日本は専守防衛の観点から、いわゆる攻撃的兵器を保有しない政策をとっていますが、その分類には何か学問的根拠があるのでしょうか。 そもそも、何のために兵器が攻撃的なものと防御的なものに区別されることになったのでしょうか。 この疑問について答えるためには、国際政治、安全保障の研究動向を少しさかのぼる必要があります。 今回は1940年代から1990年代にかけて技術と軍事バランスの関係をめぐる政治学者の学説をいくつか紹介し、そこで攻撃能力と防御能力が区別されるようになった経緯を説明したいと思います。 1940年代から1960年代までの代表的な研究 兵器を攻撃的兵器と防御的兵器に区別されるようになった遠因は、1945年の核兵器の登場にあります。 この出来事で軍事技術上の革新が世界の軍事バランスを一変させる可能性があることが学者の間で強く認識されるようになり、さまざまな研究が発表されました。 米国の研究者クインシー・ライト(Quincy Wright)も技術力と軍事バランスの関係に関心を寄せた一人であり、1949年の彼の論文「近代テクノロジーと世界秩序」は技術力が国際情勢に及ぼす影響を指摘するものでした(Wright 1949)。 また米国の政治学者 バーナード・ブロディ (Bernard Brodie)らが著した1962年の著作『クロスボウから原爆まで』も、軍事史の観点から武器の発達を辿る試みであり、技術革新が戦争の歴史に与えた影響が考察されています(Brodie and Brodie 1962)。 とはいえ、ライトとブロディは軍事バランスにとって技術力が与える影響が存在することを示唆するにとどまり、それに基づいて具体的なモデルを構築するところにまでは至っていませんでした。 こうした課題が解決されるのは1970年代の後半に入ってからのことであり、二人の政治学者の業績がその後の議論の潮流を作り出しました。 「安全保障のジレンマ」で予想された技術の影響 技術力と軍事バランスの関係を考える上で現在でも広く知られる業績は米国の政治学者ロバート・ジャーヴィス(Robert Jervis)によるものです。 ジャーヴィスは1978年に「安全保障のジレンマの下での協調」と題する論文において、攻撃能力と防御能力とを区別しています。 そし...
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