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2015年3月27日金曜日

なぜ大学で軍事を研究するべきなのか


先日の修了式で、とある修了生とお別れのご挨拶をした際に、少し気になるテーマについて話す機会がありました。
それは大学で軍事力を研究する意義というものが依然として理解されていないのではないかという問題です。

彼は東アジア地域における相対的な海上戦力の優劣について興味深い分析を修士論文にまとめたのですが、論文の執筆や研究の過程で軍事力を研究テーマとすることが学問的ではないと指導教官や周囲の学生に思われていることに、違和感を覚えたことを率直に話して頂きました。また、私もその印象については共感を覚えるところが少なくありませんでした。

今回は、なぜ大学において軍事が研究テーマとされる必要が出てくるのか、その理由について政治学の立場から改めて考察してみたいと思います。

1.軍事力の政治的重要性

政治学の範囲や目標を規定する立場はさまざまですが、例えばハロルド・ラスウェルのような政治学者は政治学の主たる研究対象とは権力であると考えていました。
実際、権力はまぎれもなく政治学の最重要概念であり、いかにして他者の行動を自分の意志の下でコントロールするかを考えるためには権力を理解しなければなりません。

政治学では権力の概念が次のようにして定義されてきました。すなわち、
「他者からの働きかけがなければaがしないであろうことをAがaに行わせることができる時、Aはaに対して権力を持つ」
「(権力の大きさとは)Aがaに対して何もしない時に、aがある行為Xをする確率とAがaにある働きかけを行った時に、aがXを行う確率の差」
これは政治学者ロバート・ダールの定義ですが、この定義から考えれば軍事力とはまさに真正の権力に他なりません。
特に国際関係において他国からの威圧を無効にし、また他国に対して特定の行動を強制することができます。
また国内政治においても、例えば革命や反乱のような事態に陥った場合においては軍事力の優劣がその内戦の結果を大いに左右し、その後の政治体制に決定的な影響を与えます。

したがって、政治学者は軍事力に関心を持つ必要があり、特に国際関係論の研究を進める上では持たざるをえないと思われます。少なくとも私は、政治において武力こそが究極の権力であると考えています。

2.研究対象としての軍事力の多面性

よくある誤解かもしれませんが、学問領域として軍事学にはさまざまな立場があり、単一の学問とは言い切れない部分が決して少なくありません。
それは、医学に生理学や解剖学など諸種の研究対象があり、法学でも法哲学や憲法学など方法論が異なる場合があるのと同様です。

軍事力という事象には政治的、、経済的、社会的、文化的、心理的、歴史的、哲学的立場から研究ができる論点が多くあり、適用可能な方法論についても数理的、計量的なものから歴史的、定性的なものまで多岐に渡っています。
このような特性を考慮すれば、政治学の立場から軍事力を研究することが必要になることは当然のことであり、それは大学のような研究機関で研究されるに値します。

根本の問題はここにあるのかもしれません。つまり、研究対象として軍事力はしばしば過剰に単純化されて理解されてきた可能性があります。
一般に国家の軍事力は軍隊の能力とほとんど同一視されていますが、それはごく狭小な戦闘能力と勘違いされがちであって、それが地理的環境、経済力、科学技術力、社会構造、行政能力、国家体制など数多くの要因と不可分であることは見過ごされがちです。

どれほど原始的な戦争であっても、軍事作戦を軍隊だけで遂行することは不可能です。なぜなら、戦争の影響は社会のすみずみにまで広がり、一見すると非軍事的に見える経済的、社会的、文化的活動も直接的、間接的に関連を持たざるを得なくなります。
戦争、安全保障は軍事的事象に止まるのではなく、より広い含意を持った社会的事象であるということを踏まえなければなりません。

3.大学における研究教育の公共性

学術の高等専門研究を行う機関としての大学には長い歴史と伝統があり、学術研究が外部からの政治的、経済的、宗教的権威によって抑圧されることを避けるために学問の自由が保障されています。
しかし、それは知的資産の維持発展と、人材の教育養成という面で、公共的責任が極めて大きいからこそ承認された権利である、ということが意識されていなければなりません。

その大学機関がその社会の公共的利益にどのように貢献するか、その役割を自分で定義づけ、実践することができなくなれば、それは大学の自治の在り方を抜本的に見直すべきだと思います。

私の考えでは、軍事とは極めて公共的な政策課題であり、国民は国家の安全保障のために少なくない金額を負担しています。
国民としては、自分の税金がどのようにして自身の生命と財産を保護することに寄与しているのか、いかに防衛力の構築に活用されており、いつ、どこで運用されるかを理解する必要があります。

第一次世界大戦後のドイツではデルブリュックのようなベルリン大学の教授たちが政府の作戦指導を批判または擁護する見解を発表したことがあります。また冷戦後にハンチントンのような研究者が米国の伝統的な文民統制の考え方を改めるべきとする博士論文をハーバード大学に提出したこともありました。
いずれの場合においても彼らの研究が学術の領域だけでなく、政策論争にも影響を与えていることは注目に値すると思います。

最後に、私の印象では大学で軍事力の問題に関心を持つ学生は少しずつ出てきているように感じています。新しい世代のためにも、安全保障を通じて社会に貢献しようとする人材のための教育研究の機会がさらに広がれば、それは大学の役割とも合致するところが大きいというのが私の結論となります。

KT

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