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2014年11月24日月曜日

演習問題 河川を渡河して実施する攻撃


今回は、渡河攻撃で考慮するべき戦術上の原則の重要性が示された事例から問題を紹介したいと思います。以前の演習問題で想定がややこしいとのご指摘を貰い、今回はややこしい単純な問題ではないものを選びました。

1918年10月14日、アメリカ軍の第77師団はAire川の北岸の近くにあった集落St. Juvinを攻略奪取する任務を与えられていました。つまり、渡河攻撃が必要ということになります。
情報によれば、集落を守備するためにドイツ軍の部隊が陣地を構築して渡河攻撃を待ち構えていることが予期されました。

作戦地区の地形全般を確認するとAire川にはいくつかの渡河が可能な地点を見出すことができました。そこで次のような作戦方針が比較検討されたと仮定しましょう。

(1)St. Juvinから南方500メートルの地点にある渡河地点から正面攻撃を行うべきである。
理由:側面や背後を攻撃するために部隊の移動に時間を費やすと、敵が防御陣地から出撃してAire川を渡河する恐れがあり、こちらの背後がかえって脅かされる危険がある。

(2)St. Juvinから2000メートルの渡河地点で全ての部隊を対岸に進出させ、そこからSt. Juvinにいる敵の側面を攻撃する方針を採用するべきである。
理由:敵の正面で渡河することができたとしても、そこから部隊を前進させることは困難であり、敵の備えが薄いと考えられる側面を攻撃することが有効である。

第77師団の作戦として採用するべき方針はどちらでしょうか。

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この問題は河川を渡河して行う攻撃の原則についての知識だけで正しく解答することができます。
すなわち、戦術の原則として渡河する地点は敵から遠くになるほど安全であるということです。

渡河攻撃の問題は戦術学では古典的な問題であり、例えばフリードリヒ2世はその著作で「敵前で大河を渡河することは、戦争で最も注意を要する作戦である」と述べています。
このことを踏まえて今回の問題の原案を説明したいと思います。

第77師団の作戦地区と隣接して第82師団の作戦地区がある。
第77師団は当初は南方からSt. Juvinを渡河攻撃していた。
その後、Aire川の南方を渡河して第82師団の作戦地区を通過し、St. Juvinを攻撃した。
第一の案では敵を正面から攻撃する理由について説明していますが、その地点で渡河攻撃を行わざるを得ない事情が特別ないにもかかわらず、敵から最寄の地点で渡河攻撃を行っても成果は期待できません。

別の経路を前進している間にドイツ軍が出撃してくればという危険について考えてみましょう。
防御陣地を捨てて敵がこちらに前進してくる動きがあれば、それは事前に準備した防御陣地を放棄することを意味します。さらにドイツ軍はSt. Juvinを失うことになるため退却することもできなくなってしまいます。

第二の案で着意されていることは、敵から遠くの地点で渡河を完了させ、敵の正面で渡河攻撃を行うことで予想される損害を回避し、かつ敵の側面を攻撃するということです。
敵から可能な限り遠くを渡河するという原則から考えて、こちらの案が正しいと言えます。

史実を見てみると、これら二つの案の両方の特徴を見ることができます。
意外に思われるかもしれませんが、当初アメリカ軍は正面から敵前渡河を試みたためです。

この戦闘の前に第77師団の司令部は作戦計画として地図上の点線で示した矢印に沿って攻撃を実施する予定でした。つまり、敵前渡河を回避して側面から攻撃するという戦術です。

しかし、不幸なことに命令下達の不手際が重なって同師団の第306歩兵連隊は指示された接近経路ではなく、南方からAire川を渡河してSt. Juvinを正面攻撃してしまいました(地図上の中央の実線矢印)。

St. Juvinの南方はAire川まで緩やかな傾斜になっており、ドイツ軍はこの傾斜を利用して多数の機関銃座を配置して陣地防御を準備していました。

そのため10月14日午前から始まった戦闘は午後には膠着状態に陥り、当時の第306連隊の連隊長は攻撃の中止を決定しました。

そこで連隊長は独断で連隊の予備として拘置した部隊をSt. Juvinから遠方の地点で渡河させ、東側からSt. Juvinに展開するドイツ軍の側面を攻撃する命令を発します(右側の屈折した実線矢印)。

この攻撃が成功したことによってアメリカ軍は10月14日にSt. Juvinを攻略することに成功しました。

そもそも師団司令部からの作戦命令がなぜ間違って伝達されたのかという史実関係については資料でも詳細には記述されていないのですが、資料では防御陣地に対して正面攻撃を仕掛ける戦闘がしばらく連続していたため、命令が正しく理解されなかったと説明されています。

KT

参考文献
Infantry Journal. 1939. Infantry in Battle, Washington, DC: Government Printing Office.

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