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2017年8月9日水曜日

文献紹介 戦術学をゼロから学ぶ人への入門書

最近、戦術に関する入門書が少しずつ増えているようで、大変喜ばしいことだ思います。
しかし、戦術について何も知らない読者は、その書籍の内容がどれほど優れているのか、またどのような問題があるのかを判断できないため、その議論をそのまま受け取ってよいのか困ることも少なくないようです。

今回は、今年出版された戦術の入門書を取り上げ、その内容について簡単なコメントを行ってみたいと思います。

文献情報
木本寛明『戦術の本質 戦いには不変の原理・原則がある』サイエンス・アイ新書、SBクリエイティブ、2017年

戦いの原則から始まる堅実な解説
戦術学の研究文献にもさまざまなタイプがあり、思想的・概念分析的アプローチによるものもあれば、歴史的・定性分析的アプローチによるもの、そして理論的・定量分析的アプローチによるものなどがあります。

この著作は思想的・概念分析的アプローチに重きが置かれており、歴史的事例の分析や数理モデルの議論はほとんど出てきません。
その代わりに、初めて戦術に関心を持った読者が基本概念を幅広く理解することが目指されています。

著者が研究の基礎としているのはイギリス陸軍軍人フラー(J.F.C. Fuller)が提唱した「戦いの原則」です。

これは1924年に英陸軍が刊行した『野外要務令第2部』に初めて記載されたもので、後に米陸軍、陸自の教範にも影響を与えました。

その中には目標を確立してそれを徹底的に追及するという目標の原則や、戦闘で敵に対して主動的地位を確立することの意義を説いた攻勢の原則などがあり、『戦術の本質』の第1章「戦いには不変の法則がある」はほぼこれらの原則の解説に費やされています。

ストライカー旅団戦闘団に焦点
第2章以降は米陸軍の教範の記述に沿って戦術のさまざまなテーマについて説明がなされており、特に第2章「戦いの基盤」においては戦闘力の構成要素にどのようなものがあるのかが論じられています。

ここで印象的なのは、著者はあまり歴史上の部隊編制の分析に踏み込むことを避け、ストライカー旅団戦闘団(SBCT)のような現代の部隊に絞って紹介している点です。

SBCTはネットワーク化された米陸軍の歩兵部隊であり、3日間程度の戦闘を独立して遂行する能力を備えています。
SBCTは高度な指揮統制システムを持っているため、これについて知ることはサイバー戦を含めた現代の陸上作戦の様相を考える上での参考となりますし、兵站、人事、情報といった要素についても比較的丁寧に解説されています。

基本的に著者は旅団レベルの戦術を念頭に置いた議論を展開しており、以降の議論でも旅団に関する言及が繰り返されています。

分かりやすい図解、テーマの選択基準に疑問
第3章「戦いのサイエンス」では、機動や突破、迂回のような攻撃機動の方式から始まり、さまざまな戦闘行動のパターンについて説明がなされています。

どの項目を見ても概念図で丁寧に解説されているため、文章の意味がとりにくい初心者でも確実にイメージできるような工夫も見られます。

ただし、この章では当然取り上げられてしかるべき重要なテーマに関する解説が、部分的に省略されています。

例えば、著者は攻勢作戦の一種と分類される遭遇戦の解説に4頁を費やしていますが、同じく攻勢作戦の一種とされる陣地攻撃、戦果の拡張、追撃に関しては紙面を割いていません。

米陸軍の教範に依拠すると述べているにもかかわらず、独自の判断であえて一部の行動について取り上げずに済ませた意図はよく分かりません。

ただし、防勢作戦に関しては陣地防御、機動防御、後退行動に関する解説が一通り確保されていますし、数式を出さないもののランチェスターの交戦理論についても言及がなされています。

軍隊の思考過程が理解できる
第4章の「戦いのアート」では、状況判断から決心に至るプロセスが解説されており、ここでも米軍の教範の内容をほぼ忠実に記述しています。

米軍では軍事的意思決定過程(military decisionmaking process)が標準化されており、任務の受領から始まって、任務の分析、行動方針の案出、分析、比較、承認、そして計画・命令の作成に至るまでの間に、どのような事項について考察すべきなのかが定められています。

また任務の受領から命令の作成に至るまでに与えられる時間については、指揮下部隊の準備を考慮して、現在から作戦開始までの3分の1の時間だけを使用するという3分の1ルールも紹介されており、軍隊以外の組織における意思決定にも活かせる考え方が紹介されています。

ここでも著者が議論で念頭に置いているのは旅団レベルの部隊運用なので、ここでの議論も旅団本部での幕僚活動を想定したものとなっていますが、METT-TCという中隊以下の指揮官を対象とした任務分析の方法についても簡単に紹介されています。

第5章の事例研究には問題がある
残念ながら、第5章「アートとサイエンスの叙事詩」はこの著作で最も完成度が低い章であり、この著作の価値を著しく引き下げていると言わざるを得ません。

この章では米軍の教範の内容から離れて、歴史上の事例に関する分析が行われているのですが、その分析の視座は曖昧であり、事例の選択基準も明確ではなく、無理やり文章を寄せ集めた印象さえあります。

この著作は全般として戦術の入門書という性格が強いのですが、この章における事例分析に関しては時代背景の説明や基本情報の提示が不十分であり、しかも十分な根拠に裏付けられていない著者の印象論は知識のない読者を困惑させます。

気になったのは、ここまで陸上戦闘を前提にした戦術が議論されてきたにもかかわらず、海上戦闘の事例が2例ほど突然登場する点であり、これはまったく不適当な事例選択です。

しかも、著者は一貫して旅団レベルの戦術を想定して議論しているにもかかわらず、この章で取り上げられる事例はいずれも旅団レベルの運用ではないため、全体の一貫性が大きく損なわれているという問題も指摘できます。

むすびにかえて
防大12期の陸上自衛官だった著者は、富士学校の機甲部副部長や幹部学校の主任研究開発官などの職務を通じて機甲部隊の戦術研究に長く取り組まれていたこともあり、その考察には全体として堅実さと安定感があります。

現代の陸上作戦の様相を踏まえて、ゼロから戦術について勉強してみようと意気込む方であれば、この著作を通じてさまざまな戦術の基本概念を知ることができますし、より専門的な研究に移るための導入学習としてもちょうどよい教材だと思います。

ただ、本書の議論には全体として体系性に欠けるところがあります。
取り上げているテーマの選択の仕方にも米軍の教範に依拠する部分とそうでない部分があり、特に最後の事例分析に問題があることはすでに指摘した通りです。

結論として、戦術の基本概念をゼロから知りたいという方であれば、この著作はよい出発点であり、丁寧な図解だけでも読む価値があると思います。

ただ、戦術の原則や概念にあまり関心がなく、具体的な事例分析を読んでみたいという方であれば、この著作ではなく、家村和幸編『図解雑学 名称に学ぶ世界の戦術』ナツメ社、2009年、あるいはリーガン『「決戦」の世界史』森本哲郎監修、原書房、2008年などに当たることを推奨します。

KT

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