ローリングサンダー作戦(Operation Rolling thunder)は1965年に米国が北ベトナムに対して実施した大規模な航空作戦です。
政治史の観点から見れば、米国の大統領に正式に就任したばかりのリンドン・ジョンソン(Lyndon Baines Johnson)が指導した最初の本格的な軍事行動であり、軍事史の観点から見れば北ベトナムに対する最初の組織的な爆撃となりました。
ローリングサンダー作戦において北ベトナムは頑強に抵抗を続け、米軍では多くの損害が出ました。
今回は、このローリングサンダー作戦の事例を通じて防空戦闘の重要性を考えてみたいと思います。
当初の計画では攻撃する地域を北緯19度線以南に限定し、北ベトナムの兵営、レーダー基地、飛行場、弾薬補給処、橋梁、物資集積所を破壊する予定でした。
作戦が開始されたのは3月2日であり、まずエクソン・バン(Xom Bang)の弾薬補給処とクアン・ケ(Quang Khe)の海軍基地に攻撃が加えられました(同上)。
エクソン・バンの攻撃には米軍のF-105が44機、F-100が40機、RF-101が7機、B-57が20機、KC-135輸送機が投入され、南ベトナム軍は19機のA-1H攻撃機でクアン・ケを攻撃しました(同上)。
これらの攻撃で米軍は4機を失ったのですが、そのうちの3機が防空火器(航空機に対して使用する高射砲やミサイルの総称)に対する攻撃で生じていたことが判明しました(同上、151頁)。
そこで、米軍は攻撃部隊の掩護に不可欠な場合を除いて防空火器制圧任務を付与しない方針を定め、また同一目標に多数機で反復攻撃を行うのではなく、少数機で不定期に再攻撃を繰り返す戦術に改めました(同上)。
当初、ジョンソンは軍事行動を政治的観点から統制しようと、米軍が攻撃する全目標を一つずつ確認し、毎日承認を与えていました。
しかし、このような緩慢な作戦指導では、現地の状況に即応できないことが認識され、次第に現場の指揮官に権限が委譲されていきました(ノルディーン、19頁)。
ジョンソンの作戦指導が見直され、また米軍が大幅に戦術を再検討した理由は、北ベトナムの防空弾幕がかつてないほど広範囲かつ高精度であり、攻撃に臨機応変の決断が必要とされたためです。
北ベトナムの「鋼鉄のカーテン」を構成したのはソ連が開発した最新鋭の防空火器でした。1965年の末までに北ベトナムで2000門以上配備されたと見積もられています(ノルディーン、21頁)。
北ベトナム軍が運用した防空火器の種類は多用ですが、その概要は以下のようにまとめることができます。
もし安全を優先するなら、高い高度で進入すべきですが、それだけ発見されやすく、攻撃で必要な奇襲効果が小さくなります。
反対に高度を可能な限り下げて目標に進入すれば、大きな奇襲効果が見込まれますが、敵が混乱から立ち直り、防空弾幕を構成する前に確実に離脱を完了させなければならず、爆撃するチャンスは一回きりということになります。
北ベトナム軍の装備で57ミリ以上の口径の火砲に関してはレーダー管制方式であり、射撃速度では小口径の火器に劣るものの、高精度かつ高威力であることも考慮しなければなりません。
この高度であれば事前に敵に発見されるリスクを減らし、小口径の火器で生じる損害も避けられますが、レーダーに捕捉されてしまうと一撃で撃墜される危険があり、その追尾を振り切るために飛行の方向、速度、高度を急に変更するジンキング(jinking)と呼ばれる操作を行わなければなりませんでした(同上)。
この回避運動には一定の意味がありましたが、ジンキングが可能なタイミングは爆弾を投下した後です。そのため、北ベトナム軍は米軍機の攻撃目標と飛行経路を予測し、米軍機がジンキングする前の段階で火力を指向してきました(同上、22頁)。
公式の戦史の記述によれば、ローリングサンダー作戦で米軍機に生じた損害の80%がこの57ミリ以上のカテゴリーに含まれる防空火器によるものでした(アメリカ空軍省、146頁)。
そこには具体的な実数が示されていませんが、別の資料では1965年に北ベトナム軍は80機の米軍機を撃墜したと報告されています(ノルディーン、25頁)。
つまり、計算の上では80機の80%、つまり64機が57ミリ以上のカテゴリーの火砲で撃墜されたと推計されます。
ローリングサンダー作戦が開始された3月2日から12月2日までの約9カ月の間の損害の平均値をとると、毎月7.1機が失われていたと考えることができます。
このような防空火器の効果は防勢作戦においてのみ効果を発揮するという限界はありますが、その効力は決して見くびることができません。
国力の限界から大規模な航空部隊を編成することができない国民は、防空戦闘の備えを適切にすることの意義を理解しておかなければならないでしょう。
そのような備えがあれば、地上から空の脅威に立ち向かうことは不可能ではないのです。
KT
政治史の観点から見れば、米国の大統領に正式に就任したばかりのリンドン・ジョンソン(Lyndon Baines Johnson)が指導した最初の本格的な軍事行動であり、軍事史の観点から見れば北ベトナムに対する最初の組織的な爆撃となりました。
ローリングサンダー作戦において北ベトナムは頑強に抵抗を続け、米軍では多くの損害が出ました。
今回は、このローリングサンダー作戦の事例を通じて防空戦闘の重要性を考えてみたいと思います。
直ちに認識された北ベトナムの防空能力
ジョンソン大統領がローリングサンダー作戦の実施を承認したのは1965年2月12日のことです(アメリカ空軍省、150頁)。当初の計画では攻撃する地域を北緯19度線以南に限定し、北ベトナムの兵営、レーダー基地、飛行場、弾薬補給処、橋梁、物資集積所を破壊する予定でした。
作戦が開始されたのは3月2日であり、まずエクソン・バン(Xom Bang)の弾薬補給処とクアン・ケ(Quang Khe)の海軍基地に攻撃が加えられました(同上)。
エクソン・バンの攻撃には米軍のF-105が44機、F-100が40機、RF-101が7機、B-57が20機、KC-135輸送機が投入され、南ベトナム軍は19機のA-1H攻撃機でクアン・ケを攻撃しました(同上)。
これらの攻撃で米軍は4機を失ったのですが、そのうちの3機が防空火器(航空機に対して使用する高射砲やミサイルの総称)に対する攻撃で生じていたことが判明しました(同上、151頁)。
そこで、米軍は攻撃部隊の掩護に不可欠な場合を除いて防空火器制圧任務を付与しない方針を定め、また同一目標に多数機で反復攻撃を行うのではなく、少数機で不定期に再攻撃を繰り返す戦術に改めました(同上)。
当初、ジョンソンは軍事行動を政治的観点から統制しようと、米軍が攻撃する全目標を一つずつ確認し、毎日承認を与えていました。
しかし、このような緩慢な作戦指導では、現地の状況に即応できないことが認識され、次第に現場の指揮官に権限が委譲されていきました(ノルディーン、19頁)。
米軍機の進入を阻んだ「鋼鉄のカーテン」
| ソ連製の地対空ミサイルSA-2、ソ連軍は侵入した戦略爆撃機に対して使用するために研究開発した。ベトナム戦争において北ベトナム軍はこの装備で防空能力を大幅に向上させ、米軍の航空攻撃に対抗した。 |
北ベトナムの「鋼鉄のカーテン」を構成したのはソ連が開発した最新鋭の防空火器でした。1965年の末までに北ベトナムで2000門以上配備されたと見積もられています(ノルディーン、21頁)。
北ベトナム軍が運用した防空火器の種類は多用ですが、その概要は以下のようにまとめることができます。
- 12.7ミリ4連装:最大射高1,500メートル、有効射高300メートル
- 14.5ミリ2連装:最大射高2,000メートル、有効射高400メートル
- 37ミリ:最大射高3,000メートル、有効射高420メートル
- 57ミリ:最大射高5,500メートル、有効射高450-1,500メートル
- 85ミリ:最大射高7,500メートル、有効射高1,500-3,000メートル
- 100ミリ:最大射高9,000メートル、有効射高900-6,000メートル(アメリカ空軍省、146頁)
もし安全を優先するなら、高い高度で進入すべきですが、それだけ発見されやすく、攻撃で必要な奇襲効果が小さくなります。
反対に高度を可能な限り下げて目標に進入すれば、大きな奇襲効果が見込まれますが、敵が混乱から立ち直り、防空弾幕を構成する前に確実に離脱を完了させなければならず、爆撃するチャンスは一回きりということになります。
北ベトナム軍の装備で57ミリ以上の口径の火砲に関してはレーダー管制方式であり、射撃速度では小口径の火器に劣るものの、高精度かつ高威力であることも考慮しなければなりません。
やむを得ずリスクをとって攻撃を続行していた米軍
米軍はこの難しい問題に対し、高度4,000フィートから5,000フィート(おおよそ1200メートルから1500メートル)の高度を選択し、レーダー管制方式の防空火器の有効射高で攻撃することを決断しました(ノルディーン、21頁)。この高度であれば事前に敵に発見されるリスクを減らし、小口径の火器で生じる損害も避けられますが、レーダーに捕捉されてしまうと一撃で撃墜される危険があり、その追尾を振り切るために飛行の方向、速度、高度を急に変更するジンキング(jinking)と呼ばれる操作を行わなければなりませんでした(同上)。
この回避運動には一定の意味がありましたが、ジンキングが可能なタイミングは爆弾を投下した後です。そのため、北ベトナム軍は米軍機の攻撃目標と飛行経路を予測し、米軍機がジンキングする前の段階で火力を指向してきました(同上、22頁)。
公式の戦史の記述によれば、ローリングサンダー作戦で米軍機に生じた損害の80%がこの57ミリ以上のカテゴリーに含まれる防空火器によるものでした(アメリカ空軍省、146頁)。
そこには具体的な実数が示されていませんが、別の資料では1965年に北ベトナム軍は80機の米軍機を撃墜したと報告されています(ノルディーン、25頁)。
つまり、計算の上では80機の80%、つまり64機が57ミリ以上のカテゴリーの火砲で撃墜されたと推計されます。
ローリングサンダー作戦が開始された3月2日から12月2日までの約9カ月の間の損害の平均値をとると、毎月7.1機が失われていたと考えることができます。
むすびにかえて
ローリングサンダー作戦は大挙して押し寄せる敵の航空部隊に対し、地上に配備された地対空ミサイルと高射砲がどれだけの戦果を上げることができるのかを明確に示しています。このような防空火器の効果は防勢作戦においてのみ効果を発揮するという限界はありますが、その効力は決して見くびることができません。
国力の限界から大規模な航空部隊を編成することができない国民は、防空戦闘の備えを適切にすることの意義を理解しておかなければならないでしょう。
そのような備えがあれば、地上から空の脅威に立ち向かうことは不可能ではないのです。
KT
関連記事
- 学説紹介 嘉手納を弾道ミサイル攻撃から守り抜けるか
- 学説紹介 航空作戦でも予備は最後まで残しておけ―バトル・オブ・ブリテンの教訓―
- 論文紹介 アメリカ軍による島嶼防衛の限界
- 学説研究 国際政治におけるランドパワーの重要性
参考文献
- アメリカ空軍省『エアー・コンバット:ベトナム従軍パイロットの記録』 難波皎訳、原書房、1982年
- ノルディーン『現代航空戦史事典:軍事航空の運用とテクノロジー』 江畑謙介訳、原書房、1988年