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2017年10月8日日曜日

学説紹介 いかに鉄道は戦略を変えたのか―経済学者リストの議論を中心に

一般にフリードリヒ・リストは経済学者として知られています。
外国との自由貿易で従属的地位に置かれているドイツ経済の状況を問題視し、その脱却のために保護関税を重視することを主張していました。

しかし、リストは経済学だけでなく、軍事学の世界でもよく知られた学者であり、特に鉄道が戦略に与える影響についての考察は高く評価されています。しかし、その内容は日本であまり知られていません。

今回は、アールの研究に沿って鉄道と戦略に関するリストの学説を紹介したいと思います。

鉄道がドイツに内線の優位をもたらす
フリードリヒ・リスト(1789-1846)ドイツの経済学者
軍事学においては鉄道と戦略の関係に関する考察が高く評価されている
ドイツで最初の鉄道が開業した1835年、リストはドイツ全土で鉄道の建設を推進することを主張する雑誌『アイゼンバーン・ジャーナル』を刊行しました(アール、224頁)。
その誌上でリストはドイツにとって鉄道が極めて重要な価値を持つものであることを経済的、軍事的観点から考察しています。

リストが鉄道にこだわった理由の一つが、ドイツの防衛体制を大きく改善する可能性があったためです。
ヨーロッパ大陸で列強に取り囲まれているドイツは周辺諸国の戦争に巻き込まれやすいという地政学的リスクを抱えており、どこか一方の正面で敵に抵抗しようとしても、他方の正面から脅威が及ぶリスクがありました。

しかし、新たに鉄道をドイツ全土に敷設すれば、異なる正面で兵力の動員と移動が容易となり、ヨーロッパの中央部でどの正面に対しても迅速に作戦行動をとることが可能になることにリストはいち早く気がついたのです。この先見性をアールは次のように評価しています。
「リストは他の誰よりも早く、鉄道によってドイツの地理的な立場が大きな力の源泉になり、軍事的な弱さの主要な原因の一つではなくなると予見していた。(中略)動員の速度が速くなり国の中心部から周辺の地域に敏速に部隊を移動させることができるし、鉄道が持つ「内線」上の利点はヨーロッパの他のどの国よりもドイツに相対的優位を与えることになろう」(同上)
アールの説明でははっきりと国名が述べられていませんが、要するにドイツを東部から脅かすロシアと西部から脅かすフランス、これら二カ国を相手にした作戦で兵力の転用が非常に容易になるとリストは考えたのです。

こうした考え方は第一次世界大戦の歴史でドイツ軍が実際に鉄道を活用して二正面作戦を遂行しようとした歴史を知る私たちには当然のことだと思えるかもしれません。
しかし、リストがこうした研究に取り組み始めた当時、ドイツで鉄道というインフラは登場したばかりだったということを踏まえる必要があります。

鉄道輸送の軍事的有用性が一般的に認知されるのは1861年に勃発した南北戦争以降のことなので、1830年代にリストがここまで鉄道の重要性を理解していたこと自体が驚くべきことだと言えるのです(同上、226頁)。

また、これだけでなくリストは鉄道を駆使した地政学的戦略を構想していました。それはヨーロッパと中東を一つの鉄道で結び、ロシアの南下をイギリスとともに食い止めるという壮大な計画でした。

バグダード鉄道とドイツの中東戦略
1918年当時のバグダード鉄道の路線図と延長計画を現した地図、オスマン帝国の領土を縦断する路線の構想は19世紀後半にまでさかのぼるが、実際に建設が開始されたのは20世紀以降となった。リストは英独同盟に基づく対露戦略を支援するためにバグダード鉄道を構想していた。
リストは鉄道をヨーロッパの戦略問題だけに限定して重視していたのではなく、アジアも視野に入れた上で考察を書き残しています。アールはこの方面のリストの業績を次のようにまとめて紹介しています。
「英独同盟の構想の中で、彼はイギリスのインドならびに極東への交通路を、英仏海峡からアラビア海に至る鉄道で改善すべきだと提案している。彼はナイル河と紅海を、ナポレオン時代のライン河とエルベ河のようにイギリス本島に近い存在に、ボンベイとカルカッタをリスボンやカディスのように容易に行ける場所にすべきだと書いている。これは計画されているベルギー・ドイツ鉄道をヴェネチアまで延長し、そこからバルカン、アナトリアを通ってユーフラテス渓谷、ペルシャ湾に出て、最後にはボンベイに至ることで実現できるはずだった」(同上、226頁)
これはまさに大陸国家的な特徴を持つ地政学的戦略構想であり、統一を実現した後のドイツで進められた3B政策(ベルリン、イスタンブール(ビザンティウム)、バグダードを鉄道で結ぶ構想)の原型が見られます。

戦略の観点から見て非常に興味深いのは、ドイツからトルコを経てペルシャ湾に至る鉄道を整備し、その路線に沿ってヨーロッパから中東、そしてその先のインドをロシアに対する一続きの戦略的防衛線として再構成しようとしていることです(同上、226-7頁)。

この壮大な戦略構想の妥当性については別の機会で詳細に検討する必要があるでしょう。ただ、これが極めてユニークな戦略思想であることは間違いなく、従来の陸軍戦略で考えられたことがないものでした。

19世紀のイギリスはロシアの脅威からインドを防衛するために必要な兵力を確保することが難しくなる傾向にあったため、リストの戦略はロシアに対抗するイギリスの世界戦略を補完する意味も持っていたと言えます。
ロシアという脅威を利用してイギリスとドイツの共通の利益を確保すれば、中東におけるドイツの権益を確保しやすくなることも考慮されていたということです。

むすびにかえて
軍事学の歴史においてリストの業績を位置付けているアールは、鉄道に関するリストの研究を高く評価し、次のように述べています。
「彼が鉄道の持つ経済効果に関心を持っていたことは当然予想されるところだが(中略)上記期間による輸送がドイツに与える戦略的影響についての彼の理解には驚くべきものがあり、それはいかなる客観的な基準からいっても特筆すべきものである」(アール、224頁)
リストは、鉄道輸送の技術的進歩を重視するあまり、東西から挟撃されやすいというドイツの地政学的問題を矮小化した側面もありますし、彼の思い描いた英独関係は実現しませんでした。

しかし、それでもリストの鉄道に関する考察には先駆的な側面があったと評価すべきでしょう。

KT

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参考文献
エドワード・ミード・アール「軍事力の経済的基盤 アダム・スミス、アレグザンダー・ハミルトン、フリードリヒ・リスト」ピーター・パレット『現代戦略思想の系譜 マキャヴェリから核時代まで』防衛大学校・「戦争・戦略の変遷」研究会訳、ダイヤモンド社、1989年、195-229頁