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2016年5月11日水曜日

文献紹介 国際政治で生き残るための政治的リーダーシップ

国家を指導する立場にある政治家にとって最も重要な仕事は、その国家の安全を確保することであり、引いては国民の生命と財産を守ることに他なりません。
そのために国家の能力を適切に開発または運用するための一貫性を持った政策を打ち出す必要が出てくるのですが、国内の政治情勢によってはこれは容易くできないこともしばしばです。

今回は、安全保障上の脅威が目前に迫っているにもかかわらず、国家として対応するために必要な政策決定を下せない状況を考察したシュウェラーの研究を取り上げ、その要点を紹介したいと思います。

文献情報
Randall L. Schweller. 2006. Unanswered Threats: Political Constraints on the Balance of Power, Princeton: Princeton University Press.

アンダーバランシングとは何か
国際政治の理論、特に勢力均衡(balance of power)理論では、ある国家が自らに及ぶ脅威を認めると、軍備を拡張し、同盟を強化する等の処置を講じ、バランシング(balancing)を図るものであると考えられています。

著者も「勢力均衡理論では、全ての国家が同じような抽出された能力を保持し、集約された国家の資源が実際の国力や対外的影響力と同等であるものと想定されていた」と従来の学説を説明しています(Schweller 2006: 13)。
しかし、著者は同時に政治の現実はこの理論の通りには動いていないと指摘します。
これは国家は脅威に対抗する上で十分な資源を持っていても、それを適切に運用できない場合が見られるということです。

このように勢力均衡理論に反する事象を著者は「アンダーバランシング(underbalancing)」と呼んでいます。(ちなみに脅威の程度に比して過剰な防衛反応を取ることをオーバーバランシング(overbalancing)とも呼んでいます)
アンダーバランシングはなぜ生じるのか、という疑問について著者は次のように応答しています。
「対外的環境における類似の変化に対し、国家がそれぞれ異なる仕方で反応する要因とは、第一に関係する政治的、社会的主体の選好であり、第二に彼らの行動を制約し、また行動を促進するように作用する社会または政府に特有の構造的特徴である」(Ibid.: 46)
この著者の見解をもう少し要約すると、結局アンダーバランシングはその国家のエリートや一般国民の間で大きな意見の不一致が起きていることの表れなのです。
エリートはその国家として選択すべき政策を直接的に決定する立場にあるため当然ですが、著者は一般国民のレベルで意見が鋭く対立している状況もまたアンダーバランシングを引き起こす要因になりえると述べているのです(Ibid. 67)。

戦間期フランスのアンダーバランシング
レオン・ブルム(1872-1950)社会党に所属した左派の政治家。
右翼勢力の台頭を阻止するため、1936年に共産党等の連携に基づき人民戦線内閣を立ち上げ、政府首班に就く。
しかし、ラインラント進駐を始め、スペイン内戦など重要な局面で路線対立が生じ、1937年に内閣総辞職となった。
著者は歴史上のアンダーバランシングの事例をいくつか取り上げていますが、戦間期のフランスの事例も含まれています。
第一次世界大戦で戦勝国の地位を獲得したフランスですが、政権が短期間で交代し続ける状態に陥っていました。そのため、長期的な視野で政策決定ができない状況になっていたと指摘されています。
「フランス政府は極めて不安定な体制にあり、1918年から1940年の間に首相が驚くべきことに35回も交代しており、1930年から1940年の間だけでも24回も省庁が改変された。共産党という例外を除けば、フランスには強力で、統制のとれた政党が欠如しており、政党の数ばかりが多かった。社会党の党首だったレオン・ブルム(Léon Blum)は1936年6月4日に首相に就任する際に『ああ、もしフランスに政党さえあれば、もし政党に組織と綱領さえあれば』と嘆いた」(Ibid.: 76)
また著者はフランスは政界のレベルで分断されていただけでなく、一般有権者のレベルでも分断されており、それが政策決定をより難しくしたとも指摘しています(Ibid.: 77)。
こうして政治的な混迷を極めたフランスに対して、1933年にドイツの政権を掌握したヒトラーはその勢力拡大のための一手としてラインラント進駐に踏み切りました。
1936年3月、ラインラント進駐によってドイツが獲得した地域。
ランラントは第一次世界大戦後にヴェルサイユ条約で中立化されていたが、ヒトラー政権は再軍備の後に軍事力を背景として、この地域を占領した。
1936年、条約で非武装地帯とされたはずのラインラントにドイツ軍が一方的に進駐したことは、ヴェルサイユ体制に対する明白な挑戦でした。
それにもかかわらずフランスの政界は対応の方針を巡って意見が紛糾し、結局のところ有効な対抗策を取ることができなかったのです。総選挙の日程が迫っていたため、与党として有権者の反発を受ける総動員発令を回避したかったという事情がありました。

また、当時のフランスで対ドイツ政策に関する意見がほとんど一致を見なかったことも関係しました。
共産主義者はドイツに対抗するためソ連と同盟を締結するように主張していましたが、社会主義者やその他の大多数はドイツに戦争を仕掛けるなど論外であり、この問題を解決するためには外交的な対話を続ける他ないと論じており、さらに中道派は伝統的な軍事同盟をイタリア、ポーランドと締結することを主張していました(ただし、イギリスの後ろ盾が必要という考え方でした)(Ibid.: 77)。

フランスの政界が政策を決められない状況をさらに悪化させていたのが国民世論の動向でした。
当時、ドイツのヒトラーを支持するフランスの右翼団体は左派のブルムを非難し、ドイツと同盟を結んでソ連に対抗すべきと主張しました。著者はこの時の情勢について次のように述べています。
「右翼は『ブルムよりヒトラーの方がマシ』と『スターリンよりヒトラーの方がマシ』というスローガンを掲げ、ドイツと共にソ連とソ連の『国際ユダヤ人の共産主義的陰謀』に対抗することを要求した。それはフランスの価値観と人生観に対する最も危険な脅威であると見なされていた」(Ibid.: 77)
各勢力の見解の是非は別として、こうしたエリートと大衆の双方が政治的に分裂して相互に攻撃しあっていたことにより、フランスはランラント進駐という重大事件があったにもかかわらず、対ドイツ政策に関して明確な方向性を示すことができなくなってしまったと考えられています。

政治的リーダーシップの強さは国力の発揮を容易にする
アンダーバランシングがエリートと大衆の政治的分裂によって引き起こされるという議論から、著者は政治的リーダーシップの重要性が国際政治を生き残る上で重要であることを説明しています。
著者の説明で興味深いのは、戦間期のドイツのような独裁的な政治体制には国力の総合発揮を容易にする特性がある、と著者が述べている部分です。
「ファシズムとリアリズムには非常に大きな相違がある。ファシストは勢力均衡を信じておらず、また人類にとって不幸なことに、人種主義的なイデオロギーによって現実主義の考え方を一掃し、そして大衆の熱狂を動員することに成功を収めた。類を見ない無慈悲さと野蛮さであったが、ファシズムは勢力拡大のために統一的国家共同体を実体のものとして作り上げた。とはいえ、この事実は残されている。すなわち、国家の膨張のために国力を動員する手段としてファシズムは極めて上手く機能した、ということである」(Ibid.: 105)
言うまでもないことですが、ファシズム自体の是非はここでは別問題です。政治的動員能力の高さだけで考えれば、ファシズムの一要素には利点があったということを述べているに過ぎません。
この考え方をより一般化して理解するとすれば、それは政治的リーダーシップの優劣によって国家の取り得る政策が変わるということになります。国家が問題に直面した際に、明確な方針を示せるだけの政治的リーダーシップが発揮できれば、それだけ国力を運用しやすくなることが期待されます。

むすびにかえて
著者は、国際政治の研究においても、国内政治の動向を調査することが必要であることを指摘するだけでなく、どの程度において国内の各勢力が分裂しているかによって、対外政策にも変化が生じるという関係を説明しました。
今後、研究すべき課題も少なくありませんが、国際政治と国内政治の研究を橋渡す意味で重要な研究であり、また民主制と独裁制の関係を考える上でも有意義な視点だと思います。

つまるところ、民主制は投票を通じて政党間の競合を促進し、その競合を通じて各政党がより良い政策を研究、立案するように仕向ける政治システムです。
しかし、この制度があらゆる政策上、政治上の問題を解決できるとは考えるべきではなく、国際情勢が変化し、緊急事態の対応が求められる局面において、非民主的な体制の方が上手く問題を解決できる可能性があることは、すでに著者が説明した通りです。
重要なことは、民主的な制度の利点と欠点を理解した上で、その欠点をカバーし、独裁制の利点を可能な限り利用できる制度や運用を研究することだと思います。

KT

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