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2016年12月16日金曜日

論文紹介 クルスクの戦いは軍事理論で説明できるか

軍事学が取り組む課題の一つに、ある条件の下で発生した戦闘の勝敗や損害を説明したり、事前に予測することがあります。地形や兵力等の諸条件からその戦闘の結果をうまく説明できれば、それは学術的に価値があるだけでなく、軍事教育の現場でも役に立ちますし、ある事態が生起した場合に国家として確保すべき兵力の規模やそれに見合った予算の規模を見積もることも理論的には可能となります。

今回は、軍事理論の中でも火力評点アプローチを応用し、第二次世界大戦のクルスクの戦い(battle of Kursk)の結果を説明できるかどうかを検討した研究を紹介したいと思います。

文献情報
Ramazan, Gozel. 2000. Fitting Firepower Score Models to the Battle of Kursk Data, Master's Thesis, Monterey: Naval Postgraduate School.

火力評点アプローチとは何か
まず、この研究の狙いについて著者は次のように説明しています。
「戦闘単位のレベルによって戦闘モデルは2種類に分類される。一つ目はそれぞれの戦闘車両または兵士が単位として明確に表現される高分解能な戦闘モデルがある。二つ目は低分解能(集約的)な戦闘モデルであり、これは大隊以上の規模の部隊が単位である。集約の問題は、長年にわたって多くの研究者が取り上げてきた。損害の方法論に関する多数の研究では、ランチェスターの法則のような主題から、歴史的、工学的、経験的なデータソースの対立といった主題、さらに火力評点のような評点体系の組み合わせに関する主題があった。本稿が主とする目標は、低分解能(集約的)な戦闘モデルにおける消耗の問題に対して火力評点のアプローチが持っている妥当性である」(Ramazon 2000: xxiv)
ここで著者が述べている損害の問題とは、その戦闘で発生する人的、物的な損失のことです。損害の規模は戦闘でもたらされる結果の中でも最も重要なものであり、彼我の損害の大きさの比率は戦闘の勝敗にとって決定的な意味を持っています。

火力評点(firepower score)アプローチは軍事理論で部隊の能力を数値化する手法の一種のことをいいます。ある基準に基づいて付与された武器の価値を部隊ごとに集計することによって、その部隊としての戦闘能力を比較できるようにするものです。火力評点は、すでに複数の戦闘シミュレーションに導入されており、米軍のTACWAR(ATLASの地上損害モデル(Ground Attrition Model))、研究機関RANDの状況評点モデル(Situational Scoring Model, SSM)、研究機関HIROの定量的判定モデル(Quantified Judgement Model, QJM)がその例として挙げられます。

しかし、これらのシミュレーションでも火力評点の適用の仕方が微妙に異なっており、予測される損害の規模にも相違点があります。著者の目標は、こうした火力評点の方法を駆使した場合、どの程度までなら史実の結果を整合的に説明できるのかを明らかにすることにありました。

クルスクの戦いはどのような戦闘だったのか
クルスクの戦いでソ連軍を指揮したゲオルギー・ジューコフ(1896-1974)
この研究で著者が取り上げているクルスクの戦いは、第二次世界大戦の東部戦線であった大規模な戦闘です。東部戦線の戦局にとって歴史的に重要だっただけでなく、史上最大規模の機甲戦闘であったことから理論的にも高い関心が向けられている戦闘です。

この戦闘は東部戦線でドイツ軍が劣勢に立たされ始める1943年に起こりました。同年2月スターリングラードの戦いで敗北したドイツ軍は大きな兵力を失い、戦略的後退を強いられていました。そのため、ソ連軍の戦線がクルスク周辺で大きく突起しつつある状況でした。ドイツ軍は政府の強い意向を受けて、何とか戦局を挽回するため、東部戦線の機甲部隊の全てを使ってこの突起部を挟撃する構想を研究し始めました。

この構想では、ドイツ軍のヴァルター・モーデルが北から、エーリヒ・フォン・マンシュタインが南から同時に攻撃を仕掛け、突起部を根本から切り落とすように機動することで、突出しているソ連軍の一部の部隊を殲滅することが意図されていました。この攻勢が成功すれば、ソ連軍に大きな損害を与えることが期待できたはずですが、ソ連軍はこの動きに気が付いていました。ゲオルギー・ジューコフはドイツ軍が作戦を準備している段階で、中立国スイスに潜伏させた情報員を通じて計画を察知しており、また前線で獲得した捕虜に対する尋問によって攻撃開始の日時についてもおおよそ検討をつけていたのです。すでに戦闘が始まる前からドイツ軍の奇襲は封じされていました。
クルスクの戦いの状況図、左側にドイツ軍、右側にソ連軍が展開する。
ドイツ軍が分断を図ったソ連軍の突起部はこの地図の下半分で表記されており、ドイツ軍の攻勢では北と南から別に攻撃を行っている。しかし、攻勢は失敗しており、ドイツ軍の方の突起部が失われていることが分かる。(Ibid.: 15)
同年7月5日、ジューコフは航空機の爆撃によって準備途中だったドイツ軍に先制を加え、戦闘の主導権を握ろうとしました。状況の急変を受けてドイツ軍も攻勢を開始し、モーデルが計画通り北側から攻撃を加えたのですが、防御陣地に配備されたソ連軍の対戦車火器によって多数の戦車が破壊されてしまい、ほとんど前進できないまま1週間程度で攻撃は頓挫しました。

さらに南からの攻撃を担当していたマンシュタインは30キロメートルほど進撃することに成功しましたが、ジューコフは防衛線の穴を防ぐために予備の機甲部隊を投入し、7月12日の決戦で甚大な損害を出しながらも、マンシュタインの部隊の前進を完全に食い止めました。その後、ジューコフは部下に攻勢に移行するように命令を達します。戦闘力を使い果たしたドイツ軍はこれを防ぐことができず、さらなる後退を余儀なくされてしまったのです。

クルスクの戦いに投入された部隊の規模はドイツ軍で90万、ソ連軍で130万にもなりました。そのため、戦闘による損害も驚くほど大きく、ドイツ軍では21万以上、ソ連軍で17万以上の人的損害が出ています。一回の戦闘でこれほどの死傷者が出ていることは、歴史的にも珍しい事例であり、だからこそ、火力評点アプローチに基づくモデルでどこまで説明できるのかが研究上の課題として意味を持ってくるのです。

モデルによる解析結果から得られる知見
著者は、クルスクの戦いを分析するために、ドイツ軍とソ連軍の兵力と損害の推移を1日単位で調査し、データベースを構築し、これを先ほど述べた火力評点アプローチに基づく3種類のモデルでそれぞれ解析しました。ここではその解析の全貌について詳細に述べることはできませんが、結論として最も史実に近い戦闘結果を全般として導き出したのはATLASの地上損害モデルであったと報告されています(Ibid.: 146)。ただし、このモデルは攻撃者が受ける損害を実際よりも過大に見積もる傾向があることも判明しており、修正の余地があることも明らかになりました(Ibid.)。

この問題は戦闘という複雑なプロセスを現在の軍事理論が十分に捉えきれていないことが関係しています。
まず戦闘が発生していたとしても、実際に攻撃を行っている部隊が全体の兵力の何パーセントに当たるのかを特定することは非常に難しいという問題があります。15日間におよぶクルスクの戦いでも実はドイツ軍の兵力が常に最大限に使用されていたというわけではありませんでした。著者は、戦闘の最後の1日に至ってはドイツ軍、ソ連軍のいずれの部隊も積極的に戦闘に参加していなかったことを指摘しています(Ibid.: 146)。つまり、15日間の戦闘でも集中的に損害が発生ているのは一時的な事象であり、もし事前に損害の程度を見積もるためには、戦闘における彼我の戦闘力の比率だけでなく、その戦闘の激しさ、活発さの推移という別の要因を予測しておく必要があることが示唆されています(Ibid.)。

また戦闘で攻撃者が受ける損害をモデルが過大に評価した要因については、著者はドイツ軍の戦闘効率がソ連軍よりも質的に優れていた可能性について指摘しています。火力評点のアプローチでも例えばQJMでは指揮の効率や訓練の充実といった質的要因を考慮されているのですが、ATLASのモデルでは無視されています。東部戦線におけるドイツ軍の戦闘効率は少なく見積もってもソ連軍の2倍、大きく見積もると3倍はあったという分析もあるため、この要因を重視しないATLASのモデルが攻撃者、つまりドイツ軍の損害を過小に評価してしまったと思われます(Ibid.: 147)。(ちなみ、著者はドイツ軍の航空部隊がソ連軍よりも多くの出撃回数を維持しており、こうした航空支援が戦闘結果に与えた影響の大きさについても指摘しています)

全般として史実に最も近い結果を出したATLASの地上損害モデルですが、特定の分野に限定すればランドが開発したSSMやHIROのQJMにも評価すべき点があると著者は述べています。物的損害、特に戦闘で撃破された戦車の台数を予測することについてはSFMは地上損害モデルよりも正確に予測しており、人的損害に限って言えば、QJMが最も優れた予測結果を出しています(Ibid.: 148)。ここで興味深いのは、戦闘で生じる損害でも人員の殺傷と装備の損失では異なるプロセスがあることが示唆されている点であり、一つのモデルでその両方を同時に正確に予測することは難しいと考えられます。火力評点アプローチを使用するとしても、分析者は戦闘の結果で特に何の損害を予測したいのかを判断し、いくつかのモデルを使い分ける必要があるのです。

むすびにかえて
ランチェスター方程式のような戦闘モデルは、戦闘の本質的要素を単純化したものであるため、理解しやすく、また理論的な拡張も容易なのですが、実際の戦闘の結果を予測するには不十分です。火力評点アプローチに基づく軍事理論がさまざまな形で発達してきたのは、こうした問題を解決するためであり、ある程度の予測は可能になりつつあると言えます。
ただし、予測の精度を上げるためには、さらに改善すべき点が残っています。著者が指摘した戦闘の途中で起きる烈度の変化、部隊の戦闘効率の相違がもたらす影響や、人的損害と物的損害の発生プロセスの違いはさらに検討する必要があるでしょう。

KT

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