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2015年5月21日木曜日

文献紹介 平和とは何か


一般に平和は戦争の反対に位置付けられる概念と考えられています。それは社会の調和のとれた対立の発生していない状態であり、国内政策、対外政策の最終的な目的とも見なされています。

しかし、平和はより複雑なものであり、単に戦争が発生していない状態としてのみ理解することはできません。
クラウゼヴィッツが戦争を政治の延長として把握したように、平和もまた国家が政策を遂行するひとつの手段として把握される必要があります。

今回は、平和を理解するために限定的平和という概念を導入し、それを政策の延長として理解することができることを主張した研究を紹介したいと思います。

文献情報
Herrera, James H. 2009. On Peace: Peace as a Means of Statecraft, Charlisle: U.S. Army War College.

著者が指摘しているのは、戦争のレベルと同様に、平和にもいくつかの分析レベルが設定されうるということです。
このことはすでに平和学の研究でも明らかにされていることではありますが、著者はその研究成果を踏まえて個人的レベル、国家・集団的レベル、そして国際関係レベルの三種類に区別しています(Herrera 2009: 8)。

著者は三つの分析レベルそれぞれの平和を区別した上で、あらゆるレベルで平和が達成されている絶対的平和(absolute peace)、そうではない状態を限定的平和(limited peace)と呼び分けて区別し、平和にもいくつかのパターンに分類可能であることを指摘しています(Ibid.: 9)。
クラウゼヴィッツが戦争の形態には絶対的戦争と限定的戦争があると議論したことと同じ論法がとられています。

平和の形態を分類すると、政策立案者は自らの目的を達成する上でどのような平和を実現するべきかを選択することができることが分かります。
この研究が興味深いのは、戦争に犠牲者が存在するように、平和でも「犠牲者」が出ることが指摘されている部分です。

つまり、個人、国家、国際関係の平和状態が政策として実現しえない場合、どれかを犠牲にした限定的平和が選択されなければならず、その結果として特定の人々の平和状態のために他の集団が犠牲になるというのです。

著者はこの事例を説明するために、ヨーロッパ連合を取り上げて次のように述べています。
「現在、ヨーロッパはその歴史において最も平和で繁栄した時代を経験しつつある。地域の秩序は特定の国家と国際的な安定の両方と結びついている。その例外となっているのは、社会的緊張(人種主義)とグローバリゼーション(移民、世俗主義)に起因する個々人の内面的な調和の欠如である、と述べることができる」(Ibid.: 9)
限定的平和もまた平和の一形態に他ならず、その下で誰かが「平和の犠牲者」とならざるをえないという見方をとれば、戦争指導の場合と同じように平和指導の問題を考えることが可能ではないかというのが著者の基本的な見解です。

私がこの研究を読んで個人的に興味深いと思った点は、限定的平和と戦争に至らない作戦行動の関係です。

第三国による武力紛争に対する非公式の介入や、相手国に対する反乱、政治工作の支援などのような特殊作戦は、いわば平和を隠れ蓑としたまま指導される必要があります。
こうした作戦行動を指導するために戦争の原則をそのまま適用することはできません。平時の作戦行動ではより民事作戦上の考慮が必要であり、発揮する武力の水準についても慎重に選択される必要が出てきます。

戦争に至らない危機的状況下での作戦行動の問題を理解するためには、平和の問題を軍事的観点から多角的に分析する姿勢が必要ではないでしょうか。

KT

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