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グローバル経済において「経済戦」への備えが求められている

2020年7月、ランド研究所の研究員ハワード・シャッツ(Howard J. Shatz)が、軍事的な目標を達成する手段として経済力を活用する方法を考察した研究成果を発表しています。 Shatz, H. 2020. Economic Competition in the 21st Century , Research Report, RAND.( https://www.rand.org/pubs/research_reports/RR4188.html ) シュッツは国家間の経済的競争を経済的観点から分析しているだけでは不十分であり、政治的・戦略的観点から考察することが欠かせないと考えました。 これは国際政治学、あるいは国際政治経済学の視点です。シュッツは経済システムの問題は、生産性を向上させ、人々の生活を豊かにする方法を明らかにすることだけにとどまらないと考えました。 他国が経済力を政策手段として運用した場合、自国にどのような経済的影響が出てくるかを考慮した上で経済政策を考えなければならない というのがシュッツの基本的な立場です。 例えば、国際貿易の問題をめぐっても、単に貿易相手に対する自国の比較優位を判断し、生産性が高い財やサービスに生産要素を集中すればよいという問題ではありません。 なぜなら、どちらの国の製品規格を国際標準として定めるかによって、その後の貿易でどちらの国の事業者が優位に立てるかが大きく左右されるためです。この国際標準の問題に関しては中国が強い関心を持っているとシュッツは指摘しています。 「標準は企業の競争力に影響を与える可能性があるため、中国は国際標準を定める国際機関への参加を増加させてきた。中国の標準設定の取り組みは、民間部門が開発した自主的な標準に依拠せず、政府主導の規制に依拠する傾向があるため、その標準は義務的なものである。これが競争に与える影響はさまざまに考えられる」(Shatz, 2020: 28) 中国は一帯一路構想によって巨大な経済圏を構築することを目指しており、もし中国が設定した国際標準がこの経済圏で取り入れられることになれば、中国の事業者はこの経済圏において大きな優位を占めることが可能になります。現代の国際社会において経済的手段がどのように行使されるのかを示す事例と言えます(Ibid)。 このような可能性を考慮すれば、経済政策...

新型コロナウイルス感染症がもたらす政治的・経済的リスクの予測が進んでいる

2020年3月11日に世界保健機関事務総長が新型コロナウイルス感染症の世界的な広がりを「パンデミック」と呼んでから、1カ月が過ぎました。 多くの国々の努力にもかかわらず、社会的、経済的な損失は依然として拡大し続けており、その影響の深刻さは2008年の金融危機を凌駕します。 わたしたちは2020年以降の世界情勢のトレンドが劇的に変化することを覚悟する必要があり、その際に経済的な変化だけでなく、政治的にも重大な変化が出てくることを考慮する必要があります。 この問題に関する研究は始まったばかりですが、イギリスのシンクタンク国際戦略研究所(IISS)に所属する ロバート・ウォード が政治的、経済的リスクについて予測を立てている記事を紹介したいと思います。 Robert Ward, The global coronavirus crisis – an uneven recovery and rising political risk , International Institute for Strategic Studies, 9th April, 2020( https://www.iiss.org/blogs/analysis/2020/04/gstrat-coronavirus-crisis-and-rising-political-risk )4月12日アクセス確認 (注意:本稿の内容は専門家が立てた予測であり、確定された将来の事象を記述しているわけではありません) 打撃は深刻だが、その被害の程度は国ごとに異なる ウォードは世界中で政治状況が不安定になり、政治的リスクが急激に高まるという予測を立てています。単に各国の財政的な基盤が脅かされるだけでなく、各国政府が国内の経済的問題を解決するため、多国間協調が困難になっていくためです。 まず、新型コロナウイルスのパンデミックで世界中の国内総生産が急激に減少しています。これほど経済活動が縮小しているのは2008年から2009年の金融危機以来ですが、2020年の世界は2008年の当時よりもはるかに脆弱な状態でこの危機に突入してしまったことを考慮しておく必要があるとウォードは指摘しています。 2020年の経済的崩壊の速さは2008年の危機をはるかに凌駕しており、3月中旬以降にアメリカで急増してい...

学説紹介 マハンが語る植民地建設の戦略的理由:ケープタウン、セントヘレナ島、モーリシャスの事例から

歴史上、海洋国家と呼ばれる勢力は植民地を確保することに多大な努力を払ってきました。ポルトガル、スペイン、オランダ、フランス、イギリスなどの国々は、いずれも海洋に勢力を拡大するにつれて海外に植民地を獲得してきた歴史があります。 一般的にそうした植民地は経済的利潤のために建設されたと考えられていますが、時として本国とほとんど往来することができないほど遠くの産業的価値が乏しい小さな島嶼にさえ植民地が建設された事例もあります。 アメリカの海軍軍人、著述家の アルフレッド・セイヤー・マハン (Alfred T. Mahan)は、海軍戦略に関する著作を数多く残した人物であり、植民地の意義を軍事的に考察したことでも知られています。今回は彼の海軍戦略の学説を踏まえ、植民地が戦略の観点からどのような機能を果たしているのかを説明してみたいと思います。 「通商は安全な海港に依存する」 アルフレッド・セイヤー・マハン、米国の軍人、著述家、歴史家。『海上権力史論』をはじめ、海軍戦略に関する著作を多数執筆している。 マハンの戦略思想の特徴は、海軍それ自体を独立した組織として考えるのではなく、海洋産業、特に海運と不可分の関係にある組織と見なす点にあります。この立場は「狭義の海軍は、商船が存在してはじめてその必要が生じ、商船の消滅とともに海軍も消滅する」という言葉でよく示されています(マハン、43頁)。 もちろん、侵略的政策をとる国が純粋に軍事上の必要のためだけに艦隊を建設する可能性はあることをマハンは認めていますが、基本的に海軍の艦艇は船舶を保護することが目的としており、そのことによって海上交通路を確保するのです(同上)。 つまり、海軍の戦略は、その国の商船がどの航路を往来しているかによって左右されてきます。もし内航船ばかりなら、海軍の任務や活動すべき範囲もそれに応じて縮小しますが、外国との海上貿易が増加し、外航船を保護する必要が出てくると、海軍もまた外洋に進出せざるを得なくなります。ここで港湾が必要となってきます。 「商船や軍艦が自国の海岸から外に出ていくようになると、やがて平和な通商や避難、補給のために、艦船が頼ることのできる地点が必要だと感ずるようになる。今日では、外国の港ではあっても友好的な港は世界中いたるところにある。また平和が続く間はそれらの港...

学説紹介 ハブ空港整備の戦略的重要性―航空戦略家ドゥーエの考察を中心に―

陸海軍から独立した空軍の創設を呼び掛けたことで知られる軍事学者に、イタリアの軍人 ジュリオ・ドゥーエ がいます。 彼は軍事的見地だけでなく、国家的見地から航空問題について考察したことでも知られていますが、その議論の中にはハブ空港の重要性に関するものが含まれています。 今回は、ドゥーエがイタリアの地政学的立場を踏まえた航空戦略を実行に移すに当たり、民間航空の発達が重要であること、そして航空路線の収束点を国内に確保することを主張したことを紹介したいと思います。 政府主導で航空路線を整備する必要性 ジュリオ・ドゥーエ、イタリアの軍人であり、戦場に導入して間もない時期に、航空機の軍事的な重要性にいち早く着目した功績で知られている。 もともとドゥーエは政府だけの力で航空を成長させることはできないという考えの持ち主でした。 航空機を保守、製造するための産業基盤、技術基盤を政府の国防予算だけで維持することは困難な状況があり、ドゥーエとしても深刻にこの問題を受け止めていたためです。 そのため、あらゆる航空機能を空軍に管理させるべきではなく、軍事的に直接必要ではない機能については民間航空の手に委ねることをドゥーエは推奨していました。 「私が民間航空について述べるのは、国防のために国が民間航空の発達を助長すべきことを示すためである。民間航空の活動には、国防に直接役立つものと、間接的に役立つものとがある。民間の能力が低下しないよう、国防当局は後者の分野には関係してはならない。当局は国家全体に関心を持たなければならない。しかし、国防に直接役立つ活動は、国防機関の権能に属すべきである」(邦訳、ドゥーエ、121頁) つまり、官民が一体となってイタリアの航空を発達させるというのがドゥーエの基本思想だったのですが、航空運輸の前提となる航空路の整備と開放については政府が取り組むべき問題としていました。 航空路線の整備は単に離発着できる滑走路の整備だけではなく、緊急着陸場、通信設備、整備拠点などを含めた包括的な環境整備が必要であり、長期的観点から計画的に投資する必要が出てくるためです(同上、131頁)。 このような理由から、ドゥーエはイタリアの地政学的位置関係を踏まえ、政府としてどの方面の航空路を重視すべきなのかについて考察しています。 ヨーロ...

事例研究 第一次世界大戦のドイツを苦しめた食料問題

「腹が減っては戦はできない」という言葉はよく知られています。 つまり、広大な領土を持ち、世界に誇る工業力、軍事力を備えた国家であっても、ひとたび食糧難に直面すれば、敗北してしまうという意味です。 ドイツ人はこのことは第一次世界大戦で身をもって知ることになりました。 今回は、『総力戦』の著者であるドイツ陸軍軍人エーリヒ・ルーデンドルフ(Erich Friedrich Wilhelm Ludendorff, 1865-1937)が、戦時中の食糧難の問題についてどのように考察していたのかを紹介してみたいと思います。 食料確保が戦略の目標となる 第一次世界大戦が勃発した1914年当時、ルーデンドルフは西部戦線で第2師団を指揮していましたが、東部戦線で功績を上げた後で1916年に参謀次長(後に第一兵站総監に改称)に就任しており、ドイツ軍の戦略に直接責任を負っていた人物です。 戦後に出された『総力戦』はそうした経験が反映されており、兵力の展開、移動、集中といった古典的な戦略問題も考慮されているのですが、特に興味深いのは戦時経済に関する考察です。 それを読むと、食料問題についてルーデンドルフが大きな関心を払いながら戦争を指導していたことが分かります。 「ドイツで、人への食料と、家畜への飼料の供給が世界大戦中にどれほど深刻なまでの展開していったのかは、世界大戦を意識的に体験した世代にとっては記憶にまだ新しいであろう。少なくとも人間用の食料と可能であれば飼料についても必要量を確保しようとする努力を正しく評価するために、このことは記憶にできる限りしっかりとどめておかなければならない」(邦訳、ルーデンドルフ、64頁) 食糧難が具体的にどのような影響をもたらしのかを説明するために、ルーデンドルフはルーマニアとウクライナでのドイツ軍の作戦について次のように書き記しています。 「例えば、後者(飼料のことを指す)の不足がどれほど深刻なものであったかは、私が東部で少なくとも胃袋を満たすことができるように馬用の資料におがくずを混ぜなければならなかったことから理解できる。その際に、馬の体力と健康が低下したことは、その深刻な帰結であった。ルーマニアが我々へ宣戦布告した後、対ルーマニア戦をワラキアの獲得まで継続するという私の決意は、同盟国の困難な食糧供給に関す...

貿易で世界が平和になるとは限らない

国際関係論の研究では、貿易によって国家間の経済的な相互依存が強化されれば、戦争が勃発して貿易が不可能になった際に相互に不利益となるため、その結果として平和を維持しやすくなる、と考える立場があります。 これはリベラリズム(liberalism)として以前から知られている学説であり、コヘインやナイ等の研究者によって主張されています(Kohane and Nye 1972, 1977)。 確かに貿易関係の強化が戦争を困難にするという可能性は注目に値するものですが、だからといって経済的相互依存によって平和を維持することが可能になるという考え方がどこまで妥当するのか疑問も残ります。 今回は、この問題を批判的立場から考察するため、20世紀に国際政治の研究で先駆的業績を残したイギリスの外交官エドワード・ハレット・カー(E. H. Carr)の議論に注目したいと思います。 平和が常に各国の共通利益とは限らない 19世紀に後れて統一を果たしたドイツはその成立当初から英仏の勢力圏に挑戦しなければ、自国の植民地を拡大できない状況にあった。1911年4月、モロッコの利権をめぐって英仏西との関係が悪化した第二次モロッコ事件では、軍艦を現地に派遣し、全面戦争も辞さない構えを英仏に示すことで、独領カメルーンを獲得している。 リベラリズムにおいて、戦争は必ずしも国家の 政策を遂行する合理的な方法とは考えられていません。 つまり、国家にとって戦争を遂行するために必要な人的、物的な損害は、その国家が目指す国益をかえって損ねる側面が大きく、結局のところ平和を維持する方が国家として目標を達成しやすいことになります。 こうしたリベラリズムの戦争観(もしくは平和観)について、カーは次のように説明しています。 「利益調和の理論は、政治的には通常次のような考え方に立っていた。すなわち、すべての国家は平和に同一の利益を持っていること、したがって平和を阻もうとする国家はすべて、理性も道義もないのだ、ということである」(カー、114頁) しかし、このような単純化は国際社会の実情から乖離しているとカーは批判しています。 確かに武力を用いずに国家がその政策を遂行することは、多くの国家が望ましいと考えるかもしれません。 しかしそれは国際社会の「現状」を変えようとする諸国と、維持...

論文紹介 ローマ帝国の衰退と国家社会主義の限界

ローマ帝国が滅亡に至った原因は研究者の間でも長らく論争が続いてきた研究テーマであり、かつてはキリスト教の誕生を原因と見なす説もありましたが、現在では財政の破綻がローマの存続を不可能にしたのではないかと考えられるようになっています。 これはつまるところ、ローマは5世紀には自らを守るために必要な武器、兵士、要塞、軍船に伴う公的支出に耐えきれなくなり、外部からの軍事的侵攻を許してしまった、という説です。 もしそうだとすれば、なぜローマの財政はそれほど危機的状況に陥ってしまったのでしょうか。 今回は、ローマ帝国の滅亡を引き起こした国家財政の危機を国家社会主義の限界として考察した研究を紹介したいと思います。 論文紹介 Bruce Bartlett. 1994. "How Excessive Government Killed Ancient Rome," Cato Journal , Vol. 14, No. 2(Fall 1994), pp. 287-303. 初期におけるローマ帝国の自由放任 アウグストゥス(前63-14年)ローマ帝国初代皇帝。 常備軍を設置し、親衛隊を創設するなどの軍制改革をはじめ、税制と通貨の改革、都市設備の大規模な改修などの事業に取り組み、その後のローマ帝国の基礎を整えたことで高く評価されている。 この論文の特徴は、ローマ帝国の衰退を国家社会主義体制の限界と結びつけて説明している点にあります。ローマ帝国の歴史は初代皇帝アウグストゥスが即位した前27年に始まりますが、当時のローマでは政治権力の集中が強化されたにもかかわらず、経済的自由は拡大される傾向が続いていました。 アウグストゥスはローマで民間部門の成長を促進するため規制緩和に取り組み、またローマで続いてきた徴税請負人に特定地域から物納で税を取り立てる権利を売却するタックス・ファーミングを廃止し、貨幣による徴税に切り替えました(Bartlett 1994: 288)。 エジプトの事例のように、経済的自由がローマ帝国の全土で確保されていたわけではありませんでしたが、銀行業の規制緩和によって多くの銀行が設立され、それに伴って民間事業が拡大したことはローマの経済成長を大いに推進することになったと考えられています(Ibid.: 289)。 また...

論文紹介 オフショア・コントロール(Offshore Control)とは何か、日本の視点から

中国が 接近阻止/領域拒否 の能力を強化していることを受けて、 エアシー・バトル という構想で米国はこれに対抗すべきという議論が研究者の間で議論されたことは、以前の記事で説明した通りです。 しかし、最近の戦略論争ではエアシー・バトルの構想に対して批判的立場を取る研究者も少なくなく、近年の米国国内の政治情勢が国防予算の増額を妨げている以上、より現実的な戦略を策定する必要があるという論調が見られます。 今回は、このエアシー・バトルの代替案となる戦略としてオフショア・コントロール(Offshore Control)の実効性を主張した研究の要点を紹介したいと思います。 文献情報 Hammes, Thomas X. 2012. "Offshore Control: A Proposed Strategy for an Unlikely Conflict," Strategic Forum , National Defense University, SF No. 278, (June), pp. 1- 16. http://www.dtic.mil/dtic/tr/fulltext/u2/a577602.pdf (Accessed, 2016 Feb. 4) 中国が核保有国である事実は見過ごせない エアシー・バトルとオフショア・コントロールの違いとして興味深いのは、オフショア・コントロールが米中間で核のエスカレーションが発生する危険をより重視している点です。 中国は核保有国であり、弾道ミサイル攻撃を行う能力があるのですから、政治的決断が下されれば通常兵器による戦争を核兵器による戦争へと移行させることが理論上は可能です。 したがって、米国が対中戦略を考える際には、以下のような想定を置くことが必要であると著者は論じています。 前提(1)中国の側が紛争を開始する。 前提(2)中国との紛争は長期化する。 前提(3)米中の大規模紛争は世界経済に甚大な損害を与える。 前提(4)米国は中国の核使用に関する意思決定過程を理解していない。 前提(5)宇宙及びサイバー空間では第一撃が大きな優位性をもたらす(Hammes 2012: 3-4)。 これらの想定を踏まえれば、米国が中国を全面的に攻撃するような戦略は実行不可能です。 ...

「平時」の戦略を確立した政治学者バーナード・ブロディ

現代の安全保障環境は必ずしも武力を直接的に使用することができる状況にはありません。一度、戦争状態に入れば彼我が受ける損害は極めて甚大なレベルとなり、政治的目的を達成するにはあまりに軍事的負担が大きくなりすぎるためです。 これを避けるために、現代の戦略家が重視するのは武力の間接的な使用であり、強制外交や抑止がこれに当たります。 こうした時代の要請に応じて戦略の考え方を大きく見直す必要が生じたのは冷戦期に入ってからのことでした。今回は、冷戦期に新たな戦略の理解を確立することに寄与した ブロディ (Bernard Brodie)の戦略理論の一部を紹介したいと思います。 バーナード・ブロディとは誰なのか バーナード・ブロディ(1910-1978) 「米国のクラウゼヴィッツ」、「核戦略の創始者」と称される米国の政治学者。 彼が構築した抑止に基づく戦略理論は現在の安全保障学の研究の基礎となっている。 ブロディは戦略研究の方面で世界的に名前が知られた政治学者ですが、日本で彼を知る人はそれほど多くないため、簡単にその略歴を述べておきます。 彼は1910年にロシア帝国から米国に移り住んだユダヤ人の家庭に生まれ育ち、1940年にシカゴ大学で政治学の研究で博士号を取得しています。 第二次世界大戦では米海軍で作戦本部に勤務し、終戦後にはイェール大学を経て1951年にランド研究所に入所しています。 このランド研究所で行っていた核兵器の運用に関する戦略研究は、1954年の学会報告で知られるようになりました。 ブロディは核の時代における軍事力の意義は戦闘に勝利することではなく、抑止を有効にすることであると主張し、この考え方はその後の安全保障学の研究者に大きな影響を与えることになりした。 その後も数多くの研究を残していますが、1966年からカリフォルニア大学で政治学・国際関係論を教えており、1978年に死去しました。 「戦略にはドルマークがついている」 ブロディは核の時代に備えるべき戦争とは限定戦争であり、国家の限られた資源をどのような武器体系の開発に配分するかが戦略的な重要性を持つようになると考えていました。 つまり、国家が編成する防衛予算の規模とそれを配分する方法こそが戦略の中心的な課題として考察しなければならないと指摘...

プラトンは戦争の原因をいかに説明しているのか

世界で最も有名な哲学者であるプラトン(前427年-前347年)は哲学者(知を愛する者)こそが権力者とならなければ、国家は不正から逃れることができないと論じたことで知られています。 当時、プラトンがいた都市国家アテナイの政治体制は民主制でしたが、プラトンは民主制が個々人の私益のために暴走する傾向を持ち、また矛盾と混乱に満ちているとして批判的立場をとっていました。それゆえ、国家を適切に指導する能力を持つ哲学者でなければ権力を掌握するべきではないと考えていたのです。 このようなプラトンの政治哲学はよく知られていますが、今回はプラトンの政治哲学を踏まえた上で、彼が戦争の原因をいかに説明していたのかを紹介してみたいと思います。 アテナイの政治情勢と哲人政治の必要性 当時のアテナイでは民会と呼ばれる市民集会の議決によって政策が策定されていました。民会に出席する議員はアテナイ人を両親に持つ30歳以上の成人男性でなければならず、自由市民としての身分を持ち、また有事においては兵士として従軍する義務を負わなければなりませんでした。 したがって、常備軍は編成されておらず、官僚制に関しても市民がくじ引きで任期ごとに分担しているという状態でした。 言い換えれば、当時のアテナイ市民は兼業として政務に従事しており、政治権力に対するアクセスが容易でした。このことが市民同士の権力闘争を加速させており、プラトンは強い問題意識を持っていたのです。 権力闘争によって国家の結束が損なわれる危険性を除去し、人々が財産や名誉等の短期的な利益ではなく、知恵や謙虚さ、公正さといった重要な美徳に沿って善い人生を送るためには、哲学者(つまり徳の重要性を理解している知識人)が国王の地位に就き、その合理的な判断の下に人々の思想と行動を統制することが重要である、とプラトンは考えました。 しかし、王と言ってもその哲学者は世襲制であってはならないとプラトンは主張しています。 その結果、プラトンの政治哲学では、男女分け隔てなく、あくまでも実力主義に基づいて国民を知的能力に優れた最適者、戦闘能力に優れた守護者、そしてその他の民衆に区分する国家の理想的モデルが提案されています。 現代の研究では、このようなプラトンの政治思想を民主主義の批判に基づく全体主義の擁護として解釈する見方もありますが、その...

学説紹介 アリストテレスが語る、政治の逆説的論理

政治学を一般化するならば、それは国家を統治するさまざまな技術を研究する学問であり、国家を政治的に安定化させ、内戦や反乱が発生することを未然に防止する方法もその研究対象に含まれています。 今回は、アリストテレスの政治理論を中心に国家の安定を促進する技術に関する説明を紹介したいと思います。 政治の要諦は上流階級と下流階級の利害調整にある アリストテレスの説によると、ある国家で内戦や革命が起きる原因は財産や地位の配分方式に不平等があることです。 つまり、その国家の構成員の間で地位や資産の配分方式について著しい不公平感があると、その不公平を是正し、適正な配分方法を再設定するために、武力または謀略という手段を行使して内戦、反乱などの政情不安が引き起こされるということです(邦訳、205頁)。 アリストテレスはこのような問題が生じる背景には、あらゆる国家で資産を多く持つ上流階級と、資産をあまり持たない下流階級がさまざまな割合で存在していることが関係していると指摘しています。 上流階級に属する人々は自分たちの能力を下流階級の人々より優れていると考える傾向があるため、平均よりも多くの富が配分される制度を要求しがちです。 それとは反対に下流階級の人々は本来であれば自分たちと平等であるべき上流階級の市民たちが、自分たちよりも多くの富の配分を受けていると考えたがる傾向を持っています(同上、210-11頁)。 その結果、両者が共通の政策を決定し、国民一体となって行動を起こすには、上流階級と下流階級の利害を巧妙に調整する技術を用いることが権力者にとって不可欠となるのです。 民主制では上流階級に、寡頭制では下流階級に配慮せよ 次に、その具体的な対策を明らかにしなければなりませんが、アリストテレスはその国家の政治体制が民主制なのか、寡頭制なのかによって権力者は異なる対策を選択すべきだと論じていました。 その議論によれば、政治体制が民主的であるほど、少数の上流階級の利益を重視するべきであり、反対に政治体制が寡頭的であるほど多数の下流階級の利益を重視しなければならないことが主張されています。 これは一見すると、政治体制の特性に反して逆効果のようにも見えますが、アリストテレスがこのように主張したことには理由があります。 「貴族制国家のなかには、いや...

論文紹介 米国のオフショア・コントロールと日中貿易のリスク

オフショア・コントロール(offshore control)とは、現在米国で研究が進んでいる対中戦略の一種です。 すでに中国は第一列島線、第二列島線によって地理的に区切られた防衛圏を形成する構想を明らかにしており、近年の中国の海洋進出はこのような構想を実現するための活動と考えられています。 中国が設定する第一列島線と第二列島線の位置関係。 (平山2014: 11)より引用。 この中国の戦略に対抗するため、米国では当初、海軍と空軍の協同連携によって中国の重層的な防衛線を潜入突破することを目指す戦略構想、エアシー・バトルの研究が始まりました。 しかし、予算見積の結果を受けて、エアシー・バトルは国防予算の制約上、実行可能性に乏しいことが批判されるようになりました。 結局2015年現在では抜本的に戦略の見直しが進められることになっており、そのエアシー・バトルの代替案として浮上したのがオフショア・コントロールです。 今回は、海上自衛隊幹部学校から出されている研究論文を紹介し、特に日本の立場からオフショア・バランスを考察した部分を中心に紹介します。 文献情報 平山茂敏「オフショア・コントロール戦略を論ずる―「戦争を終わらせるための戦略」と日本の選択」『海幹校戦略研究』2014年6月(4・1)6-26頁 (http://www.mod.go.jp/msdf/navcol/SSG/review/4-1/4-1-2.pdf) この論文は、米国のオフショア・バランスがどのような戦略であるのかを解明するために、この構想の提唱者である米国防大学のハメス(T. X. Hammes)の研究内容を調査しています。 その調査結果をまとめると、オフショア・コントロールとは中国と米国の限定戦争を想定した上で次のような構想が盛り込まれています。 (1)中国の沿岸から第一列島線までの海域に潜水艦部隊等を進出させ、中国海軍がその海域で海上優勢を確立することを拒否する。 (2)中国の第一列島線上に位置する海域または空域を防衛する。 (3)第一列島線から外側の海域または空域に対する支配を強化し、特に中国の船舶に対してはチョークポイントを封鎖する。 チョークポイントの封鎖はいわば中国の軍艦、商船の両方を海上交通路から排除するという海洋戦略であり、米中の対立が...

アダム・スミスが考える防衛意識の問題

近代経済学の確立に寄与したアダム・スミスの名前は日本でもよく知られています。 しかし、アダム・スミスが「国防は富裕よりもはるかに重要である」と指摘し、国防問題に重大な関心を寄せていたことは、それほど注目されていません。 今回はアダム・スミスによる適切な軍事制度に関する考察から、防衛意識に関連する部分を紹介したいと思います。 まずスミスは富の蓄積が近隣諸国の侵略を誘発する危険を高めることを認識していました。 そこで経済力の増大に応じて国家は自らの国富を守るための軍隊を整備する必要が生じます。しかし、防衛体制を整えるにあたり、国民は二つの政策選択に直面すると考えられました。 「それは第一に、非常に厳しい政策をとって、人民の利害関心や天分や好みの傾向などすべておかまいなしに、軍事教練の実習を強制し、兵役適齢期の市民全部、あるいはその一定数を、かれらがたまたまどんな商売なり職業なりを営んでいようと、ある程度まで軍人の職業を兼ねるように義務づけることができよう。さもなければ、第二には、一定数の市民を養い、雇用して、軍事教練を常時実習させておくやり方で、軍人という職業を他のいっさいの職業から独立した別個の一特殊職業とすることができよう」(邦訳3巻14頁) スミスがここで検討した選択肢のうち前者は市民兵を中心とする軍事制度であり、後者は職業軍人を中心とする軍事制度に対応しています。 いずれの選択が経済先進国の安全保障に適しているのか、という疑問についてスミスははっきりと後者を支持しました。 その理由は軍事的専門性の技術的な高度化です。 スミスはさまざまな生産現場で分業化が進むと、技術革新が促進され、それに応じて軍事技術も高度化することを知っていました。 これを言い換えれば、経済成長が進んだ国では、戦闘員の教育訓練に必要な時間や費用が必然的に増大するということです。 ここまでの議論はおおむね私たちの直感とも一致するものでしょう。 しかし、スミスは職業軍人に国防をまかせることによる弊害について考慮しておくことも必要であると同時に考えていました。 なぜなら、国防に触れることなく、各人が自分の専門化された仕事にだけ打ち込むような近代社会では、公共のために武勇の精神を発揮する機会に乏しく、防衛意識が大いに低下すると考えられるためです。 この議論...

徴兵制と志願制、どちらを採用すべきか

軍事力を構成する有形無形の資源を調達する方法を選択することは、軍事行政の基本問題の一つです。 今回は、人的資源を獲得する上で重要な兵役制度に注目し、これを徴兵制と志願制に区分した上で、それぞれにどのようなメリットとデメリットがあるのかを説明してみたいと思います。 まず徴兵制の特徴は人的資源を安定的に獲得する機能に優れた兵役であるということです。 これは戦争が極めて長期化している状況において重要な意味を持っています。前線で発生する人的損失を回復する能力が国家として優れていれば、長期間にわたって持久戦を遂行することが可能です。 しかし、若年労働者を徴兵することによって、労働市場での供給が縮小し、企業は生産力を拡充する際に必要な新規人材を獲得するための費用が増大してしまいます。これは経済成長を阻害する要因として作用します。 さらに徴兵制の大きな問題となるのは、登録、選抜、訓練など徴兵業務に関連する管理費用が肥大化する傾向があることです。これは、武器や装備の近代化に投下できる軍事予算が相対的に減少してしまうことを意味しています(Fisher 1969; Oi 1967)。 そうなると、軍隊の組織構造として一人あたりに投下できる武器や装備の量または質を低下させなければなりません(Hansen and Weisbrod; Fisher 1969)。 したがって、徴兵制が望ましいかどうかは、その国家が採用する軍事教義の内容によって異なると思われます。 ここでは、大規模な陸上戦力により長大な戦線を長期間にわたって維持し、かつ人海戦術のような戦闘の方式をとるのであれば、徴兵制は重要な選択肢である、とだけ述べておきます。 次に志願制の特徴に移ると、この制度では各労働者が自己の選択として兵役に就くものであるため、管理業務に要する費用の肥大化を抑制する効果があります。 軍隊が戦闘を遂行する上で武器や装備に依拠する比率を高めることになれば、次々と大量の新兵に短期的な教育訓練を実施していくよりも、少数の新兵により専門的な教育訓練を実施し、また可能な限り昇進させようとする傾向がもたらされます。 そのため、志願制は人数が少数であったとしても、高度な専門技術を持つ部隊を強化したい場合には有用な兵役制度であるということが言えます。 しかし、志願制の問題は、軍...

文献紹介 戦時経済の問題とは何か

兵站はしばしば軍事兵站のことだけを指して用いられますが、近代以降の戦争においてこの理解は間違っています。 なぜなら、近代戦争は自然とその国家の経済力を総合発揮することが必要とされるため、国民経済の総体を広い意味で兵站の一部として管理する場面が多く出てくるためです。 このような経済システムは研究者からしばしば戦時経済または戦争経済と呼ばれています。 今回は、戦時経済の問題について考えるための参考として、第二次世界大戦時に執筆されたドイツの戦時経済に関する著作を紹介したいと思います。 文献情報 Oesterheld, Alfred. 1940. Die deutsche Kriegswirtschaft, Leipzig: Felix Meiner Verlag.(邦訳、エスターヘルト『独逸の戦争経済』独逸文化研究会訳、日光書院、1940年) この著作は戦時経済の研究書というよりも概説書と位置付けるべきもので、解説されている事柄は生活物品から鉱業資源、金融商品にまで多岐に渡ります。 個々の記述は要約的なものですが、戦時経済の全体像がよく整理されています。 まず戦時経済への転換ついて見てみると、第二次世界大戦が勃発した当時、ドイツ政府は直ちに労働力の再編成のため数十万名にも上る男女の職場移動を実施しました(前掲、2-3頁)。 このような大規模かつ急激な転職を可能にしたのは、平時からドイツで実施されていた非熟練労働者に対する職業訓練計画でした。 非熟練労働者に新開発された産業技術を事前に指導しておく訓練を実施しておくことで、戦時経済に転換した後に製造や運輸などの作業場で迅速に適用できるように準備することができました(前掲3頁)。 ベルリン市の状況を見ても、独ソ戦が始まる1940年までに、およそ50万名の男女が企業の内部または外部における研修を受けており、ドイツが戦時経済での労働力の運用に柔軟性を準備していたことが分かります(前掲、4頁)。 また企業の側に注目すると、戦時経済への転換した際に激増する受注に対処する必要がありました。 この問題についてもドイツでは平時からの措置が講じられていました。 防衛産業だけでなく多数の一般企業に軍需生産に関連する仕事を発注しておくことで、潜在的な防衛生産体制を構築する努力をしていたのです。...

文献紹介 征服によって利益は得られるのか

国際関係論では外国を征服することが国民に利益をもたらすかどうかが一つの論点となっています。 一般に武力で外国を征服しても軍事支出が膨らみ、治安維持が難しいため利益を上げることは難しいと考えられがちですが、歴史上の事例では征服で利益を上げることは不可能ではないことが示されています。 今回は、経済的な利益という観点から征服という対外政策について考察した国際関係論の論文を紹介したいと思います。 文献情報 Liberman, Peter. 1993. "The Spoils of Conquest," International Security , 18(2): 125-153. 1.論争 2.自由主義者の議論 3.現実主義者の議論 4.結論 武力によって外国を征服することが利益となる、という見解にはトゥキディデスによるアテナイ帝国の分析にまでさかのぼることができるほど古い歴史があり、近代の国際関係の分析においても見出すことができます。 しかし、国際関係論の研究では二つの理論から他国に対する戦争がもたらす利益について異なる見積が示されてきました。 第一に自由主義の理論では一般的には戦争が利益をもたらすことが困難という判断が示されています。 その理由としてしばしば挙げられるものに民族主義的な抵抗運動の危険があります。 つまり、外国軍の支配を受けた住民は、民族意識を高揚させて占領に対する軍事的、非軍事的手段による抵抗運動を推進する危険が生じます。特に20世紀以降に民族主義運動が世界的に普及してからはほとんど征服が成功する見込みがなくなったと考えられています(Ibid.: 133-134)。 また、征服した地域を政治的に支配するための費用の問題、経済的な抵抗が余剰生産物を削減し、外国との貿易を難しくすることも理由として挙げられています。 第二に、現実主義の理論から考えると、近代の国際関係においても征服は利益を上げることが可能であったことを指摘しており、戦争が国家にとって利益をもたらしうると見積っています。 この主張の根拠としては、第一に近代化による余剰生産物を増大させることが可能であるため、第二に征服した地域の住民の抵抗を困難にするために政治権力を近代化の過程で中央に集中させることができるため、第三...

論文紹介 全体戦争における兵站の問題

今回は兵站学の研究で基本的な文献の一つと位置づけることができる論文を紹介したいと思います。 論文情報 Millett, J. D. 1945. "Logistics and Modern War," Military Affairs , 9(3): 193-207. 論文では、ウェゲティウス、ナポレオン、クラウゼヴィッツの記述から兵站を考察している箇所を示し、「補給の問題は常にあらゆる軍事作戦の推移に影響を及ぼしてきた」ことが述べられています(Millett 1945: 194)。 著者の見解によれば、兵站の歴史において転機となったのは18世紀末のフランス革命でした。 フランス革命を通じて政治体制が共和制に移行すると、一般徴兵制が導入され、従来に見られない規模の兵員を動員することが政治的に可能となったためです(Ibid 197)。 兵站の歴史にとってもう一つ重要だったのは、産業革命でした。 産業革命を通じて武器の製造に必要な工業が発展し、単に労働生産性が向上しただけでなく、戦闘で有用な武器や装備の生産効率が大幅に向上しました(Ibid 197)。 しかし、著者はこうした諸条件の変化がもたらす影響が顕著に現れたのは、第一次世界大戦であったことを述べています。 なぜなら、第一次世界大戦では人的資源、物的資源を戦争の遂行のために動員する努力が体系的な国家兵站として結び付けられた結果、総力戦、全体戦争と呼ばれる新しい戦争の形態を出現させたためです(Ibid 200)。 そして、近代的な兵站の体系が成立したことこそが第二次世界大戦の様相を準備したということを著者は次のように考察しています。 「第二次世界大戦は軍事力の戦いであると同じように、経済力の戦いであった。戦争の原動力は兵士の身体ではなく、国民の労働であったのである」(Ibid 201) 第二次世界大戦において兵站は戦争の推移に対して決定的な役割を果たしていました。 この主張を裏付けるために著者は当時の兵站に関する教訓を判断しています。 第一に述べられているのは工業の即応体制の重要性です。 軍用機、軍用車両、通信装備、弾薬などの供給の担い手となる民間人は数が限られています。 つまり戦争が勃発してから軍需品のための生産体制を強化するためには労働...