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2017年3月10日金曜日

事例研究 第一次世界大戦のドイツを苦しめた食料問題

「腹が減っては戦はできない」という言葉はよく知られています。つまり、広大な領土を持ち、世界に誇る工業力、軍事力を備えた国家であっても、ひとたび食糧難に直面すれば、敗北してしまうという意味です。このことは第一次世界大戦でドイツ人が身をもって経験することになりました。

今回は、『総力戦』の著者であるドイツ陸軍軍人エーリヒ・ルーデンドルフ(Erich Friedrich Wilhelm Ludendorff, 1865-1937)が、戦時中の食糧難の問題についてどのように考察していたのかを紹介してみたいと思います。

食料確保が戦略の目標となる
第一次世界大戦が勃発した1914年当時、ルーデンドルフは西部戦線で第2師団を指揮していましたが、東部戦線で功績を上げた後で1916年に参謀次長(後に第一兵站総監に改称)に就任しており、ドイツ軍の戦略に直接責任を負っていた人物です。

戦後に出された『総力戦』はそうした経験が反映されており、兵力の展開、移動、集中といった古典的な戦略問題も考慮されているのですが、内容で興味深いのは戦時経済に関する考察です。それを読むと、食料問題についてルーデンドルフが大きな関心を払いながら戦争を指導していたことが分かります。
「ドイツで、人への食料と、家畜への飼料の供給が世界大戦中にどれほど深刻なまでの展開していったのかは、世界大戦を意識的に体験した世代にとっては記憶にまだ新しいであろう。少なくとも人間用の食料と可能であれば飼料についても必要量を確保しようとする努力を正しく評価するために、このことは記憶にできる限りしっかりとどめておかなければならない」(邦訳、ルーデンドルフ、64頁)
食糧難が具体的にどのような影響をもたらしのかを説明するために、ルーデンドルフはルーマニアとウクライナでのドイツ軍の作戦について次のように書き記しています。
「例えば、後者(飼料のことを指す)の不足がどれほど深刻なものであったかは、私が東部で少なくとも胃袋を満たすことができるように馬用の資料におがくずを混ぜなければならなかったことから理解できる。その際に、馬の体力と健康が低下したことは、その深刻な帰結であった。ルーマニアが我々へ宣戦布告した後、対ルーマニア戦をワラキアの獲得まで継続するという私の決意は、同盟国の困難な食糧供給に関する状況を改善するという必要性に極めて本質的に縛られたものであった。1918年にウクライナにまで東部戦場を拡大させた際には、それに相当する考えが必然的に関係していた」(同上、64-5頁)
地図上でドイツ軍の観点から当時のルーマニアの地形を判断すると、カルパート山脈(2102m)とトランシルバニア山脈(2544m)によって接近が阻まれており、また戦闘部隊が展開できる地域もかなり限定されています。
しかし、これらの障害を突破して南進すると、ドナウ川の水源に恵まれたワラキアという地域があり、ここは現在でも小麦の生産が盛んな農業地域です。ルーデンドルフとしては山岳地域という攻者にとって不利な地形での戦闘になるリスクは覚悟しなければなりませんが、穀物の欠乏を緩和するためには、ワラキアを獲得するために、あえて攻勢に打って出ることを選んだということです。

食料を外国に依存していたドイツ人
しかし、ドイツでそれほど食料が不足したのはなぜでしょうか。ドイツは戦争に備えて食料を備蓄したり、食料の供給網を国内で確保しておく努力を怠っていたのでしょうか。

これにはいくつかの要因が関係していたとされており、その一つにオーストリアという問題がありました。第一次世界大戦でドイツは結局オーストリアの戦略に巻き込まれる形で参戦したのですが、オーストリアには当時十分な食料の蓄えがなく、深刻な食糧難に直面していたことがルーデンドルフによって指摘されています(同上、65頁)。
つまり、オーストリア軍の兵力を稼働させ続けるために、ドイツ政府として食料支援を行わなければなりませんでした。

オーストリアの問題はドイツにとって外的要因ですが、内的要因もありました。ルーデンドルフはドイツが農業による自給が確立できていなかったことを次のように論じています。
「我々は、世界大戦前に年間100万トンをはるかに超える小麦の輸入超過を必要としていた。手元にある建白書によると、183万トンもの小麦の輸入超過が必要という計算[結果]が出ている。ドイツは飼料に関して、5分の2の需要しか間に合わせることができなかった。[その結果、]約800万トンの輸入が必要であった。おおよそ十分な量のライ麦、ジャガイモ、食肉はドイツで生産されていたが、それは我々の食糧供給状況が当時外国にどれほど依存していたかを驚きをもって示す高い数字である」(同上)
経済学者はこの論点については自由貿易の経済的合理性を主張したくなるかもしれませんが、ここでルーデンドルフが考察しているのは国際政治において展開される国家政策の問題であり、経済的合理性だけで結論を出すことはできません。

20世紀初頭のドイツが置かれていた国際情勢として、イギリスが敵に回る可能性は極めて高い状況にあり、しかもイギリス艦隊をドイツ艦隊で撃破することは極めて難しいと見られていました。これは開戦と同時にドイツの海上交通路が失われる危険があったことを意味します。

国際関係論のリベラリズム(liberalism)について学んだことがある読者であれば、ドイツが外交貿易と依存関係があるのであれば、それはドイツ政府に開戦をあきらめさせる要因として作用したはずだと考えるかもしれません。しかし、次に述べるような理由でそうとはならなかったのです。

備蓄が尽きる前に戦争は終わるはず
開戦と同時に食糧難に直面する可能性が高いのなら、そもそもドイツは最初から戦争を回避すべきだったのではないでしょうか。ところが、歴史上のドイツ政府は開戦の決定で食料問題をさほど重視しませんでした。

ドイツ政府が戦時経済体制の重要性を知らなかったわけではありません。ドイツ政府は小規模ながら食料備蓄を確保しようとしていたのですが、ルーデンドルフは備蓄の更新の際に行政当局と業界団体が対立していたこと、そして政府は戦争は短期間で終わると想定していたことが影響したと指摘しています。
「どの穀物や飼料の貯蔵も行われていなかったが、それは以下の諸事の理由からであった。それらは、まずは恐らく政府がこの極めて重大な問題について十分には考えをめぐらしていなかったということであり、次に政府が、戦争は短期間しか継続せず、在庫品―ともかく約10億マルク相当の在庫が焦点となっていた―の貯蔵のための資金がないという見解を根底に持っていたことであり、そして、積み上げられた在庫の刷新が、極めて多くの場合、私利追求にとって望ましくない価格均衡につながる可能性があることを恐らく心配していた農業、商業[業界]がそれに反対であったということであった」(同上、65-6頁)
行政としては予算の節約のために保管期限が過ぎた備蓄食料を売却処分したいのですが、それは食料価格を押し下げ、農業従事者の利益を損なう恐れがあったので反発を受けたのです。
さらに、1914年当時のドイツ軍の作戦計画はドイツ陸軍参謀総長アルフレート・フォン・シュリーフェン(Alfred Graf von Schlieffen, 1833-1913)の構想に依拠しており、確かにそれは短期決戦の完遂を最大の目標としていました。政府はこのシュリーフェン・プランの成功をいわば食料政策の前提に置き、業界団体の反発が強い備蓄管理の問題解決を避けてしまったということです。

以上のルーデンドルフの見解をまとめると、外国への食料依存の高さ、国内の食料備蓄の不備という二つの対内要因、そしてオーストリアに対する支援の必要という対外要因が残されたまま、短期決戦を目指して開戦に踏み切ったので、ドイツは深刻な食糧難に陥ってしまったという説明になります。

むすびにかえて
現在の日本でも農林水産省が中心となって食料安全保障が推進されていますが、この政策課題は容易に解決できるものではありません。
戦後、ルーデンドルフが自給自足が可能な経済(アウタルキー)の確立を強く主張しましたが、これを日本に適用して国内に食料生産基盤を十分な規模確保するとなると、大きな財政負担が生じてくるため、政策の長期的な実行可能性が損なわれてしまいます。
しかし、あまりに手を打たないと緊急事態における備蓄や確保が不十分となり、軍事力は低下し、個別の軍事作戦の方針にさえ影響が及ぶ危険があることはルーデンドルフが指摘した通りです。

今と昔で状況は違いますが、食料安全保障という問題を考える上でドイツの総力戦はさまざまな教訓と知見を含む事例といえます。軍事的観点からだけでなく、経済的観点からも詳細に研究することが重要だと思います。

KT

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論文紹介 第一次世界大戦の原因は「シュリーフェン・プラン」だけではない

参考文献
Ludendorff, Erich. 1935. Der totale Krieg, München.(邦訳、エーリヒ・ルーデンドルフ『ルーデンドルフ 総力戦』伊藤智央訳、原書房、2015年)

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