1950年に朝鮮戦争が勃発した時、世界の勢力均衡は際どい均衡の上に成り立っていました。
西側の盟主である米国はソ連に対抗するためますます核兵器に頼るようになっていたので、米軍の通常戦力で脅威に対処できなくなれば、軍事的均衡を回復するためには、核戦力を使用することを強いられるかもしれませんでした。
今回は、歴史学者ギャディスの研究成果を取り上げ、朝鮮戦争において米国が実際に核兵器の使用を検討しながらも、それを思い止まった経緯について説明し、核戦力に依存する防衛態勢のリスクについて考えてみたいと思います。
9月の仁川上陸作戦の成功によって米軍は北朝鮮軍の後方を遮断し、当初の境界線まで退却させています。
しかし、優位に立った韓国軍と米軍は当初の境界線で部隊を止めず、北朝鮮の領土に足を踏み入れたのです。これを見た中国軍は11月に朝鮮戦争に介入し、韓国軍と米軍を奇襲することで北朝鮮の領土の大部分を奪回し、後退する韓国軍と米軍を追撃し始めました。
米軍で核兵器使用の問題が持ち上がったのは、この時期のことです。
1950年11月に中国軍が発起した攻勢で米軍には深刻な損害が発生していました。当時、米軍の指揮をとっていたダグラス・マッカーサー(Douglas MacArthur)は部隊が壊滅する危機を目の前にし、中国軍に対する核攻撃を企図すべきだと考えました(同上、74頁)。
1950年代の米軍に369発の使用可能な原爆が配備されているものの、それに対してソ連軍は信頼性が低い原爆を5発しか保有していません(同上)。
また当時の中国軍には核兵器がなかったため、マッカーサーとしては米国の核兵器を使用して得られる戦果は、その不利益を十分に相殺できると考えたのです。
第二次世界大戦の終結からわずか5年後に米軍は再び核兵器の使用を真剣に検討し始めました。
その理由についてギャディスはトルーマンに核兵器が特別な兵器であり、よほどの状況でなければ使用すべきではないという信条があったことを指摘しています。
それに加えて、核兵器の運用における目標選定の難しさも決定に関係したと指摘しています。
しかし、18世紀の軍隊のように、部隊や物資の輸送を人馬に頼っているような国家に対して原爆を投下しても、戦局に実質的な影響を及ぼすことができないのではないかと懸念されていました。
それでも米軍としては鴨緑江の北側に位置する中国の都市などに対して原爆を投下する作戦計画を立案し、1951年のはじめに原爆を組み立てる部品を西太平洋の基地へ輸送しています(同上、75頁)。
こうした状況で米国に核兵器の使用を思い止まらせたもう一つの要因が戦局の好転であり、マッカーサーの後任としてマシュー・リッジウェイ(Matthew Ridgway)が38度線の少し北に進んだ線で陣地を確保することに成功しました(同上)。
核戦力に頼らずとも、通常戦力だけで韓国の防衛が可能であることが戦場で実証されたことによって、米国として核攻撃を実施する軍事的な必要性が低下し、最終的に核兵器使用は回避されることになりました。
例えば通常戦によって敵に対抗できる能力を整備し、核戦力への依存を低下させておくことや、核攻撃に対する脆弱性を軽減して継戦能力を高めておくことなどは、その後の戦略学の研究でも重要な検討課題になっています。
トルーマンの個人的な信条が核兵器不使用に与えた影響も興味深い点ですが、ギャディスはトルーマンが軍事的必要があった場合は例外的に核兵器不使用の原則を破る覚悟であり、もしソ連がヨーロッパに進攻すれば、ほぼ確実に原則は破られただろうとも記しています(同上、74頁)。
当時のソ連は中国と相互防衛の条約を結んでいましたから、ソ連が朝鮮戦争に本格的に参戦する可能性は常に残されていました。もしソ連軍が地上部隊を送れば、巧みな防戦で中国軍と渡り合ったリッジウェイであっても、それを支え切れなかったかもしれません。そうなれば、核兵器使用が再び検討されることになったかもしれないでしょう。
なお、近年になってソ連軍が航空部隊を密かに朝鮮戦争に派遣していたこと、米軍の航空機と空中戦闘を繰り広げていたことも判明していますが、当時米ソ両国ともそのことを公にすることはありませんでした(同上、76頁)。
核時代における局地戦争が常に核戦争と地続きであることを考えさせられるエピソードだと思います。
KT
(Photo: Li Min, published in PLA Daily 1951 issue 4)
西側の盟主である米国はソ連に対抗するためますます核兵器に頼るようになっていたので、米軍の通常戦力で脅威に対処できなくなれば、軍事的均衡を回復するためには、核戦力を使用することを強いられるかもしれませんでした。
今回は、歴史学者ギャディスの研究成果を取り上げ、朝鮮戦争において米国が実際に核兵器の使用を検討しながらも、それを思い止まった経緯について説明し、核戦力に依存する防衛態勢のリスクについて考えてみたいと思います。
なぜ米国は中国に対する核兵器の使用を検討したのか
1950年6月、北朝鮮軍が韓国軍の防衛線を突破し、ソウルを陥落させてプサンに迫ると、米国は即座に日本に駐留していた米軍部隊を動員して、韓国へ派遣しました。9月の仁川上陸作戦の成功によって米軍は北朝鮮軍の後方を遮断し、当初の境界線まで退却させています。
しかし、優位に立った韓国軍と米軍は当初の境界線で部隊を止めず、北朝鮮の領土に足を踏み入れたのです。これを見た中国軍は11月に朝鮮戦争に介入し、韓国軍と米軍を奇襲することで北朝鮮の領土の大部分を奪回し、後退する韓国軍と米軍を追撃し始めました。
米軍で核兵器使用の問題が持ち上がったのは、この時期のことです。
1950年11月に中国軍が発起した攻勢で米軍には深刻な損害が発生していました。当時、米軍の指揮をとっていたダグラス・マッカーサー(Douglas MacArthur)は部隊が壊滅する危機を目の前にし、中国軍に対する核攻撃を企図すべきだと考えました(同上、74頁)。
1950年代の米軍に369発の使用可能な原爆が配備されているものの、それに対してソ連軍は信頼性が低い原爆を5発しか保有していません(同上)。
また当時の中国軍には核兵器がなかったため、マッカーサーとしては米国の核兵器を使用して得られる戦果は、その不利益を十分に相殺できると考えたのです。
第二次世界大戦の終結からわずか5年後に米軍は再び核兵器の使用を真剣に検討し始めました。
なぜ米国は中国に対する核兵器の使用を断念したのか
しかし、アメリカ大統領のハリー・トルーマン(Harry S. Truman)はいくつかの理由から核兵器の使用を避けようとしました。その理由についてギャディスはトルーマンに核兵器が特別な兵器であり、よほどの状況でなければ使用すべきではないという信条があったことを指摘しています。
それに加えて、核兵器の運用における目標選定の難しさも決定に関係したと指摘しています。
「原爆は、都市、工業地帯、軍事基地、輸送ネットワークにたいして用いるように開発されていた。朝鮮半島には、そのようなものはあまりなかった。国連軍が対決していたのは、各自の補給品を担いで、原始的な道路、さらには即席で作った山道をほとんど徒歩で前進してくる軍隊であった。あるアメリカの将軍は、「何にたいして落とすのか」といぶかっている」(同上)第二次世界大戦の日本のように、工業化が進み、近代的なインフラに依存しながら戦争を遂行している国家であれば、核兵器の使用で大きな戦果を上げることが期待されます。
しかし、18世紀の軍隊のように、部隊や物資の輸送を人馬に頼っているような国家に対して原爆を投下しても、戦局に実質的な影響を及ぼすことができないのではないかと懸念されていました。
それでも米軍としては鴨緑江の北側に位置する中国の都市などに対して原爆を投下する作戦計画を立案し、1951年のはじめに原爆を組み立てる部品を西太平洋の基地へ輸送しています(同上、75頁)。
こうした状況で米国に核兵器の使用を思い止まらせたもう一つの要因が戦局の好転であり、マッカーサーの後任としてマシュー・リッジウェイ(Matthew Ridgway)が38度線の少し北に進んだ線で陣地を確保することに成功しました(同上)。
核戦力に頼らずとも、通常戦力だけで韓国の防衛が可能であることが戦場で実証されたことによって、米国として核攻撃を実施する軍事的な必要性が低下し、最終的に核兵器使用は回避されることになりました。
まとめ
米大統領の核兵器不使用の信条、中国軍の核攻撃に対する非脆弱性(あるいは当時の核兵器に期待される攻撃の精度)、そして通常戦力の運用による戦局の挽回、これらの要因が重なったことによって朝鮮戦争が核戦争に移行することが回避されたというのがギャディスの説明ですが、これは朝鮮戦争は核戦争をいかに防ぐかを考える上で教訓に富んだ事例です。例えば通常戦によって敵に対抗できる能力を整備し、核戦力への依存を低下させておくことや、核攻撃に対する脆弱性を軽減して継戦能力を高めておくことなどは、その後の戦略学の研究でも重要な検討課題になっています。
トルーマンの個人的な信条が核兵器不使用に与えた影響も興味深い点ですが、ギャディスはトルーマンが軍事的必要があった場合は例外的に核兵器不使用の原則を破る覚悟であり、もしソ連がヨーロッパに進攻すれば、ほぼ確実に原則は破られただろうとも記しています(同上、74頁)。
当時のソ連は中国と相互防衛の条約を結んでいましたから、ソ連が朝鮮戦争に本格的に参戦する可能性は常に残されていました。もしソ連軍が地上部隊を送れば、巧みな防戦で中国軍と渡り合ったリッジウェイであっても、それを支え切れなかったかもしれません。そうなれば、核兵器使用が再び検討されることになったかもしれないでしょう。
なお、近年になってソ連軍が航空部隊を密かに朝鮮戦争に派遣していたこと、米軍の航空機と空中戦闘を繰り広げていたことも判明していますが、当時米ソ両国ともそのことを公にすることはありませんでした(同上、76頁)。
核時代における局地戦争が常に核戦争と地続きであることを考えさせられるエピソードだと思います。
KT
(Photo: Li Min, published in PLA Daily 1951 issue 4)
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参考文献
- Gaddis, John Lewis. 2005. The Cold War: A New History. London: Penguin Books.(邦訳、ガディス『冷戦 その歴史と問題点』河合秀和、鈴木健人訳、彩流社、2007年)