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2017年11月25日土曜日

学説紹介 第一次世界大戦にまで及んだナポレオンの戦略思想の影響

軍事思想の歴史においてナポレオンほど長期的影響を及ぼした人物は見当たりませんし、今後そのような人物が再び登場するということは恐らくあり得ないでしょう。
というのも、彼の思想的影響はナポレオン戦争が終わってから1世紀近くが経った後で起きた第一次世界大戦でさえ見られたためです。

変化が激しい軍事という領域でほぼ100年にわたって強い影響力を維持することは珍しいことであり、ナポレオン自身が著作を書き残していないという事実も総合して考慮すると、軍事学の歴史で他に例がない事象と言えます。(彼の軍事的箴言を別人がまとめて研究資料とした著作はありました)

今回は、ナポレオンの歴史的影響について考察するため、第一次世界大戦の時代のヨーロッパの軍事思想に与えた影響について考察した研究者ピーター・パレットの説を取り上げ、その要点を紹介したいと思います。

ナポレオンの思想は19世紀の軍事理論の基礎の一つ
フライターク・ローリングホーフェン(Hugo von Freytag-Loringhoven, 1855-1924)
ナポレオン戦争の歴史に関する研究で知られている。
パレットは第一次世界大戦の直前に書かれた三つの著作を取り上げ、それぞれの中でナポレオンの軍事思想がどのように取り扱われているのかを紹介しています。

本文では名前が伏せられていますが、パレットが最初に取り上げているのがドイツ陸軍軍人フライターク・ローリングホーフェン(Hugo von Freytag-Loringhoven)です。
彼は軍事史の観点からナポレオン戦争の研究に取り組み、その戦略思想をドイツで紹介する上で重要な役割を果たしました。
「第一次大戦で高級指揮官となるドイツの大佐が1910年に『ナポレオンの統帥とその現代的意義』と題する本を書き、その序言の中で、「ナポレオン時代の多くのものは時代遅れになったが、彼の戦争の研究はわれわれにとって依然として最大の価値がある。なぜなら、これらの戦争の教訓は今日の軍事思想の基礎を形成しているからだ」と宣言した。2年後に、ドイツ参謀本部の戦史部長は、1813年秋の戦役間にナポレオンが出した命令や公式通信文は、「今日においてさえ……すべての種類の軍事活動の実態に迫る無尽蔵の資料の源であり、19世紀の軍事理論の基礎の一つである」と述べた」(パレット、125頁)
フライターク・ローリングホーフェンは、ナポレオンの戦争術のいくつかの側面が今日では陳腐化していることを認めているため、理論と現実のバランスをとっています。
ただし、それでもナポレオンの戦争術が持つ本質的価値が失われることはないと強く確信し、これを学ぶことの意義を強調し続けました。

ちょうど彼はそれができる立場にあり、1887年から96年まで陸軍大学校で軍事史を教えていました。
そこでの教育を通じて、彼はドイツの軍人にナポレオンの軍事思想が持つ普遍的価値を広く知らしめることができたのです。

しかし、ナポレオンの戦争術に注目し続けていたのはドイツだけではありません。フランスでは20世紀に入ってからも、こうした傾向がより強く残っていたのです。

20世紀においてもナポレオンの戦争術は適用可能
20世紀初頭には、コランだけでなく複数の研究者が砲兵火力の飛躍的な増大に伴って戦闘様相が大きく変化する可能性を指摘していたが、この論点に関する学界での見解は必ずしも一様ではなく、ナポレオンの戦略思想の影響は依然としてフランスでは健在だった。
フランス陸軍軍人ジャン・コラン(Jean Colin)はナポレオンの戦争術に関する重要な議論を展開したことで知られており、その中にはナポレオンに対して批判的内容も含まれていました。
しかし、コランは依然としてナポレオンの戦争術には実践的な価値があると考えており、次のように論じています。
「フランスでは同じ時期に、ジャン・コランが、ナポレオンの翼側攻撃と日露戦争の同様な作戦を比較したなかで「われわれはナポレオンの実際の機動を真似することはできないものの、それから感じとるものがなければならない」と述べた。さらに彼は、「ただただ奴隷のように形を真似るだけではなく、それ以上を理解しうる者にとっては、霊感を得るモデル、反省の対象、20世紀においても適用できる考え方を提供するのはやはりナポレオン戦争であろう」とまで述べた」(同上、126頁)
コランは技術的進歩によって戦争の様相が大きく変化しつつあることを認識していた軍事学者であり、ナポレオンの戦争術の実効性を部分的に肯定していた理由はそれほどはっきりしていません。
20世紀の初頭におけるフランス陸軍においてナポレオン支持派の影響力が強かったため、それに反する議論を出すことが難しかったのかもしれませんが、これは推測の域を出ない話です。

もちろん、第一次世界大戦で多くのフランス軍人が戦闘を経験すると、ナポレオンのような19世紀の軍事思想に価値があるのか疑問を呈する声も出てくるようになりました(同上)。
この時点でナポレオンの戦略思想の影響力は消滅すると思われるところですが、第一次世界大戦の後でさえもフランス陸軍ではナポレオンの戦争術を熱心に擁護する論者がいました。

第一次世界大戦はナポレオン的機動
フランスのカモンはナポレオンの戦略を高く評価し、第一次世界大戦の東部戦線でルーデンドルフ(写真)が収めた勝利も彼の「ナポレオン的」な運用によるものだと論じた。カモンはフランスで名が知られた著述家だったが、英米圏では現在に至るまであまり評価されていない。
フランス陸軍軍人であり、参謀本部にも勤務したユベール・カモン(Hubert Camon)は歴史学者としての顔も持つ人物で、業績としては著作『ナポレオンの戦争体系』(1923年)で知られています。
カモンは戦略としての「ナポレオン的機動」を非常に重視しており、第一次世界大戦で成功した作戦はいずれもこの機動を採用していると主張していました。
「しかし、いまや古典的となった考え方を弁護して、フランス参謀本部の将校でかつ歴史家であるユベール・カモン将軍は、ナポレオン的戦略の妥当性が継続していることを再び断言するとともに、さらに、第一次世界大戦の最も成功した作戦に、ナポレオン戦略が直接の影響を及ぼしたと主張した」(同上)
つまるところ、カモンは第一次世界大戦で実施されたあらゆる作戦の成否をナポレオンの思想から説明がつくと考え、第一次世界大戦によってナポレオンが主張したことの妥当性が強いことを立証しようとしたのです。カモンの文章から一部を引用します。
「塹壕戦は初期のドイツ軍の機動(ベルギーを経由した北フランスへの侵入)が阻止されるまでは支配的にはならなかった。この機動は1812年のナポレオンの初期の作戦にヒントを得たものである。この機動が阻止されたのは、1914年に利用可能な手段がナポレオン的機動のシステムを時代遅れのものにしたのではなくて、実行の要領が拙劣だったからだ」(同上)
限りなく後知恵に近い論法だと言わざるを得ませんが、軍事思想史という観点からこの文章の意味を理解すると、20世紀のフランス陸軍においてナポレオンの思想がどれほどの影響力を保持していたのかをうかがい知ることができます。

ちなみにカモンは東部戦線で戦果を上げたドイツ陸軍のルーデンドルフ(Erich Ludendorff)の作戦については「ナポレオン的機動」と評価し、同じくドイツ陸軍のファルケンハイン(Erich von Falkenhayn)についてはナポレオン的機動を理解できていなかったと批判しています(同上)。

カモンの議論はあまりにも画一的、一面的な解釈であり、現代の歴史学者、軍事学者でカモンの説を支持する論者はいないでしょうが、20世紀に「ナポレオンの亡霊」がヨーロッパで勢力を残していたことを示す言説として興味深い内容だと思います。

むすびにかえて
パレットの研究は、第一次世界大戦の軍事学者の間でさえ、ナポレオンの思想的影響が根強く残っていたことを明らかにしています。
しかし、パレットはそれほどまでにナポレオンが影響力を残した理由については十分に明らかにはできていません。

パレットが仮説として述べているのは、当時の世界の軍事思想の潮流として、兵力の集中と絶対的勝利に対する固執、つまり限定戦争を拒否する軍事思想に、歴史的な権威や承認を与える必要があったのではないか、という可能性です。
確かに20世紀初頭になると、もはや全面的な戦争は不可能という考え方が出始めていました。こうした思想に抵抗しようとする人々にとってナポレオンは都合のよい偶像だったのかもしれません。

これはあくまでも仮説の一つに過ぎず、パレット自身も「これらすべては推測である」と述べています。ナポレオンが20世紀初等の軍事学の動向に与えた影響をより詳細に明らかにすることが将来の研究課題の一つと思われます。

KT

関連項目
学説紹介 5つのポイントで分かるナポレオンの「戦略的包囲」
文献紹介 なぜナポレオンは強かったのか
学説紹介 ナポレオン革命を準備した18世紀フランスの軍事学

参考文献
ピーター・パレット「ナポレオンと戦争の革命」ピーター・パレット『現代戦略思想の系譜 マキャヴェリから核時代まで』防衛大学校・「戦争・戦略の変遷」研究会訳、ダイヤモンド社、1989年、111-128頁