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2016年3月26日土曜日

「平時」の戦略を確立した政治学者バーナード・ブロディ

現代の安全保障環境は必ずしも武力を直接的に使用することができる状況にはありません。一度、戦争状態に入れば彼我が受ける損害は極めて甚大なレベルとなり、政治的目的を達成するにはあまりに軍事的負担が大きくなりすぎるためです。
これを避けるために、現代の戦略家が重視するのは武力の間接的な使用であり、強制外交や抑止がこれに当たります。

こうした時代の要請に応じて戦略の考え方を大きく見直す必要が生じたのは冷戦期に入ってからのことでした。今回は、冷戦期に新たな戦略の理解を確立することに寄与したブロディ(Bernard Brodie)の戦略理論の一部を紹介したいと思います。

バーナード・ブロディとは誰なのか

バーナード・ブロディ(1910-1978)
「米国のクラウゼヴィッツ」、「核戦略の創始者」と称される米国の政治学者。
彼が構築した抑止に基づく戦略理論は現在の安全保障学の研究の基礎となっている。
ブロディは戦略研究の方面で世界的に名前が知られた政治学者ですが、日本で彼を知る人はそれほど多くないため、簡単にその略歴を述べておきます。
彼は1910年にロシア帝国から米国に移り住んだユダヤ人の家庭に生まれ育ち、1940年にシカゴ大学で政治学の研究で博士号を取得しています。
第二次世界大戦では米海軍で作戦本部に勤務し、終戦後にはイェール大学を経て1951年にランド研究所に入所しています。

このランド研究所で行っていた核兵器の運用に関する戦略研究は、1954年の学会報告で知られるようになりました。
ブロディは核の時代における軍事力の意義は戦闘に勝利することではなく、抑止を有効にすることであると主張し、この考え方はその後の安全保障学の研究者に大きな影響を与えることになりした。
その後も数多くの研究を残していますが、1966年からカリフォルニア大学で政治学・国際関係論を教えており、1978年に死去しました。

「戦略にはドルマークがついている」

ブロディは核の時代に備えるべき戦争とは限定戦争であり、国家の限られた資源をどのような武器体系の開発に配分するかが戦略的な重要性を持つようになると考えていました。
つまり、国家が編成する防衛予算の規模とそれを配分する方法こそが戦略の中心的な課題として考察しなければならないと指摘したのです。
「平時における戦略はどの武器体系を選ぶのかという選択によって大まかに表されている。当然、それは棚から既製品を買うようなものではなく、重い費用と多くの利点を調整する過程で厳選されながら展開されるものである。武器体系とそれに関するレーダー警戒ネットワークのようなシステムを選定していく過程で、軍事予算は常に大きな、そして普遍的な制約である」(Brodie 1959: 361)
つまり、平時における戦略家の重要な責任は防衛予算の適切な水準を見積り、また予算の制約の中でどのような武器体系の調達が適切なのかを判断することであると考えられているのです。
この主張は有事に軍団や艦隊を運用することだけを戦略だと考えてきた研究者に対する批判でもありました。
従来の戦略研究は平時における軍事力の費用分析の問題を重視してこなかったため、この研究が発表された当時の米国では軍事的理由から安全保障のために際限のない予算の要求が積み上げられるという状況に陥っていたことをブロディは懸念していました(Ibid.: 362-3, 364)。

健全な経済こそが軍事力の基盤である

国際金融センターとして知られるニューヨークのウォール街。
ニューヨーク証券取引所は世界最大の証券市場として有名であり、米国の経済的地位を示す象徴的存在ともなっている。正式な設立は1817年であり、その長い歴史を通じて米国債の流動性を確保する役割を果たしてきた。
言うまでもなく、軍事力は経済力によって支えられており、両者は相互に関係するものです。
ブロディはこのことを「長期にわたる国家の軍事的安全保障が健全な経済を必要とすることは明白な事実であり、この健全な経済のために軍事的安全保障も負担を背負わなければならない」と説明しています(Ibid.: 367)。
このため、現代の戦略家は経済に対する深い理解が必要であり、政府支出の増加に伴う税金の増加や国債の発行、そして労働力や資本の軍事部門への投下がどのような経済的影響を及ぼし得るかを考察できなければならないのです。そして、この経済の運営と関係してくるのが政治の問題であるともブロディは指摘しています。
「米国のような国家にとって、軍事支出は経済に深刻な悪影響をもたらすのは、民間経済に対する投資が大幅に削減された時か、利己的行動を引き起こすのに十分な速度でインフレーションが進んだ時に限られるであろう。さらに加えて、もし生活水準が低下、または上昇が停滞したならば、それはもはや(経済的責任というよりも)政治的責任として認識されることになるだろう」(Ibid.: 369)
ここでブロディは経済運営の適否という視点を通じて、戦略と政治が関係を持っていることに言及しているのです。
ブロディのように、戦略学の領域を経済、そして政治の方面にまで広げて研究すれば、軍事力が経済力とのバランスを失うほどに増強されるようなことがあってはならないことが分かります。それは財政の破綻と政治の崩壊に繋がる危険な状態であり、国家の安全保障を損なう状況に他なりません。

まとめ

ブロディは平時における戦略の重要性は、適切な防衛予算の水準を定めて、それを適切に配分することで必要な武器体系を揃えることにあると考えました。
その考え方に基づけば、戦略家は軍事力と経済力の相互関係を認識する必要があると分かります。ブロディは安全保障上の必要を理由に軍事予算を増やすことばかりを要求することは、結果として軍事力の基盤である経済力を弱体化させる恐れがあることに注意を促しており、財政運営に失敗することで生じる政治的リスクについても考えていました。

こうした戦略の考え方は抑止を主眼とする核の時代における戦略研究になくてはならないものとなり、現在においても多くの戦略論争の基礎となっているのです。

KT

参考文献
Brodie, Bernard. 1959. Strategy in the Missile Age, Santa Monica: RAND.

4 件のコメント:

  1. (Brodie 1959)とは、Strategy in the Missile Age, (Princeton University Press, 1959)のことでしょうか?

    ブローディの著作(編著?)としてはThe Absolute Weaponの方が一般的には有名ですので、別の著作に言及されているのは興味深かったです。調べてみると、シーパワーについても書いているのですね。入手困難だと思いますが...

    いずれにせよ、もっと着目されてしかるべき人物ですね。

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    1. 参考文献の問題ご指摘頂き大変ありがとうございました。私の手違いで末尾の参考文献が消えていましたので訂正しておきました。お示しになった文献で間違いありません。彼が残した研究はいずれも重要ですが、確かに核戦略の観点からはThe Absolute Weaponの方が知られているかもしれません。冷戦期における戦略研究はまだ日本で完全に消化しきれているとはいいがたく、大きな後れを取っている分野の一つになっていることが否めません。後の世代にこの方面の研究の遅延を引き継がせないためにも、こうして少しずつでも多くの人に知られるようになればよいと考えます。また何かあればご指導ご鞭撻のほど宜しくお願い申し上げます。

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    2. ご丁寧なお返事をありがとうございます。いつも楽しく拝見、勉強させていただいております。今後も様々な文献を紹介していただけることを期待しております。

      そういえば、昨年あの岩波(?)が安全保障のシリーズ(教科書を目指した?)を出しましたが、いかがお考えでしょうか。アラカルト方式で様々な論点があってそれはそれで面白い反面、小生には安全保障を語りながら軍事に関する内容(伝統的な安全保障問題とでも申しましょうか)があまりにも薄いように感じられましたが...それが今日の安全保障学のトレンドでしょうか。

      他にも、巷に「安全保障」と名の付く邦語の書籍はいくつかあります。たとえば防衛大学校編集のものや田中明彦氏の著作、土山實男氏の著作など。それらの書評など、また機会があれば企画を組んでいただければ非常に参考になります。(一般の読者には何分洋書はなかなか難しいものですから...)

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    3. 拙い内容ですが、何かのお役に立つ部分があれば幸いです。
      お話になっているのは恐らく『安全保障とは何か』(シリーズ 日本の安全保障 第1巻) のシリーズのことではないかと思いますが、軍事、伝統的安全保障の問題に関する内容があまり十分ではないことは、日本の大学の状況に由来するものと思います。

      欧米諸国における安全保障の問題に関する研究は日本で考えられないほど大学と軍隊の関係が近く、国防予算の一部が研究資金として大学に入っていたり、また学位を持つ退役軍人が教鞭をとっている事例も珍しいというわけではありません。米国ではROTCもあって、特にこの傾向が顕著と思います。今のところ私は国内でそのような取り組みの事例を見聞きしたことはありません。(そのような事例が増えれば私も非正規雇用から脱出できるかもしれません!)

      したがって、大学の教育課程を通じて学生が軍事学を学ぶ機会が極めて限定的ですので、大学院に進んでも軍事に関する体系的な研究が進まないという事態になりやすいのだと思われます。私は防衛大学校の大学院で修士論文を書いた人物から「日本では軍事力の分析が安全保障の研究として認められにくい」という趣旨の発言を聞いたことがあります。彼は戦力比較の定量的分析に取り組んでいたのですが、防衛大学校の指導教官の多くも文民ですので、日本で安全保障の研究から軍事的要素が脱落してしまう傾向が生じてくるのは当然のことといえるでしょう。

      まとめると、安全保障学の研究全体のトレンドというよりは、日本における固有の状況が関係しているのではないかと思います。私は一概にそれが悪いことばかりとも思いませんが、やはり安全保障の基礎は軍事であるという考えからは離れた研究動向があるという印象も持っています。

      最後に安全保障に関する日本語の文献についてですが、私がこれをあまり取り上げないのは、教科書という性格上、海外の研究成果を要約または紹介する内容が多く、また最近の研究の進展をカバーできていないことなどが理由として挙げられます。とはいえ、日本語で読める文献で何か良いものを一つ上げるとすれば、栗栖弘臣『安全保障概論』BBA社を推奨します。栗栖は統幕議長も務めた元自衛官であり、「超法規発言事件」で退官しましたが、その後は評論や教育に尽力されています。この著作は軍事方面に対する学説も幅広く取り上げており、私もナポレオンやジョミニ、クラウゼヴィッツ、モルトケ、フラー、リデル・ハートなどの学説も紹介されています。一度ご確認してみるとよいと思います。

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