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2014年3月23日日曜日

戦争は政治とは異なる手段で行う政治の継続に他ならない


安全保障学で特に難しい研究の一つは政策と戦略の両方にまたがる意思決定を分析するものです。

政策と戦略はそれぞれ異なる領域のものなので、別個の原理原則で動いています。
しかし、両者の交差する領域ではこの別箇の領域を総合して判断することが必要となるので、ここで理論的に見た場合においても、また現場においても混乱が生じやすいのです。

数あるクラウゼヴィッツの命題の中でも、恐らく最も知られている命題がこの戦争と政治の関係を述べた命題であり、著作『戦争論』の中でも最も重要な議論を占めている箇所です。
「そこで戦争は政治的行為であるばかりでなく、政治の道具であり、彼我両国の政治的交渉の継続であり、政治における手段とは異なる手段を用いてこの政治的交渉を遂行する行為である。 
そうしてみると、戦争になお独自のものがあるとすれば、それは戦争において用いられる手段に固有の性質に関連するものだけである。 
ところで、こうした場合に戦争術が一般に求めることができること、そしてここの場合に将軍が要求しても差し支えないことがある。 
それは政治の方針と意図がこれらの手段と矛盾しないということである。と言ってみても、この要求は実際には決して些細な事柄ではない。 
しかし、こうした要求が政治的意図にどの程度強く反映されるとしても、そのようなものが逐一政治的意図を変更することができるなどと考えてはならない。 
政治的意図が常に目的であり、戦争はその手段に過ぎないためである。そして、手段が目的なくして考えられないことは言うまでもないことである」『戦争論』第1章、第25節より
ここで述べられている「政治」というのは、テクストの前後の文脈から「対外政策」の意味で用いられていることが分かります。
つまり、戦争とは対外政策の道具であり、その手段としての戦争は政策の目的において従属しているということが主張されています。

ここで特に興味深い議論なのは、「こうした場合に戦争術が一般に求めることができること、そしてここの場合に将軍が要求しても差し支えないことがある」という部分です。
クラウゼヴィッツはそれに続けて「政治の方針と意図がこれら(軍事的)手段と矛盾しないということである」、そして「そのようなものが逐一政治的意図を変更することができるなどと考えてはならない」と論じています。

このことからクラウゼヴィッツは対外政策と軍事戦略の関係、もしくは目的の設定と手段の選択を決して一方的な関係として解釈してはならないと主張していたことが読み取れます。

クラウゼヴィッツは別の箇所でも戦争が政治の道具であると繰り返していますが、決して戦争は政治と同一ではなく、その政治とは異なる固有の原理が支配する領域であると考えていました。

現代の日本においても軍隊に対するシビリアン・コントロールという原則が重要ということは論じられますが、それは政治イデオロギーや法思想から導かれたもので、クラウゼヴィッツの理論とはあまり関係がありません。

クラウゼヴィッツが提唱していたのは、政府に対する軍隊の役割が単なる執行者としての役割だけでなく、「顧問」としての役割を含んでいるということでした。

そして、その顧問的役割を果たすためには、科学的根拠に基づいた政策提言を行うことが必要でした。
だからこそクラウゼヴィッツはあれだけの労力を費やして戦争を一つの学問に昇華させる研究に取り組まなければならなかったのではないかと私は考えています。

KT

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