そうした中でも普遍性のある戦略理論を構築しようとする研究がいくつか報告されており、その功労者の一人としてワイリー(Joseph Caldwell Wylie, Jr., 1911-1993)が知られています。
今回は、彼の戦略思想がどのような内容なのかを要約した上で、その意義と限界について紹介したいと思います。
ワイリーの戦略思想の特徴
| 第二次世界大戦においてはガダルカナル島をめぐる日米の戦闘にワイリーも参加していた。ワイリーは学術の研究だけでなく、現場の経験を踏まえて、より実用的な戦略理論を模索するようになった。 Naval Battle of Guadalcanal on 14-15 November 1942, showing the U.S. battleship USS Washington (BB-56) |
戦後、海軍大学校に戻って教育に携わることをきっかけに戦略研究に取り組み、揚陸艦の艦長勤務や大西洋艦隊の幕僚勤務などを経て、1972年に少将の階級で退役しました。
米海軍士官としてキャリアを積んだワイリーですが、彼の関心は海軍だけにあったわけではありませんでした。
むしろ陸海空軍といった軍種にとらわれない戦略の総合理論を発展させることに興味を持ち、その要点を自身の著作で次のようにまとめています。
戦略の総合理論における要点
(1)戦略家が実戦時に目指さなければいけない最大の目標は、自分の意図した度合いで敵をコントロールすること。
(2)これは、戦争のパターンの形態を支配することによって達成される。
(3)この戦争のパターンの支配は、味方にとっては有利、そして敵にとっては不利になるようなところへ「重心」を動かすことによって実現される(同上、99頁)
これらの要点にワイリーの戦略思想がよく示されていますが、特に重要な概念が重心(center of gravity)です。
軍事学の研究に重心という概念を最初に導入したのはカール・フォン・クラウゼヴィッツですが、彼は我の兵力が作戦において指向される敵側の地域や作戦の領域を意味する戦略用語として使っています。
さらに単純に解釈するならば、全軍としての前進目標や攻撃目標として理解することもできるでしょう。
この概念を活用することで、ワイリーは戦略の理論的基礎をより一般化することが可能になると考えたのです。
戦略では重心の分析が重要
ワイリーは我の重心が敵の弱点に重なるように選択することが、最も戦略的に望ましいと論じています。
戦略学を研究する人間にとって、この学説には興味深い特徴がいくつかあるのですが、重心が「敵の最も致命的かつ最も脆弱な箇所」に向けられるべきだと述べている箇所もその一つです。
つまり、敵の軍隊の主力を殲滅することや、その基地を破壊することを戦略の原則として重視していないのです。
つまり、状況の変化に応じて戦略家が攻撃すべき目標を柔軟に切り替えることができる可能性を理論の中に残しているのです。
例えば、もし我が方にとって最も有利な戦争のパターンが決戦の場合、我がとるべき重心は敵軍の主力に向けられるでしょう。
しかし、そもそも戦争のパターンを持久戦に持ち込みたいのであれば、我の重心は敵軍の分遣隊や防備が手薄な拠点とすべきだといえます。
つまり、選択すべき戦略上の目標はそもそもどのような戦争の形態を作り出そうとしているのかによって、大きく異なってくるとワイリーは考えており、そのことによって戦略思想に大きな柔軟性、可変性が生まれているのです。
歴史的事例と重心分析の試み
ワイリーは自分の戦略思想をより具体的に説明するため、ポエニ戦争の事例を紹介しています。
ポエニ戦争は、ローマと北アフリカに位置するカルタゴとが争った戦争ですが、序盤でハンニバルが率いるカルタゴ軍は、ジブラルタル海峡を越えてスペイン、南フランスを経由し、北イタリアからローマに脅威を及ぼしてきました。
不利な態勢に立たされたローマ軍ですが、将軍スキピオの下で新たな戦略を採用し、カルタゴ軍に対抗したことを、ワイリーは次のように説明しています。
軍事学の研究に重心という概念を最初に導入したのはカール・フォン・クラウゼヴィッツですが、彼は我の兵力が作戦において指向される敵側の地域や作戦の領域を意味する戦略用語として使っています。
さらに単純に解釈するならば、全軍としての前進目標や攻撃目標として理解することもできるでしょう。
この概念を活用することで、ワイリーは戦略の理論的基礎をより一般化することが可能になると考えたのです。
戦略では重心の分析が重要
| ワイリーが自らの戦略理論を発展させる上で用いた「重心」という概念はクラウゼヴィッツの著作に由来するものであるが、ワイリー自身はこの概念の定義について明確に述べていない。 |
「この重心が敵の過敏に反応しやすい部分に到達することが重要で、これが国家の頸動脈にあたるような急所であればなお理想的だ。また、これは少なくとも敵にとっては神経痛程度の痛みを引き起こし、戦略家が流れを支配できるほど敵に影響を与えられるものであるべきだ。これをごく単純に言えば、戦略家によって動かされる戦争の「重心」は、このような敵の最も致命的かつ最も脆弱な箇所に向けられるべきなのだ」(同上、98-9頁)いわば、敵の弱点を上手く捕捉し、これを継続的に圧迫することによって、戦争の全局面を支配し、戦争の展開を主導することも可能になるという考え方です。
戦略学を研究する人間にとって、この学説には興味深い特徴がいくつかあるのですが、重心が「敵の最も致命的かつ最も脆弱な箇所」に向けられるべきだと述べている箇所もその一つです。
つまり、敵の軍隊の主力を殲滅することや、その基地を破壊することを戦略の原則として重視していないのです。
つまり、状況の変化に応じて戦略家が攻撃すべき目標を柔軟に切り替えることができる可能性を理論の中に残しているのです。
例えば、もし我が方にとって最も有利な戦争のパターンが決戦の場合、我がとるべき重心は敵軍の主力に向けられるでしょう。
しかし、そもそも戦争のパターンを持久戦に持ち込みたいのであれば、我の重心は敵軍の分遣隊や防備が手薄な拠点とすべきだといえます。
つまり、選択すべき戦略上の目標はそもそもどのような戦争の形態を作り出そうとしているのかによって、大きく異なってくるとワイリーは考えており、そのことによって戦略思想に大きな柔軟性、可変性が生まれているのです。
歴史的事例と重心分析の試み
| ハンニバルの軍勢が使用した経路の概略図。第二次ポエニ戦争でカルタゴの将軍ハンニバルはイベリア半島から北イタリアに向けて軍勢を前進させた。ハンニバルはイタリア半島各地で勝利を収めたため、ローマは危険な状況に置かれたが、ローマの将軍スキピオはイベリア半島に奇襲を仕掛けることで戦局を好転させた。 |
ポエニ戦争は、ローマと北アフリカに位置するカルタゴとが争った戦争ですが、序盤でハンニバルが率いるカルタゴ軍は、ジブラルタル海峡を越えてスペイン、南フランスを経由し、北イタリアからローマに脅威を及ぼしてきました。
不利な態勢に立たされたローマ軍ですが、将軍スキピオの下で新たな戦略を採用し、カルタゴ軍に対抗したことを、ワイリーは次のように説明しています。
「ハンニバルはイタリアに腰を据え、ローマの将軍たちも彼を追い出すことができなかった。つまりハンニバルは戦争のパタンをコントロールしていたことになる。スキピオはローマの将軍に任命されると、まずはこの戦争の重心をイタリア半島からスペインへと移し、カルタゴからハンニバルの元へ供給される兵士と物資の流れを遮断したのだ。スキピオは次に「重心」をカルタゴ付近のアフリカ沿岸に移したが、これはカルタゴを非常にいらだたせることになり、これによってハンニバルはスキピオが設定した戦争のパターンに従わざるを得ない状況になった」(同上、100頁)ワイリーがここで指摘しているのは、スキピオの新たな戦略がローマ軍の狙うべき重心を変化させたことで、ローマ軍の状況を改善すると同時に、カルタゴ軍を窮地に立たせることが可能になったということです。
例えばジョミニの戦略理論で見れば、これはローマ軍の戦略機動によってカルタゴ軍の後方連絡線が遮断された事例として解釈できるのですが、ワイリーにとってより重要なポイントは、ローマ軍がカルタゴ軍の弱点を的確に捕捉することによって、単に敵の兵站支援を遮断しただけでなく、戦争の形態を一変させたということです。
もしカルタゴ軍の後方連絡線に当たるスペインがカルタゴ軍の兵力でしっかりと警備されていたならば、スキピオはまた別の戦略に頼らなければならなかったでしょう。
なぜなら、敵の兵站線に重心を移動させたとしても、それが敵によって想定された行動である以上、戦争のパターンを変えることができるかどうかは不明確だからです。
「ハンニバルは指揮下にあったカルタゴ軍をイタリアからカルタゴまで連れ戻している。その後、スキピオは戦場の中心地を敵が守りを固めつつあったカルタゴ周辺からカルタゴが食糧を得ていた谷間周辺に移している。ハンニバルはこれに対応して新しい動きをせざる得なくなり、スキピオによって作り上げられた状況の中で、スキピオが選んだ戦場で戦わせるはめになった。このザマの戦いでローマ軍に負けたことは、カルタゴにとって致命的になった」(同上)ここでもワイリーが注目しているのは戦略機動の表面的な特徴ではなく、スキピオの戦略機動がポエニ戦争の形態をどのように変えたのかという点です。
まず北イタリアからスペインに重心を移してカルタゴ軍を北イタリアから撤退させていますが、カルタゴ軍が本国へ帰還してからは、前進目標をカルタゴそれ自体からカルタゴが貿易に使用していた交通路に切り替え、敵を戦場に誘致し、決戦に持ち込むことに成功しました。
ワイリーの研究は、クラウゼヴィッツが提唱した重心という概念を戦略理論の体系においてより明確に位置付け、戦略分析の可能性を拡げることができることを示して見せたのです。
むすびにかえて
ワイリーが戦略学で目指していたのは、適用範囲が広い一般的な戦略理論を確立することでした。
従来の戦略理論は陸上、海上、航空(反乱・革命)といった区別を前提としており、限られた適用範囲しかありませんでした。
そこで、重心という概念を戦略の基本概念として捉え直すことにより、より使いやすく、適用しやすい理論体系を構築したのです。
ただし、課題も残されています。というのも、ワイリーは自らの理論を具体的な事例に適用する方法について大雑把な仕方でしか示していないためです。
そのため、重心の分析を行う際に、具体的にどのような手続きを踏めばよいのか、どのような条件が揃えば重心だと判断できるのかが不明確なままになっています。
これはクラウゼヴィッツの研究においても重心という概念があまり明確に定義されていないこととも関係しているのですが、いずれにせよ重心の概念を戦略研究でどのように活用すべきかを考えることは今後の研究課題の一つだと思います。
KT
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参考文献
J. C. Wylie. 1989(1967). Military Strategy: A General Theory of Power Control. Annapolis: Naval Institute Press.(邦訳、ワイリー『戦略論の原点(普及版)』奧山真司訳、芙蓉書房出版、2010年)