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2015年6月6日土曜日

オランダの独立を可能にした軍事革命

1574年、八十年戦争でのライデン攻囲戦を描いた絵画。
このスペインの攻囲に耐え抜いたライデンにライデン大学が設置される。
Otto van Veen(1574 - 1629)作
今回は、国家が存亡の危機に直面した時、研究者ができることが何なのかを私自身考えさせられたオランダの軍事革命の歴史を紹介したいと思います。

この話は1568年にスペインに対してオランダが独立を求めて武装蜂起したことにまでさかのぼります。この反乱は後に八十年戦争と呼ばれることになり、休戦を挟みながらも1648年まで続きました。
開戦当初、オランダ軍はスペイン軍に対して劣勢な状況だったのですが、その最大の理由は当時のオランダ軍にはスペイン軍の優れた戦術に対抗する手段がなかったためでした。

当時、スペイン軍はテルシオと呼ばれる野戦方陣に基づく戦術を完成させていました。
テルシオというのは槍兵を中央に配置し、正面にアルケブス小銃を持つ小銃手、そしてそれ以外の側面をマスケット小銃を装備する小銃手を配置した横陣の戦闘陣形だと考えて下さい。
一つのテルシオはおよそ200名の中隊規模で構成され、特に防御戦闘で有効な縦深が十分確保されているため、オランダ軍が白兵戦闘でテルシオを敗走させることは至難のことでした。

戦局が好転しない中で1588年、オランダの最高指導者の地位についたマウリッツは、スペイン軍の戦術を打破するためには、陸軍を改革する必要があると判断します。そして、その改革の方針を定めるに当たって研究プロジェクトを立ち上げることを決定しました。

マウリッツは研究プロジェクトを立ち上げるに当たって、国内の大学から文理両方の研究者を招集し、スペイン軍の戦術に対抗する方法を解明するように求めました。
この研究プロジェクトの方向性に当初から大きな影響を及ぼした研究者がリプシウス(Justus Lipsius)という政治哲学者でした。

リプシウスは政治学を専門とするライデン大学の教授でしたが、古代ローマの軍事思想に関する知識がありました。
そこでスペイン軍の戦術を研究するに当たっては、古典時代以降の軍事思想を再検討する必要があると判断し、ウェゲティウスなどの文献に関する調査を行っています。
さらに、当時まだ普及から間もない小銃や火砲の研究も並行して進められ、研究者たちはそれぞれの知見に基づいて、オランダの軍制改革を方向付ける概念設計を進めていきました。

こうして提出された報告書には従来の軍事思想を一変させる画期的内容が盛り込まれていました。
すなわち、白兵戦闘に特化したスペイン軍のテルシオに対抗するためには、火力戦闘に特化した戦術を導入すべきと主張されていたのです。
15世紀初頭にヨーロッパでは火器が導入されつつありましたが、当時の戦場ではもっぱら白兵戦闘が中心的でした。
この報告書はこうした従来の軍事思想を捨てて、火力戦闘を戦術の中心に据えることを提唱するものだったのです。

マウリッツはこの報告を受けて1589年から軍制改革を本格化させます。改革の要素はさまざまでしたが、最終的に完成されたオランダ軍の新しい戦闘陣形は次のようなものとなりました。
灰色は槍兵、赤色はマスケット小銃手
左が横陣に展開したもので、右が縦陣に展開したもの
この陣形に展開する部隊規模は500名程度から成る大隊
上記の図から分かるように、オランダ軍は槍を装備する歩兵よりも小銃を装備する歩兵の割合を多くしています。マスケット小銃手の中隊2個、槍兵の中隊1個、合計3個の中隊で1個の大隊を編成します。こうした陣形自体が当時としては異色のものであったと言えます。

興味深いのは、テルシオにはない戦闘陣形の転換が組み込まれている点です。これはローマ軍のレギオンの運用と類似する特徴ですが、オランダ軍ではあくまでも火力戦闘に主眼を置かれており、レギオンとは本質的に運用の思想が異なっています。
例えば、この陣形の弱点である騎兵突撃を受ける場合には、マスケット小銃手を槍兵の背後に素早く退避させることが考えられています。

このような戦術が成功するためには、兵士一人ひとりがが迅速かつ確実に部隊行動をこなすことができるように、基本教練を徹底させる必要がありました。
マウリッツはこの戦闘陣形を活用する上で教練の標準化、教範の作成、給与体系の見直し、士官学校の設置、武器の更新などを推進し、新しいオランダ陸軍を作り上げました。
最終的にオランダが独立を勝ち取るのはさらに先の話となりますが、この軍制改革が戦局の転換を可能にしました。

マウリッツの軍制改革は単なる一時代の出来事にとどまるものではありませんでした。世界各地でマウリッツの戦術は研究されることになり、その後の陸軍の歴史に極めて重大な影響を与えています。歴史家はこの改革をもって「軍事革命」と称しています。

当時のオランダの研究者たちは、その専門知識を遺憾なく発揮し、国家の独立を勝ち取る上で重要な貢献を果たしたと思います。そして、その研究成果がその後の陸軍の軍事思想の主流を占めるにまで至ったのです。

KT

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