スキップしてメイン コンテンツに移動

投稿

ラベル(特殊作戦)が付いた投稿を表示しています

あのアルカイダが復活しつつあると専門家が警告を発している

アルカイダ は主にアメリカとその同盟国を攻撃するイスラム教スンニ派の過激組織です。2001年9月11日に アメリカ同時多発テロ事件 を引き起こし、米国から国家安全保障上の脅威と見なされ、世界規模で掃討作戦が実施されてきました。 2001年に米軍の攻撃でアフガニスタンの拠点を失い、2008年以降に幹部の損失が相次いだほか、2011年に指導者ビン・ラディンが殺害されたことで、組織力は低下したものと考えられてきましたが、最近になって再び勢力を拡大しつつあると専門家から指摘されています。 書誌情報 Jami T. Forbes, The Revival of Al Qaeda,  Joint Force Quarterly 96, 2020, Feb. (https://ndupress.ndu.edu/Portals/68/Documents/jfq/jfq-96/JFQ-96_84-89_Forbes.pdf?ver=2020-02-07-150502-383) 先ほど述べたように、2011年に米国がビン・ラディンを殺害することに成功し、アルカイダの勢力は大幅に後退したと考えられていました。そのため、2013年に別の勢力であるイラク・レバントのイスラミック・ステート(Islamic State of Iraq and the Levant, 以下ISIL)が活動を開始すると、国際社会の関心もアルカイダからISILへと移っていきました。 しかし、この間もアルカイダは忍耐強く勢力の回復に取り組んでいました。著者はアルカイダが以前にも増して活動の秘匿を徹底しているため、その実態が見えにくくなっているものの、組織の幹部を世界各地に配置し、提携のネットワークを拡大しつつ、脆弱国家に基地を構築していると主張しています。 「この数年間でアルカイダは地域からの支持を獲得し、また武装勢力と提携することによって、勢力を拡大してきた。2014年、アルカイダは、アジアで最初の公式のネットワークとなるインド亜大陸のアルカイダ(al Qaeda in the Indian Subcontinent, AQIS)という新たな系列の組織を立ち上げたことを発表した。AQISはアフガニスタンとパキスタンで活動しているが、インド、ミャンマー、バングラデシュにも野心を抱いている」 このよう...

論文紹介 NATO加盟国は対テロ作戦で団結せよ

2015年11月にパリで起きたテロ事件、2015年と2016年にトルコで相次いだテロ事件を受けて、近年のヨーロッパ諸国ではテロリズムに対する脅威が強く認識されるようになっています。 大西洋条約機構(NATO)は対テロリズム作戦の態勢を強化し、これまで以上に域内の対内的安全保障に取り組み始めています。 今回は、このような取り組みにおいて多国間での特殊作戦部隊の連携を重視すべきと主張する研究を紹介したいと思います。 文献情報 Miller, Matthew E. "NATO Special Operations Forces, Counterterrorism and the Resurgence in Europe," Military Review , July-August 2016, pp. 55-60. NATOは専門の対テロ部隊を必要としている 一般にNATOはヨーロッパの防衛の基盤として知られていますが、それは対外的な脅威を想定した組織であり、対内的な脅威は十分に考慮されてきませんでした。そのため、これまでのNATOで特殊作戦部隊は対テロ作戦を主な任務とされていません。著者はこのような現状では大規模なテロリズムの脅威に対処することは困難であるとして、次のように論じています。 「国際テロリストの脅威がNATO全体に及んでいることが明々白々であるにもかかわらず、政策の間違いか、現実からの逃避のいずれかかによって、対テロ作戦(counterterrorism)は未だにNATOの特殊作戦部隊の主要任務となっていない。その結果、公式に定められた対テロ任務を除けば、NATOの特殊作戦部隊は、いざ大規模なテロの危機が起きた際には、協調の問題に取り組むにはあまり効率的ではないやり方であるものの、公式もしくは非公式に加盟国の特殊作戦部隊の対テロ部隊に取って代わられることになるであろう。したがって、ISの急速な拡大とヨーロッパにおけるテロリズムの脅威の拡散という観点から、今こそNATOに対テロ任務を専門とする部隊を創設すべきである」(Miller 2016: 56) 歴史的に見れば、ヨーロッパ諸国では大規模なテロリズムが発生するごとに対テロ作戦の能力を強化してきました。しかし、それは各国が独自の取り組みに止まり、多国間の協調...

米陸軍でのレンジャーの歴史とその伝統

陸上自衛隊にレンジャー課程という教育を修了した隊員がいることは日本でもよく知られていると思います。その教育課程は過酷さを極め、修了者は戦闘員として非常に高い技能を持っていると見なされます。しかし、そもそもこの「レンジャー」とは、どのような歴史的な経緯で発展してきたのでしょうか。 今回は米陸軍の歴史において、レンジャーがどのように成立したのかを説明したいと思います。 アメリカ陸軍の歴史におけるレンジャー 17世紀から18世紀の米国では、インディアンと入植者の間で激しい武力衝突が繰り返し起きていました。 生活集落ごとに民兵で編成された市民軍が創設されていましたが、それは常備軍のような部隊行動をとるのではありません。彼らの任務は自らの集落外部の地域の警戒に過ぎませんでした。 レンジャー(ranger)の元になった「range」という英語はこの集落外部に設定された警戒線に由来しています。 米国での陸軍史でレンジャーが戦果を上げるようになるのはフレンチ・インディアン戦争(1755-1763)以降のことです。 当時、英陸軍少佐だったロバート・ロジャース(Robert Rogers)の下に英軍直属の独立部隊としてロジャーズ・レンジャーズと呼ばれる遊撃隊を指揮して戦っています。 ロジャースは1759年にレンジャーに対して徹底させた19か条を記していますが、これらはいずれも常備軍の兵士に要求される事項とは異なっています。 例えば「利用する必要がないチャンスは決して利用するな」、「帰路に同じ道を歩いてはならない。伏撃されないために別の経路をとれ」、「敵が接近する際に立ち上がるな」など、遊撃部隊の隊員として着意すべき事項を示しています。 レンジャーは戦後に解散となりましたが、その後においても、レンジャー部隊はたびたび編成されました。 アメリカ独立戦争が起きると将軍ジョージ・ワシントンは射撃術に優れた小銃手を集めてレンジャー部隊を編成し、南北戦争では南軍のジョン・モスビー(John Mosby)が乗馬能力に優れた兵士で北軍に対するゲリラ戦を仕掛けたことから「灰色の亡霊」と呼ばれました。 第二次世界大戦で確立されたレンジャーの位置付け しかし、レンジャーが米陸軍で正式な部隊として編成されるのは、第二次世界大戦が勃発した後の1942年のことになります...