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2016年7月30日土曜日

貿易で世界が平和になるとは限らない

国際関係論の研究では、貿易によって国家間の経済的な相互依存が強化されれば、戦争が勃発して貿易が不可能になった際に相互に不利益となるため、その結果として平和を維持しやすくなる、と考える立場があります。
これはリベラリズム(liberalism)として以前から知られている学説であり、コヘインやナイ等の研究者によって主張されています(Kohane and Nye 1972, 1977)。

確かに貿易関係の強化が戦争を困難にするという可能性は注目に値するものですが、だからといって経済的相互依存によって平和を維持することが可能になるという考え方がどこまで妥当するのか疑問も残ります。

今回は、この問題を批判的立場から考察するため、20世紀に国際政治の研究で先駆的業績を残したイギリスの外交官エドワード・ハレット・カー(E. H. Carr)の議論に注目したいと思います。

平和が常に各国の共通利益とは限らない
19世紀に後れて統一を果たしたドイツはその成立当初から英仏の勢力圏に挑戦しなければ、自国の植民地を拡大できない状況にあった。1911年4月、モロッコの利権をめぐって英仏西との関係が悪化した第二次モロッコ事件では、軍艦を現地に派遣し、全面戦争も辞さない構えを英仏に示すことで、独領カメルーンを獲得している。
リベラリズムにおいて、戦争は必ずしも国家の 政策を遂行する合理的な方法とは考えられていません。
つまり、国家にとって戦争を遂行するために必要な人的、物的な損害は、その国家が目指す国益をかえって損ねる側面が大きく、結局のところ平和を維持する方が国家として目標を達成しやすいことになります。

こうしたリベラリズムの戦争観(もしくは平和観)について、カーは次のように説明しています。
「利益調和の理論は、政治的には通常次のような考え方に立っていた。すなわち、すべての国家は平和に同一の利益を持っていること、したがって平和を阻もうとする国家はすべて、理性も道義もないのだ、ということである」(カー、114頁)
しかし、このような単純化は国際社会の実情から乖離しているとカーは批判しています。
確かに武力を用いずに国家がその政策を遂行することは、多くの国家が望ましいと考えるかもしれません。
しかしそれは国際社会の「現状」を変えようとする諸国と、維持しようとする諸国との間の利害の対立を解決するものではないことを理解すべきである、というのがカーの主張です。
「共通利益としての平和は、次のような事実を覆い隠している。すなわち、戦わずして現状を維持したいと望む国もあれば、戦わずして現状を変えたいとする国もあるという事実である。現状維持であろうが、現状変更であろうが、それは世界全体のためになるのだ、という主張は事実に反している」(同上、115頁)
外交官としての経験も持っていたカーからすれば、国家間の利害が戦争を回避するという一点で常に合致するという想定は受け入れがたいものでした。
なぜなら、現状に対して満足している国家が一方であれば、他方では不満を抱く国家も存在しているのが国際政治の常態であるためであり、外交交渉によって利害の対立を巧妙に処理する必要は、まさにこの利害の不一致から生じてくるためです。

現状維持を求める国家の立場から見れば、平和は政治的に有利な状況かもしれませんが、現状変更を求める国家にとって平和は無条件に望ましい状況とはならないことを、理解しておくことが必要となります。

貿易が常に双方の利益を確証するわけではない
エドワード・ハレット・カー(1892-1982)
イギリスの外交官、歴史家。専門だったソ連史の研究業績が一般的には知られているが、国際関係論の業績としては『危機の二十年―国際関係論入門』があり、現在でも国際政治を学ぶ際の重要な文献と位置付けられている。
カーは平和が共通利益とならない場合があることを、より具体的に示すために、リベラリズムが基礎としている貿易理論についても考察しています。
経済学では貿易が国際分業による合理化、つまり国家がそれぞれの特性に応じて最も効率的に生産できる財やサービスを供給することに専念し、それを国際貿易を通じて他国と交換できれば、全体として最小限の費用で最大限の利益が得られるものと想定されています。

しかし、カーは政治の観点から見れば、国家間の貿易が自国の勢力を拡大する政策手段として、つまり相手を経済的に支配する手段として活用される場合もあるにもかかわらず、リベラリズムはそうした可能性を十分に考慮していないのではないかと指摘しています。
「一般的な利益調和の仮説は、経済関係においては、なお一層の確信をもって唱えられた。なぜなら、ここでは自由放任主義経済の基本的学説が直接反映されているからである。したがって、この分野において、われわれは同学説から生まれるジレンマを最も鮮やかに見て取ることができるのである」(同上、117頁)
リベラリズムに対するカーの批判で興味深いのは、国際政治において大きな経済力を持つ国家が、貿易を通じて優位に立てる場合がある、という部分です。これは貿易によって国家間に一定の勢力関係が確立され、一方が他方の行動を支配、または誘導することができる可能性があることを示唆しています。
貿易によって相手の行動を統制できるとはどういうことなのか、カーは具体的な国名を挙げながら次のように説明しました。
「例えば、もしロシアやイタリアが関税による保護なしに国内産業を確立できるほどに強いのでなければ、そのとき―自由放任主義者は主張していたのだが―両国はイギリスやドイツの製品を輸入し、小麦やオレンジをイギリスやドイツの市場に供給することで満足しなければならない。もし誰かがこれに関連して、この政策ではロシアもイタリアも経済・軍事両面で近隣国に依存する二流国家にとどまってしまうと異議を唱えたなら、自由放任主義者はこう答えねばならなかったであろう。すなわち、これこそ神のご意思であり、これこそ一般的な利益調和が求めてやまないものだ、と」(同上、117-118頁)
強大な技術力と発展した経済を持つ大国が、経済的に発展途上の中小国との間で貿易関係を深めるとなれば、国家間の分業体制が固定化される恐れが出てきます。
カーがここで述べているのは、その結果として発展途上の国家において新たな産業を成長させることは難しくなるだけでなく、軍事的能力を拡大することもできなくなってしまうということです。つまり、貿易の問題は経済の領域に止まらないのです。

リベラリズムが主張する経済的相互依存に基づく平和は、十分に発展した産業基盤を有する大国の立場から見た平和に過ぎず、それが全ての国家にとって共通利益であるとは必ずしも言えません。

国家政策としての経済的ナショナリズム
1871年から1935年にかけて操業し、兵器の製造を行った東京砲兵工廠を始めとする軍需産業は日本軍の武器の国産化と工業基盤の拡充に寄与しただけでなく外国からの輸入への依存度を低下させる意義があった。
経済的相互依存によって世界各国の共通利益である平和を実現することが可能になる、という学説の背後に、大国が中小国を経済的に支配することを正当化する考え方があるとすれば、あえて国際貿易の拡大を控え、自国の産業基盤を維持強化する政策、いわゆる「経済的ナショナリズム」にも一定の合理性があるということになります。
「経済ナショナリズムはそれを実行する国家に必ず不利益をもたらす、と考えるのは全く軽率なことである。19世紀、ドイツとアメリカは『激しい民族主義政策』を追求して、事実上世界貿易独占の地位にあったイギリスに挑戦した」(同上、121頁)
カーの見解によれば、経済ナショナリズム、つまり自給自足が可能な経済力の獲得を国家として目指す政策は、国家が中小国から大国へと成長するための重要な一歩ということになります。
国際貿易から大きな利益を獲得し、そこから国際政治の大国に台頭するという場合がないわけではありません。
しかし、そのような政策がうまくいくのは各国の経済が順調に成長している間だけだとも考えられます。もし世界経済の状況が一変し、多国間貿易が急激に減少すれば、たちまち国家の経済運営は行き詰まりを見せることになります。

国家の政策立案者としては、貿易から期待される利益と、リスクの程度をよく総合考慮することが求められます。
その検討の結果として、「経済的ナショナリズム」と呼ばれるような保護的政策が打ち出されることも一つの政策選択であるとカーは考えていました。
「アジアではインドと中国が、ヨーロッパからの輸入品に頼らないようにするため大規模な製造業を立ち上げた。日本は、世界市場においてヨーロッパの製品よりも安価な織物や他の製品を輸出するようになった。何よりも重要なのは、安いコストで利益になるような発展・開発が可能である領域など、これ以上どこにもなかったということである。戦前期の経済的重圧をやわらげた、移民のための広い通り道は閉ざされた。移民の自然な流れに代わって、強制的に追い立てられた難民の問題が現れた。経済的ナショナリズムとして知られる複雑な現象が、世界中に広がったのである」(同上、131-132頁)
カーがここで指摘していることは、貿易による国際分業で期待される国家間の共通利益は、その時の世界経済の状況によって異なるという可能性です。
ここで述べられている19世紀から20世紀初頭にかけての世界の情勢では植民地の獲得競争が激しさを増していた時代であり、特に欧米列強はアジア、アフリカ等で原材料を低コストで確保し、国内の過剰人口を国外に再配置することで、経済の成長を促進することができたという側面がありました。

世界各国の経済動向、政策決定等の不確実な要因によって自国の経済運営にも影響が生じてくることを考えれば、リベラリズムが想定する経済的相互依存による国際平和の実現は、世界経済の先行きに安心感があり、また実際に安定的に成長しているという状況が大前提であるように思われます。

むすびにかえて
ここで取り上げたカーのリベラリズムに対する批判で一貫しているのは、大国と中小国という国力の相違を国際政治で無視し、経済的相互依存の拡大だけで平和が維持できると考えることの危険を認識すべきだという姿勢です。これは貿易が平和維持に寄与しないというような単純な批判ではありません。

カーは国際情勢を総合検討した上で、経済的相互依存と経済的ナショナリズムのそれぞれに利害得失があると論じているのであって、リベラリズムの考え方の全てが間違っていると断定しているわけではありません。
リベラリズムから導き出される貿易を国家の政策として使いこなすためには、世界経済が順調であることや、十分な経済力を持つ国家が、現状維持の立場を取る場合など、いくつかの条件が必要であり、そうした点を踏まえれば平和の維持に寄与する可能性はあります。

結局のところ、国際協調を基礎とする政策が無条件にうまくいく状況ばかりではないのが国際政治であり、そうしたリスクを認識することが国家政策の基礎であると考えることが重要ではないかと思います。

KT

参考文献
Carr, E. H. 1946(1939). The Twinty Years' Crisis 1919-1939: An Introduction to the Study of International Relations, 2nd ed. London: Macmillan.(邦訳、カー『危機の二十年』原彬久訳、岩波書店、2011年)
Keohane, R. and Nye, J. 1972. Transnational Relations and World Politics, Cambridge: Harvard University Press.
Keohane, R. and Nye, J. 1977. Power and Interdependence: World Politics in Transition, Boston: Little, Brown.(邦訳、コヘイン、ナイ『パワーと相互依存』滝田賢治監訳、ミネルヴァ書房、2012年)

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