領土を拡大し、奴隷を獲得し、また財宝を略奪するための国策としてローマは対外戦争を積極的に推進しました。 国際政治学の理論で考えれば、このような政策をとる国が出現すれば、周辺諸国が対抗同盟を形成し、勢力の拡大が妨げられるはずです。 しかし、ローマ人は決して武力にだけ頼って戦争を遂行していたわけではありませんでした。 今回は、フランスの政治思想家シャルル・ド・モンテスキューが古代ローマの外交政策をどのように解説しているのかを取り上げて、その要点を紹介してみたいと思います。 周辺諸国を武力で圧倒していたローマの外交 モンテスキュー(1689年 - 1755年)は18世紀に活躍したフランスの政治思想家。ローマ史に関する研究の他に、『法の精神』などの著作がある。 当時の世界でローマという国は、その強大な軍事力と積極的な対外政策で周辺諸国の多くから恐れられていました。 もしローマの恐ろしさを知らない国があったとしても、そのような国ではローマの外交使節が悪い処遇を受けることになったので、それを口実にローマ軍の攻撃を受ける事態に陥ったと、とモンテスキューは述べています(邦訳、70-1頁)。 ローマは開戦の際にあらゆる理由を持ち出してきたため、都合のいい時に、都合のいい相手と交戦することができたとも述べられています(同上、70頁)。 国際政治学の見地からこのようなローマの政策を見ると、勢力均衡の安定を図るために対抗同盟を形成されてしまうのではないかと思うところです。 しかし、ローマ人は単に自国の軍事力だけで戦争状態に入ることはしませんでした。彼らは同盟の意義をよく理解していたのです。 ローマは近い将来に開戦する外国の近くにおいて同盟国を確保するように働きかけ、その同盟国の軍隊を自国の軍隊と連携させることに注意を払っていました。そのため、対ローマ包囲網を構築することは容易なことではなかったのです。 モンテスキューは遠隔地でローマ軍の部隊が他国の軍隊と戦闘状態に入るとしても、指向する戦力の規模としては最小限の規模に抑えられており、前線から離れた場所には予備となる部隊が拘置されていました(同上、76頁)。 これは一見すると無駄な戦力配備に見えますが、敵地に深く進入した部隊の背後連絡線を掩護すると同時に、第三国の動きを牽制するという意味合...
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