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2017年6月9日金曜日

論文紹介 軍事学者マキアヴェリの業績は何か

イタリアのルネサンスは物理学や哲学、芸術などの発達を促しましたが、軍事学もまたそうした恩恵を受けて発展した学問の一つです。
特にニッコロ・マキアヴェリ(1469-1527)の研究はこの時代に近代的な軍事学の基礎をもたらしたとされており、戦争を合理的、体系的に分析するための出発点を残してくれました。

今回は、フェリックス・ギルバートのマキアヴェリ研究を取り上げ、その歴史的な重要性について考察してみたいと思います。

文献情報
フェリックス・ギルバート、山田積昭訳「戦術のルネサンス マキアヴェリ」エドワード・ミード・アール編著、山田積昭、石塚栄、伊藤博邦訳『新戦略の創始者 マキアヴェリからヒトラーまで』上巻、原書房、2011年、10-39頁

マキアヴェリの業績を振り返る
フィレンツェの街並み、16世紀のフィレンツェは政権を握っていたメディチ家による文化振興の成果により科学や芸術が飛躍的に発達していたが、傭兵軍に国防を依存していたため、イタリア全土で戦火が広がると、メディチ家は追放され、共和政が樹立された。
ルネサンスはさまざまな文化活動に影響を与えましたが、人文・社会科学の方面における影響としてはギリシア・ローマの古典に関する知的関心が復活したことが挙げられます。

マキアヴェリも古代ギリシア・ローマ史の研究に取り組むのですが、特に彼は古代ローマの軍事制度の価値を再発見し、これを当時のイタリアで再構築することができないかと考えるようになっていきました。
「マキアヴェリは復古主義の子である。マキアヴェリはその意見の正当さを証明する方法として、その根拠を昔の世界に求め、その手法が全巻を通じて用いられている。マキアヴェリがその理論の根拠としたのはローマの軍隊であったということである。したがってマキアヴェリの著作はその大部分をローマの軍事的制度の説明に費やしている」(ギルバート、26頁)
しかし、マキアヴェリが単なる古代史の専門家だったわけではなく、彼の軍事思想には古代の軍事思想家に見られない要素、すなわち戦闘の重要性に関する考察が随所に含まれていました。
著者はこれがマキアヴェリ独自の要素であると指摘しています。
「彼は明らかに古代軍事学の復興を主な仕事と考えていたので、このことはとくに注目に値する。ヴェゲティウスとの最も大きなちがいは戦争における戦闘の重要性について広汎な取り扱い方をしていることである。ヴェゲティウスはこの問題をむしろ簡単に取り扱っているが、マキアヴェリの『戦術論』では戦闘が全巻の主要な項目になっている」(同上、26-7頁)
戦争の分析において戦闘という要素を重視することは、現代の感覚では当たり前の考え方ですが、中世までの戦争観は宗教的、倫理的な性格が強く、戦闘の分析は必ずしも主要な位置を占めていませんでした。

そのため、著者の解釈によれば、マキアヴェリはそうした立場とは一線を画する独自の研究領域を開拓しようとしていたと考えることができるのです。

宗教的戦争観から合理的戦争観への転換
 共和国となったフィレンツェは軍備拡張に着手し、農民を集めて市民軍を編成しようとしたが、その編成作業に従事していたのが当時のマキアヴェリだった。マキアヴェリが育てた軍隊は実戦にも参加し、戦果を上げたが、神聖ローマ皇帝軍によって撃破されてしまい、間もなくマキアヴェリも失職した。絵はイタリア戦争のパヴィアの戦い(Battle of Pavia)
さらに著者は、中世の軍事文献の多くは「正義の戦い」(正戦論)の思想が主流となっており、戦争は道徳的目的を達成する手段と見なされ、その遂行の方法は一定の倫理的な基準に従属するという考え方が支配的でした(同上、34頁)。
「このようにマキアヴェリの思想とそれ以前の軍事問題の論者との間には明らかに関係があるが、マキアヴェリの軍事理論の骨子となった点については彼らと無関係であり独特なものであるということが、マキアヴェリをいよいよ有名にしている。マキアヴェリの唱えた歩兵のことや、戦闘が決定的要素だと強調したことも、戦争に対する概念も、彼以前の軍事文献には発見されなかったものである」(同上)
つまり、マキアヴェリは中世のキリスト教道徳を軍事的事実から完全に切り離し、政治的、軍事的な合理性に基づいて戦争を研究しようとしたのです。
「彼によれば政治活動は成長し発展しようとする組織間の生存競争である。したがって戦争は自然発生的なものであり、かつ必要なものである。それはどの国が生存するかを決定し、滅亡と発展のいずれの道をたどるかを決めるものである」(同上、34-5頁)
マキアヴェリは政治史の研究を通じて、国家の存亡が軍備の効率性に大きくかかっていると考えるようになっていました。

それゆえ、軍事問題は彼の思想の中で常に最重要の位置付けを与えられており、また宗教的観点ではなく、合理的観点から考察すべきだと主張していたのです。

この点について著者は「マキアヴェリの軍事理論においては、彼の観念のすべては相関連してひとつの有機的体系を成している。それは戦争と政治が渾然として一体化し、マキアヴェリの哲学を成しているのである」(同上、35頁)と述べています。

決戦を求める戦略的思考
マキアヴェリが死んだ3年後の1530年、フィレンツェは神聖ローマ帝国軍の攻囲を受けて敗北した。共和政の指導者の大部分が処刑され、または追放された。(Giorgio Vasari 1558. 1530 Siege of Florence.)
マキアヴェリにとって戦争の究極的な目標は武力によって敵国を支配することであり、それは道徳や倫理では説明できない独自の合理的法則があるということを認識していたと著者は論じています。
「戦争の最終的目的が敵国民の完全な屈服にあるという原則を確立したことによって、軍事思想はそれ自身の論理と方法をもつ独立の分野を創設したのである。また軍事問題を科学的基礎のうえに論究することも可能になった。さらに詳しくいえば、すべての軍事行動をひとつの再考目的に向かい合理的な基準をもって評価することができるようになった」(同上、37頁)
このような前提を持ち込んだことが、軍事学の歴史においてマキアヴェリを戦略思想家たらしめたと、著者は評価しており、従来の戦争観とは大きく異なる考え方を提示したと考えられています。
「そのうえ戦争の成功は軍事上の合理的な法則にしたがってその手段を準備することにあると考えられた。これを要するにマキアヴェリは戦争に勝利をもたらすべき理論的方法の解決に心血を注いだのであった。当時はいまだ戦略(strategy)という語はなかったとはいえ、マキアヴェリの考え方は戦略的考察(strategic thinking)の始まりであるといわねばならない」(同上、37頁)
そのため、マキアヴェリは戦闘で決定的勝利を収めることが、戦争術の一般的原則として重要であり、その具体的方法に強い関心を持っていました。
実戦で使用できる軍隊は規律と訓練を欠かしてはならないとマキアヴェリが繰り返し主張していたことは、その関心の現れでもあります。

例えば、著者は次のようなマキアヴェリの記述を引用して紹介しています。
「良好な軍規と訓練のため払うすべての注意と苦心は、軍隊が正しい方法で敵と戦うこととそれを準備することを目的としている。なぜならば完全な勝利は戦争を終結させるからである。そのうえ戦いの決断は運命的なものである。もし敵が闘いでことを決しようと決意したならば、彼は常にわれに戦闘を強要することができる。もし敵が決戦を強要しようとする場合には指揮官は戦闘を避けるわけにはいかない。さらに大砲が発明されてからは、城も要塞も敵の前身を阻止するには役立たなくなった。戦闘はいかなる戦争においてもとどのつまりは中心的課題となってくる」(同上、27頁)
決戦で完全な勝利を収めることによって、戦争そのものを終結に導くという思想の原点がここみ見出されます。

むすびにかえて
著者はマキアヴェリが生前に刊行した著作は政治学の『君主論』ではなく、軍事学の『戦争術(戦術論)』であり、彼が当時としては非常に革新的な説を唱えていたことを強調しました。
確かに『戦争術』は16世紀で七版を重ね、ヨーロッパ各国で翻訳が出されたことを考えると、マキアヴェリは政治思想家である前に、軍事思想家であったことに留意すべきでしょう(同上、30-1頁)。

KT

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