最近人気の記事

2015年6月12日金曜日

ガリポリでチャーチルは何を間違えたのか

ガリポリの戦いでオスマン軍の防御陣地に突撃する豪軍の歩兵部隊。
第一次世界大戦の歴史に残る作戦の一つにガリポリの戦いがあります。
これは1915年2月から1916年1月にかけてドイツ、オーストリアと同盟関係にあったトルコとイギリス、オーストラリア、ニュージーランドとの間で発生した戦闘であり、この作戦構想を当時最も強く主張していたのはウィンストン・チャーチル(当時海軍大臣)はこの作戦を遂行することによって当時のヨーロッパ方面で膠着した戦局を転換させることを目指していました。

しかし、トルコ軍の抵抗によってイギリスは思うように部隊を前進させることができず、最終的にはこの正面から部隊を撤退させています。

チャーチルはこの作戦の失敗で強い非難を浴びることとなり、海軍大臣の地位を失うことになってしまいました。確かにガリポリの戦いは損害に対して戦果に乏しい作戦であったことは事実です。しかし、チャーチルが主張した戦略それ自体が間違っていたのかどうかは検討する価値があります。

第一次世界大戦に関する著述を読むと、当時チャーチルが重視していた戦略の原則が次のようにまとめられています。

  1. 勝敗を決する決定的な戦域は、いついかなる時でも、その地域において決定的勝敗が決着する戦域を指している。これに対して主要な戦域は大規模な軍隊や艦隊が展開されている戦域を指している。主要な戦域が常に決定的な戦域であるとは限らない。
  2. 敵の正面部隊や主力を突破することが不可能な場合、敵の側面を迂回して後方に進出しなければならない。もし敵の側面が海岸に接しているならば、敵の側面を迂回して後方に進出する機動作戦は海上勢力に基づいた水陸両用作戦でなければならない。
  3. 敵の最も無防備な戦略要点を攻撃目標として選択する必要がある。敵が最も強固に守備する戦略要点を攻撃目標に選択してはならない。
  4. 複数国と同盟を結成する敵と対抗する場合、その中で最も強力な国家を直接的に打倒することができないことが明確であり、かつその強大な国家が最も弱小な同盟国の支援がなければ戦争を遂行不可能であることが明確な時には、何よりもまず最も弱小な同盟国に攻撃を仕掛けるべきである。
  5. 陸上戦闘で攻勢を実施するために必要な効果的手段が見出されるまで、攻勢は開始するべきではない(Churchill 1923: Vol. 2. p. 21)。

ガリポリの戦いを決断したチャーチルの戦略を支えていた考え方がここに要約されています。
その内容を検討すると、戦略の原則に合致している部分とそうではない部分があることが分かります。

まず、敵国の戦略正面を無理に攻撃するのではなく、側背の方向に向けて自国の軍隊を前進させる考え方自体は、戦略の原則と矛盾しているわけではありません。
チャーチルの第三の原則で述べられていることは、敵を正面から攻撃するよりも側面または背後から攻撃する可能性を追求すべきということです。
敵国が防衛線を準備している戦略正面を迂回することができるのであれば、それは攻撃者にとって常に有利な戦果をもたらすと言えます。

しかし、チャーチルがこの原則をさらに拡大解釈した上で、敵国の側面・背後に部隊を前進させるために、水陸両用作戦さえも実施するべきであると主張している点には議論の余地があります。
「もし敵の側面が海岸に接しているならば、敵の側面を迂回して後方に進出する機動作戦は海上勢力に基づいた水陸両用作戦でなければならない」という部分がそれに該当します。

これには陸上作戦と海上作戦を一体的な作戦として見なす統合作戦の考え方を明確に示しており、評価すべき考え方が見出されます。

しかし、チャーチルは自分の戦略が外線作戦を前提とすることを十分に認識しておらず、事実、外線作戦の危険についての考慮は不十分です。
(複数の方向から同時に敵国に対して攻勢に出る作戦は我の作戦線を外方に置くことを意味します。このような作戦を外線作戦と言います)

一見すると、外線作戦は敵を複数の方向から包囲しているように見えますが、基本的に包囲は狭い戦場に適用される戦術概念です。したがって、広い地域での部隊の運用を考える戦略にそのまま応用してはいけません。なぜなら、ある正面での戦果を上げたとしても、それが他の正面での戦況に影響を及ぼすまでには時差があるためです。

この時差があることで防御者は一方の正面で攻撃を受けたとしても、そちらでは最小限度の部隊を残して守備に当たらせて時間を稼ぎ、主力をもう片方に集中させることができます。主力を集中させて片方の脅威を排除した後に、改めて当初の正面に主力を戻すことができれば、攻撃者はその部隊を無駄に分割して各個に撃破されたことになります。

実際、トルコが攻撃を受けると、ドイツはブルガリアの参戦で開通した経路を利用して増援を派遣する態勢をとりました。このことで、ドイツはイギリスに対して作戦線を内方に保持することが可能となります。このことは、ガリポリからの撤退を決断する重要な要因ともなりました

チャーチルが強調した戦略上の原則は個別に見れば間違っていませんが、全体としてみるとごく一部の戦略の原則しか取り上げていません。
戦力を節約することや、行動の協調を図ることなど、戦略には他にも重要な原則があるのですが、こうした原則はチャーチルの戦略的思考では重視されていなかった、あるいはごく部分的にしか理解されていなかったのではないかと思われます。

参考文献
Chuchill, W. S. 1923. The World Crisis, London.

0 件のコメント:

コメントを投稿