英国の研究者ベアトリス・ホイザーは、2010年の著作『戦略の変遷(The Evolution of Strategy)』の中で20世紀以降の戦略思想にどれほど大きな転換があったのかを考察しています(軍事学を学ぶ:『戦略の変遷』の書評)。
そこで注目されているのは、戦争の非人道性、非合理性が強調されるようになったことであり、戦争の拡大(エスカレーション)を戦後の平和維持の観点から抑制する必要があると認められたことです。
ホイザーは、このような戦略思想の潮流が形成されるまでの経緯を調査しています。
ホイザーは、第一次世界大戦が戦争の歴史において重大な転換点だったと述べています。第一次世界大戦が軍事的な意味での転換点だったことは他の研究者も述べていますが、ホイザーはそれまで戦争を遂行するために研究されていた戦略学が、平和を維持する目的で研究されるように変わったという意味での転換点だったと説明しています。
第一次世界大戦の熾烈な戦闘で参戦国は多大な犠牲を被りました。多くの人々は戦争で得られた価値が、戦争で失われた価値にまったく見合わないと痛感しました(Heuser 2010: 441)。
1928年にフランスの外務大臣アリスティード・ブリアンと、米国の国務長官フランク・ケロッグが連携し、国際紛争を解決する手段として戦争を禁止する条約を成立させたことは当時の国際社会でも大いに歓迎されました。英国、ドイツ、フランス、イタリア、日本、ソ連などの国々がこの条約に署名しました(Ibid.: 442)。
しかし、平和維持のために軍事的な緊張を避けようとすると、戦争のリスクを厭わずに勢力拡大を図る国家に付け込まれる危険がありました。1933年にドイツで政権を掌握したアドルフ・ヒトラーの外交はその典型でした(Ibid.)。1939年に第二次世界大戦が勃発したことで、戦争を廃絶しようとする外交努力には限界があることが露呈し、戦略学の研究者は、恒久平和と全面戦争の中間地帯に選択肢を見出そうとしました。
英国の研究者リデル・ハートは1939年に国家の対外政策が暴力に頼るようになるほど、相手の抵抗も大きくなっていき、かえって政策目的を達成することが難しくなる可能性があると指摘しました(Ibid.)。これは戦争によって完全な勝利を目指して攻めると、敵はますます守りを固めて抵抗するため、結果的により重いコストを支払わなければならなくなるということを意味します(Ibid.)。
リデル・ハートがここで指摘しているのは現代の戦略学でエスカレーションの問題と呼ばれているものです。戦時中にエスカレーションが始まれば、確実に敵と味方の双方がより大きな損失を被ることになり、外交交渉の場面で大きな損失に見合うだけの要求を互いに突き付け合うことになります。そのため、武力行使の間も、その戦争の激しさ、烈度を政治的観点から慎重に制御すべきであるとリデル・ハートは考えました。これは決定的勝利を追い求める従来の戦略思想を批判する上で重要な視点となりました。
したがって、1945年に米軍が核兵器を使用したときには、すでに新たな戦略思想を形成するための準備が整い始めていたとホイザーは考えます(Ibid.: 443)。
味方のあらゆる兵力を戦域の要点に集中すべきといった類の単純な原則は、もはや無条件に適用するわけにはいかなくなったことが理解され始めたのです。
また、1954年にリデル・ハートは、「戦争の目的は、よりよい平和を実現することである」と書いており、「戦争を遂行する上で不可欠なのは、望ましい平和を実現することを考慮した制約である」と兵力使用を政治的に抑制する意義を指摘しました(Ibid.)。このような視点が研究者に共有されるようになると、第二次世界大戦以前の戦略思想の適用可能性は大幅に見直されることになりました。
この時期に米国のカリフォルニア州でランド研究所が本格的に調査研究を活発化させ、バーナード・ブローディなどの核抑止の理論家を輩出しました。彼らは全面戦争のリスクを避けるため、戦略理論を一から見直し、抑止のための戦略という新しい分野を切り開くことに貢献したのです。安全保障学が米国で新しい学問としてこの時期に認知されるようになったのも、このような新しい戦略研究が発展したためだと言えます。
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