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2017年6月8日木曜日

事例研究 なぜ中ソ国境紛争が米中接近を促したのか

中ソ国境地帯の地図、赤線で示した国境線の一部に係争中の地域が含まれている
1969年3月、中国とソ連との国境地帯で武力衝突が起こりました。
戦闘はアムール川、新疆―カザフスタンの国境地帯まで拡大し、8月になると中国とソ連が核兵器を交えて全面戦争に突入するという見方さえ出てくるようになります。
この重大な危機こそがその後の冷戦の展開を大きく変える米中接近のきっかけとなりました。

今回は歴史学者ギャディス(John L. Gaddis)の研究成果を紹介し、当時の中国が対ソ政策として米中関係の強化に乗り出した経緯を勢力均衡の観点から考えてみたいと思います。

対ソ戦争で米国を利用したかった中国
1960年代に中ソ関係が悪化し、中ソ国境紛争の勃発に至ると、中国とソ連は戦争に備え始めています。

例えば、当時の毛沢東の政権は地下施設の整備や、物資の貯蔵を行うように命令を出しています(邦訳、ガディス、173頁)。

また、当時の毛沢東としてはソ連軍と単独で戦うのではなく、第三国を巻き込むことが重要だという考え方を持っていました。

自分の主治医に対して毛沢東が当時、次のような話をしていたことがギャディスの研究において紹介されています。
「このことを考えてみよ。……北と西にはソ連があり、南にはインド、東には日本がある。もしわが国のすべての敵国が団結して、東西南北から攻めてくれば、われわれはどうするべきか、君はどう考えるか」(中略)「日本の向こうにはアメリカがいる。われわれの祖先は、近隣の国とは戦い、遠く離れた国とは交渉せよと教えなかったか」(同上、173頁)
ここで毛沢東が述べているのは、戦国時代に秦の宰相として取り立てられた范雎の「遠交近攻」という政略であり、これは地理的に遠くにある国とは親しい関係を結びながら、近隣の国々を攻め取る対外政策として広く知られています。

台湾やベトナムの問題をめぐって中国と敵対関係にあった米国とあえて結ぼうとする政策を聞かされた主治医は驚きましたが、そんな素直な彼に対して毛沢東は次のように述べました。
「アメリカとソ連は違う。……アメリカの新しい大統領は積年の右翼で、あの国の反共産主義者たちの指導者だ。私は右翼と取引したい。彼らは、本当に思っていることを話す。左翼とは違う。左翼は、行っていることと本心とが違う」(同上、173頁)
この発言をそのまま受け取れば、毛沢東は当時の米大統領だったニクソンの方が、ソ連のブレジネフよりも扱いやすいと考えていたことになります。

それも、ニクソンが反共的であると分かっていたからこそ、毛沢東はこれを利用できると判断していたことになります。

米国もまた中国を必要としていた
中ソ戦争が勃発した場合、米国の政策によって結果が大きく変わることはソ連にとっても明らかでした。

そのためソ連側も対中戦争になった際に米国がどのように行動するのかを見極める必要があると考えており、外交的手段で米国の内情を探っていました。

当時、ソ連駐米大使館のある中級職員が国務省の中級職員との昼食の場で個人的な質問として、ソ連が中国の核施設を攻撃すると米国はどう反応するだろうかと質問ていますが、これはソ連軍が中国に侵攻する際に核攻撃を加える可能性を示唆する重要な質問でした。

この件についてギャディスは次のように指摘しています。
「このような質問はモスクワからの指令があって初めて訊けるもので、質問を受けた側にも答えはなく、上級者に伝えていくだけで、上級者もホワイトハウスに伝える他はなかった。ホワイトハウスでは既に答えは出ていた。数日前、ニクソン大統領は、アメリカは中ソ戦争で中国が「粉砕される」の座視できないと発言して、閣僚たちを驚かせていた。大統領が主要な共産主義国、しかも長年の的確で、接触もなかった国の生存に戦略的な利益を有すると宣言したのは、アメリカ外交政策における大事件であったと、後にキッシンジャーが論評している」(同上、174頁)
当時、ニクソンはまだ毛沢東と具体的な関係構築には至っていませんでしたが、米国にとってソ連は脅威であると認識されており、これに対抗するには米中関係の改善が極めて重要と理解していました。

中ソ国境紛争が起こる前年の1968年8月にはチェコスロバキアに対してソ連軍が侵攻しており、また同年11月にはブレジネフ政権としてマルクス・レーニン主義を資本主義に置き換えようとする地域でソ連はその国の主権を侵害する権利を持つと正式に声明を出していたことが、まだ当時の米国の政策決定者の記憶にはっきりと残っていました(同上)。

しかし、何といってもニクソン政権はベトナム戦争の問題を終わりにしたいという思いもありました。この点で中国と米国の利害はかなり一致していたと考えられています。
「ニクソンはヴェトナムから手を引きたいと望んでいた。ただしアメリカに屈辱的でないような条件で、手を引きたいと思っていた。それが翌年春の彼の「哀れで無力な巨人」演説の予定になるであろう。北ヴェトナムがアメリカを助けるとは期待できないが、中国、それまでハノイに軍事・経済援助を提供してきた主要な国の中国は、別の観点に立っていた。中国は、ソ連との間でもっと大規模で危険な紛争の可能性に直面させられており、南の国境線沿いのところで戦闘行為がいつまでも続くのは、望むところではなかった」(同上、175頁)
これは地政学的な相互作用です。つまり、ソ連が中国と対立を深めるほど、中国は兵力と資源を北方に集中する必要が生じてくるので、南方のベトナムで米国と争う事態は避けたいと考えるようになり、米国も撤退戦略を組み立てやすくなってくる、ということです。

この地球規模の政治的相互作用が動き始めると、それは米中関係を短期間のうちに改善していったのです。

それぞれが国内に抱えていた政治情勢
ギャディスの議論でさらに興味深い論点は、当時の米国と中国にもう一つの共通の利益があったと指摘している点です。それが国内政治の問題でした。
「ニクソンと毛沢東には、当時もう一つの共通の利益があった。それは、それぞれの国で秩序を回復することであった。キッシンジャーが1971年7月、彼の最初の極秘の北京訪問を行った時、毛の外相周恩来がこの点を示唆している。周が文化革命は終わっていることを、わざわざキッシンジャーに保証している。また彼は、ニクソンが国内での自分の立場を強化するのを助けたいと、約束していた。他の西側指導者はもちろん、アメリカの他の政治家は大統領よりも前に北京に迎えられることはないというのである。ニクソンは1972年2月に中国に来て、直ちに周だけではなく毛沢東とは意見の一致を見た」(同上、175頁)
この箇所であまり詳細に述べられていませんが、ニクソンが政権に就いた1969年当時の米国では大きな社会の混乱が問題となっていました。

デトロイト市では大規模な暴動が起きており、頻発していたワシントンでの反戦集会も勢力を増しつつありました。

さらに公民権運動で指導的立場にあったキング牧師の暗殺や、大統領選挙におけるロバート・ケネディ上院議員の暗殺などの凶悪な政治的犯罪も起きており、米国としては政策の重点を国内安定化に移す必要があったのです。

こうした米国の国内情勢に比べれば、中国の国内情勢はもう少し安定していましたが、それでも1966年から1968年にかけて毛沢東が政権復帰のために劉少奇などを失脚させようと起こした文化大革命の影響は残っていた時期でした。

研究では毛沢東がニクソンに次のように述べたと紹介しています。
「歴史がわれわれを再会させた。問題は、哲学は違うが、ともに地に足をつけ、人民の出身であるわれわれが、単に中国とアメリカだけでなく、何年も先の全世界に役立つような現状打破ができるかどうかだ」(同上、176頁)
ニクソンと毛沢東は大きく異なる思想信条を持っていたことは確かですが、国際政治と国内政治から考えると、両者の接近には必然性がありました。

むすびにかえて
中ソ国境紛争によって中国は米国という大国を味方につけることになり、ソ連の攻撃を抑止することができるようになりました。

ソ連の立場から見ると対中攻撃が極めて困難になり、また中国と結びついた米国の地位が向上しているため、ヨーロッパ方面においても不利な立場に置かれることになりました。

ギャディスはこの点について次のように述べています。
「アメリカの中国との国交回復がソ連の経済的必要と結びつき、ソ連は一連の問題点―戦略兵器の削減、ヴェトナム戦争終結のための交渉、東西貿易の拡大―についてアメリカと交渉する方向に押しやられていき、それは同時にジョンソン大統領の最後の時期とニクソンの最初の5年の間、アメリカ外交政策をほとんど麻痺させるに至っていた国内の批判勢力の力を弱めるであろう。要するに、新しい封じ込め戦略の条件が整っていたのである。両国は、それぞれ国内で若い反乱者の脅威に向けてこの戦略を展開する。核兵器の危険と同じように、若者たちの脅威が両国を同じ船に載せたのである」(同上、178-9頁)
勢力均衡の観点で考えると、米国と中国はソ連に対して対外的バランシング(external balancing)に成功したといえます。

このバランシングは米中両国の国際政治上の地位を強化だけでなく、国内政治上でも有利な立場に立つことができました。

つまり、それまで米国で政権を批判してきた反戦運動の勢力を低下させていき、国内の安定化を進めるための条件を整えていったのです。

KT
Gaddis, John Lewis. 2005. The Cold War: A New History. London: Penguin Books.(邦訳、ガディス『冷戦 その歴史と問題点』河合秀和、鈴木健人訳、彩流社、2007年)

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