彼は軍事的見地だけでなく、国家的見地から航空問題について考察したことでも知られていますが、その議論の中にはハブ空港の重要性に関するものが含まれています。
今回は、ドゥーエがイタリアの地政学的立場を踏まえた航空戦略を実行に移すに当たり、民間航空の発達が重要であること、そして航空路線の収束点を国内に確保することを主張したことを紹介したいと思います。
政府主導で航空路線を整備する必要性
| ジュリオ・ドゥーエ、イタリアの軍人であり、戦場に導入して間もない時期に、航空機の軍事的な重要性にいち早く着目した功績で知られている。 |
航空機を保守、製造するための産業基盤、技術基盤を政府の国防予算だけで維持することは困難な状況があり、ドゥーエとしても深刻にこの問題を受け止めていたためです。
そのため、あらゆる航空機能を空軍に管理させるべきではなく、軍事的に直接必要ではない機能については民間航空の手に委ねることをドゥーエは推奨していました。
「私が民間航空について述べるのは、国防のために国が民間航空の発達を助長すべきことを示すためである。民間航空の活動には、国防に直接役立つものと、間接的に役立つものとがある。民間の能力が低下しないよう、国防当局は後者の分野には関係してはならない。当局は国家全体に関心を持たなければならない。しかし、国防に直接役立つ活動は、国防機関の権能に属すべきである」(邦訳、ドゥーエ、121頁)つまり、官民が一体となってイタリアの航空を発達させるというのがドゥーエの基本思想だったのですが、航空運輸の前提となる航空路の整備と開放については政府が取り組むべき問題としていました。
航空路線の整備は単に離発着できる滑走路の整備だけではなく、緊急着陸場、通信設備、整備拠点などを含めた包括的な環境整備が必要であり、長期的観点から計画的に投資する必要が出てくるためです(同上、131頁)。
このような理由から、ドゥーエはイタリアの地政学的位置関係を踏まえ、政府としてどの方面の航空路を重視すべきなのかについて考察しています。
ヨーロッパとアジア・アフリカを結ぶ構想
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| 1940年のヨーロッパから北アフリカを含めた政治地図。地中海を挟んでイタリア半島の対岸に位置するリビアをはじめ、アフリカの角に当たるソマリアやエチオピアなどを支配下に置いている。ドゥーエはヨーロッパ諸国とアフリカ植民地を結ぶ航空路の中継地としてイタリアを位置付けることを主張していた。 |
「イタリアの主たる関心事は、創設された幹線となる航空路線の多くが地中海を横断していることである。欧州の三つの大国は、北西から東南にかけて並んでおり、その軸は地中海を横断して、アジアとアフリカの接点スエズ運河に向かっている。この線に沿って多くの航空路線があり、イングランドからフランスそしてイタリアまで大きな帯となり、さらにアフリカ、アジア、バルカン諸国の方向に扇状に広がっている」(同上、113頁)特にドゥーエが重視していたのは、トリノ、ローマ、アレキサンドリア間の航空路線を確立しておくことです(同上、114頁)。
特にトリノについてはロンドンやパリへのアクセスを確保しておく上で重要な「集結分岐点」とすることが重要であるとされており、ここからアレキサンドリアを経由してスーダンやパレスチナへ移動できるようになれば、アフリカとアジアへの航空交通で優位な立場を占めることができると期待されています(同上、114-5頁)。
「特権的立場から生まれる利益のために、イタリアは地中海における国際の航空交通の需要に応ずるばかりでなく、需要を見通して適時に航空交通の発達を助長しなければならない」(同上、114頁)このドゥーエの構想は今日においてはハブ空港の構想と呼ばれているものであり、航空政策における重要な課題の一つと位置付けられています。
イタリアの地理的特性を分析し、政府として計画的に空港インフラに投資をすることで、民間航空の成長を促し、軍事航空の発達に繋げようというドゥーエの戦略構想は、非常に包括的、総合的なものであり、現代の航空政策の議論にも通じるところが多く見られます。
国際競争に敗れる危険性を政府は認識せよ
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| イギリスではインペリアル・エアウェイが1935年4月にはイギリス本国から南アフリカ、インド、オーストラリアを空路で結んでいたことを示す地図。航空機の性能向上に伴って戦間期に航空会社は世界各地で航空路を設定し、郵便物や旅客の輸送に当たった。ドゥーエはこの航空事業を国策として推進することが商業目的に留まらない意義を持つと主張していた。 |
「イタリアはその地理的な位置と、戦争で獲得した政治上の地位からみて、欧州大陸の航空交通の集結分岐点となるべきである。そうすればイタリアは、航空輸送の分野で特権的な立場に立つことができる。しかしまた、現在イタリアが有している大きな利益を失わないため、また外国の航空からみて便利な道具とならないためには、将来の準備に早期に着手する必要がある」(同上、114頁)ドゥーエが懸念している通り、戦間期にはイギリス、フランス、アメリカなどが航空路の拡充に積極的に取り組んでおり、競争は激しさを増していました。例えば、イギリスの事例だとインペリアル・エアウェイ(Imperial Airway)が本国と植民地の航空路の設立を進めており、中東を超えてインドや東南アジアにまで手を広げつつあったことが指摘できます。
こうした国際競争に敗れて国内の民間航空が利益を上げることができなくなれば、その損失は単なる一企業、一業界にとどまるものではありません。それは長期的にイタリアの国防を脅かす可能性さえある、というのがドゥーエの見解でした。
だからこそ、政府としては環境の変化に応じた航空政策の実施が求められるところであり、ドゥーエとしても政府に早期の施策を呼び掛けていたのです。
むすびにかえて
ドゥーエはまだ空軍を独立した軍種とすることが一般的ではなかった時代において、航空機に独自の意義を見出した独創的な戦略思想家です。彼の航空問題に関する分析は多岐に及んでおり、解説書では分かりやすさのために空軍の創設や戦略爆撃といった軍事的側面に限定して紹介されてしまう傾向もあります。これはやむを得ないことではありますが、ドゥーエが国家的観点から航空戦略の全体像を構想していたことを考えれば、誤解を招く部分があることは否めないでしょう。イタリアにヨーロッパとアジア・アフリカを結ぶハブ空港を構築し、その利益で民間航空を発達させながら、軍事航空の発展に寄与させるというドゥーエの構想は、軍事戦略の枠組みを超えて、国家戦略としての広がりを持っているものとして評価できるでしょう。
KT
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参考文献
- ドゥーエ「制空」瀬井勝公訳『戦略論体系6 ドゥーエ』芙蓉書房出版、2002年、15-202頁


