プロイセンの陸軍軍人カール・フォン・クラウゼヴィッツは、戦略思想家として有名ですが、戦術に関する研究成果はほとんど知られていません。戦術学の歴史においてクラウゼヴィッツはナポレオンの戦術を詳細に研究した最初の世代であり、彼の戦術に関する議論を通じて19世紀の戦術思想について多くのことを知ることができます。
今回は、クラウゼヴィッツの『戦争術の大原則』(1812年)から、戦闘陣形に関する考察を取り出し、彼がどのような陣形を推奨していたのかを考察してみたいと思います。
戦闘陣形に関する考察で、クラウゼヴィッツは旅団の戦闘陣を例として示しています。これは当時のプロイセン陸軍において旅団が独立して戦闘が可能な部隊の単位と位置付けられていたためです。クラウゼヴィッツの例では、歩兵大隊8個(歩兵連隊2個)、騎兵中隊4個(騎兵連隊1個)、そして砲兵中隊2個(内1個については騎馬砲兵)で旅団が編成されていることが分かりますが、大別して3段の構えになっています。クラウゼヴィッツ自身の説明は次の通りです。
この砲撃で敵に多少の損害を与えてから投入されるのがe-fの歩兵です。敵が十分に近づいてきたところで、この歩兵大隊4個によって構成された戦列が一斉射撃を開始します。ここまで状況が進むと戦闘は中盤に入ります。この歩兵の射撃を支援するのがg-hの騎兵であり、クラウゼヴィッツの例では2個の騎兵中隊が配置されています。敵の騎兵が味方の側面に進出しようとすれば、直ちにこの騎兵を動かして対処します。
ここまでが歩兵と騎兵が旅団の主力ですが、この主力の背後に配置もう一組の歩兵と騎兵、そして騎馬砲兵が見られます。これが予備であり、この予備は戦闘の終盤になるまで、あるいは不測の事態が起こるまでは戦闘に投入されません。目の前で繰り広げられている戦闘にこの部隊を素早く投入すべきだと直感的には思いがちですが、予備が後方に存在することのメリットはさまざまあります。
クラウゼヴィッツはあまりこの点について詳細に述べていませんが、例えば一部の大隊が敗走したとしても、後方に予備があれば、戦列の間隙を埋めることができます。敗走した部隊を第2線で収容し、再編成した上で再び前線に復帰させることも可能です。戦況が思わしくなく、敵に対して後退行動を図る際にも、敵の追撃を防ぎ止める後衛として予備を使えば、遅滞戦闘を遂行し、その間に主力を逃がすこともできます。戦闘はさまざまな不確実要因によって左右される性質があるので、予備を持っていないとリスクに対処できません。クラウゼヴィッツが旅団の歩兵部隊と騎兵部隊の半数を予備に回しているのは、こうした理由によるものです。
しかし、その陣形の背後にあった戦術思想には学ぶべきものがあると私は思います。クラウゼヴィッツが推奨する戦闘陣形は横に狭く、縦が長いという特徴があります。これは一度に戦闘加入する部隊の数を減らすためであり、状況の変化に即応できる余地を可能な限り最後まで残しやすくする狙いがありました。戦闘という不確実な状況で任務を遂行する場合にこそ、こうした準備を万全に整えることが重要であるとクラウゼヴィッツは考えていたのです。
KT
今回は、クラウゼヴィッツの『戦争術の大原則』(1812年)から、戦闘陣形に関する考察を取り出し、彼がどのような陣形を推奨していたのかを考察してみたいと思います。
なぜ戦闘には陣形が必要なのか
戦術学は長年にわたって戦闘陣、つまり戦闘前あるいは戦闘間にとるべき一定の部隊の配置について研究してきました。この陣形というものが戦場において重要な理由は大きく分けて二つある、とクラウゼヴィッツは述べています。一つ目の理由は陣形を確立しておけば、全部隊の戦闘要領に一貫性、整合性を持たせることが可能になること、二つ目の理由は、戦術の理解が乏しい将校の能力を陣形の合理性が補ってくれることです。「まず、陣形は防御のことを考えて組み立てられるべきです。この戦闘陣は軍の戦闘の要領に確固とした一貫性を与えるので、有益かつ便利なものになるでしょう。というのも、これは今後も避けることができないことでしょうが、下級将官や分遣隊の指揮をとるその他の士官の多くは戦術について特別な知識を持っておらず、また戦争指導に必要とされる立派な見識もおそらく持ち合わせていないためです」(クラウゼヴィッツ『戦争術の大原則』2-3.5)
要するにクラウゼヴィッツは陣形の価値が絶対的なものだと考えていたわけではなく、全軍が戦術能力を向上させれば、形式にこだわる必要は必ずしもないとも述べています(同上)。したがって、陣形を組むことは戦術的に絶対に必要なことだとまでは言えませんが、少なくとも各級指揮官の戦術能力に不備が見られる限り、戦闘陣を組んで戦うことの意義はなくならない、という認識を持っておけばよいでしょう。
実際、現在の戦術学の研究では陣形を通じて各部隊の配置や行動を細かく統制することはあまり重視されなくなっています。もちろん、戦闘陣形の考え方が完全になくなったというのは誤解を招くでしょうが、20世紀の戦争では、各部隊の指揮官がそれぞれの戦術能力を発揮する訓令戦術が重視されるようになっています。クラウゼヴィッツならば、このような変化を将校の戦術能力が向上したことによる当然の帰結だと説明することでしょう。
旅団がとる戦闘陣形の具体例
「aからbの線は横隊で戦列を組んだ軽歩兵の散兵線です。これが戦端を開き、険しい地形では前衛として活動します。その背後のcからdの線に並ぶのが砲兵中隊であり、射撃に有利な地点に展開します。配置が完了していない場合、砲兵中隊は第一線の後方に位置します 。eからfの線が歩兵の第一線であり(この図例では四個の歩兵大隊が展開しています)、その目的は戦列を組み、射撃を行うことにあります。gからhの線には、若干の騎兵 が配置されています。iからkの線は歩兵の第二線であり、戦闘が決定的な段階に差し掛かるまでは、予備として控置しておきます。そして、lからmの線はこの歩兵を支援するための騎兵です」(同上、2-3.6)さらに分かりやすく説明するため、防御戦闘を想定して陣形の動きを説明しましょう。クラウゼヴィッツも述べている通り、最前線に展開するのは散兵は前衛ですので、その役割は敵の捜索や地形の偵察に過ぎません。序盤で敵の前衛と銃撃戦を交えることはありますが、独力で白兵戦を遂行できるわけではなく、騎兵の襲撃にも弱いので、戦闘が始まって間もなく後ろに控える歩兵と合流します。この陣形で本格的な戦闘を遂行するのは、散兵の背後にいる部隊であり、砲兵中隊は射程圏内に入った敵の歩兵大隊に砲撃を加えます。
この砲撃で敵に多少の損害を与えてから投入されるのがe-fの歩兵です。敵が十分に近づいてきたところで、この歩兵大隊4個によって構成された戦列が一斉射撃を開始します。ここまで状況が進むと戦闘は中盤に入ります。この歩兵の射撃を支援するのがg-hの騎兵であり、クラウゼヴィッツの例では2個の騎兵中隊が配置されています。敵の騎兵が味方の側面に進出しようとすれば、直ちにこの騎兵を動かして対処します。
ここまでが歩兵と騎兵が旅団の主力ですが、この主力の背後に配置もう一組の歩兵と騎兵、そして騎馬砲兵が見られます。これが予備であり、この予備は戦闘の終盤になるまで、あるいは不測の事態が起こるまでは戦闘に投入されません。目の前で繰り広げられている戦闘にこの部隊を素早く投入すべきだと直感的には思いがちですが、予備が後方に存在することのメリットはさまざまあります。
クラウゼヴィッツはあまりこの点について詳細に述べていませんが、例えば一部の大隊が敗走したとしても、後方に予備があれば、戦列の間隙を埋めることができます。敗走した部隊を第2線で収容し、再編成した上で再び前線に復帰させることも可能です。戦況が思わしくなく、敵に対して後退行動を図る際にも、敵の追撃を防ぎ止める後衛として予備を使えば、遅滞戦闘を遂行し、その間に主力を逃がすこともできます。戦闘はさまざまな不確実要因によって左右される性質があるので、予備を持っていないとリスクに対処できません。クラウゼヴィッツが旅団の歩兵部隊と騎兵部隊の半数を予備に回しているのは、こうした理由によるものです。
むすびにかえて
それぞれの将校が戦術を適切に研究すれば、戦闘陣形という形式はいずれ不必要なものになるというのがクラウゼヴィッツの立場でした。クラウゼヴィッツが戦闘陣形を推奨しているのは、将校の戦術教育が必ずしも十分ではなかったためであり、現代戦でそのまま通用する考え方ではありません。しかし、その陣形の背後にあった戦術思想には学ぶべきものがあると私は思います。クラウゼヴィッツが推奨する戦闘陣形は横に狭く、縦が長いという特徴があります。これは一度に戦闘加入する部隊の数を減らすためであり、状況の変化に即応できる余地を可能な限り最後まで残しやすくする狙いがありました。戦闘という不確実な状況で任務を遂行する場合にこそ、こうした準備を万全に整えることが重要であるとクラウゼヴィッツは考えていたのです。
KT
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参考文献
- カール・フォン・クラウゼヴィッツ『戦争術の大原則』武内和人訳、Kindle版、国家政策研究会、2018年(配信予定)
