近年において中国とインドの関係はますます複雑になっています。かつての中国の勢力とインドの勢力が競合する地域というのは、ヒマラヤ山脈をはじめとする山岳地帯に限定されていました。しかし、中国が海洋進出の動きを進めるにつれて、その活動領域をインド洋に拡張し、インドはそのことに安全保障上の懸念を抱いています。ここから情勢がどう展開するかが今後の検討課題となるでしょう。 今回は、ロバート・カプランによる地政学的分析を踏まえて、中印関係の今後の展開を考察してみたいと思います。 チベット問題をめぐる中印関係 チベット高原は、ヒマラヤ山脈とクンルン山脈に南北に挟まれた位置に広がる世界最大規模の高原である。インドの国境から最も近い位置にある中国の領土であるが、チベット人の抵抗運動が組織された際に、インドがチベット人の指導者の亡命を受け入れたこともある。 インドの国防を考えた場合、パキスタンが主要な脅威として認識されていることはよく知られています。パキスタンに比べれば、中国の脅威はインドにとってより曖昧なものであり、またヒマラヤ山脈によって両国の勢力圏が離隔されています。カプランもインドと中国の対抗意識は歴史的な裏付けを持たないと認めていますが、それでもチベット問題で対立した経緯があり、その影響を無視できないと述べています。 「インドが係争中のヒマラヤの国境をめぐって中国と限定戦争を行ったのは、半世紀ほど前のことになる。このとき戦場となったのは、標高4200メートルを超えるアルナーチャル・プラデーシュ州だった。2000人の兵士が死亡し744名が負傷した、この1962年の国境紛争戦争の発端となったのは、チベット動乱だった」(カプラン、287頁) ヒマラヤ山脈の北に広がるチベット高原は、世界最大級の広さを誇る高原です。古くから農耕や牧畜を営むチベット人が住んでおり、独自の文化、宗教を持っています。1950年に中国軍が進攻してきてから中国によって領有されましたが、チベット人の指導者の中には中国人の支配に抵抗する者も少なくありませんでした。 1959年に蜂起が起こると、中国軍は直ちに鎮圧に乗り出しましたが、チベット人の指導者であるダライ・ラマの身柄を確保することには失敗し、彼はインドに亡命しました(同上、287-8頁)。この政治亡命を受け入れたことから、...
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