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事例研究 19世紀の覇権国家イギリスが凋落した理由

19世紀、世界で覇権的地位にあったイギリスはなぜ凋落したのでしょうか。
これは国際政治において大国が中小国に転落するプロセスがどのように進むのかを理解する上で教訓に富む事例です。
21世紀以降、アメリカが覇権国家としての地位をいつまで守り通すことができるのかを予測する上でも興味深い事例として位置づけられるでしょう。

今回は、歴史学者のポール・ケネディの研究成果を取り上げ、19世紀の衰退期にイギリスが軍事的優勢を保持していたにもかかわらず没落したのは、国際情勢の多極化のためだったと説明している議論を紹介したいと思います。

イギリスの覇権を支えていた海上戦力

19世紀末のイギリスは世界最大の領土と人口を保有する帝国となり、植民地貿易を通じて大きな利益を上げていたが、その防衛のために大きな負担を抱え込むことにもなっていた。特に経済的に重要なインドは中央アジア方面からロシアの脅威によって脅かされており、フランスがインドシナを獲得してからはビルマ方面の防衛も強化せざるを得なくなった。

1900年の時点でイギリスは世界最大の支配領域を有する大帝国でした。ケネディは当時のイギリスの支配下にいた人口は当時の世界の総人口の4分の1に匹敵していたと指摘しています(邦訳、ケネディ、335頁)。

当時のイギリス(1901年)の人口は3252万8000人ほどだったのですが、これは同時期のフランス(1901年)の3845万1000人、ドイツ(1900年)の5736万7000人、ロシア(1897年)の1億2636万7000人を下回る数字でした(邦訳、ミッチェル、1巻、8、4、7頁)。
アメリカ(1900年)の人口7599万5000人も下回っており、もしイギリスが大規模な地上戦を繰り広げる事態になれば、真っ先に人的資源が枯渇するのは明らかな状況だったのです(邦訳、ミッチェル、3巻、6頁)。

イギリス陸軍の規模を調べてみると、確かに1900年の時点で62万4000名の規模に過ぎず、ドイツ軍の52万4000名よりもやや上回っているものの、フランス軍の71万5000名に劣り、116万2000名のロシア軍の勢力に対しては圧倒的に劣勢でした(ケネディ、307頁)。
それにもかかわらずイギリスが大国としての地位を保ち、かつその勢力を全世界に及ぼすことができた理由は世界の海上交通を支配し、植民地貿易から大きな利益を上げることを可能にする強大な海上戦力を備えていたためだと考えられています。

ケネディの調査によれば、1900年の時点でイギリス海軍が保有する軍艦の総トン数は106万5000トンであり、これに次ぐのは49万9000トンのフランス、38万3000トンのロシアでした(同上)。
世界の船舶建造トン数の60%、軍艦の建造数の33%がイギリスによって占められていたことも考慮すると、イギリス海軍の勢力は当時としては世界最高の水準にあったといえます(同上、344、338頁)。

世界規模で軍事的優勢を維持する難しさ

第3代ソールズベリ侯ロバート・ガスコイン=セシル(1830年2月3日 - 1903年8月22日)は保守党党首として3度にわたり首相に就任した政治家であり、対外政策では強硬な態度をとったことで知られている。1895年に英米間で危機が起きた際に武力行使を検討したが、中国、アフリカなどでも問題を抱えていたことから思い止まった経緯がある。
圧倒的な海上戦力を持ちながら、イギリスが覇権を保持できなかったのはなぜでしょうか。

この疑問に答えるため、ケネディはイギリスの失策というよりも、国際情勢が急激に変化し、それに対処しきれなくなったプロセスに注意を向けています。

19世紀末から20世紀初頭にかけてイギリスが全世界規模で同時に複数の問題に対処することを余儀なくされた状況をケネディは次のように要約しています。
「たとえば1895年という重大な年には、イギリス政府は日清戦争の結果として中国が分割するのではないかと心配し、オスマン帝国がアルメニア危機によって崩壊しそうだと懸念し、南部アフリカをめぐってドイツと対決し、同時にベネズエラと英領ギアナの国境でアメリカとの紛争がもちあがり、アフリカの赤道付近ではフランス軍派遣部隊の動きに目を光らせ、ロシアがヒンドゥークシュに向けて進出してくることにも注意しなければならなかった」(同上、341頁)
ちなみに、ここでケネディが述べているのは1895年にイギリスが直面した問題のほんの一部にすぎません。この年にはイタリア軍がエチオピアへ進攻し、またカリブ海ではキューバで独立運動が高まるなどの事件もありました。

このような状況ではイギリス海軍がいかに世界最大の勢力を誇っていたとしても、いつ、どこに、どれだけ部隊を派遣すべきなのかという戦略の立案は極めて困難です。

選択と集中を余儀なくされたイギリス

実際、当時のイギリス海軍本部は、このような古典的な戦略問題の解答を導き出すために、無理に無理を重ねていたことがケネディによって指摘されています。
「もはや19世紀半ばのように、「世界の海を制する」ことは不可能だった。1890年代以来、数カ国が艦隊の建造を進めていたのである。海軍本部が繰り返し指摘していたように、西半球でアメリカと対決することはできるが、そうなればヨーロッパの水域から軍艦を移動させなければならない。あるいは極東における英国海軍を増強することはできるが、そうすると地中海の艦隊が弱体化することは避けられない」(同上、341頁)
一般に海上戦力は陸上戦力よりもはるかに高い柔軟性を持って機動展開することが可能です。しかし、その機動力にも技術的な限界はあります。

ケネディが紹介している1895年の状況のように極東、中央アジア、中東、欧州、中南米でほとんど同時期に危機が起こった場合、イギリスがどこに戦力を集中させたとしても、部隊の配備が手薄な真空地帯が生じることは避けられなかったでしょう。

したがって、イギリスは選択と集中を余儀なくされます。いくつかの地域ではライバルに対して譲歩せざるを得なくなりました。

ケネディはその例としてベネズエラ、パナマ運河、アラスカの問題でイギリスがアメリカに譲歩し、西アフリカ、インドシナ、太平洋ではフランスと取引し、また海洋進出の動きを進めるドイツとも海上戦力の保有比率を設定するなどの交渉を進め、緊張緩和に努めたことを紹介しています(同上、346頁)。
ケネディはこの措置を勢力圏の「切り捨て」という言葉で表現しています(同上)。いわば、イギリスはやむを得ず自らの勢力の後退を受け入れざるを得ない状況に追い込まれたのだといえます。

まとめ

19世紀末にイギリスが衰退していった理由については、経済的要因に着目する説明もあり、ケネディもその説明を参考にしているのですが、全体としては、やはり軍事的要因の影響の方が重視されています。

イギリスは世界最大の海軍を各地の植民地や海外領土に派遣し、紛争があれば直ちにその武力を行使することができました。
しかし、フランス、ロシア、オーストリア、トルコといった従来から存在してきた列強だけでなく、ドイツ、イタリア、アメリカ、日本などの新興国が台頭する事態に陥り、イギリス陸海軍は全世界で部隊配備を強化することを迫られ、結果として勢力圏を手放さざるを得ないところにまで追い詰められていったと考えられています。

このようなイギリスの歴史を知っていれば、多極化の様相を呈しつつある現在の国際情勢を読み解く上で大いに参考になると思います。

KT

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参考文献

  • Kennedy, Paul. 1987. The rise and Fall of the Great Powers. Random House.(邦訳、ポール・ケネディ『大国の興亡』鈴木主税訳、全2巻、草思社、1988年)
  • Mitchell, Brian R. 1998. International Historical Statistics. Macmillan Reference.(邦訳、ブライアン・R・ミッチェル編著『マクミラン新編 世界歴史統計』全3巻、東洋書林、2001年)