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論文紹介 ローマ帝国の衰退と国家社会主義の限界

ローマ帝国が滅亡に至った原因は研究者の間でも長らく論争が続いてきた研究テーマであり、かつてはキリスト教の誕生を原因と見なす説もありましたが、現在では財政の破綻がローマの存続を不可能にしたのではないかと考えられるようになっています。 これはつまるところ、ローマは5世紀には自らを守るために必要な武器、兵士、要塞、軍船に伴う公的支出に耐えきれなくなり、外部からの軍事的侵攻を許してしまった、という説です。 もしそうだとすれば、なぜローマの財政はそれほど危機的状況に陥ってしまったのでしょうか。 今回は、ローマ帝国の滅亡を引き起こした国家財政の危機を国家社会主義の限界として考察した研究を紹介したいと思います。 論文紹介 Bruce Bartlett. 1994. "How Excessive Government Killed Ancient Rome," Cato Journal , Vol. 14, No. 2(Fall 1994), pp. 287-303. 初期におけるローマ帝国の自由放任 アウグストゥス(前63-14年)ローマ帝国初代皇帝。 常備軍を設置し、親衛隊を創設するなどの軍制改革をはじめ、税制と通貨の改革、都市設備の大規模な改修などの事業に取り組み、その後のローマ帝国の基礎を整えたことで高く評価されている。 この論文の特徴は、ローマ帝国の衰退を国家社会主義体制の限界と結びつけて説明している点にあります。ローマ帝国の歴史は初代皇帝アウグストゥスが即位した前27年に始まりますが、当時のローマでは政治権力の集中が強化されたにもかかわらず、経済的自由は拡大される傾向が続いていました。 アウグストゥスはローマで民間部門の成長を促進するため規制緩和に取り組み、またローマで続いてきた徴税請負人に特定地域から物納で税を取り立てる権利を売却するタックス・ファーミングを廃止し、貨幣による徴税に切り替えました(Bartlett 1994: 288)。 エジプトの事例のように、経済的自由がローマ帝国の全土で確保されていたわけではありませんでしたが、銀行業の規制緩和によって多くの銀行が設立され、それに伴って民間事業が拡大したことはローマの経済成長を大いに推進することになったと考えられています(Ibid.: 289)。 また...

「平時」の戦略を確立した政治学者バーナード・ブロディ

現代の安全保障環境は必ずしも武力を直接的に使用することができる状況にはありません。一度、戦争状態に入れば彼我が受ける損害は極めて甚大なレベルとなり、政治的目的を達成するにはあまりに軍事的負担が大きくなりすぎるためです。 これを避けるために、現代の戦略家が重視するのは武力の間接的な使用であり、強制外交や抑止がこれに当たります。 こうした時代の要請に応じて戦略の考え方を大きく見直す必要が生じたのは冷戦期に入ってからのことでした。今回は、冷戦期に新たな戦略の理解を確立することに寄与した ブロディ (Bernard Brodie)の戦略理論の一部を紹介したいと思います。 バーナード・ブロディとは誰なのか バーナード・ブロディ(1910-1978) 「米国のクラウゼヴィッツ」、「核戦略の創始者」と称される米国の政治学者。 彼が構築した抑止に基づく戦略理論は現在の安全保障学の研究の基礎となっている。 ブロディは戦略研究の方面で世界的に名前が知られた政治学者ですが、日本で彼を知る人はそれほど多くないため、簡単にその略歴を述べておきます。 彼は1910年にロシア帝国から米国に移り住んだユダヤ人の家庭に生まれ育ち、1940年にシカゴ大学で政治学の研究で博士号を取得しています。 第二次世界大戦では米海軍で作戦本部に勤務し、終戦後にはイェール大学を経て1951年にランド研究所に入所しています。 このランド研究所で行っていた核兵器の運用に関する戦略研究は、1954年の学会報告で知られるようになりました。 ブロディは核の時代における軍事力の意義は戦闘に勝利することではなく、抑止を有効にすることであると主張し、この考え方はその後の安全保障学の研究者に大きな影響を与えることになりした。 その後も数多くの研究を残していますが、1966年からカリフォルニア大学で政治学・国際関係論を教えており、1978年に死去しました。 「戦略にはドルマークがついている」 ブロディは核の時代に備えるべき戦争とは限定戦争であり、国家の限られた資源をどのような武器体系の開発に配分するかが戦略的な重要性を持つようになると考えていました。 つまり、国家が編成する防衛予算の規模とそれを配分する方法こそが戦略の中心的な課題として考察しなければならないと指摘...