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米海軍の即応態勢を劣化させた原因の究明が進められている

9月1日、防衛研究所が2020年8月号のブリーフィング・メモとして「米海軍の即応態勢は何で決まるか」と題する資料を発表しています。 米国政府の報告書を検討し、 最近の米海軍の水上部隊の即応態勢を悪化させている要因を明らかにしようとする内容です 。水上部隊の戦闘力の維持を考える上で興味深い内容だったので、その要点をまとめて紹介します。 押手順一「米海軍の即応態勢は何で決まるか:艦艇、乗員、工廠、展開計画」ブリーフィング・メモ、防衛研究所、2020年8月号 このブリーフィング・メモが興味深いのは、これまで国防予算を議論する際に前提とされてきた考え方を見直す必要があることが示されている部分です。 これまでの海軍整備計画の議論では、艦艇数や乗員数は部隊の量を、装備の近代化は部隊の質を、そして艦艇の整備や乗員の訓練は部隊の即応態勢を決める要素と見なされてきました。この考え方に従うならば、それぞれの要因が独立して戦闘力に影響を及ぼすので、部隊の規模を抑制したとしても、装備の近代化や即応態勢の強化を十分に実施しておけば、部隊の戦闘力を結果として維持できると考えることができます。 しかし、(1) 兵員や艦艇の数だけで戦力の規模を見ることができないこと 、そして(2) 戦力の規模をある程度確保しなければ、即応態勢を維持することも難しくなること が、この資料で解説されており、やはり戦力の数的規模を十分に確保しなければ、即応態勢を維持することが難しいとの見方が示されています。 まず、部隊の規模についてですが、海上戦力の規模を決める艦艇の数に関して、米海軍は長期にわたって削減を進めてきました。米ソ冷戦が終わる1990年代までの米海軍は500隻から900隻ほどの艦艇を保有していましたが、2015年に271隻にまで削減されており、2020年でも298隻しか保有していません(p. 2)。海外に展開する艦艇の規模は約100隻と変化していないのですが、米海軍の戦力全体の中で海外展開に従事する艦艇の割合は大幅に増加していることが指摘できます(Ibid.)。それだけ艦艇を長期にわたって展開する必要が出てくるため、艦艇の損耗も激しくなり、整備の負担も増加しやすくなります。これは即応態勢を維持する上で障害となる問題だと指摘されています(Ibid.)。 戦力規模を決める乗員の数についてですが、こちらも米海軍で...

グローバル経済において「経済戦」への備えが求められている

2020年7月、ランド研究所の研究員ハワード・シャッツ(Howard J. Shatz)が、軍事的な目標を達成する手段として経済力を活用する方法を考察した研究成果を発表しています。 Shatz, H. 2020. Economic Competition in the 21st Century , Research Report, RAND.( https://www.rand.org/pubs/research_reports/RR4188.html ) シュッツは国家間の経済的競争を経済的観点から分析しているだけでは不十分であり、政治的・戦略的観点から考察することが欠かせないと考えました。 これは国際政治学、あるいは国際政治経済学の視点です。シュッツは経済システムの問題は、生産性を向上させ、人々の生活を豊かにする方法を明らかにすることだけにとどまらないと考えました。 他国が経済力を政策手段として運用した場合、自国にどのような経済的影響が出てくるかを考慮した上で経済政策を考えなければならない というのがシュッツの基本的な立場です。 例えば、国際貿易の問題をめぐっても、単に貿易相手に対する自国の比較優位を判断し、生産性が高い財やサービスに生産要素を集中すればよいという問題ではありません。 なぜなら、どちらの国の製品規格を国際標準として定めるかによって、その後の貿易でどちらの国の事業者が優位に立てるかが大きく左右されるためです。この国際標準の問題に関しては中国が強い関心を持っているとシュッツは指摘しています。 「標準は企業の競争力に影響を与える可能性があるため、中国は国際標準を定める国際機関への参加を増加させてきた。中国の標準設定の取り組みは、民間部門が開発した自主的な標準に依拠せず、政府主導の規制に依拠する傾向があるため、その標準は義務的なものである。これが競争に与える影響はさまざまに考えられる」(Shatz, 2020: 28) 中国は一帯一路構想によって巨大な経済圏を構築することを目指しており、もし中国が設定した国際標準がこの経済圏で取り入れられることになれば、中国の事業者はこの経済圏において大きな優位を占めることが可能になります。現代の国際社会において経済的手段がどのように行使されるのかを示す事例と言えます(Ibid)。 このような可能性を考慮すれば、経済政策...

用語解説 戦力投射(force projection)とは何か

戦力投射(force projection)とは、味方の作戦部隊を動員してから、作戦地域へと移動を完了し、さらに戦闘展開するまでの一連の部隊活動をいいます。 戦略投射能力に優れた軍隊とは、大規模な部隊を所望の地域に迅速に展開させる能力を備えた軍隊だといえるでしょう。 今回は、米軍の教範での戦力投射の解説を紹介し、戦力投射の原則や具体的な意味の内容について考えてみましょう。 戦力投射は勢力投射の一要素である そもそも戦力投射は作戦レベルで軍事行動を分析する際に使われることが多い用語です。 それは戦時だけでなく、平時においても実施される場合があり、例えば危機管理のため緊張が高まっている地域に予防的に展開することも戦力投射の一種と位置付けることができます。 米軍の教範では次のように説明がなされています。 「戦力投射は勢力投射の軍事的要素である。それは国家軍事戦略の中心を占める。最も重要なのは速度であり、戦力投射は味方の部隊と敵の部隊との競争である。最も素早く戦闘力を構築できた側が主導権を獲得できる。したがって、各段階の速度や輸送手段が決定的な意義を持つわけではなく、敵の準備が整う前に、あるいは状況がさらに悪化する前に作戦地域に戦闘可能な部隊が展開することが決定的な意義を持つのである」(FM 3-0, C1: 1-25) 戦力投射と似た用語に勢力投射(power projection)という用語があるのですが、この解説で指摘されている通り、戦力投射は軍事行動に意味が限定された用語です。 したがって、非軍事的手段をも駆使して自国の影響力を遠隔地に及ぼそうとする勢力投射とは区別しなければならないということです。 戦力投射のプロセスを分析する また、戦力投射の具体的なプロセスについても概観されていますが、その詳細は以下のように区分されています(Ibid.)。 ・動員(mobilization):軍隊を戦闘可能な勤務状態に移行させ、部隊の人員、武器、装備を充足させる過程のこと。 ・展開(deployment):命令を受けて作戦地域に部隊を移動させること。 ・運用(employment):任務遂行に必要なあらゆる種類の作戦行動をとること。 ・後方支援(sustainment):部隊が任務を遂行するまで、武器や弾薬を補給し、人員の衛...

道路と行進―行進速度を計算する方法―

私たちはどこかに行こうとすると、どのような経路が使用できるのか、どれだけ時間がかかるのかを調べます。 軍隊の作戦計画を立案する作業でも、同じような経路研究が行われていますが、異なっているのは移動しようとする車両が1両ではないということです。 小隊や中隊程度の部隊規模であれば、特に複雑な計算は必要ないかもしれませんが、師団や軍団になってくると、行進の問題は極めて複雑になってきます。 今回は、軍団が車両行進を実施する場合を想定し、行進を計画する際に考えるべき問題を紹介し、分進合撃の有効性についても触れたいと思います。 細い道路に阻まれる巨大な部隊 3個師団で編成された軍団の指揮をとっていると想定しましょう。 この軍団を1本の道路上で前進させなければならないのですが、ざっと見積っても25,000両の車両を一斉に動かす必要があるとします。 このような条件下で25km前進するためには、どの程度の所要時間を見積もるべきでしょうか。 ここでは問題点を分かりやすくするために、行進縦隊ごとの間隔は無視することにしましょう。 車両間に100mの安全間隔を設定すると、1km当たり10両が路上の空間を占有しながら走行することになります。 したがって、軍団が道路を前進しようとすれば25,000/10=2,500となり、つまり路上空間を2,500kmにわたって占有することが予測されます。 変な話に聞こえますが、路上にずらりと並んだ軍団の全長は、これから前進しようとする距離の100倍の長さになるのです。 これだけ行進する部隊が大規模になると、時速25kmで安全走行を心がけ、道路状況に一切の異常がなく、25,000両が全て交通事故を起こさないとしても、25kmの前進には4日以上かかると考えられます。 ただし、どこか一カ所でも交通事故が起きれば、後続の車両がすべて遅れることになるため、実際に目的地に到着する時間はさらに遅れる可能性があるものと考えなければなりません。 行進のスケールをこのような数字で捉えると、軍隊の移動が一般的に考えられているより難しい問題であることが分かるのではないでしょうか。 分進合撃の威力を数字で考える さらに議論を先に進めてみましょう。1本の道路で軍団の行進速度を向上させるには限界があることが分かりました。このままでは...

学説紹介 いかに鉄道は戦略を変えたのか―経済学者リストの議論を中心に

一般にフリードリヒ・リストは経済学者として知られています。 外国との自由貿易で従属的地位に置かれているドイツ経済の状況を問題視し、その脱却のために保護関税を重視することを主張していました。 しかし、リストは経済学だけでなく、軍事学の世界でもよく知られた学者であり、特に鉄道が戦略に与える影響についての考察は高く評価されています。しかし、その内容は日本であまり知られていません。 今回は、アールの研究に沿って鉄道と戦略に関するリストの学説を紹介したいと思います。 鉄道がドイツに内線の優位をもたらす フリードリヒ・リスト(1789-1846)ドイツの経済学者 軍事学においては鉄道と戦略の関係に関する考察が高く評価されている ドイツで最初の鉄道が開業した1835年、リストはドイツ全土で鉄道の建設を推進することを主張する雑誌『アイゼンバーン・ジャーナル』を刊行しました(アール、224頁)。 その誌上でリストはドイツにとって鉄道が極めて重要な価値を持つものであることを経済的、軍事的観点から考察しています。 リストが鉄道にこだわった理由の一つが、ドイツの防衛体制を大きく改善する可能性があったためです。 ヨーロッパ大陸で列強に取り囲まれているドイツは周辺諸国の戦争に巻き込まれやすいという地政学的リスクを抱えており、どこか一方の正面で敵に抵抗しようとしても、他方の正面から脅威が及ぶリスクがありました。 しかし、新たに鉄道をドイツ全土に敷設すれば、異なる正面で兵力の動員と移動が容易となり、ヨーロッパの中央部でどの正面に対しても迅速に作戦行動をとることが可能になることにリストはいち早く気がついたのです。この先見性をアールは次のように評価しています。 「リストは他の誰よりも早く、鉄道によってドイツの地理的な立場が大きな力の源泉になり、軍事的な弱さの主要な原因の一つではなくなると予見していた。(中略)動員の速度が速くなり国の中心部から周辺の地域に敏速に部隊を移動させることができるし、鉄道が持つ「内線」上の利点はヨーロッパの他のどの国よりもドイツに相対的優位を与えることになろう」(同上) アールの説明でははっきりと国名が述べられていませんが、要するにドイツを東部から脅かすロシアと西部から脅かすフランス、これら二カ国を相手にした作戦で兵力の転用が非常...

事例研究 第一次世界大戦のドイツを苦しめた食料問題

「腹が減っては戦はできない」という言葉はよく知られています。 つまり、広大な領土を持ち、世界に誇る工業力、軍事力を備えた国家であっても、ひとたび食糧難に直面すれば、敗北してしまうという意味です。 ドイツ人はこのことは第一次世界大戦で身をもって知ることになりました。 今回は、『総力戦』の著者であるドイツ陸軍軍人エーリヒ・ルーデンドルフ(Erich Friedrich Wilhelm Ludendorff, 1865-1937)が、戦時中の食糧難の問題についてどのように考察していたのかを紹介してみたいと思います。 食料確保が戦略の目標となる 第一次世界大戦が勃発した1914年当時、ルーデンドルフは西部戦線で第2師団を指揮していましたが、東部戦線で功績を上げた後で1916年に参謀次長(後に第一兵站総監に改称)に就任しており、ドイツ軍の戦略に直接責任を負っていた人物です。 戦後に出された『総力戦』はそうした経験が反映されており、兵力の展開、移動、集中といった古典的な戦略問題も考慮されているのですが、特に興味深いのは戦時経済に関する考察です。 それを読むと、食料問題についてルーデンドルフが大きな関心を払いながら戦争を指導していたことが分かります。 「ドイツで、人への食料と、家畜への飼料の供給が世界大戦中にどれほど深刻なまでの展開していったのかは、世界大戦を意識的に体験した世代にとっては記憶にまだ新しいであろう。少なくとも人間用の食料と可能であれば飼料についても必要量を確保しようとする努力を正しく評価するために、このことは記憶にできる限りしっかりとどめておかなければならない」(邦訳、ルーデンドルフ、64頁) 食糧難が具体的にどのような影響をもたらしのかを説明するために、ルーデンドルフはルーマニアとウクライナでのドイツ軍の作戦について次のように書き記しています。 「例えば、後者(飼料のことを指す)の不足がどれほど深刻なものであったかは、私が東部で少なくとも胃袋を満たすことができるように馬用の資料におがくずを混ぜなければならなかったことから理解できる。その際に、馬の体力と健康が低下したことは、その深刻な帰結であった。ルーマニアが我々へ宣戦布告した後、対ルーマニア戦をワラキアの獲得まで継続するという私の決意は、同盟国の困難な食糧供給に関す...

「平時」の戦略を確立した政治学者バーナード・ブロディ

現代の安全保障環境は必ずしも武力を直接的に使用することができる状況にはありません。一度、戦争状態に入れば彼我が受ける損害は極めて甚大なレベルとなり、政治的目的を達成するにはあまりに軍事的負担が大きくなりすぎるためです。 これを避けるために、現代の戦略家が重視するのは武力の間接的な使用であり、強制外交や抑止がこれに当たります。 こうした時代の要請に応じて戦略の考え方を大きく見直す必要が生じたのは冷戦期に入ってからのことでした。今回は、冷戦期に新たな戦略の理解を確立することに寄与した ブロディ (Bernard Brodie)の戦略理論の一部を紹介したいと思います。 バーナード・ブロディとは誰なのか バーナード・ブロディ(1910-1978) 「米国のクラウゼヴィッツ」、「核戦略の創始者」と称される米国の政治学者。 彼が構築した抑止に基づく戦略理論は現在の安全保障学の研究の基礎となっている。 ブロディは戦略研究の方面で世界的に名前が知られた政治学者ですが、日本で彼を知る人はそれほど多くないため、簡単にその略歴を述べておきます。 彼は1910年にロシア帝国から米国に移り住んだユダヤ人の家庭に生まれ育ち、1940年にシカゴ大学で政治学の研究で博士号を取得しています。 第二次世界大戦では米海軍で作戦本部に勤務し、終戦後にはイェール大学を経て1951年にランド研究所に入所しています。 このランド研究所で行っていた核兵器の運用に関する戦略研究は、1954年の学会報告で知られるようになりました。 ブロディは核の時代における軍事力の意義は戦闘に勝利することではなく、抑止を有効にすることであると主張し、この考え方はその後の安全保障学の研究者に大きな影響を与えることになりした。 その後も数多くの研究を残していますが、1966年からカリフォルニア大学で政治学・国際関係論を教えており、1978年に死去しました。 「戦略にはドルマークがついている」 ブロディは核の時代に備えるべき戦争とは限定戦争であり、国家の限られた資源をどのような武器体系の開発に配分するかが戦略的な重要性を持つようになると考えていました。 つまり、国家が編成する防衛予算の規模とそれを配分する方法こそが戦略の中心的な課題として考察しなければならないと指摘...

論文紹介 第一次世界大戦の原因は「シュリーフェン・プラン」だけではない

1914年、西部戦線に向けて鉄道で輸送されるドイツ軍の部隊。 車体の落書きにはドイツ語で「パリへの旅行(Ausflug nach Paris)」などと書かれている。 第一次世界大戦(1914年7月28日 - 1918年11月11日)の諸要因で特に重要だったのはドイツの戦争計画だったという説があります。それによれば、当時のヨーロッパ大陸で東のロシアと西のフランスに挟撃される事態を恐れたドイツが、両国を各個撃破する目的で対フランス戦を急いだ結果、第一次世界大戦が引き起こされたと考えられています。 しかし、この説明は完全なものではありません。というのも、ドイツよりもロシアが先に動員を行っていたことが十分に考慮されていないためです。 今回は、第一次世界大戦の要因を考え直すために、当時のロシアが行った動員の政治的な重要性について再評価を試みた研究を紹介したいと思います。 文献情報 Trachtenberg, Marc. 1990-1991. "Meaning of Mobilization in 1914," International Security , 15(3): 120-150. 第一次世界大戦直前の国際情勢と軍事バランス 第一次世界大戦における主要陣営の政治地図。ドイツ、オーストリア、イタリアから構成される同盟国(茶色)と、イギリス、フランス、ロシアから構成される協商国(緑色)の間で戦われた戦争。この政治地図では同盟国の盟主であるドイツはロシアを東側に、フランス、イギリスを西側に挟まれる位置関係にあることが分かる。 第一次世界大戦はイギリス、フランス、ロシア(後にアメリカ、イタリア)等の協商国とドイツ、オーストリア(後にトルコ)等の同盟国との戦争でした。 この戦争がどのような軍事バランスの下で勃発したのかをドイツの視点から簡単に解説しておきたいと思います。 ドイツにとって最も脅威が大きかったのは動員規模が大きいロシアでした。その兵力は1300万名程度であり、ドイツの兵力1325万名にほぼ匹敵します。ドイツと同盟関係にあるオーストリアの兵力は900万名ですが、ロシアと手を結ぶフランスの兵力が820万名であることも考えると、ドイツがこのロシアの脅威に対処できるかどうかは非常に難しい状況にありました。 戦争...

事例研究 作戦線から見た太平洋における米軍の対日作戦

太平洋方面における米軍の作戦を指導したマッカーサー(左)とニミッツ(右)。 戦略学の分析概念の一つに作戦線(line of operation)というものがあります。 これは作戦部隊と作戦基地を結びつける交通手段のことを意味しており、戦域の各方面で展開する部隊は兵站上の理由からその本国と継続的に連絡できる状態を維持しなければなりません。 作戦線を検討すると、さまざまなことが分かるのですが、ある作戦線を特定することによって敵が将来実施しようとする作戦のパターンを予測することができる場合があります。 今回は、太平洋における米軍が1943年以降にどのような対日戦略をとったのかを理解するため、作戦線に着目して考えてみたいと思います。 1942年、米軍が選択可能な戦略 1941年に日米が開戦し、日本が太平洋、アジアの両方面で順調に勢力圏を拡大しつつありましたが、その攻勢の勢いも1942年の時点には衰えつつありました。そこで米国としては日本を降伏にまで追い込むための反攻を計画し始めることになります。 まず、日本を打倒するためには東京を米軍の勢力圏に入れる必要がありますが、東京に対する航空攻撃を実施するために確保すべき作戦基地を考えると候補地は二つあり、一つは北海道、もう一つはルソン島・台湾(中国沿岸)・沖縄の地域でした。 どちらの目標に向かうのかという論点でも議論が分かれますが、さらにこれらの目標に向かうためにどのような作戦線を選択するのかという論点でも議論が分かれます。したがって、戦略案は大まかに次の五通りの意見に分かれます。 第一案、アラスカから出発して北太平洋のアリューシャン諸島を軽油し、北海道に侵攻する戦略。 第二案、ハワイを起点とし、ギルバート諸島、マーシャル諸島、カロリン諸島、マリアナ諸島、パラオ諸島、そしてルソン島、台湾、沖縄を目指す戦略。 第三案、オーストラリアを起点としながら、ニューギニア島、ハルマヘラ島、パラオ諸島、ミンダナオ島を順次経由してルソン島、台湾に侵攻する戦略。 第四案、インドから出発し、ビルマから中国に入り、広東省、香港、上海という順番に攻略していく戦略。 第五案、同じくインドから出発しますが、これはマラッカ海峡を通過して南シナ海から台湾(中国沿岸)へ進攻する戦略。 (Coakley and Leig...

兵站システムから基地の機能を考える

基地の問題を考える際に私たちがまず思いつくのは、騒音の問題や近隣住民とのトラブル等かもしれません。 しかし、兵站学の立場から基地を考える場合には、その基地だけを取り上げることは適当ではありません。基地の価値は他の味方の基地の所在や、仮想敵国の部隊配備等によって変化するためです。 今回は、兵站の観点から基地の価値を分析する方法を説明するために、兵站システム(logistical system)という概念を紹介したいと思います。 兵站支援の概要 そもそも兵站の目的とは作戦部隊の戦闘力を維持増進するために必要な人員、武器、物資等を充足させることにあります。 このような目的のために使用される需品、整備、輸送、衛生等の職種の部隊は戦闘部隊と一般に区別され、兵站部隊と呼ばれます。 兵站システムとは、これら兵站部隊を有機的に組み合わせて運用するための組織のことであり、基本的には兵站基地(logistical base)と支援地域(support area)の二つ要素を組み合わせて構成されます。 非常に大雑把な整理をすると、兵站基地はより固定的な兵站支援の拠点であり、支援地域は作戦の進展に応じて所在が変更される流動的な兵站支援の拠点です。 しかし、兵站基地と支援地域もさらに細かく分類されます。 (1)兵站基地の分類 ・中央兵站基地:国家的観点から生産、流通にとって重要な地域に設定される兵站基地であり、兵站システムの中枢を構成。 ・方面兵站基地:方面隊(軍団レベル)がそれぞれの作戦地域において設けられる兵站基地。 ・方面前進兵站基地:方面兵站基地の分派として状況の必要に応じても受けられる兵站基地。 (2)支援地域の分類 ・前方支援地域:師団等を直接支援する方面隊の兵站部隊が展開する支援地域。 ・師団段列:師団の人事・兵站に関する業務を遂行する部隊、機関の総称。 ・部隊段列:連隊・大隊等において人事・兵站に関する業務を遂行する部隊、機関の総称。 戦略兵站・作戦兵站・戦術兵站の区分 順番に説明すると、中央兵站基地が全軍の兵站システムの中心として位置付けられます。 そこを起点として主要な戦略単位である軍団の作戦地域に置かれた兵站基地がそれぞれ設定されます。 一般に戦略兵站(strategic logistics)と呼ばれるのは、この...

論文紹介 米国のオフショア・コントロールと日中貿易のリスク

オフショア・コントロール(offshore control)とは、現在米国で研究が進んでいる対中戦略の一種です。 すでに中国は第一列島線、第二列島線によって地理的に区切られた防衛圏を形成する構想を明らかにしており、近年の中国の海洋進出はこのような構想を実現するための活動と考えられています。 中国が設定する第一列島線と第二列島線の位置関係。 (平山2014: 11)より引用。 この中国の戦略に対抗するため、米国では当初、海軍と空軍の協同連携によって中国の重層的な防衛線を潜入突破することを目指す戦略構想、エアシー・バトルの研究が始まりました。 しかし、予算見積の結果を受けて、エアシー・バトルは国防予算の制約上、実行可能性に乏しいことが批判されるようになりました。 結局2015年現在では抜本的に戦略の見直しが進められることになっており、そのエアシー・バトルの代替案として浮上したのがオフショア・コントロールです。 今回は、海上自衛隊幹部学校から出されている研究論文を紹介し、特に日本の立場からオフショア・バランスを考察した部分を中心に紹介します。 文献情報 平山茂敏「オフショア・コントロール戦略を論ずる―「戦争を終わらせるための戦略」と日本の選択」『海幹校戦略研究』2014年6月(4・1)6-26頁 (http://www.mod.go.jp/msdf/navcol/SSG/review/4-1/4-1-2.pdf) この論文は、米国のオフショア・バランスがどのような戦略であるのかを解明するために、この構想の提唱者である米国防大学のハメス(T. X. Hammes)の研究内容を調査しています。 その調査結果をまとめると、オフショア・コントロールとは中国と米国の限定戦争を想定した上で次のような構想が盛り込まれています。 (1)中国の沿岸から第一列島線までの海域に潜水艦部隊等を進出させ、中国海軍がその海域で海上優勢を確立することを拒否する。 (2)中国の第一列島線上に位置する海域または空域を防衛する。 (3)第一列島線から外側の海域または空域に対する支配を強化し、特に中国の船舶に対してはチョークポイントを封鎖する。 チョークポイントの封鎖はいわば中国の軍艦、商船の両方を海上交通路から排除するという海洋戦略であり、米中の対立が...

論文紹介 いかに空軍の後方支援はあるべきか

一般的に思い描かれる航空作戦のイメージは、空中で敏速に機動しながら戦う航空機の戦闘です。しかし、より大局から見れば航空作戦は空中で戦われる前の段階、つまり地上で航空機が補給・整備を受ける段階から始まっていると言えます。 今回は、航空作戦でもあまり目立たない後方支援に関する教義について考察した研究成果を紹介したいと思います。 文献情報 Reynolds, Dennis L. 1989. Combat Support Doctrine: Guidance or Hinderance? Research Report, Maxwell: Air War College. この研究で展開された著者の議論の出発点になるのは、1985年に米空軍が初めて兵站、特に後方支援に関する包括的な教義を明らかにした教範『空軍教範1-10:後方支援教義(Air Force Manual 1-10: Combat Support Doctrine)』です。 そもそも教義とは軍隊の作戦の基礎的原則であり、したがって平時における教育訓練の内容を定める基準としての性格もあります。 したがって、『後方支援教義』は、空軍として戦闘力を創出し、それを維持する方法に関する教義として非常に幅広い活動に適用されることが想定されています。 この教範の内容を少しだけ取り上げて紹介すると、例えば航空戦力に対する後方支援の原則として以下のものが列挙されています。 即ち、目標の原則、リーダーシップの原則、効率の原則、障害/摩擦の原則、均衡の原則、統制の原則、柔軟の原則、調整の原則です(Reynold 1989: 16)。 著者はこれらの原則は確かに兵站の研究で一般的に受け入れられている原則ともよく一致しているとしながらも、航空作戦における兵站の特性が十分に考慮されたものとは言えないと批判しています。特にいくつかの原則に関しては明確に抹消されるべき原則である、とさえ述べています(Reynold 1989: 30)。 この理由を説明するために著者は、当時の米軍が想定する主戦場がどこであるかを思い出す必要があることを指摘しています。 つまり、ワルシャワ条約機構軍と北大西洋条約機構軍が対峙するヨーロッパ地域こそが米空軍の考える戦域であり、ここで戦争が開始されるとソ連は第一撃をもって最...

適切な行進こそ戦略の最重要事項

戦略は政治的目的を達成するために軍事的手段を適用する方法を意味します。 戦争で政策上の目標を達成するために軍事力を使用するには、作戦地域の重要な地点に部隊を前進させることが不可欠です。 つまり、私たちは行進が戦略上の手段であることを認識しなければなりません。 ある地点から別の地点へと部隊を移動させる方法がどれほど優れているかによって、戦闘において敵よりも優勢な勢力で交戦することができるかどうかが決まってしまいます。 もし全体として敵国よりも優秀な武器と多数の兵士を保有しているとしても、戦場となる場所に集中させることができなければ意味がありません。 このことは クラウゼヴィッツ の議論でも明らかにされていることです。 「行進は、戦略がその有効な原理と見なすところの戦闘を、戦場において適宜に配分するいわば道具である。ところで戦闘は、行進の経過をもって始まるのではなくて、行進の結果をもって始まるのである」(クラウゼヴィッツ、上147頁) 戦略家は部隊を所定の地点まで行進させますが、それは単に目標とする場所への移動ではなく、敵の部隊もまた移動することを考慮しなければなりません。 自国の作戦基地から出発して敵地の首都を目指して前進しなければならない場合、どこで敵の部隊と接触するのか、いつまでに味方の部隊をそこに集結させなければならないのか、そしてどのような経路、どのような編成で行進を実施させるのか決断する必要が出てきます。 これらの決定は作戦の成否にとって重要な意味を持っています。 一例として、クラウゼヴィッツはナポレオンのロシア遠征作戦を挙げて検討を加えています。 1811年6月24日にフランス軍がニエメン川を渡河した際には301,000名の兵士を数えていました。しかし、8月15日にナポレオンはフランス軍の13,500名をスモレンスクへと派遣していますので、モスクワに到達した部隊の規模は287,500名という計算になるはずです。 しかし、実際にモスクワに到着したフランス軍の人員は182,000名に過ぎません。つまり、損害は105,000名と算出されます。 途上での戦闘は二回ありましたが、それらの戦闘の損害の推定値はおよそ10,000名であるため、52日間に70マイル前進するための連続的な行進によって落伍者、疾病者など95,000名の...

軍事学における兵站とは何か

軍事学の研究においても、兵站という専門用語を定義することは簡単なことではありません。 それは学説によって意味が異なるためですが、陸軍、海軍、空軍によっても意味合いが異なることも関係しています。 しかし、今回は兵站を理解する出発点として、19世紀の学説を中心に兵站の概念がどのように考えられてきたのかを整理してみたいと思います。 19世紀の軍事学の研究に大きく寄与した アントワーヌ・アンリ・ジョミニ の説によれば、兵站は部隊を移動させる戦争術の一種であり、戦略と戦術に並ぶ戦争術の第三の部門に位置付けられています。 その具体的な内容について見てみると、18に区分された上で説明されています。 その説明の一部だけを取り上げると、兵站は軍を移動させて作戦行動を開始するために必要な物資の調達、管理や、現地で必要な情報資料を獲得するための偵察、部隊を行進させるために前衛、後衛、側衛などを適切に組織すること、宿営地を開設して部隊を休息させることや負傷者を病院に収容することなどを含んでおり、以上を実施するために必要な計画立案も意味します(Jomini 1862: 254-256)。 これだけ見ても、兵站=補給と断言することは間違っていることが分かるかと思います。兵站は作戦行動に必要な準備の一切を含むものであり、少なくとも理論の上では補給はあくまでも兵站の一機能を果たすものに過ぎません。 クラウゼヴィッツ の『戦争論』においても、兵站に関する分析が展開されていますが、ジョミニとは異なる用語で次のようにその重要性を説明しています。 「軍の給養は、近代の戦争においては往時に比して遥かに重要な事項になった。しかもそれは二件の理由による。第一は、一般に近代の軍は、兵数において中世の軍はもとより古代の軍に比してすら著しく巨大になったということである。(中略)第二の理由は、これよりも遥かに重要でありまた近代に特有のものである、即ち近代の戦争における軍事的行動は、以前に比して遥かに緊密な内的連関を保ち、また戦争の遂行に当たる戦闘力は不断に戦闘の準備を整えているということである」(クラウゼヴィッツ、1968:中216) クラウゼヴィッツは軍事力を基礎付けている兵站の重要性について特別な注意を払っており、『戦争論』では物資の調達や輸送の問題について興味深い記述が多数見られ...

文献紹介 戦時経済の問題とは何か

兵站はしばしば軍事兵站のことだけを指して用いられますが、近代以降の戦争においてこの理解は間違っています。 なぜなら、近代戦争は自然とその国家の経済力を総合発揮することが必要とされるため、国民経済の総体を広い意味で兵站の一部として管理する場面が多く出てくるためです。 このような経済システムは研究者からしばしば戦時経済または戦争経済と呼ばれています。 今回は、戦時経済の問題について考えるための参考として、第二次世界大戦時に執筆されたドイツの戦時経済に関する著作を紹介したいと思います。 文献情報 Oesterheld, Alfred. 1940. Die deutsche Kriegswirtschaft, Leipzig: Felix Meiner Verlag.(邦訳、エスターヘルト『独逸の戦争経済』独逸文化研究会訳、日光書院、1940年) この著作は戦時経済の研究書というよりも概説書と位置付けるべきもので、解説されている事柄は生活物品から鉱業資源、金融商品にまで多岐に渡ります。 個々の記述は要約的なものですが、戦時経済の全体像がよく整理されています。 まず戦時経済への転換ついて見てみると、第二次世界大戦が勃発した当時、ドイツ政府は直ちに労働力の再編成のため数十万名にも上る男女の職場移動を実施しました(前掲、2-3頁)。 このような大規模かつ急激な転職を可能にしたのは、平時からドイツで実施されていた非熟練労働者に対する職業訓練計画でした。 非熟練労働者に新開発された産業技術を事前に指導しておく訓練を実施しておくことで、戦時経済に転換した後に製造や運輸などの作業場で迅速に適用できるように準備することができました(前掲3頁)。 ベルリン市の状況を見ても、独ソ戦が始まる1940年までに、およそ50万名の男女が企業の内部または外部における研修を受けており、ドイツが戦時経済での労働力の運用に柔軟性を準備していたことが分かります(前掲、4頁)。 また企業の側に注目すると、戦時経済への転換した際に激増する受注に対処する必要がありました。 この問題についてもドイツでは平時からの措置が講じられていました。 防衛産業だけでなく多数の一般企業に軍需生産に関連する仕事を発注しておくことで、潜在的な防衛生産体制を構築する努力をしていたのです。...

文献紹介 重たい部隊は強く、軽い部隊は弱い

戦争が勃発して直ちに地上部隊を遠隔地に展開する能力を持っていれば、それは間違いなく戦略的な優位を国家にもたらします。 在外基地を建設し、そこに部隊を駐留させる経費は大いに節約されることでしょう。 しかし、そのような試みが本当に実行可能かどうかは、兵站の実態と照らし合わせて慎重に考える必要があります。 今回は、特に長距離の部隊移動に関する陸上戦力の輸送手段を考察した研究を紹介したいと思います。 文献情報 Eugene C. Gritton, Paul K. Davis, Randall Steeb, and John Matsumura. 2000. Ground Forces for a Rapidly Employable Joint Task Force: First-Week Capabilities for Short-Warning Conflicts , Santa Monica: RAND. この研究が発表された背景として、2000年初頭における陸上戦力の戦略機動に関する議論が関係していました。 当時、航空輸送能力の発達によって陸軍の移動はこれまで以上に迅速になったため、それほど前線付近に部隊を配置しなくてもよいではないかという議論がありました。 しかし、この研究は航空輸送の限界を指摘し、そのような主張に根拠がないことを明らかにしたのです。 この研究の焦点は、作戦を開始する日から7日以内に陸上戦力を即応展開するための輸送手段の評価にあります。 そもそも、兵站の観点から考えれば、輸送する部隊の規模が大きくなるほど輸送力は不足しがちとなるので、即応展開の部隊の装備や物資は小規模なものでなければなりません。 そのことを表しているのが次の図です。 米軍の部隊が戦地に展開するまでに何週間を要するかを概観したグラフ。 左から海兵遠征部隊は0.5週未満、第82空挺旅団は1週未満と見積もられている。 また海兵遠征旅団、陸軍機械化旅団の所要時間は1.5週であり、重武装の陸軍師団は4週間となる。 なお、棒グラフの黒色部分は変動する可能性が大きい幅を示している。 (Gritten, et al. 2000. p. 13)より引用。 この図表を読んでみても、正規の装備を備えた戦闘部隊が戦地に展開するためには、一定の時...

クラウゼヴィッツの兵站学

戦場において危険と苦痛に立ち向かうことは、兵士として最も優れた美徳と言えるでしょうが、それは各人の空腹が満たされている場合にのみ発揮することができると言っても過言ではありません。 食料を欠かさず部隊に提供することができなければ、どれだけ多数の兵士がおり、どれだけ高価な武器が配備されていたとしても、戦争を遂行することは不可能です。 今回は、クラウゼヴィッツの著作で兵站学の観点から補給、特に兵士の食糧を給養する問題に関する考察を紹介したいと思います。 「軍の給養は、近代の戦争においては往時に比して遥かに重要な事項になった。しかもそれは二件の理由による。第一は、一般に近代の軍は、兵数において中世の軍はもとより古代の軍に比してすら著しく巨大になったということである。(中略)第二の理由は、これよりも遥かに重要でありまた近代に特有のものである、即ち近代の戦争における軍事的行動は、以前に比して遥かに緊密な内的連関を保ち、また戦争の遂行に当たる戦闘力は不断に戦闘の準備を整えているということである」(中216) 近代戦争において敵と継続的に対抗し続けるために、独立した補給体系が確立されたことは、クラウゼヴィッツにとって必然的なことだと考えられていました。 特に、フランス革命が勃発して以降の戦争で実施された兵站の方式を見てみると、フランス軍の将軍たちは軍隊の補給の一切を徴発、奪取、略奪に頼るようになっており、これが戦争を遂行する新方式になったと述べられています(中221)。 さらに詳細に当時の兵站を調べると、このような現地での物資の調達にも四種類の異なる手法が組み合わせて用いられていたことが説明されています。 ・舎営する市町村による給養 これは人口稠密地において貯蔵されている食料を軍隊に提供させる方法であり、一般に都市部よりも農村部において調達が容易であると述べられています。 クラウゼヴィッツが述べているところによると、1平方マイル当たり2000名から3000名の人口を有する地方であれば、150,000名の軍隊は1日から2日は食料の補給に支障を来すことはありません(中224)。 ・軍隊自身の徴発による給養 ここで考慮されているのは10,000名程度の師団の補給であり、それ以上の規模の部隊の給養であれば、このような方式は有効ではないとされています。と...

論文紹介 強大な戦闘力は戦略的機動性を低下させる

戦略学の問題の一つに、部隊の戦闘力を強化しようとすると、戦略上の機動で支障を来し、反対に戦略上の機動力を向上させようとすると戦闘で発揮可能な能力が低下するというトレードオフの問題があります。 今回は、戦略学の観点から、火力と機動という相反する能力を陸上戦力としてどのように均衡させるかを検討した論文を紹介したいと思います。 文献情報 Adams, John A. 1988. "Balancing Strategic Mobility and Tactical Capability," Military Review , 68(8): 9-23. 著者はさまざまな状況に対応するためには、軍事力を四つの観点から考察することが重要であると論じています。すなわち、敵との相対的な火力、戦場における機動、部隊としての持続力、そして戦略上の機動能力の四つです(Adams 1988: 10)。 「中央ヨーロッパにおける衝突は、目まぐるしい乱戦になることだろう。戦術的な機動力を持たないため、徒歩の歩兵はすぐに撃滅されることだろう。軽武装の大隊であっても築城工事によって、機甲部隊の強襲を受けても拠点を維持することができるかもしれない。しかし、より大規模な部隊が第二の大隊の陣地に到達する前に、恐らくは策略によって孤立に追い込まれることになるだろう」(Ibid.: 12) 著者はWPの機甲部隊による浸透を受けた場合、NATOの前方防衛線はほとんど持ちこたえることはできないであろうと予想しています。 著者の見解は歩兵部隊の価値を一概に否定するものではなく、現代の戦場において歩兵は十分に機械化された装備により戦術的な機動力を発揮することが必須であるという立場です。 しかし、これは歩兵部隊として運搬すべき車両、装備の増大を引き起こすため、戦略的な機動力の低下を引き起こすことは避けられません。 著者の見積りによれば、機械化されていない歩兵部隊は戦闘開始から約10日から30日の間に極めて危険な状態に置かれ、恐らくは壊滅的被害を強いられることが示唆されています(Ibid.)。 さらに、戦闘開始から20日以内に展開可能な部隊の規模は必然的に限られたものになります。 1979年の議会予算局の見積によれば、最も即応性の高い米軍の第82空挺師団または...

論文紹介 全体戦争における兵站の問題

今回は兵站学の研究で基本的な文献の一つと位置づけることができる論文を紹介したいと思います。 論文情報 Millett, J. D. 1945. "Logistics and Modern War," Military Affairs , 9(3): 193-207. 論文では、ウェゲティウス、ナポレオン、クラウゼヴィッツの記述から兵站を考察している箇所を示し、「補給の問題は常にあらゆる軍事作戦の推移に影響を及ぼしてきた」ことが述べられています(Millett 1945: 194)。 著者の見解によれば、兵站の歴史において転機となったのは18世紀末のフランス革命でした。 フランス革命を通じて政治体制が共和制に移行すると、一般徴兵制が導入され、従来に見られない規模の兵員を動員することが政治的に可能となったためです(Ibid 197)。 兵站の歴史にとってもう一つ重要だったのは、産業革命でした。 産業革命を通じて武器の製造に必要な工業が発展し、単に労働生産性が向上しただけでなく、戦闘で有用な武器や装備の生産効率が大幅に向上しました(Ibid 197)。 しかし、著者はこうした諸条件の変化がもたらす影響が顕著に現れたのは、第一次世界大戦であったことを述べています。 なぜなら、第一次世界大戦では人的資源、物的資源を戦争の遂行のために動員する努力が体系的な国家兵站として結び付けられた結果、総力戦、全体戦争と呼ばれる新しい戦争の形態を出現させたためです(Ibid 200)。 そして、近代的な兵站の体系が成立したことこそが第二次世界大戦の様相を準備したということを著者は次のように考察しています。 「第二次世界大戦は軍事力の戦いであると同じように、経済力の戦いであった。戦争の原動力は兵士の身体ではなく、国民の労働であったのである」(Ibid 201) 第二次世界大戦において兵站は戦争の推移に対して決定的な役割を果たしていました。 この主張を裏付けるために著者は当時の兵站に関する教訓を判断しています。 第一に述べられているのは工業の即応体制の重要性です。 軍用機、軍用車両、通信装備、弾薬などの供給の担い手となる民間人は数が限られています。 つまり戦争が勃発してから軍需品のための生産体制を強化するためには労働...

論文紹介 兵站は戦略を制約する

今回は、安全保障学で(残念ながら)特に知名度が低い研究領域、兵站学に関する議論を紹介します。 兵站学の論文は特に第二次世界大戦が終結してから数多く書かれるようになりましたが、その中でも特にアメリカ軍の兵站に関する優れた事例研究があります。 論文情報 Sykes, H. F., Jr. 1947. "Logistics and World War II Army Strategy," Military Review , 35(2): 47-54. この論文の著者である米陸軍大佐H. F. Sykes, Jr.の貢献は、第二次世界大戦におけるアメリカ軍の大戦略の決定を決定した要因として兵站が決定的だったことを実証的に明らかにしたことです。 日本海軍による真珠湾攻撃を受けてから間もない1942年1月の議会演説で、ルーズベルト大統領は「この圧倒的な優勢を獲得する目的から、合衆国はその国力のほぼ限界まで航空機、戦車、火器、艦船を生産しなければならない」と発言しました(Sykes 1947: 47)。 この発言から示される通り、アメリカにおける戦略と兵站の関係は「父と子の関係」ではなく、全く逆の関係でした。 つまり、アメリカは戦略を策定するよりも先に、その戦略に必要な武器や装備を生産するところから戦争指導を着手し、その後に当面の戦略を策定したのです。 著者は、このような結果として、戦略と兵站のどちらの領域においても長期的な指針が確立されていなかったと指摘しています(Sykes 1947: 47)。 この主張を裏付けるために、著者は1939年以後のアメリカ軍の兵站がどのように指導されていたかを動員という観点から検討しています。 ヨーロッパで第二次世界大戦が勃発した1939年、アメリカ軍の勢力は最初21万名でしたが、9月には22万7000名に増勢されます。当初の計画によれば1941年10月1日までに100万名、1942年4月までに400万名に増勢するつもりでした。 この戦力を整備するために必要な費用はおよそ73億ドルと見積もられましたが、予算の総額はルーズベルト大統領の要求によって30%程度ほど削減されてしまいます(Sykes 1947: 48)。 この予算削減の決定から間もなくして、武器や装備を生産する防衛産業の能...