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論文紹介 暴動鎮圧にも戦術がある

本来なら暴動は警察学の研究テーマであって、軍事学の研究テーマにはそぐわないと感じられる読者もいるかもしれません。 しかし、世界の発展途上国で実施されている不正規戦争の事例を調べてみると、暴動がゲリラ戦を補完する戦術として利用されることもあり、一概に暴動は警察力で鎮圧すればよいと片づけるわけにはいかない場合があります。 これは米軍のように外国で占領地の治安維持に当たる場合があれば、なおさらです。 今回は、暴動を鎮圧する方法を戦術の観点から考察した論文を取り上げ、その要点を紹介したいと思います。 論文情報 Stanton, Martin N. "Riot Control for the 1990s," Infantry , Vol. 86, No. 1(January-February 1996), pp. 22-9. 不正規戦争の一環としての暴動 この研究の目的は、米軍の暴動鎮圧ドクトリンを見直すことにあるのですが、著者は特に発展途上国に進駐した米軍部隊が暴徒の対処に当たるという状況を想定していました。 この研究が発表された当時は1990年代、つまりポスト冷戦の時代であり、発展途上国に米軍部隊が派遣され、現地の暴動を鎮圧する任務を数多くこなさなければなりませんでした(Stanton 1996: 22)。 著者は1990年代前半の米軍の戦闘経験に基づき、発展途上国の暴動は事実上のゲリラ戦として側面があったとして、次のように論じています(Ibid.: 23)。 「例えばソマリアにおいては、兵士は戦闘員(gunman)と対決するのと同時に、投石や手にしたもので打撃を加える群衆とも対決した。射撃を加える戦闘員を捕獲するため、部隊が暴動を起こすソマリ族を圧迫し、打撃する場面が何度も生じた。同じ暴動に致死的な暴力と非致死的な暴力を組み合わせて用いたことが、反応をより複雑なものにしてしまった」(Ibid.) つまり、治安維持部隊を襲撃する暴徒は意図的に女性や子供を捲き込むことによって、武装している戦闘員の安全を確保する場合があり、暴動鎮圧をより困難にする可能性があるということです。 治安維持部隊にとって、このような暴徒から戦闘員だけを見つけて捕獲することは極めて困難なことですが、もし暴徒の接近を無制限に許せば部隊に...

学説紹介 革命の戦略家、マルクスとエンゲルス

カール・マルクス(1818年5月5日 - 1883年3 月14日)とフリードリヒ・エンゲルス(1820年11月28日 - 1895年8月5日)は政治経済学の思想家と思われがちですが、軍事学でも大きな功績を残しています。 特にエンゲルスの著作には軍事問題を取り扱ったものが多く、19世紀以降の革命家の戦略にも影響を与えたと考えられています。 今回は、ジグムント・ノイマンとマーク・フォン・ハーゲンの研究に沿って、マルクスとエンゲルスの戦略思想の特徴について紹介してみたいと思います。 マルクスとエンゲルスの共同研究 左がカール・マルクス、右がフリードリヒ・エンゲルス エンゲルスはマルクスと深い友情を結び、40年間の長きにわたって共に研究を行いましたが、彼らの共通の関心はやはり革命を起こして社会主義を実現することにありました。 彼らが生きた時代は「諸国民の春」として歴史家に知られる1848年革命の時期と重なっています。当然、マルクスとエンゲルスもこの革命に興味を持っていました(ノイマン、ハーゲン「エンゲルス、マルクスと革命・戦争・軍隊」235頁)。 しかし、当初期待したように事態は進まず、ヨーロッパ各地で同時多発的に発生した革命運動もやがて目に見える成果を残すことなく立ち消えてしまいます。 そのため、この敗因を究明することがマルクスとエンゲルスにとって重要な研究課題となり、特に革命の重要な手段である暴動が研究対象として位置付けられるようになります(同上、236頁)。 この研究はやがて軍事戦略の観点から暴動を考察した論文としてまとめられ、エンゲルスが執筆し、マルクスの編集を経て、マルクスの名前により1851年からおよそ1年にわたって『ニューヨーク・トリビューン』で連載されています(同上)。 暴動は戦争と同じく技術の問題である マルクスとエンゲルスは暴動を戦争と同じく技術の問題だと考えました。つまり、そこには研究を要する法則性があり、それに従って遂行しなければならないのです。 彼らの議論は多岐に渡りますが、第一に重要なことは暴動を起こす前に準備を万全に整えておくことであり、それは暴動の後に続いて生じる状況に対応することも視野に入れたものでなければならないということです(同上)。 第二に重視すべき事柄は...

事例研究 戦争より革命を恐れたヴィルヘルム二世

ドイツ帝国皇帝ヴィルヘルム二世(1915年頃) German emperor Wilhelm II, United States Library of Congress's Prints and Photographs division かつてドイツ帝国皇帝であるヴィルヘルム二世(Wilhelm II, 1859 - 1941)は、第一次世界大戦を自ら進んで引き起こした張本人かのように評価されていました。 しかし、こうした単純化された見方は、その後の研究で修正されています。 ヴィルヘルム二世はドイツ国内を安定化できるまでは、ドイツとして戦争を避けるべきだと認識していたことも、そうした研究の過程で明らかにされています。 今回は、第一次世界大戦直前のドイツの国防体制に関するホルガー・ハーウィックの分析を参照し、当時のヴィルヘルム二世の政策が対外戦争の回避を目指していたことを考察したいと思います。 軍制改革を拒否していたユンカー 1888年、初めて帝国議会の開会を宣言するヴィルヘルム二世、即位当初は従来の社会主義者を弾圧する政策の見直しを進めたが、後にこれを弾圧する姿勢に戻しており、ユンカーの支持を受けて政権運営に当たった Anton von Werner (25. Juni 1888) 20世紀初頭のドイツ帝国において、国防政策の決定に影響力を行使できる人物は極めて限られていました。 ハーウィックの研究が指摘しているように、当時のドイツにはイギリスの帝国防衛委員会やフランスの戦争最高会議のような組織が欠如しており(ハーウィック、487頁)、国防政策の重要案件は皇帝個人が決裁を下し、陸軍省、軍事内局、参謀本部、海軍局、軍令部、帝国宰相はその意向に沿って政策を実施していたに過ぎません(同上)。 こうした状況に対して帝国議会が行使できる権限はほとんどなく、5年または7年ごとの予算の承認・不承認によって影響力は行使するに止まっていました。 それだけヴィルヘルム二世が主体となって政策を決定する程度は大きかったということが言えます。 しかし、ヴィルヘルム二世は国防政策に専念できたわけではなく、自らの政治的な支持基盤となってくれる人々を組織化し、不満分子や政敵を抑圧するという政治家の仕事にも取り組まなければなりませんでした...

学説紹介 アリストテレスが語る、政治の逆説的論理

政治学を一般化するならば、それは国家を統治するさまざまな技術を研究する学問であり、国家を政治的に安定化させ、内戦や反乱が発生することを未然に防止する方法もその研究対象に含まれています。 今回は、アリストテレスの政治理論を中心に国家の安定を促進する技術に関する説明を紹介したいと思います。 政治の要諦は上流階級と下流階級の利害調整にある アリストテレスの説によると、ある国家で内戦や革命が起きる原因は財産や地位の配分方式に不平等があることです。 つまり、その国家の構成員の間で地位や資産の配分方式について著しい不公平感があると、その不公平を是正し、適正な配分方法を再設定するために、武力または謀略という手段を行使して内戦、反乱などの政情不安が引き起こされるということです(邦訳、205頁)。 アリストテレスはこのような問題が生じる背景には、あらゆる国家で資産を多く持つ上流階級と、資産をあまり持たない下流階級がさまざまな割合で存在していることが関係していると指摘しています。 上流階級に属する人々は自分たちの能力を下流階級の人々より優れていると考える傾向があるため、平均よりも多くの富が配分される制度を要求しがちです。 それとは反対に下流階級の人々は本来であれば自分たちと平等であるべき上流階級の市民たちが、自分たちよりも多くの富の配分を受けていると考えたがる傾向を持っています(同上、210-11頁)。 その結果、両者が共通の政策を決定し、国民一体となって行動を起こすには、上流階級と下流階級の利害を巧妙に調整する技術を用いることが権力者にとって不可欠となるのです。 民主制では上流階級に、寡頭制では下流階級に配慮せよ 次に、その具体的な対策を明らかにしなければなりませんが、アリストテレスはその国家の政治体制が民主制なのか、寡頭制なのかによって権力者は異なる対策を選択すべきだと論じていました。 その議論によれば、政治体制が民主的であるほど、少数の上流階級の利益を重視するべきであり、反対に政治体制が寡頭的であるほど多数の下流階級の利益を重視しなければならないことが主張されています。 これは一見すると、政治体制の特性に反して逆効果のようにも見えますが、アリストテレスがこのように主張したことには理由があります。 「貴族制国家のなかには、いや...