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ロシア、トルコ、そしてイランの勢力圏が交わるコーカサスの地政学

2020年9月末に アゼルバイジャンとアルメニアが戦争状態に入りました が、両国が位置するコーカサス地域ではこれまでにも武力紛争が起きており、その独特な地理的要因の影響が指摘されています。 例えば米国で活躍する政治学者 ズビグネフ・ブレジンスキー の著作『 グランド・チェスボード(The Grand Chessboard、邦訳『地政学で世界を読む』) 』(1997)では、地政学的リスクが非常に高い地域としてコーカサスが説明されていました。 ブレジンスキーはコーカサス( ジョージア 、 アゼルバイジャン 、 アルメニア )だけでなく、中央アジアを含めた地域を地政学的に不安定な地域と見なし、「ユーラシア・バルカン」と呼称することを提案しています。 この地域はユーラシアの内陸部に位置しており、米国の勢力が及びにくいという共通の特性があります。イギリスの地理学者 ハルフォード・マッキンダー がかつてシーパワーを締め出すことができる地域として「ハートランド」という地域概念を提唱しました。そこは天然ガス、石油、鉱物資源といった重要な資源をめぐる対立や民族的、文化的、宗教的な対立が複雑に組み合わさった地域でもあり、政治的に非常に不安定だとブレジンスキーは考えました。 ブレジンスキーはユーラシア・バルカンの中でも特にアゼルバイジャンの意義を強調し、この国が「地政上の要衝」であり、「カスピ海周辺や中央アジアを豊富な資源がつまった「ボトル」に見立てるなら、アゼルバイジャンは、その資源を確保するうえで決定的な重要性をもつ「栓」だといえる」と書いています(邦訳、210頁)。 歴史的にアゼルバイジャンはトルコの支援を受けて動く傾向にありました。トルコの関心はアゼルバイジャンの資源だけではありません。アゼルバイジャンとトルコは民族的な関係が近しく、例えばアゼルバイジャン語とトルコ語は言語系統としても近しい関係にあることをブレジンスキーは指摘しています(同上)。 アゼルバイジャンとトルコの関係が強いことは、両国に東西から挟まれた位置に領土を持つアルメニアにとっては不利な要因です。アルメニアはロシアとの関係を強化することによって、勢力均衡上のバランシングを図っており、現在でもアルメニアの国内にはロシア軍が駐留しています。 しかし、ブレジンスキーはこの地域の不安定性の原因は、これだけにとどまらないと...

資料紹介 なぜトルコはリビア内戦に介入しているのか、その意図と影響

国際戦略研究所(IISS)の研究員エミール・ハケーム(Emile Hokayem)は7月6日に発表した記事で リビア内戦に対するトルコの軍事的介入 を考察しています。この紛争の複雑な構図を理解する上で参考になる内容になっています。 Emile Hokayem, Libya: a cauldron for Mediterranean power politics, International Institute for Strategic Studies (IISS), 6 July, 2020,  https://www.iiss.org/blogs/analysis/2020/07/libya-mediterranean-power-politics (2020年7月9日アクセス) これまでのリビア内戦の推移について 2014年に勃発したリビア内戦は典型的な代理戦争の形態をとっています。 現地では西部のトリポリを拠点に置く国民合意政府と東部のトブルクに拠点を置くリビア国民軍が武力衝突を繰り返していますが、その背後には数多くの国が財政的、軍事的な援助を行っています。 かつてリビアでは最高指導者ムアンマル・カダフィが政権を掌握していましたが、2011年に起きた内戦で死去したことで、国内の諸勢力が武力衝突が繰り返される事態になっていました。 リビアの戦況は2019年に大きく動きましたが、これはリビア国民軍(Libyan National Army)がエジプト、アラブ首長国連邦の支援を受け、トリポリに対して大規模な攻勢作戦を実施したためです。 当時、トリポリは2016年に国際連合の支援を受けて創設された国民合意政府が支配していましたが、その軍事的能力は必ずしも十分なものではありませんでした。そのため、リビア国民軍はトリポリの市街地に侵入し、現地では大規模な戦闘が長期にわたって続けられました。 しかし、リビア国民軍は作戦が長期化するにつれて戦闘力を低下させ、2020年には退却を余儀なくされています。ハケームが注目しているのは、国民合意政府がトリポリの防御に成功した原因がトルコから人員、武器、装備の提供があったためだと説明されています。 リビア内戦でトルコは何を目指しているのか ハケームの分析によれば、リビア内戦に対してトルコが介入した意図は、 中東地域にお...

研究紹介 トルコとアメリカの同盟関係が揺らいでいる

トルコはヨーロッパとアジアの中間に位置する国であり、米ソ冷戦の時代から北大西洋条約機構(NATO)を通じてアメリカと同盟関係を結んできた歴史を持っています。 ところが、近年のトルコ外交ではアメリカと距離を置く動きが見られ、研究者の間でトルコの対米政策が将来的にどのように変化する可能性があるのか、その変化がアメリカの戦略にどのような影響を及ぼすのかに注目が集まっています。 今回は、この問題に関するアメリカでも有数のシンクタンクであるランド研究所( https://www.rand.org/ )の報告書を取り上げ、その内容を紹介したいと思います。 論文情報 Stephen J. Flanagan, et al. 2020. Turkey's Nationalist Course Implications for the U.S.-Turkish Strategic Partnership and the U.S. Army , RAND Corporation.( https://www.rand.org/pubs/research_reports/RR2589.html )外部リンク:RAND Corporation. 今後も同盟関係が維持される可能性は高い この研究の狙いは、トルコの国内政治で起きている変化を踏まえ、対外政策がどのような方向に変化するのかを分析することにあります。 その目的は、アメリカの国防政策や外交政策への影響を見積もることにあり、中東地域におけるアメリカ軍の戦略も考察されています。 まず、結論として著者らが述べているのは、トルコは依然としてアメリカとの安全保障上の協力関係を重視しているものの、その関係には今後も不確定な要素が存在し続けることが予測されるということです。 そのため、アメリカは長期的な視点で相互理解と国際協力を強化する対トルコ政策を用意しなければならないと提案されています。 そもそも、トルコとアメリカの関係は冷戦期にソ連の脅威に対してバランシング(勢力均衡の安定性を維持する目的で行われる軍事的、外交的手段に基づく対抗政策)する目的で強化されてきました。 冷戦初期のトルコは単独でソ連の軍事力に対抗することが難しく、軍備拡張のための武器や装備の援助を必要としていたので、アメリカを中核とする北...

事例研究 イタリア戦争とフランスの限界

同盟は二カ国以上の国家がその軍事的能力を結合させ、侵略においては相手を包囲し、防衛においては相手を抑止することができます。 したがって、対外政策の手段としての同盟と軍備を切り離して考えることはできません。同盟を締結したとしても、結局のところ国際政治において相手に具体的な強制力を発揮するには軍備が必要です。 今回は、16世紀のヨーロッパ情勢におけるフランスの対スペイン政策を取り上げて、同盟と軍備の関係について説明したいと思います。 16世紀のヨーロッパ情勢を見ると、ハプスブルク家が見せた勢力はヨーロッパ全域に及んでいました。 15世紀後半から16世前半にかけてハプスブルク家は西端のジブラルタルから東端のハンガリーに至る広大な領土を政略結婚や領土相続によって獲得していました。 しかし、このようにハプスブルク家がヨーロッパで台頭することにフランスは強い危機感を抱いていました。 当時のフランス王国を統治していたフランソワ一世は、1519年にカール五世が神聖ローマ皇帝に即位してヨーロッパの広大な地域を支配し始めると、フランスはその勢力を抑制するために、さまざまな外交的、軍事的な措置を講じ始めます。 スペインとフランスが最初に衝突したのはちょうどルネサンスが花開いていたイタリアでした。 当時、フランスとスペインは北イタリアの都市ミラノ、ナポリの正統な支配権をめぐって対立していましたが、フランスはスペインに対して勝算があると判断し、軍隊を派遣して占領します。 しかし、スペインは間もなくイタリアの防衛のための軍隊を派遣し、テルシオとして知られる新たな方陣を導入することで戦術的優位を確保し、フランス軍に対して戦略的反攻に転じます。 スペイン軍の攻勢を受けて最終的にフランス軍は1525年のパヴィアの戦いで大敗し、陣頭指揮をしていたフランソワ一世は捕虜として捕らえられます。 その後、フランスは一時は軍隊を引き揚げますが、およそ3年後には再編成した軍勢をイタリアに派遣し続けたため、戦争は長期化していきました。 それでもフランスはスペインと軍事的に対決しても勝ち目がないと当初の判断を改めるようになります。 16世紀のスペインとフランスがどの程度の軍事力を保有していたかを正確に知ることはできませんが、ある研究によれば1470年代におけるスペイン軍の規模...