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2014年4月9日水曜日

経済的浸透と従属国の確保


環太平洋連携協定の交渉が進んでいるようです。私が知る限り、4月下旬のオバマ大統領の訪日を見て4月中旬に交渉が山場を迎えるらしいですが、この問題については経済的側面だけでなく政治的側面についてもよく検討しなければいけません。

国際政治学では貿易は平和維持や地域統合をもたらす、という主張があることは事実です。
しかし、この主張は十分な事例や証拠に裏付けられたものでもなく、さまざまな論争があることから言っても定説とは言えません。

安全保障学の観点から言えば、貿易の問題は経済的安全保障、または広い意味での状況的安全保障に属する問題です。対外的安全保障とは異なる次元ですが、貿易は国家安全保障に潜在的影響を及ぼす要因であると考えられています。

貿易は経済的側面だけではなく、政治的側面があることの事例として、今回は1930年代おけるドイツのヒトラー政権による対外政策で経済力がどのように活用されたかという事例を紹介したいと思います。

1933年にヒトラー政権が成立すると、ドイツはいくつかの大規模な貿易政策の見直しを行っています。
まずフランスやイギリスといったヨーロッパ列強からの重工業製品の輸入に依存しないドイツ経済を確立するために産業振興を推進し、対外取引は原材料や食料品の輸入に限定するようにしました。(といっても、イギリスやフランスから工業製品の輸入が完全になくなったわけではありませんでした)
ブルガリア北部の都市ルセで初めて置かれた銀行の絵葉書。
ルセはブルガリア最北端の都市で、貿易都市として発展した。
事例として、ブルガリアの小麦を挙げましょう。
ドイツはブルガリアから輸出用小麦をブルガリア国内の相場より高く買い上げ、それを国際市場にの相場よりも安い価格で売却し、継続的に外貨を調達することに成功しました。この取引は金や兌換通過ではなく、信用払いで決済されていました。

ブルガリアの農家はこうしたドイツの政策に反応し、ドイツ以外の販路を捨て、ドイツ輸出用小麦の生産力を拡大することに専念するようになります。
農家の所得が増大してのでブルガリア経済はインフレが促進され、そのためブルガリアはドイツ以外との貿易取引量をますます縮小させました。
こうして、ブルガリア経済のドイツへの依存を強化することに成功しただけでなく、ブルガリア国内でドイツ支持を拡大することにも繋がりました。

ルーマニアの油田地帯の写真(撮影時期不明)。
同国はヨーロッパ最大の産油国の一つだったが掘削のための工業技術に欠いていた。
もう一つの事例としてルーマニアの石油の事例が挙げられます。
ドイツは国内需要を満たすためにルーマニアに有利な価格条件で石油の取引を持ち掛けました。
それと同時にドイツはルーマニアに石油開発で不可欠な重工業製品の輸出を提案しました。
最終的にルーマニアは資源開発のためのドイツの「顧問団」を受け入れ、ドイツ系企業がルーマニア経済に進出するための制度を整えることで協定を締結したのです。
こうした政策によってドイツ向けの石油がルーマニア経済のかなめの産業として成長しました。

ブルガリアでは1934年にボリス2世がクーデタで政権を掌握し、ルーマニアでは1940年にファシスト政党のアントネスク政権が成立して以降、両国はドイツを盟主とする枢軸陣営に接近していくことになり、第二次世界大戦でもドイツの味方となりました。

ここではドイツの事例を取り上げましたが、こうした事例は歴史上多く見られるものです。イギリス、フランス、アメリカ、ロシア、中国、もちろん日本もこうした経済的手段を活用した対外政策を展開してきました。

まとめますと、現代の日本経済において貿易は不可欠なものであることは確かです。
ただし、貿易は単なる経済的活動ではなく、「他の手段によって行われる政治の延長」であること、つまり政治的活動としての側面があることを理解しておく必要がある、というのが私の見解です。

KT

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