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2015年6月22日月曜日

学説紹介 軍事学は戦争を称揚せず、ただそれを理解する


軍事学について話していると、それを学ぶことで戦争や武力の行使、戦争を是認する思想に染まるのではないかという疑問を投げかけられることがあります。
これは非常に率直な疑問であり、また日本における軍事学に対する見方をよく表していると思いました。

そこで今回は、クラウゼヴィッツの学説を参照しながら、この疑問に次のように答えたいと思います。つまり、たとえ軍事学を学んだとしても、無条件に武力紛争や軍備拡張それ自体を支持するような極端な考えにはならない、ということです。

クラウゼヴィッツの研究成果で最も重要なものは、戦争が政治の手段であって、それ自体が目的ではありえないという従属的性質を論証したことであり、これが現代においてもなお妥当性を失っていないと考えられています。
「戦争は、政治的行為であるばかりでななく、政治の道具であり、彼我両国のあいだの政治的交渉の継続であり、政治におけるとは異なる手段を用いてこの政治的交渉を遂行する行為である。してみると戦争になお独自のものがあるとすれば、それは戦争に置いて用いられる手段に独自の性質に関するものだけである」(クラウゼヴィッツ、1968年、上、58頁)
これは軍事学の最も基本的な考え方であり、議論の出発点であるとも言えます。

国際関係はアナーキーですので、それぞれの国家の利害が対立した場合にそれを包括的に解決するために強制力を行使する政治機構は存在していません。
そのため、各国は外交だけに頼るのではなく、自国の政策を自力で遂行する最後の手段として武力を準備し、必要があればそれを行使するものと考えられます。

しかし、だからといって軍事学の理論が常に論理的必然として戦争の開始を是認し、武力の行使を推奨するわけではありません。なぜなら、戦争は政治の手段であり、軍隊は戦争を遂行する手段に過ぎないためです。

もし敵国の進攻を自国の国力で防止することが不可能であると信じるに足る十分な証拠が存在するならば、たとえ領土の防衛を政策目的としていても、軍事学の研究として武力紛争や軍備拡張によって政治的目的を達成することは非現実的である、という結論に至ることは間違った推論とは言えません。
これは戦略的な降伏論であり、抵抗の不可能性という問題は軍事上の検討に値する論点です。

もう一つ興味深いクラウゼヴィッツの議論があります。彼は学問の本旨は行動を指示することではなく、考察を深めて知性を訓練することであると考えていました。
「戦争を構成している一切の対象は、一見したところ錯綜しておよそ弁別しにくいにもかかわらず、もし理論がこれらの対象をいちいち明確に区別し、諸般の手段の特性を残らず挙示し、またこれらの手段から生じる効果を指摘し、目的の特質を明白に規定し、更にまた透徹した批判的考察の光りによって戦争という領域をあまねく照射するならば、理論はその主要な任務を果たしたことになる。そうすれば理論は、戦争がいかなるものであるかを書物によって知ろうとする人によき案内人となり、至る所で彼の行く手に明るい光を投じて彼の歩みを容易にし、また彼の判断力を育成して彼が岐路に迷い込むのを戒めることができるのである」(同上、172-173頁)
ここでクラウゼヴィッツは軍事学の趣旨を巧みに要約しています。
軍事学の目標としていることは、単純に戦争を肯定し、武力を称賛することではありません。
極めて複雑な社会的、政治的現象である戦争を理解するために、有益な概念やモデルを理論的に整理し、発展させることを通じて、専門家だけでなく多くの人々がこの問題について考えることを可能にすることが重要なのです。

したがって、軍事学は何らかの思想や行動を押し付けるものではありませんし、そのようなものではあってはなりません。
それは公共にとって有益な知識として社会から尊重されるべきであり、安全保障に携わる人々、そして国民全体の判断力を高めるために大いに活用されるべきものです

KT

参考文献
クラウゼヴィッツ『戦争論』篠田英雄訳、全3巻、岩波書店、1968年

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