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学説紹介 バルバロッサ作戦の敗因―リデル・ハートはこう考える―

1941年6月のバルバロッサ作戦は、ドイツがソ連を征服する壮大な試みでしたが、ドイツ軍のモスクワ占領は失敗しました。その敗因については、今でも多くの人々が議論しています。 最もよく指摘される敗因は、戦線の中央を進んでいたドイツ軍の中央軍集団の機甲部隊に対して、ヒトラーが7月に南方への転進を命令したことでしょう。 これはモスクワ到達までの時間を浪費するものであり、しかもこの部隊は南方での戦闘に参加できず、無駄な移動に終わったためです。 イギリスの学者 リデル・ハート が検討したのは、ヒトラーがそのような間違いを犯した理由です。今回は、この敗因に対するリデル・ハートの考察を紹介したいと思います。 最初から攻撃目標をめぐる意見対立が生じていた ブラウヒッチュ(左)とヒトラー(右)、1939年のワルシャワにて まずリデル・ハートが着目しているのは、作戦が始まる前の段階でドイツ首脳部内部、特にヒトラーと陸軍総司令官ブラウヒッチュとの間で、攻撃目標に関する意見の不一致があったということです。 そもそもヒトラーは、モスクワ攻撃に慎重な立場をとっていたことをリデル・ハートは紹介しています。 「ヒトラーは、レニングラードを主目標として、これを奪取し、それによってドイツのバルト海側の翼側を安全にするとともにフィンランドと手を握り、モスクワの重要性については低く評価する傾向にあった。しかし、彼はまた、経済的ファクター(複)に対する鋭い感覚から、ウクライナの農業的富源とドニエプル下流の工業地域とを奪取しようと欲していた。この二つの目標は非常に離れており、全く分離した二つの作戦線を必要とした」(リデル・ハート、267頁) こうしたヒトラーの意見に対し、ブラウヒッチュは反対の立場をとっていました。 ブラウヒッチュの見解では、開戦と同時にソ連軍は首都モスクワに戦力を集中させて抵抗を図ると予測されたため、ソ連軍を確実に撃滅するには、北部のレニングラードや南部のウクライナを目指すべきではなく、一貫して中部のモスクワに向けてドイツ軍の全ての戦力を集中すべきと考えていたのです(同上)。 結局、議論はまとまらず、作戦の第一段階で国境地帯に配備されたソ連軍部隊を確実に撃滅すべきという点でヒトラーとブラウヒッチュは当面の合意に至り、事後の攻撃目標については決定を先送り...

学説紹介 リデル・ハートの戦略思想と間接アプローチの八原則

軍事学の世界における リデル・ハート (Basil Liddell Hart, 1895-1970)の業績はとてもよく知られています。 特に間接接近(indirect approach)の概念はその後の戦略思想にも大きな影響を与えましたが、その要点は日本ではまだまだ広く知られていません。 今回はリデル・ハートが書き残した戦略の原則について紹介するため、その内容について彼自身の解説を踏まえながら説明したいと思います。 リデル・ハートの説による戦略の原則 ベイジル・リデル・ハート(Basil Liddell Hart, 1895-1970) イギリス陸軍を退役した後は軍事史の研究に取り組む、代表作は『戦略論』 リデル・ハートは自著の中で戦略原則という表現はとらず、戦略と戦術の本質(concentrated essence of strategy and tactics)という表現を用いました。つまり、彼は戦略と戦術に共通の原則が存在すると考えていたということです。 それは8個の原則から成り立っており、リデル・ハート自身の言葉を踏まえると、次のように要約できます。 目的を手段に適合させよ。 常に目的を銘記せよ。 最小予期路線(又は最小予期コース)を選択せよ。 最小抵抗線に乗ぜよ。 予備目標への切替えを許す作戦線を選択せよ。 計画及び配備が状況に適合するよう、それらの柔軟性を確保せよ。 相手が油断していないうちは―対手がわが攻撃を撃退し又は回避できる態勢にあるうちは、わが兵力を打撃に投入するな。 一たん失敗した後、それと同一の線(又は同一の形式)に沿う攻撃を再開するな。 これらは、あたかもチェックリストのような構成になっていますが、リデル・ハートはもっと単純な原則として集中という原則を持ち出すことも検討していました。 著述の中では彼は「戦争の原則、それは単なる一つの原則ではなく多数の原則から成り立つものであるが、それを一語に圧縮すると「集中」ということである。しかし、これは事実上「弱点に対する勢力の集中」というふうに敷えんすべきである」と述べていたことが、それにあたります(邦訳、リデル・ハート、366頁)。 それにもかかわらず、リデル・ハートは自身の原則をまとめる上で兵力の集中という言葉は一切用いなかったのは、す...

学説紹介 戦術家でもあったリデル・ハート:機械化歩兵の着想

リデル・ハート(Basil Liddell Hart, 1895-1970) といえば、間接接近(indirect approach)の概念で知られる著名な戦略家であり、特に機動戦の研究に大きな影響を与えたことで知られています。しかし、彼の研究領域は決して戦略だけに限定されておらず、戦術にまで及んでいました。このことは、初期の研究の内容に特に反映されています。 今回は、歩兵戦術におけるリデル・ハートの研究成果を再検討し、それが持つ意義を現代の観点から考察してみたいと思います。 歩兵戦術の近代化に貢献したリデル・ハート リデル・ハート(Basil Liddell Hart, 1895-1970) イギリスの軍事学者、主著に『戦略論』、『抑止か、防衛か』等 もともとリデル・ハートが本格的に軍事学の研究に取り組むきっかけとなったのは、第一次世界大戦を経験したことがあり、その出発点となったのは歩兵戦術の研究でした。リデル・ハートは1914年から1924年(除隊は1927年)までの軍務を通じて歩兵戦術の近代化のために研究努力を重ねたのです。 リデル・ハートは1914年、つまり第一次世界大戦が勃発した年に陸軍に入隊します。西部戦線に送られたのは勃発から少し時間が経った1915年9月のことでしたが、その後のソンムの戦いで負傷してしまいました。しばらく病院で治療した後に義勇兵の訓練に従事しています。 リデル・ハートが最初に刊行した著作が1918年の『義勇兵部隊のための新歩兵訓練要綱(Outline of the New Infantry Training, Adopted to the Use of the Volunteer Force)』であったのは、この時の経験があったためです。この著作はすぐに『歩兵訓練の新手法(New Methods in Infantry Training)』として再刊されています(Liddell Hart 1918)。 この著作は短い著作であり、また学術文献というよりも教育資料としての性格が強かったのですが、戦術の観点から見て一つの新しい思想が盛り込まれていました。それは歩兵部隊の戦闘行動の基本単位を分隊とすべきだ、という考え方でした。 この考え方は1919年に発表された論文「戦闘部隊の将来的発展に関する提言」でさ...