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2016年9月6日火曜日

事例研究 冷戦期における基盤的防衛力の妥当性

国民から戦略が不明確との批判を受けがちな日本ですが、防衛力の整備を基礎づける基本方針の検討がこれまでに皆無だったわけではありません。
最近の防衛計画の関連文書でも統合機動防衛力、動的防衛力といった用語が登場しているように、日本はどのような防衛体制を構築すべきかという問題に対して、統一的、包括的な姿勢を打ち出す努力はこれまでにも行われてきました。

しかし、問題の本質は、そのような構想が実効性を伴っているのかという点です。今回は、1970年代に登場した基盤的防衛力という防衛計画の構想を取り上げ、それについて当時の自衛官がどのように考えていたのかを考察したいと思います。

基盤的防衛力とは何か
1977年版の防衛白書を参照すると、基盤的防衛力とは「脅威の量だけを考えて防衛力の量を算定するのではなく、例えば組織上も配備場も隙がなく、かつ、均衡のとれた態勢を保有し、平時において十分な警戒態勢をとりうるものという観点から防衛力の量を追求した」と定義されています(防衛庁『日本の防衛』1977年、54頁)。
言い換えれば、これは日本として整備すべき防衛力の規模が、脅威となる国家の勢力規模に必ずしも見合う必要はないとする防衛構想です。

例えば、国家Aが30個師団の軍備を持つ国家Bを脅威と判断し、また我が方として10個師団の兵力を整備し、防御陣地を構築しておけば、戦闘状態になっても十分に対抗できるという状況見積が得られたとします。
この場合、10個師団を整備するのが普通の所要防衛力構想の考え方なのですが、基盤的防衛力は5個師団や6個師団など、見積よりも規模を小さくした兵力を整備することで、防衛負担を軽減しておくのです。所要防衛力は有事または危機的状況が確認された後で勢力を拡充すれば十分間に合うと考えます。
このようにすれば、財政上の支出を防衛部門に配分する割合を減らし、それだけ経済成長を促進することができるという側面もあります。

基盤的防衛力の擁護と批判
これまで国内で行われた戦略の研究には、基盤的防衛力が「戦後の日本において唯一の包括的かつ洗練された防衛戦略構想であった」と評価するものもあります(道下「戦略思想としての「基盤的防衛力構想」」2005年、218頁)。
その根拠の一つとされているのが、安全保障のジレンマへの配慮です(同上、236-238頁)。これは一カ国が安全を確保する目的で兵力を増強することが、周辺諸国にとって脅威と見なされてしまい、結果と指摘軍拡競争を誘発するという問題です。基盤的防衛力では起こりうる事態を「限定的かつ小規模な侵略」に限定し、日本として防衛力の増強を可能な限り先延ばしにすることが合理化されています。
こうした理由から「基盤的防衛力構想は脅威認識について単に軍事力にのみ着目するのではなく、国際的な戦略環境をも要素として取り入れたという点で洗練された考え方であったといえる」という判断が導かれています(同上、238頁)。

しかし、自衛官の意見を調べてみると、基盤的防衛力が優れた構想と評価されていたわけではありませんでした。このことは、西部方面総監だった堀江正夫(陸将)の次の発言からも読み取ることができます。
「堀江 まず基盤的防衛力の主張の基本的な姿勢を、明らかにしておかなければいけない。その姿勢で誤解があってはならない。そこで基本的姿勢を要約すると(1)日米安保体制が有効に機能している限りにおいて、大きないくさは起こらないだろうとの認識ですが、それは逆にいうと、日米安保体制を有効に機能させる努力を、十分に行わなければならないことを意味している。(2)日米安保体制を有効に機能させる努力を十分やった上で、もしいくさが起こるとすれば、そういう力を持つ国はソ連である。もしソ連が、アメリカ軍と衝突することがない、きわめて短時間である種の目的を達成するような意図を持ったとすれば、それに対して、独力で即時に対応できる即応力を、持たなければいけない。(3)さらに進んで、戦闘状態が大きく発展するかもしれないので、それに対して防衛力を拡大しうる十分な基礎をもっていなければならない。この三つが柱になる。その理解を曲げて議論すると、危険なものになると思う」(オリエント書房編集部『日本の防衛戦略』1977年、350頁)
この見解は防衛白書で解説されている基盤的防衛力が前提しないはずの脅威への対抗を基礎に置いています。つまり、そもそも米軍が本格的に対処する前に決着をつけるという狙いを持って、ソ連軍が電撃的に攻撃を加える可能性があることが明示的に想定されているのです。そして、この想定が自衛隊としては米軍の来援が得られるまでの間、これに独力で対応できる能力を整備すべきだという主張の根拠にもなっています。
いわば、これは基盤的防衛力というよりも即応的防衛力とでも呼ぶべき構想でしょう。現在の統合機動防衛力の基本構想にも通じる考え方と言えます。

また堀江だけでなく、統合幕僚会議事務局長だった村木杉太郎(陸将)も次のように述べています。
「村木 核を背景にした抑止戦力をとる限りにおいては、またわが国の立場として専守防衛戦略をとる限りにおいては、保持する防衛力が、有事の際には短時間に大きくなるから平時体制でよろしいのだ、とはどうしても思えない。保持する防衛力が即応力でなければ、抑止戦略の中の一つのファクターとしての意味はないと思う」(同上、357頁)
これは基盤的防衛力に対する明確な批判として位置付けられるものであり、基盤的防衛力が核の時代における非核保有国の戦略として根本的に欠陥があることを指摘するものです。

冷戦期の安全保障環境の特性として、相手に核兵器の使用を思いとどまらせつつ我が方の侵略を成功させるためにはいくつかの条件がありました。すなわち、作戦を開始した当初から短期決戦に目指し、最初の一撃で既成事実としての戦果を確保し、相手が本格的な反撃を準備する前に事態収拾を図る、ということが外交的にも軍事的にも非常に重要だったのです。
だからこそ、村木は極東方面で西側陣営の防衛線を構成する日本の戦略としては、ソ連軍の戦略的奇襲にいかに素早く対応できるかが抑止戦略上の重要事項だと考えていたと解することができます。ここでも脅威を念頭に置いた従来の戦略の考え方を読み取れるのです。

むすびにかえて
このことは、防衛白書で示された基盤的防衛力という構想は、必ずしも自衛隊の高級幹部に受け入れられていなかった、という可能性を示唆しています。
その要因はいくつか考えられます。統合幕僚会議の力が弱く、陸海空各幕僚監部の思想を十分に統一できなかったことや、また防衛庁・自衛隊における背広組が制服組に対してより強い発言権を持っていたこと、国民や議会が防衛力の強化に慎重だったことなどが複合し、こうした状況をもたらしたのかもしれません。

いずれにせよ、基盤的防衛力が、1970年代の日本の防衛計画を方向付ける構想として打ち出されたことは、一つの反省点ではないかと私は考えています。
平時から有事に移行するまでの時間的猶予がどれだけあるのか予断を許さない状況において、このような構想は妥当性を持たない恐れが指摘されていました。それにもかかわらず、これが1976年以降の防衛白書に登場するようになり、一時的に用いられない時期もありましたが、1990年代に再度使用された経緯を考えると、この戦略構想にどのような問題点があったのか十分に認識できていない部分があるのではないかと思います。

冷戦期において日本はソ連から侵攻を受けることはありませんでした。しかし、そのことを理由に冷戦期に日本が採用した政策や戦略の全てが正しかったと評価することはできません。基盤的防衛力についても、改めてその構想にどこまで妥当性があったのかを再検討することも必要でしょう。

KT

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論文紹介 日本の対ソ戦略で海峡封鎖が重視された理由

参考文献
オリエント書房編集部編『日本の防衛戦略―自衛隊の有事対策』オリエント書房、1977年
防衛庁『日本の防衛』大蔵省印刷局、1977年
道下徳成「戦略思想としての「基盤的防衛力構想」」第8章、石津朋之、ウィリアムソン・マーレー編『日米戦略思想史―日米関係の新しい視点』彩流社、2005年、217-245頁
※写真は陸自第11旅団HP(http://www.mod.go.jp/gsdf/nae/11d/index.html)より

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