでしょう。
KT
日本陸軍においても戦略的包囲は知られていましたが、具体的にどのように指導されていたのかに関しては十分に調査されたことがないように思われます。
そこで今回は『統帥綱領』において戦略的包囲がどのように説明されているのかを検討し、戦略的包囲が日本陸軍の思想にどのような影響を及ぼしていたのかを考えてみたいと思います。
戦略的包囲の成り立ちとその影響
もともと戦略的包囲という考え方は19世紀初頭のナポレオン戦争でナポレオンにより確立されたものであり、ジョミニの研究において定式化されました。ジョミニは戦いの原則として、敵軍の背後連絡線を遮断するように戦略機動することの重要性を主張したのです(詳細は学説紹介 シンプルで奥深いジョミニの戦略思想を参照)。
この説はフランス陸軍で広く支持されるようになりました。日本陸軍はドイツ陸軍の研究成果を積極的に受容していたので、ジョミニの影響が日本陸軍にどのような形で及んだのかについては判断が難しいところですが、ジョミニの著作がフランスだけでなく、世界的に広く読まれたことから考えて、文献調査から研究が部分的に受容されたものと推測されます。
その影響を考える手がかりとして注目したいのが『統帥綱領』の内容であり、これは日本陸軍において方面軍・軍司令官のために書かれた教範です。
1928年に刊行されましたが、軍事機密として指定された文献です。当時の日本陸軍の運用思想を知る上で貴重な研究資料と位置付けることができます。
戦略的包囲の意義と限界
今回は、戦略的包囲に関する言及が見られる『統帥綱領』第58条の内容を検討してみます。そこではまず方面軍・軍の作戦において決戦を挑む正面、つまり主力を指向すべき正面の選び方が以下のように述べられています。
「主決戦正面は、我が軍の企図にもとづき、彼我の戦略関係とくに背後連絡線の方向、一般の地形、敵軍の配備及び特性とくに兵団の素質等を考慮してこれを決定す。その時に与えられた任務の内容を踏まえつつも、軍の主力を指向する正面は敵軍の背後連絡線の方向、地形、敵軍の配備、特性などを考慮することとされています。
敵の一翼に主決戦を指向するにあたりては、状況これを許すかぎり、勉めて大規模の包囲を敢行するを要す。正面戦闘は靱強なるも機動力に乏しき敵軍に対しては特に然り」(『統帥綱領』58条1-2項)
これは軍の作戦に関する一般的な議論と解釈できますが、その後で敵軍の一翼に主力を指向するならば、可能な限りこれを大規模に包囲することが望ましい、と戦略的包囲の有効性について記述が見られます。
特に機動力が劣悪な敵軍であれば、戦略的包囲の実施は必ずしも難しくないため、積極的に活用することがよいことを示唆してもいます。
しかし、さらに読み進めていくと、戦略的包囲に伴う運用上の危険に関して一定の注意が払われており、ジョミニの議論になかった注意事項がいくつか付け加えられていることに気がつきます。その注意事項については以下の通りとなっています。
「機動不便なる作戦地にありては、包囲の規模大となるに従い、その効果ことに著しきも、我が包囲にともなう敵の対抗手段を適時に制せんがため、予めこれに備うるの要大なるものあり」(同上、3項)まず、山地のような機動の妨げになる場合や、戦略的包囲の際に移動しなければならない距離が大きくなるのにしたがって、戦略的包囲の実行が難しくなることに対する注意が払われていたことが分かります。
敵軍が反対包囲に動いた際に、これに対処するための予備が必要になるとの指摘がありますが、これは戦略的包囲に対抗するための措置もいろいろと提案されるようになっていたことを当時の執筆者がよく認識していたことを示しています。
戦略的包囲の難しさは20世紀初頭までに理解されるようになっていました。作戦軍の一翼を鉤形に後退させ、新たな正面を形成する方法や、第二線の部隊で反対包囲を仕掛ける、包囲機動を仕掛ける部隊の側面や背後を突破するなど、その方法も多種多様です。
少なくとも学説の上では戦略的包囲は依然として重要な作戦のモデルでしたが、その実行に関しては相当の注意が求められるようになっていました。
戦略的包囲に対する航空戦力の影響
さらに興味深い指摘として、航空戦力が戦略的包囲の成否に与える影響への言及が『統帥綱領』にあります。それによれば、敵の航空戦力が優勢な場合、我が軍の上空で航空偵察が行われる可能性が高まるため、戦略的包囲を予定した兵力配置が暴露してしまうことが指摘されています。
「従って会戦前もしくは会戦の当初すでにこれに適する基礎配置を定むること特に肝要なり。然れども、地形広漠にして敵の空中勢力極めて優勢なる場合にありては、敵軍の意表に出ずるため、往々会戦地に臨み初めて、その配置につかしめざるべからざることあり」(同上、4項)こうした議論から、日本陸軍としても航空優勢が今後の戦略的包囲の成否、引いては戦闘の推移を大きく左右する可能性が認識されていたことが分かります。
少なくとも、航空機の出現によって従来の戦略原則の適用範囲に著しい制限が生まれたと考えいてたことは確かでしょう。
これは陸上戦力と航空戦力の統合運用にも繋がり得る重要な知見ですが、その続きを見ると、戦略的包囲の構想が後退し、まったく別の構想が示されています。
「正面過広なるか、相互の連繫緊密ならざる敵軍に対しては、主決戦をその正面に指向し、まず敵を分断したる後これを包囲に導き、もってその戦果を拡張するを可とすることあり。「正面過多」な敵軍か、「相互の連携緊密ならざる敵軍」に対しては、という条件があるため、これは一概に戦略的包囲を否定する議論ではありません。ただ、戦略的包囲で敵軍の一翼に主力を指向する考え方とはまったく異なるものです。
兵団の接続部は、彼我ともに有形無形上の弱点を形成すること多きをもって、深甚の注意を払うを要す」(同上、5-6項)
少し乱暴な整理の仕方をすれば、方面軍や軍として大規模な戦略的包囲を実施するのではなく、航空戦力の出現といった新たな制約条件を踏まえ、より小規模な戦術的包囲を目指した方が、航空偵察に対しても部隊配置や行動の秘匿が容易であり、成功の見込みが高まるという発想の転換が行われています。
まとめ
戦略的包囲は19世紀を通じて陸軍の作戦のモデルとして注目を集めましたが、20世紀に入るころにはその限界も認識されるようになっていました。日本陸軍の『統帥綱領』での戦略的包囲の扱い方を見ていると、その意義を認めつつも、かなりの限界を抱えていることも認識されており、特に航空機の出現で方面軍・軍レベルで戦略的包囲のような機動を成功させることの難しさが真剣に検討されていたことがうかがわれます。
戦略的包囲は第二次世界大戦におけるドイツ軍の対フランス攻勢、湾岸戦争における多国籍軍の対イラク攻勢で見られたように、現代の戦争でも依然として使われることがあります。ただ、今回の検討を踏まえれば、それは航空優勢を獲得できていたから可能だったと理解することもできるでしょう。
KT
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参考文献
- 大橋武夫『統帥綱領』建帛社、1972年

