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2016年3月8日火曜日

論文紹介 軍事的虚構としての「フーチェル戦術」

第一次世界大戦、西部戦線に配備されたドイツ軍部隊の突撃隊。
第一次世界大戦の歴史で興味深いのは、極めて短期間の内に数々の新戦術が編み出され、戦争の様相が大きく変化したことでしょう。戦車、機関銃、航空機などが開発されると、それを運用する戦術が考案され、次に敵がそれに対抗する武器や戦術を考案し、その相互作用で戦術が飛躍的に発達したのです。

今回は、浸透という攻撃方法を体系化し、教義として確立したと考えられているドイツ陸軍軍人オスカー・フォン・フーチェル(Oskar Emil von Hutier)の歴史的影響について批判的な立場から考察した論文を紹介したいと思います。

論文情報
Alfoldi, Laszlo M. 1976. "The Hutier Legend," Parameters, Journal of the US Army War College, 5(2): 69-74.

マスメディアで劇的に取り上げられた「フーチェル戦術」
オスカー・フォン・フーチェル(1857-1934)
1918年の春季攻勢で第十八軍司令として目覚ましい戦果を上げたことで知られている。
長い戦争も終盤に入りつつあった1918年、ドイツ軍は西部戦線に展開するイギリス軍、フランス軍を早期に打倒し、米軍が来援する前にドイツに有利な条件で講和に持ち込む必要がありました。
この政治的目的を達成するため、エーリッヒ・ルーデンドルフは1918年3月21日に開始された春季攻勢を実行に移しました。

春季攻勢は西部戦線の状況を一変させるものでした。ドイツ軍とイギリス・フランス連合軍の間で塹壕、鉄条網、機関銃により保たれていた膠着状態が消滅したためです。
当時の春季攻勢に参加したドイツの第二軍、第十七軍、第十八軍は100キロメートルの攻撃正面で前進に成功し、もはや堅固な防御陣地を構築したとしても、相手の突撃を防ぐことができるとは限らないことが明らかになりました(Alfoldi 1976: 69)。

当時、ドイツ軍でも特に驚くべき戦果を上げているのはフーチェルが指揮した第十八軍でした。
初日に10キロメートルの前進を達成しただけでなく、2日目には12キロメートル、3日目には8キロメートル、4日目に再び8キロメートルも前進しました(Ibid.)。
これは従来までの戦術的な常識を大きく揺るがすものであり、最終的にフーチェルはイギリス軍の第五軍を撃破して5万名の捕虜を獲得しました(Ibid.)。

この戦闘の詳細が伝えられると、フーチェルはマスメディアからも注目される軍人となり、1918年7月に米国で発行されたNew York Times Mid-Week Pictorialという新聞で「ドイツ軍で最も優れた指揮官の一人」と高く評価されています(Ibid.: 70)。
厳密にいえば、浸透という攻撃の方法はそれ以前から存在していたのですが、英語圏で浸透という攻撃を「フーチェル戦術」と呼ぶようになったのは、こうしてフーチェルの名前が世間に広く知られた事情が関係しています。

電撃戦の研究にも影響を及ぼした「フーチェル戦術」
フーチェル戦術は第一次世界大戦が終結した後にも各国の軍人の注目を集めました。
1920年にフランスのサン=シール陸軍士官学校の教官はフーチェル戦術が東部戦線でのドイツ、オーストリアとロシアの一連の戦いから発展したことを「ロシアに対する戦闘(シレト川の戦い、リガの戦い)は軍司令のフーチェル将軍とその部下として軍の砲兵を指揮したブルフミューラー(Georg Bruchmüller)によって構築された新しい戦術的教義の実験場となった」と指摘しています(Ibid.)。
1933年、米国の指揮幕僚学校でW. H. Wilbur少佐もフーチェル戦術を検討し、「3月21日の攻勢で、ドイツ軍は新たな戦術的教義の有効性を検証し、それは大きな成功を収めた」と述べています(Ibid.)。

このようなフーチェル戦術への関心をさらに大きくしたのは、ドイツ軍による「電撃戦」でした。
第二次世界大戦でドイツ軍がポーランドやフランスに対して行った攻勢は、その前進の速度と距離が従来の想定を大きく超えるものであり、特に英語圏における軍事学の研究で、電撃戦はフーチェル戦術に起源を持つ新たなドイツ軍の戦術的教義であるという見方が示されるようになりました。

1940年に刊行された著作で歴史家のS. L. A. Marshallはフーチェルを「電撃戦の父」と位置付け、すでにリガの戦いで、電撃戦の原型となる戦術的教義の基礎が確立されていたことを指摘しています(Ibid.)。
別の研究では、フーチェル戦術がグデーリアン(Heinz Wilhelm Guderian)が戦闘団戦術(combat-team tactics)を完成させる上で非常に重要な一歩となったという指摘もあり、これもフーチェル戦術と電撃戦の関係を一つの戦術的教義の展開の中で結びつける解釈に含まれるでしょう(Ibid.: 71)。

なぜドイツ人は「フーチェル戦術」について沈黙しているのか
エーリッヒ・ルーデンドルフ
英米などではフーチェル戦術の最大の理解者として位置付けられることもあるが、1918年の春季攻勢に関する回顧でもフーチェルに関する言及はなされていない。
興味深いことに、こうしたフーチェル戦術に関する議論の大部分は、非ドイツ語圏の文献で展開されており、ドイツ語圏でこのような見解はほとんど見られないことを、著者は指摘しています。

第一次世界大戦が終結した後でルーデンドルフが1918年の春季攻勢について自らの言葉で語った際には、フーチェルの名前は一度も出てきていません。
また、第一次世界大戦の戦術の発展を分析したドイツ軍のヴィルヘルム・バルク(Wilhelm Balck)将軍はその有名な著作でフーチェル戦術に関して一切言及していません。ドイツ軍の公式な文章でも、フーチェルの戦術について特別な記述を見出すことができないのです(Ibid.)。

ただし、例外的な記述として1944年にドイツが刊行した第一次世界大戦に関する公的な戦史研究において「フーチェル将軍は連合国によって奇襲的攻撃の専門家として考えられている」と紹介されていますが、これは暗にドイツ人の立場から見れば連合国におけるフーチェルの位置付け方には問題があることを示唆するものです(Ibid.)。
つまり、ドイツ人(というよりもドイツ語話者)の研究者の間で、フーチェル戦術のようなものは実在するものではないという解釈が有力視されているのです。

浸透の有効性は以前からドイツ軍の防勢作戦で知られていた
第一次世界大戦で英独両軍の陣地を撮影した航空写真。
左側が英軍の陣地で、右側がドイツ軍の陣地。ドイツ軍の陣地が大きな縦深を持っていることが確認できる。
そもそも、フーチェルが巧みだったのは、味方の歩兵を少数の突撃隊に編成し、敵の拠点の側面を通過させ(敵の拠点の破壊は味方の第二派が行う)、敵の後方にある砲兵陣地、指揮所などを叩くことにありました。
また、この歩兵の突撃を可能にするため、砲兵には化学攻撃を行わせて無力化し、歩兵に対する火力支援も行わせ、突撃の成功率を高めていたのです(Ibid.: 72)。
それに加えて、浸透では奇襲が成り立つかどうかが成否を大きく左右するため、攻撃の時期や目標を敵に容易に悟られないような工夫も重視されていました(Ibid.)。

著者の見解によれば、これらの戦術はフーチェルによって編み出された戦術と解釈するよりもむしろ、ドイツ軍が1916年から1917年までの東西両戦線における防勢作戦を通じて研究されてきたものと解釈する方が妥当性が大きいと考えられます(Ibid.)。
その根拠となるのが、その時期にドイツ軍で作成された教範であり、そこでは西部戦線、東部戦線の経験を踏まえてさまざまな戦術的原則の見直しが行われています。そこでは浸透についての指示も見られますが、それは縦深防御(defense in depth)という戦術を構成する一要素として位置付けられています(Ibid.)。

縦深防御は味方の人的損害を抑制するため、防御陣地を放棄して柔軟に部隊を後退させ、前進してくる敵の部隊を味方の陣地帯の奥深くに引き入れた後で逆襲に転じるという防御方法であり、現代の戦術の用語でいえば機動防御とも呼ぶことができるでしょう。
このような縦深防御で逆襲時にドイツ軍が使用したのが浸透であり、いわば浸透は味方の陣地を取り戻すための手段だったのです(Ibid.: 73)。

浸透を攻勢作戦で本格的に実施することになったのは、1918年1月1日に発行された野戦教範『陣地戦における攻撃』がドイツ軍で普及してからのことだとされており、こうした教範の改訂の経緯を見ていくと、フーチェルによってこの戦術が完成されたという見方が裏付けられません(Ibid.: 73)。

結論 軍人を英雄化することは、研究の妨げとなる場合がある
著者はこのようなフーチェル戦術に関する誤解が生まれた理由として、アメリカやフランスのマスメディアが彼を軍事的英雄として取り上げ、そのイメージが軍事史の研究にも投影されたことが関係していると述べています。
また特にフランス人はフーチェルを軍事的英雄と見なすことによって、自らの軍事的敗北を当然の出来事であるかのように合理化した側面があると指摘されています(Ibid.)。
以上の考察を踏まえて、著者は「フーチェル戦術は歴史的に存在した伝説の地位にまで引き下げられなければならない」と結論付けています(Ibid.)。

この論文の考察で非常に興味深い点は、戦術という非常に専門性が高い領域であっても、マスメディアなどが宣伝するイメージによって、その研究の内容が大いに歪められる可能性があることを指摘していることです。
特にその戦争の当事者にとって軍事的敗北を合理化するために、敵がいかに優秀であったのかを宣伝することには、味方の軍事的欠点を覆い隠す上で有効な手段となる場合にはなおさらです。
これらはいずれも研究の妥当性を低下させる危険なバイアスであり、戦争を研究するすべての人が注意すべき問題を提起していると思います。

KT

3 件のコメント:

  1. 同様のことはエルヴィン・ロンメルやハインツ・グデーリアン研究にも言えるかもしれませんね。

    ところで、Parameters (5)はオンラインで読めるでしょうか。公式サイトでは2013年以降のparametersしか利用できないようなのですが。

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    1. コメントありがとうございます。勝手にリンクを張るのもどうかと思ったので、文献情報だけを示し、あとは貼り付けて検索するだけでアクセスできるようにしているつもりですが、やはり少し分かりにくいようですので、URLを示しておきます。http://www.dtic.mil/dtic/tr/fulltext/u2/a531980.pdf
      公式サイトから閲覧することも確かできたはずですが、少し分かりにくいかもしれません。Current Issueではなく、Articleのタブを選んでから、読みたいジャーナルの発行された年に入り、そこでスクロールすると論文のタイトルが表示されてくるはずです。

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