米国海軍士官であり、退役後は著述家になったマハン(Alfred T. Mahan)は近代海軍の戦略思想に絶大な影響を残した人物ですが、軍事学の世界ではさまざまな批判が加えられている人物でもあります。
その批判の一つとして挙げられるのが、戦力投射に対する軽視です。
つまり、マハンは海上部隊を使って地上部隊を遠隔地に輸送し、上陸を支援するという運用に対して一貫して否定的な立場をとっていたのです。(戦力投射に関する過去の記事)
今回は、この論点について取り上げた研究者の議論を紹介し、マハンの戦略思想の限界を考えてみたいと思います。
マハンの戦略思想を理解するためには、彼が兵力の集中に大きな意味を持たせていたことを知らなければなりません。
マハンの戦略思想は軍事学者アントワーヌ・アンリ・ジョミニの学説の影響を強く受けており、マハンは彼の説を引用しながら「集中こそ海軍作戦における「卓越した原則」」と繰り返し主張していました(同上、402頁)。
戦略の原則として集中の重要性は広く知られていますので、この見解自体は特に注目すべきものではありません。
しかし、マハンはこの原則をあまりに厳密に解釈していたようです。
マハンは艦隊の運用において兵力の集中を実現するため、着上陸作戦さえも海上作戦として望ましくないと主張していました。
そして、強襲上陸のような作戦は海軍の本来的任務として位置付けられていなかったのです。
このことが意味しているのは、マハンが考える海軍の役割は一般的に理解されているそれよりもはるかに狭いものに規定されていたということです。
海軍の戦略思想としてマハンの認識は必ずしもバランスのとれたものではなく、特定の海上作戦の要素が持つ意義を極端なまでに強調するものになっていたといえます。
とはいえ、地上部隊を海上輸送する任務に対するマハンの立場は一貫して否定的であり、海軍として陸軍の作戦に拘束されてはならない、と考えられていました。
もしそのような事態になれば海軍の行動は陸軍の行動に制限される恐れがあるというのがマハンの持論でした。
このような観点からマハンの議論を捉えると、彼はジョミニの戦略原則に依拠しながら、海軍の役割を主観的基準で規定し、陸軍との統合運用による戦力投射を軽視していたといわなければなりません。
マハンに対する批判者は、マハンが陸軍に対する海軍の独立を強調するあまり、統合運用の重要性を軽視したと考えており、著者もこうした立場からマハンが艦隊による決戦という思想に固執する傾向があったことを指摘しています。
しかし、なぜマハンはこれほど海軍の戦略投射上の役割を軽視したのでしょうか。
著者はこの疑問に対して興味深い説明を行っています。
すなわち、南北戦争(1861-65)で北軍の艦艇が南軍の沿岸要塞に対する艦砲射撃がほとんど見るべき戦果を上げることができなかったため、マハンは当時の教訓を踏まえて艦隊を沿岸に近付けるべきではないという思想を持っていたのではないかと考えられているのです(同上、405頁)。
著者が視差している通り、強固な掩体で守られた大口径の火砲は、洋上で絶えず動揺して照準が難しい艦艇よりも、はるかに遠くから命中弾を送り込むことが可能でした。
しかもまた高い防護性を兼ね備えていたため、射程が短い艦載砲を運用する立場の海軍士官としては、艦艇を沿岸砲台に接近させるリスクを重視せざるを得なかったのです。
このような時代背景と照らし合わせれば、マハンの戦略思想の限界は、マハンの限界というよりも、当時の技術環境の限界と重なっていたのではないかと理解できます。
戦略投射の意義を軽視したとは、それだけでマハンの戦略思想の価値が全否定されるわけではありません。
重要なことは、マハンが生きた時代の軍事情勢を理解し、彼の議論の適用範囲に自ずと限界があることを理解することだと思います。
もし着上陸作戦の問題を考える場合、海上部隊が対地攻撃で発揮できる能力と、陸上部隊が対艦攻撃で発揮できる能力を比較することが重要でしょう。
マハンの議論に対して出された批判を学ぶことも、マハンの戦略思想をより深く学ぶ上で役立ち、またそれを通じて海軍の戦略思想を理解することに役立つと思います。
KT
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用語解説 戦力投射(force projection)とは何か
参考文献
フィリップ・A・クロール「海戦史研究家アルフレッド・セイヤー・マハン」『現代戦略思想の系譜』ダイヤモンド社、1989年、391-418頁
その批判の一つとして挙げられるのが、戦力投射に対する軽視です。
つまり、マハンは海上部隊を使って地上部隊を遠隔地に輸送し、上陸を支援するという運用に対して一貫して否定的な立場をとっていたのです。(戦力投射に関する過去の記事)
今回は、この論点について取り上げた研究者の議論を紹介し、マハンの戦略思想の限界を考えてみたいと思います。
兵力の集中を重視したマハンの思想
| アルフレッド・セイヤー・マハン アメリカ海軍士官として勤務する傍ら海軍史の研究を続け、海軍兵学校では戦略学の教官に就任し、自らの戦略思想を発展させていった。 |
マハンの戦略思想は軍事学者アントワーヌ・アンリ・ジョミニの学説の影響を強く受けており、マハンは彼の説を引用しながら「集中こそ海軍作戦における「卓越した原則」」と繰り返し主張していました(同上、402頁)。
戦略の原則として集中の重要性は広く知られていますので、この見解自体は特に注目すべきものではありません。
しかし、マハンはこの原則をあまりに厳密に解釈していたようです。
マハンは艦隊の運用において兵力の集中を実現するため、着上陸作戦さえも海上作戦として望ましくないと主張していました。
「いうまでもなく、海軍力の分割はマハンにとって禁句であった。おそらくそれゆえ、マハンは上陸作戦に必要な条件ならびにこの種の作戦の海軍戦略中に占める地位については、一瞥の注意しか向けなかったのであった。ジョミニが『戦略概論』で、敵海岸への「強襲上陸」と呼ばれる軍事行動のために一章を当てているのを考えれば、マハンがこのように強襲上陸作戦を無視したことはまったく驚くべきことである」(同上、404頁)マハンの研究において海軍の任務を陸軍の任務とはっきり分離されていました。
そして、強襲上陸のような作戦は海軍の本来的任務として位置付けられていなかったのです。
このことが意味しているのは、マハンが考える海軍の役割は一般的に理解されているそれよりもはるかに狭いものに規定されていたということです。
海軍の戦略思想としてマハンの認識は必ずしもバランスのとれたものではなく、特定の海上作戦の要素が持つ意義を極端なまでに強調するものになっていたといえます。
着上陸作戦では海軍が陸軍の作戦に制約される
マハンの頭の中では、着上陸作戦の位置づけが極めて小さく、海軍本来の海上作戦の範囲から除外されていましたが、さすがに海軍が地上部隊の輸送に従事する場合があるという事実までは否定しません。とはいえ、地上部隊を海上輸送する任務に対するマハンの立場は一貫して否定的であり、海軍として陸軍の作戦に拘束されてはならない、と考えられていました。
「いずれにせよ、マハンは「遠隔水域への海洋遠征」については慎重であった。マハンはこのような遠征作戦の持つ「独特の性格」について「乗船した陸軍遠征部隊が洋上では何ら身を守る手段を持っていない」と指摘している。マハンは「海軍力の優位を確立するまでは、このような遠征を安全なものと考えてはならない」と警告し、上陸作戦が終わり次第、海軍をその任務から早期に解放し、艦隊を輸送と「その本来の使命である海洋任務」につけるべきであると主張している」(同上)遠隔地に部隊を展開させる遠征作戦でマハンが懸念していたのは、地上部隊を輸送する艦隊が上陸地点の周辺にくぎ付けにされることでした。
もしそのような事態になれば海軍の行動は陸軍の行動に制限される恐れがあるというのがマハンの持論でした。
「もし、艦隊の任務が単に「一またはそれ以上の陸上地点」の防衛に縮小されるならば、「海軍は陸軍の単なる一支隊になってしまう」とマハンは警告し、「海軍作戦の真の目的は」……あらゆる機会に敵艦船と艦隊を攻撃することにより、「敵海軍に対し優勢を保って海洋を制することである」と主張している」(同上、404-5頁)ここでマハンが考えた「海軍作戦の真の目的」は海軍が取り組む可能性がある任務の範囲を非常に狭く捉えたものです。
このような観点からマハンの議論を捉えると、彼はジョミニの戦略原則に依拠しながら、海軍の役割を主観的基準で規定し、陸軍との統合運用による戦力投射を軽視していたといわなければなりません。
マハンに対する批判者は、マハンが陸軍に対する海軍の独立を強調するあまり、統合運用の重要性を軽視したと考えており、著者もこうした立場からマハンが艦隊による決戦という思想に固執する傾向があったことを指摘しています。
南北戦争がマハンに与えた影響
| 南北戦争のさなかである1862年に撮影された北軍の艦艇USS Wissahickonの乗組員。中央に280mmのダルグレン砲が写っている。艦載砲として必要な軽量性を実現しようとしたが、その分だけ強度が犠牲になり、射程の延伸は容易ではなかった。 |
著者はこの疑問に対して興味深い説明を行っています。
すなわち、南北戦争(1861-65)で北軍の艦艇が南軍の沿岸要塞に対する艦砲射撃がほとんど見るべき戦果を上げることができなかったため、マハンは当時の教訓を踏まえて艦隊を沿岸に近付けるべきではないという思想を持っていたのではないかと考えられているのです(同上、405頁)。
「南北戦争中の北軍艦艇による南軍要塞に対する艦砲射撃の体験や知識が、海岸砲台に対する艦砲の効果に疑念を持たせたのであった。「艦艇が同一金額で建造された海岸要塞との戦いに対抗できないのは、要塞が艦艇と競争できないのと同じである」と記し、また、「海岸で海軍の直接攻撃を防御するのは比較的容易である。なぜなら艦艇は……要塞との戦いに明らかに不利であるから」とも述べている」(同上)このマハンの解釈で興味深いのは、マハンが着上陸作戦を軽視した理由を、当時の軍事情勢によるものだと指摘していることです。
著者が視差している通り、強固な掩体で守られた大口径の火砲は、洋上で絶えず動揺して照準が難しい艦艇よりも、はるかに遠くから命中弾を送り込むことが可能でした。
しかもまた高い防護性を兼ね備えていたため、射程が短い艦載砲を運用する立場の海軍士官としては、艦艇を沿岸砲台に接近させるリスクを重視せざるを得なかったのです。
このような時代背景と照らし合わせれば、マハンの戦略思想の限界は、マハンの限界というよりも、当時の技術環境の限界と重なっていたのではないかと理解できます。
むすびにかえて
著者はマハンが上陸作戦における海軍の役割を軽視した背景について説明していますが、「海戦の基本的な不変の原則を解明する研究において、艦砲射撃の効果と陸上目標に対する渡洋強襲作戦の有効性をほとんど省略してしまったことは、あまりにもひどい無視というべきであろう」と厳しく批判することも忘れていません(同上)。戦略投射の意義を軽視したとは、それだけでマハンの戦略思想の価値が全否定されるわけではありません。
重要なことは、マハンが生きた時代の軍事情勢を理解し、彼の議論の適用範囲に自ずと限界があることを理解することだと思います。
もし着上陸作戦の問題を考える場合、海上部隊が対地攻撃で発揮できる能力と、陸上部隊が対艦攻撃で発揮できる能力を比較することが重要でしょう。
マハンの議論に対して出された批判を学ぶことも、マハンの戦略思想をより深く学ぶ上で役立ち、またそれを通じて海軍の戦略思想を理解することに役立つと思います。
KT
関連記事
学説紹介 なぜ防勢戦略に海上封鎖が有効なのか―イギリス海軍による海上封鎖の活用例―
事例研究 米軍の「突入作戦のための統合構想(JCEO)」とは
学説紹介 大艦隊がなくても海洋は支配できる―地中海を閉鎖したローマの戦略―
用語解説 戦力投射(force projection)とは何か
参考文献
フィリップ・A・クロール「海戦史研究家アルフレッド・セイヤー・マハン」『現代戦略思想の系譜』ダイヤモンド社、1989年、391-418頁