近年、ロシアの戦略を分析する人々は、その情報の活用の仕方に注目するようになっており、さまざまな研究成果が生み出されています。
これはロシアの方が西側よりも広い視点で情報戦を捉えてきた点に関心が集まっているためです。
その背景にあるのは1994年以降に経験したチェチェン戦争であり、そこで得られたノウハウがその後のロシアの情報戦略を発展させたと指摘されています。
今回は、スウェーデンの研究者オスカー・ヨンソン(Oscar Jonsson)の著作『ロシアの戦争理解(The Russian Understanding of War)』(2019)の研究成果を踏まえ、チェチェン戦争が持つ歴史的な意義について考えてみたいと思います。
ロシア式の情報戦は西側とは異質なものである
著者はロシアが考える情報戦とは、敵対する勢力の情報を取得し、適切に分析、使用することや、味方の情報を保全することにとどまらないと説明しています。
つまり、ロシアにとっての情報戦とは、特定の集団に対して心理的な影響を及ぼすことをも考慮に入れるものであり、例えば西側の一体性、民主主義に対する信頼、あるいは親米的、親欧州的な態度をとっている政治家のイメージなどを低下させるように意図されていると指摘されています(Jonsson 2019: 94)。
このような活動は、まったく非軍事的手段によって遂行されるので、戦時だけでなく平時においても積極的に活用することが可能であるという利点があります。
これはロシアの戦略を理解する上で重要な点です。冷戦以降、ロシアはさまざまな経験を積み、この種の戦略思想を発展させてきたのですが、西側の理解はあまり進んでいません。
だらこそ、これを調査することがロシアの戦略に備える上で重要であると著者は述べており、その発達の歴史的経緯を調査しています。
第一次チェチェン戦争で浮き彫りになった課題
著者の調査によれば、ロシアの情報戦に対する認識はかなり長い時間をかけて形成されてきたものですが、新たな発展の契機となったのはチェチェン戦争でした。
この戦争は第一次チェチェン戦争(1994~1996)と第二次チェチェン戦争(1999~2009)に区別することができます。
第一次チェチェン戦争の争点は独立問題であり、ロシア連邦からの分離独立を図るチェチェン共和国の武装勢力を鎮圧するために、当時のボリス・エリツィン大統領が軍隊を投入しました。
著者によれば、この戦争は始まった当初からあまり大きな政治的支持を集めることができず、それがチェチェン共和国の戦争遂行に有利に働きました(Ibid.: 110)。実際、ロシア政府が作戦行動で生じたロシア軍の人的損害を隠蔽しようとして失敗してしまい、その一連の隠蔽工作がマスメディアに報道されたという事件も起きています(Ibid.)。これはエリツィン政権の支持に悪影響を及ぼし、戦争を遂行するための政治的基盤を傷つけました。
1999年に首相に就任したウラジミール・プーチンは、この課題をより深く理解していたといえます。1999年に第二次チェチェン戦争が勃発すると、プーチン政権も断固とした軍事的措置をとって、チェチェン共和国の独立を阻止しようとしましたが、同時に国内の世論を制御しながら作戦を遂行することにも注意を払いました。
サイバー戦の様相を強めた第二次チェチェン戦争
2000年にプーチンは1994年に始まった第一次チェチェン戦争の反省点の一つが作戦を政治的に支持する世論を形成することに失敗したことであったとはっきり述べています(Ibid.)。
第一次チェチェン戦争で犯した過ちを認識し、それを繰り返してはならないと考えていたことがうかがわれます。
しかし、それでも課題の解決は容易ではありませんでした。当時、チェチェン側のメディアがインターネットを通じて世界中に自らのメッセージを伝え始めるなどインターネットを使った対外宣伝を強化したため、ロシアは国内世論だけでなく、国際世論への対応に苦しめられるようになったためです。
チェチェンには国外にも多くの独立支持者が存在し、彼らはネットで連絡を取り合いながら、武装勢力への資金提供や反ロシア的な情報の拡散に協力していたのです(Ibid.: 111)。
次第にロシアもサイバー空間における措置を強化するようになり、チェチェン側のインターネット・メディアを攻撃するようになりました。例えば2002年には多数のコンピュータを使い、目標のサーバが利用不能になるような通信負荷をかける分散型サービス拒否(DDoS)攻撃を加えています(Ibid.)。
これはロシア軍が実施した最初のサイバー攻撃だった可能性があると著者は考えており、ロシア軍の歴史においても画期的な事理だったかもしれないと指摘しています(Ibid.)。
むすびにかえて
1991年12月にソ連から離脱したロシアにとって、1994年に始まったチェチェン戦争は最初の軍事的試練でした。その後のロシアの戦略思想に与えた影響を考慮すると、チェチェン戦争は単なる分離独立の試みとして捉えられるべきではなく、最初期のサイバー戦という画期的な事例として捉えられるべきかもしれません。
ロシアの戦略思想が形成された過程でチェチェン戦争の教訓が重要な役割を果たしたのであれば、その事例を詳細に分析することは、ロシアの戦略思想の内容を理解する上で重要な手がかりを与えてくれるのではないでしょうか。
武内和人(Twitterアカウント)
参考文献
- Oscar Jonsson, The Russian Understanding of War: Blurring the Lines between War and Peace, Washington DC: Georgetown University Press, 2019.(近代以降のロシアの軍事思想の発達を歴史的アプローチで調査し、現代のロシアの戦略思想を検討した研究)

