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2015年12月15日火曜日

いかにイギリスは急増する火薬の需要に対応したのか

ヨーロッパにおける戦争の歴史において白兵戦闘から火力戦闘への移行はちょうど15世紀に進み、16世紀になるとその軍事的重要性が幅広く認識されるに至っていました。
この動向は火薬という歴史的に見て新しい軍需を創出することになりました。しかし、ヨーロッパ列強の君主は増大する火薬需要に対して国内に生産基盤を整備することに大変な苦労をしなければなりませんでした。

今回は、近世ヨーロッパ列強でも特にイギリスが火薬の供給を確保するために実施した取り組みを紹介してみたいと思います。

ヨーロッパで貴重だった硝石
そもそもヨーロッパにおける火薬の製造の歴史は14世紀にまでさかのぼることができます。諸説ありますが、火薬を製造する技術は9世紀の中国大陸で見出すことができ、十字軍によるイスラム世界との接触を通じて1300年代にはヨーロッパに伝わっていたと考えられています。
しかし、ヨーロッパ人はこの火薬の知識を得た後でさえも、火薬を効率的に生産する技術を直ちに確立できたわけではありませんでした。なぜなら、ヨーロッパの湿気が多い気候では火薬を製造するために必要な硝石を入手することが技術的に難しかったためです。

14世紀の硝石の製造法として硝石丘法が一般に知られていましたが、これは生石灰、藁、土を丘のように重ねた地層に、動物や人間から採取した尿を投入し、その土を容器に入れて沸騰させ、冷まして結晶化するという工程を繰り返し行うというものでした。
この分野の研究によれば、硝石丘法は「産出量は低く、大量の土と尿を必要とした。最高に生産できて、45キロの土から0.4キロ足らずの硝石がとれるくらいだった」と述べられています(ポンティング、2013年、136頁)。
ちなみに15世紀におけるフランス軍の砲兵隊が一年に消費した火薬はおよそ20万トンと記録されています(同上、141頁)。
さらに15世紀から16世紀にかけて戦場における火薬の消費量が増大し続けたため、ヨーロッパ列強の君主は硝石の供給を確保するための施策を講じざるを得なかったのです。

イギリスにおける硝石不足の問題
この火薬の需要増加と硝石の供給不足という問題は、1641年に清教徒革命が発生し、内戦が激しさを増した際に一挙に表面化しました。
当時、国王と対立した議会は火薬庫の備蓄を使い果たして味方の部隊に火薬を供給することができなくなり、緊急の措置として各地の公安委員会に硝石を集める権限を与えました。公安委員会から指示を受けた硝石採掘人は一般個人の所有地である「ハト小屋、家畜小屋、地下室、地下貯蔵室、からの倉庫、ほかの離れ屋、中庭、および硝石がつくれる土がありそうな場所で硝石を探し、掘り起こした」とされています(同上、139頁)。

1656年に内乱が収束した後、イギリス政府はインド産の硝石に注目するようになります。
先程も述べた通り、ヨーロッパの気候は硝石の製造に適していませんでしたが、インドにおける現地調査が進むとインドが硝石の製造に都合がよいほど暑い気候であり、土壌に天然の硝石が多数存在することが分かってきました(同上、140頁)。
18世紀、インドを支配するムガル帝国の勢力が低下する中で、イギリスは勅令企業である東インド会社に軍隊を組織させ、インドにおける勢力拡大に乗り出します。

硝石の名産地だったインド
このイギリス人の侵攻に激しく抵抗したのがデカン高原一帯を支配するヒンドゥー教徒のマラーター勢力でした。
彼らはオスマン帝国を通じて火力戦闘の重要性をよく理解しており、硝石の生産に必要な軍需工場を自前で所有していただけでなく、東インド会社軍との戦闘では大砲とロケットを投入して長射程からイギリス人の戦列に損害を加え、マスケットを装備した歩兵で攻撃を加えてきたのです(同上、103-107頁)。

さらに加えてイギリス人のインド侵攻にはマラーター勢力だけでなく、フランス人も対抗しました。
当時のフランス軍もインドから輸入される大量の硝石に火薬の供給を依存していたことから、インドをイギリスの勢力圏とさせてはらなないと判断したためです。

しかし、1750年以後にイギリスがマラーター戦争での勝利によってインドでの支配権を強化すると、フランスは政策転換を余儀なくされ、国営の火薬硝石公社を設立して自給自足する路線を模索します。しかし、結局はフランス革命戦争・ナポレオン戦争で急増する火薬需要に対応うることができず、1793年に全ての国民の地下室、家畜小屋から硝石を収集することを義務付ける法案を議会で成立させることになりました(同上、142頁)。
このようにしてイギリスは他のヨーロッパ列強が不足に喘ぐ硝石を自国だけ大量に確保することを可能にしたのでした。

結びにかえて
硝石の不足という問題は近世ヨーロッパ列強の間で幅広く認識されていました。イギリスはいち早くこの問題を解決するためにインドの価値に着目し、マラーター勢力との戦争に勝利して豊富な硝石資源を獲得することに成功しました。
一般的にはイギリスがインド産品として注目したのは綿織物だったと説明されます。しかし、ヨーロッパにおける戦争の形態の変化、それに応じた新たな火薬需要、そしてインドで豊富に産出される硝石資源に歴史的な関係性があったということも興味深い歴史の一側面だと言えるでしょう。

KT

参考文献
Ponting, Clive. 2005. Gunpoweder: An Explosive History. Chatto & Windus.(邦訳、クライヴ・ポンティング『世界を変えた火薬の歴史』伊藤綺訳、原書房、2013年)

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