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学説紹介 オバマ政権の緊縮財政と国防政策:2011年予算管理法がアメリカの国防に与えた影響

2011年にアメリカで成立した予算管理法(Budget Control Act)という法律があります。この法律はオバマ政権下でアメリカの財政赤字を削減するために制定されましたが、ある条件下で強制的に予算を削減する措置が盛り込まれていたため、当初から国防予算に与える影響が指摘されていました。 今回は、どのような政治的経緯でこの法律が成立したのか、そのことによってアメリカの国防政策にどのような影響が及んだのかを考察した研究の一部を紹介したいと思います。 2011年に予算管理法が成立した経緯 2009年1月に成立したオバマ政権は、大統領選で大規模な社会保障制度改革を訴えていたのですが、この改革案は「小さな政府」を掲げる共和党から強い反発を受けることになりました。 ティーパーティ運動が台頭した2010年の中間選挙で共和党は勢力を拡大し、債務の上限の引き上げ条件をめぐって民主党と争う姿勢をとりました(高橋 2013、66頁)。 アメリカでは政府が新たに国債を発行する場合、議会の承認を受けなければなりません。債務の上限が議会によって引き上げられないままだと、政府は債務を履行できず、いわゆるデフォルトに陥る恐れがありました。 そのため、議会で共和党が民主党と争う姿勢をとったことで、オバマ政権はデフォルトの危機に晒され、何としても2011年8月2日の期日までに合意をまとめる必要に迫られていました(同上)。 当時の民主党は財政赤字を増税で削減すべきと主張しましたが、共和党は社会保障関連費の削減を主張し、議論はまとまりませんでした。 結局、2011年8月2日の期日ぎりぎりまで議論が続き、その日に辛うじて予算管理法の成立を見たのです(同上)。 2011年予算管理法の国防費に対する影響 2011年予算管理法の成立はオバマ政権にとって政治的な敗北でした。 確かに、この予算管理法によって債務上限を2.1兆ドル引き上げることが政府に認められました。 しかし、その見返りとして、政府は2021会計年度までの10年で財政赤字を1兆ドル程度削減することを目指さなければならず、その削減案を作成するための合同委員会を2011年11月23日までに議会に設置するか、それが実現しなければ政府予算のうちの1.2兆ドルを強制削減することが定められていました(同上、67頁)。...

論文紹介 ローマ帝国の衰退と国家社会主義の限界

ローマ帝国が滅亡に至った原因は研究者の間でも長らく論争が続いてきた研究テーマであり、かつてはキリスト教の誕生を原因と見なす説もありましたが、現在では財政の破綻がローマの存続を不可能にしたのではないかと考えられるようになっています。 これはつまるところ、ローマは5世紀には自らを守るために必要な武器、兵士、要塞、軍船に伴う公的支出に耐えきれなくなり、外部からの軍事的侵攻を許してしまった、という説です。 もしそうだとすれば、なぜローマの財政はそれほど危機的状況に陥ってしまったのでしょうか。 今回は、ローマ帝国の滅亡を引き起こした国家財政の危機を国家社会主義の限界として考察した研究を紹介したいと思います。 論文紹介 Bruce Bartlett. 1994. "How Excessive Government Killed Ancient Rome," Cato Journal , Vol. 14, No. 2(Fall 1994), pp. 287-303. 初期におけるローマ帝国の自由放任 アウグストゥス(前63-14年)ローマ帝国初代皇帝。 常備軍を設置し、親衛隊を創設するなどの軍制改革をはじめ、税制と通貨の改革、都市設備の大規模な改修などの事業に取り組み、その後のローマ帝国の基礎を整えたことで高く評価されている。 この論文の特徴は、ローマ帝国の衰退を国家社会主義体制の限界と結びつけて説明している点にあります。ローマ帝国の歴史は初代皇帝アウグストゥスが即位した前27年に始まりますが、当時のローマでは政治権力の集中が強化されたにもかかわらず、経済的自由は拡大される傾向が続いていました。 アウグストゥスはローマで民間部門の成長を促進するため規制緩和に取り組み、またローマで続いてきた徴税請負人に特定地域から物納で税を取り立てる権利を売却するタックス・ファーミングを廃止し、貨幣による徴税に切り替えました(Bartlett 1994: 288)。 エジプトの事例のように、経済的自由がローマ帝国の全土で確保されていたわけではありませんでしたが、銀行業の規制緩和によって多くの銀行が設立され、それに伴って民間事業が拡大したことはローマの経済成長を大いに推進することになったと考えられています(Ibid.: 289)。 また...

「平時」の戦略を確立した政治学者バーナード・ブロディ

現代の安全保障環境は必ずしも武力を直接的に使用することができる状況にはありません。一度、戦争状態に入れば彼我が受ける損害は極めて甚大なレベルとなり、政治的目的を達成するにはあまりに軍事的負担が大きくなりすぎるためです。 これを避けるために、現代の戦略家が重視するのは武力の間接的な使用であり、強制外交や抑止がこれに当たります。 こうした時代の要請に応じて戦略の考え方を大きく見直す必要が生じたのは冷戦期に入ってからのことでした。今回は、冷戦期に新たな戦略の理解を確立することに寄与した ブロディ (Bernard Brodie)の戦略理論の一部を紹介したいと思います。 バーナード・ブロディとは誰なのか バーナード・ブロディ(1910-1978) 「米国のクラウゼヴィッツ」、「核戦略の創始者」と称される米国の政治学者。 彼が構築した抑止に基づく戦略理論は現在の安全保障学の研究の基礎となっている。 ブロディは戦略研究の方面で世界的に名前が知られた政治学者ですが、日本で彼を知る人はそれほど多くないため、簡単にその略歴を述べておきます。 彼は1910年にロシア帝国から米国に移り住んだユダヤ人の家庭に生まれ育ち、1940年にシカゴ大学で政治学の研究で博士号を取得しています。 第二次世界大戦では米海軍で作戦本部に勤務し、終戦後にはイェール大学を経て1951年にランド研究所に入所しています。 このランド研究所で行っていた核兵器の運用に関する戦略研究は、1954年の学会報告で知られるようになりました。 ブロディは核の時代における軍事力の意義は戦闘に勝利することではなく、抑止を有効にすることであると主張し、この考え方はその後の安全保障学の研究者に大きな影響を与えることになりした。 その後も数多くの研究を残していますが、1966年からカリフォルニア大学で政治学・国際関係論を教えており、1978年に死去しました。 「戦略にはドルマークがついている」 ブロディは核の時代に備えるべき戦争とは限定戦争であり、国家の限られた資源をどのような武器体系の開発に配分するかが戦略的な重要性を持つようになると考えていました。 つまり、国家が編成する防衛予算の規模とそれを配分する方法こそが戦略の中心的な課題として考察しなければならないと指摘...