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学説紹介 軍隊は社会の不平等を是正するか:社会学者アンジェイエフスキーの考察

19世紀のイギリスで活躍した社会学者スペンサー(Herbert Spencer)は、戦争に備える軍事型社会は軍隊の階層構造に強く影響されるため、社会的不平等を拡大させる傾向にあると論じたことがあります。これは後の軍国主義の議論にも影響を与えた重要な論点でした。 このスペンサーの議論に対して反論を加えたのが軍事社会学の研究で知られるアンジェイエフスキー(Stamslay Andrzejewski)であり、彼は軍隊の社会的影響をより広い視野で考える必要があると主張しました。 今回は、アンジェイエフスキーの研究成果の一部を取り上げ、彼がスペンサーにどのような形で反論を加えたのかを紹介したいと思います。 軍隊の社会への影響は戦争の形態によって変化する まず、アンジェイエフスキーは軍隊が階層構造を必要とすること、そして軍隊が社会に多大な影響を及ぼす可能性がある、という点ではスペンサーの議論に理解を示しました(アンジェイエフスキー、40頁)。 確かに、異なる意志を持った人々が一つの目的を達成するために共同するためには、まず軍隊の内部で人々を階層化し、さらに社会の側においても軍事上の特権を持つ人々を階層化する可能性があります。 しかし、軍事組織の中でどの程度の階層化が必要なのかについては、必要とされる装備の種類や戦術の内容によって大きく左右される問題ではないか、とアンジェイエフスキーは考えました。このことを彼は次のように述べています。 「さらに、戦争状態の熾烈化は大衆にさまざまな特権を与え、その支持を取りつけることが必要になるようにする。その場合にはかなりの程度の標準化が起こりうる。そのような路線の必然性は、戦術と装備との発達の度合いから言って、専門的戦士による軍隊よりも、大衆による軍隊の方が能率がいいかどうかにかかっている」(同上、41頁) このアンジェイエフスキーの議論に従うと、軍隊が社会に与える影響はスペンサーの議論のように単純化できないことになります。 なぜなら、軍隊がどの程度の階層化を必要とするかは、その時代、その地域の戦争の特性によって変化するためです。戦争の様相が変化し、軍事的エリートだけでなく、大衆を大量に戦争に参加させる必要が出てくると、軍隊の階層構造は流動化する傾向が出てきます。 このように軍事組織の形態が変化す...

事例研究 民主主義はシビリアン・コントロールを保証しない

軍隊に対する政府の統制は一般にシビリアン・コントロール(civilian control)という用語で呼ばれており、民主的な政治システムの一部として見なされることもあります。 しかし政治史を検討していくと、民主主義のメカニズムが常にシビリアン・コントロールを強化するとは限りません。民衆の世論や圧力がシビリアン・コントロールを損なう場合があります。 今回は、第一次世界大戦のイギリスの事例を取り上げ、民主的な政治システムそれ自体はシビリアン・コントロールを保証するものではないことを考察したいと思います。 軍事に無関心な政治家の姿勢 ハーバート・アスキスの肖像画(1919年) 1919 portrait by André Cluysenaar 第一次世界大戦とは、1914年から1918年にかけてイギリス、フランス、ロシアを中心とする陣営と、ドイツ、オーストリアを中心とする陣営とが争った戦争です。 この大戦が勃発した当時、イギリス首相を務めていたアスキス(Herbert Henry Asquith, 1852 - 1928)は、ドイツ軍の脅威に対処させるため、ヘイグ(Douglas Haig, 1861 - 1928)を司令官とする地上部隊をフランスへ援軍として差し向けました。 当然、シビリアン・コントロールの観点から見ればアスキスは国家的見地からヘイグを指導し、その決定の妥当性を判断すべき立場にあったといえます。 アスキスは議会人としては有能でしたが、軍事問題について十分な知識は持ち合わせていませんでした。その結果として、軍隊に対する政府の統制は不適切なほどに弱められてしまったと歴史学者のテイラーは指摘しています。 「アスキスは戦争の遂行に伴う重要な課題を理解していなかった。アスキスは勝利することを強く決意していたものの、政治家として可能な貢献は、私企業が武器を生産し、将軍がその武器を使って勝利を収めることを妨げないことだけだと考えていた」(Taylor 1964: 21) 政府が軍隊に対する指導力を低下させた結果、現地で軍を指揮するヘイグがイギリスの戦略方針に大きな発言力を持つようになり、全体としてシビリアン・コントロールの仕組みは骨抜きとなっていく事態となりました。 こうした状況は第一次世界大戦が消耗戦の様相を呈し、膨大な...

アダム・スミスが考える防衛意識の問題

近代経済学の確立に寄与したアダム・スミスの名前は日本でもよく知られています。 しかし、アダム・スミスが「国防は富裕よりもはるかに重要である」と指摘し、国防問題に重大な関心を寄せていたことは、それほど注目されていません。 今回はアダム・スミスによる適切な軍事制度に関する考察から、防衛意識に関連する部分を紹介したいと思います。 まずスミスは富の蓄積が近隣諸国の侵略を誘発する危険を高めることを認識していました。 そこで経済力の増大に応じて国家は自らの国富を守るための軍隊を整備する必要が生じます。しかし、防衛体制を整えるにあたり、国民は二つの政策選択に直面すると考えられました。 「それは第一に、非常に厳しい政策をとって、人民の利害関心や天分や好みの傾向などすべておかまいなしに、軍事教練の実習を強制し、兵役適齢期の市民全部、あるいはその一定数を、かれらがたまたまどんな商売なり職業なりを営んでいようと、ある程度まで軍人の職業を兼ねるように義務づけることができよう。さもなければ、第二には、一定数の市民を養い、雇用して、軍事教練を常時実習させておくやり方で、軍人という職業を他のいっさいの職業から独立した別個の一特殊職業とすることができよう」(邦訳3巻14頁) スミスがここで検討した選択肢のうち前者は市民兵を中心とする軍事制度であり、後者は職業軍人を中心とする軍事制度に対応しています。 いずれの選択が経済先進国の安全保障に適しているのか、という疑問についてスミスははっきりと後者を支持しました。 その理由は軍事的専門性の技術的な高度化です。 スミスはさまざまな生産現場で分業化が進むと、技術革新が促進され、それに応じて軍事技術も高度化することを知っていました。 これを言い換えれば、経済成長が進んだ国では、戦闘員の教育訓練に必要な時間や費用が必然的に増大するということです。 ここまでの議論はおおむね私たちの直感とも一致するものでしょう。 しかし、スミスは職業軍人に国防をまかせることによる弊害について考慮しておくことも必要であると同時に考えていました。 なぜなら、国防に触れることなく、各人が自分の専門化された仕事にだけ打ち込むような近代社会では、公共のために武勇の精神を発揮する機会に乏しく、防衛意識が大いに低下すると考えられるためです。 この議論...

平和運動が安全保障に与える影響

つい先日のことなのですが、ある学会関係のメーリングリストを通じて平和安全保障法制に反対を呼び掛けるように指示が出されたことを知らせるメールが私に届きました。 これは学者、研究者の地位を政治的に利用した平和運動であり、その意見を詳細に検討しても安全保障学の観点から興味深い問題ではありません。 それよりも私達がより興味を引かれるのは、こうした防衛体制の強化に反対する平和運動が、国家の安全保障に与える影響です。 今回は、サミュエル・ハンチントンの研究に基づき、反軍的な平和運動が国家安全保障に与える影響を説明したいと思います。 まず、平和運動の影響で最も重要なのは、軍人が政治的活動に参画する誘因を著しく強化することであるとハンチントンは指摘しています。これはどのような意味なのでしょうか。 そもそも軍人という職業は、教育訓練に基づく専門的能力を必要とします。 特に19世紀以降に近代的な軍事学が成立し、とそれに基づく教育体系が整備されて以降、各級の士官たちは国家が政策を遂行するために必要な作戦計画の立案、実施、評価に従事してきました。 このような軍人の専門職的な特性は軍事的プロフェッショナリズム(military professionalism)と呼ばれています(ハンチントン2008: 1章、2章を参照)。 軍事的プロフェッショナリズムは国家に対して軍人に三種類の機能を負わせます。 (1)国防に必要な資源や予算を政府に知らせる代表的機能 (2)第二の機能は国家の政策を軍事的観点から分析して報告する助言的機能 (3)国家の政策決定を踏まえながら作戦行動を遂行する執行的機能(ハンチントン2008: 上72) いわば、軍人は軍事的プロフェッショナリズムを発揮することによって国家安全保障に寄与しているのです。 そして、ここから重要な議論ですが、ハンチントンは反軍的な平和運動が社会で優勢となると、軍事的プロフェッショナリズムに基づいて軍人たちが行動することはできなくなる、と述べています。 武器や軍隊の存在意義を否定する平和運動は、軍事的プロフェッショナリズムを批判し、軍人がより「市民的価値観」を共有することをイデオロギーとして要求するためです。 そうした結果、国家の安全保障政策の現場において軍人たちは軍事的プロフェッショナリズムに固...